第2話 『理事長先生の私物』

温かな春の日差しが心地よい、昼下がりの校舎を歩いていた。

「先生も人使いが荒いよなぁ。」

大量の空の段ボールを抱えての隣を歩く友人の竹中が不満げにこぼした。

「まぁ、いつものことじゃんか。ちゃっと終わらせて帰ろうぜ。」

せっかく吹奏楽部員の少ない休みの日に、担任兼音楽教師の船先生に仕事を頼まれた俺たちは、空の段ボールを音楽室から体育館裏へ運んでいるところだった。

でもこんな事はよくあることで、多分先生は俺が頼まれると断れない性格なのを知っていて、お使いを寄こすんだろうな、と思っている。

「お前がそんなお人好しだから、先生はいつもお前に仕事押し付けるんだろー。」

「人の役に立てるんだからいいじゃん。」

「毎度巻き込まれる俺の身にもなってくれよな。」

そう言いながら、竹中は毎回俺の頼まれ仕事を手伝ってくれた。


倉庫室についた。

室内はホコリのニオイが充満していて鼻がやられるので、扉を全開にしたまま中に入り、段ボールを押し込んだ。

古い建物なので、内装も保管されている物も、もうボロボロでカビ臭い。

「おい、こんなとこにヤングマガジン落ちてんだけど。」

「ウケる。」と言いながら竹中がつまんで俺に寄越したのは、もう12年前の漫画雑誌だった。

「うわー、この女優めちゃくちゃ懐かしいな。」

「若い頃こんなだったのか。」

一気にテンションの上がった俺たちは暫く夢中になってお宝探しをしていた。けれど、それ以上めぼしい物は見つからず、捜索はすぐに打ち切りになった。

「ふぅ、これで終わり。早く帰ろーぜ。」

こんな汚い所からは一刻も、はやく立ち去りたい。そう思い扉の方を振り返った。すると、何故か竹中が俺を引き止めた。

「いや待て、2階に置いてある紙の貼った箱ももってこいって言われてただろ。」

船森の言葉を思い出す。

「1階でさえこの修羅場なのに、2階とか絶対肺に悪いじゃん。」最悪だ。

倉庫部屋の奥にある階段の方へ進むのを躊躇う俺とは反対に、竹中は余裕な様子でいる。

「お前、嫌じゃねーの?」

「だって俺、行く必要ねーし。ここでヤンマガ読んで待ってるわ。」竹中はいたってニコニコしている。

ナニヲイッテルンダコイツハ

非常に腹が立ったが、手伝ってもらっているのは事実なのだし、段ボールひとつだったら俺が取ってくるのが真っ当なのかもしれない。

竹中に言いくるめられた俺は、諦めて踏める足場の無いほど汚い倉庫の階段を登り始めた。


1階の雑然置かれた物たちとはちがい、2階には数個の段ボール箱と防災時の非常道具と救命道具のみが置かれていた。

そのギャップが逆に俺のちっちゃいハートをドキドキさせる。

一番近いところにあったダンボールに、紙が貼られているのが見え、持ち上げようと近づいてみて驚いた。確かにその箱には紙が貼られていた。

「理事長私物」

マジックペンで書かれた不穏な文字に、箱に伸ばした手が止まった。


「伏見、おせーよ。なにしてのー?」

暫くどうしようかと悩んでいるよと、ヤンマガに飽きたらしい竹中も2階へ登ってきた。

「へぇ、何これ!面白そうじゃん。」

「これで本当にあってるんかな。」

持ち出し禁止!と言わんばかりに貼られた紙がなんともそれっぽい。何かあると怖いので、一度先生のところへ戻って確認しようと心決めたときだった。

「開けてみようぜ。」

俺が止めるのも聞かず、竹中は箱を開き中を覗き込んだ。



「なんだこれ。」

拍子抜けた声を出したのも無理はない。

箱の中に入っていたのはソレは、最近では見られない微妙なサイズの正方形の形をしていて、マリリン・モンローに似た艶のある美人やヒツジのように髪を巻いた音楽家たちの写真がプリントされた厚紙のカバーがついていた。

さらに中を調べるとそれが大量の古いレコードだったということがわかった。





「そうそうこれだよ。理事長に苦労してお願いして譲って貰ったんだ。」

慎重に例のブツを音楽室に持って帰ると、船森先生が嬉しそうな顔でそれを受け取った。

「ちょっとここで待ってろ。」

先生はそう言うと、もう一つ重たそうな箱を机の下から取り出し、何かを組み立て始めた。

「こいつを生で聞くためにわざわざレコードプレイヤーを実家から引っ張り出してきたんだ。」

黒く光るが円盤セットされ、針がゆっくりと落ちてゆく。

「ギギ…ブッ…」

本物のレコードなんて聞いたことも見たこともなかったため、どんな音楽流れるのか、俺と竹中は真剣に耳をすませた。

「…Caro mio ben…」

ピアノの伴奏とともに流れてきたのは、音楽の教科書にも載っている有名なイタリア歌曲のカロミオベンだった。

「うーん。やっぱりこれだなぁ。」

先生は一人でしみじみと頷いている。竹中の方を見ると、うっとりと目を閉じて音楽に聞き入っていた。

俺はこいつのこういう音楽バカなところが大好きだった。

「Caro mio ben.(愛しい人よ)」

最後の歌詞が終わると、レコードはプツリと音を立てて途切れた。


「次はこれ聞きたいです。」

俺はカロミオベンが流れていた間ずっと気になっていた物を指差した。

それは、表紙に何も描かれていない、真っ白なカバーのレコードだった。

「なんたってモノが古いからな。きっと汚れたか何かで、カバーだけ新しくしたんだろう。」

先生はそう言いながらもワクワクした様子でレコードを再びセットする。



暫くして流れてきたのは男性が咳払いしているような音だった。予想外なことに、クラッシック音楽ではないらしい。

何が起こるのかと興味津々で、俺と竹中と先生は顔を見合わせた。

「新郎新婦 入場。」

太い男性の声とともにメンデルスゾーン「夏の夜の夢 結婚行進曲」のファンファーレが始まった。

バージンロードを渡りきったらしい新郎新婦に向かって神父が語りかける。

「新婦 綾子、あなたはー…を夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

肝心な名前のところで音質が悪く聞き取れなかったが、誰かの結婚式を記録したものだと言うことはわかった。次に呼ばれる新郎の名前を聞き逃すまいと、3人とも息を殺した。


「新郎 西村裕治、あなたは〜」

「「「え?」」」

レコードから流れてきた新郎の名前に俺たちは思わず声を上げた。

それも仕方ない。今呼ばれた新郎の西村裕治とは、紛れもなくこのレコードの元持ち主、理事長先生のことだったのだ。

「おめでとう!」

「綾子さんのこと絶対に幸せにしろよ!!」

聞こえてくる言葉のひとつひとつに、理事長の温かい思い出がこもっていた。





「俺たち、ヤバいもん聞いちゃったな。」

帰り道、赤信号を待っているいると、まだ興奮が冷めきらないといった様子で竹中が話した。

「なんかマンガみたいな展開だったよな。」

信号が青になり、一歩先に足を踏み出す。

「小間使いも、たまには悪くねぇ。」


カッコつけて吐いた言葉が、甘い春の風に乗って飛んでいった。

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