シーン5 起動

「機長、敵領空に侵入しました。」

 航法士が淡々とそう報告した。その報告によってクルー達の表情や動きに乱れが生じるようなことはもちろんなかったが、機内の緊張感が一段高まったことを全員が感じ取っていた。

「敵領空への侵入、了解。敵の迎撃機が上がってくる可能性がある。周囲への警戒を怠るな。」

 機長が端的に指令を下す。現在地点から目標までの間に急激に発達した低気圧が存在しており、巨大な積乱雲が発生していた。いかに最新の軍用機とは言え、その中に突っ込んで行くようなリスクは極力避けるべきだった。

「針路を080に変更する。」

「針路変更、了解。」

 機長が宣言し、副機長がこれを復唱した。ゆっくりと機体が旋回すると正面に見えていた積乱雲が機体の左前方へとその位置を変えた。低気圧の周りには反時計回りに空気の流れが発生する。右回りで迂回する方が、速度を得ることができる。

「レーダー、状況を報告せよ。」

 機体が積乱雲を回避するルートに乗ったことを確認した機長が次なる指令を下した。間髪入れずレーダーナビゲーターから報告が返ってくる。

「現時点で、レーダーに敵影は認められません。」

「どうやら気づかずに済んだようですな。」

 副機長がそう機長に話かけたが、機長はそれには答えず短く指示を出した。

「レーダーナビゲーター、警戒を緩めるな。少しでも異変があればすぐに報告せよ。」

了解ラジャー、少しでも異変があればすぐに報告します。」

 レーダーナビゲーターがすかさず復唱する。そこで機長はようやく副機長に言葉を返した。

「だといいんだがな。常に最悪の事態を想定しておくに越したことはない。」

了解ラジャー。」

 副機長は短く返答し、機体前方と計器類に注意を戻した。目標地点はこの積乱雲の向こう側、もう目と鼻の先だったがこの先がこの作戦においてもっともリスクが高いことはクルー全員がよく承知していた。だが、ここまでは順調だ。最初の難関と思われた領空侵入にも敵の迎撃機は上がってきていない。

 百里を行く者は九十を半ばとす、機長は改めて自分に言い聞かせると副機長同様、機体前方と計器類に注意力を集中し始めた。目下のところ、一番のリスクは油断なのだ。


 雷の捕捉に成功したジョンとサダは、ハルに乗り込み雨雲の外を目指していた。あんなにカラカラに乾いていた大地はすっかり雨水を吸い込み、もとよりあまり状態がよくなかった舗装すらされていない街道は激しいぬかるみにその姿を変え、極めつけの悪路に変わり果てていた。それでもハルは、時折、後輪を左右に滑らせてはいたものの、車体のバランスを大きく崩すようなこともなく、順調に雨の少ない雲の外側を目指していた。ハルは、ドライビングテクニックを要するこの状態をむしろ楽しんでいるようだった。頼みもしないのに、鼻唄代わりにアップテンポの明るい曲を車内に流してご満悦だ。サダは、というと移動を開始して早々に、ジョンに詰め寄っていた。

「ここまでずっと誤魔化されてきたが、いい加減、話してもらうぞ。」

 ジョンはハトが豆鉄砲を食ったような顔でサダを見ている。

「人聞きの悪いことを言うなよ。何も誤魔化してなんかいないぞ。」

「いーや!」

 サダはそこで軽く一呼吸入れて続けた。

「オレはまだ、今回のお前の発明品が何であるかを聞いていないぞ。」

 そう言われたジョンは本当に不思議そうな顔をしてひとこと言った。

「そうだっけ?」

 半ば予想していたリアクションではあったが、改めてそう言われたサダは深いため息を一つついた。

「そーなの。お前さんは気にしてなかったかもしれないが、オレは事情も分からずこの騒ぎに付き合わされていたんだよ。」

 サダは小さな子どもに言い聞かせるように辛抱強く続けた。

「さあ、今度の発明品が何なのかを教えてくれ。」

「そうか、それは本当に悪かった。今度のは、極めつけにすごいぞ。まだ、世界中で誰も実現させた者はいない。世紀の大発明ってやつさ。」

 ジョンは素直に詫びつつも、この後に及んで勿体もったいぶって見せた。サダのよく知っているジョンはこういう奴だ。いつもの展開にちょっとした安心感を覚えつつ、サダは続きを促した。

「そのセリフはいつも聞くやつだな。ということは、この後にはいつもの大失敗が待っているってわけだ。」

「今度ばかりは大丈夫。お前が目を見開いてびっくりする顔が想像できるぜ。」

 案の定、ジョンはそう反論してきた。そして、とうとうサダに告げた。

「今回の発明は重力制御だ。」

「重力制御!?」

 予想の範疇になかった単語に、サダは思わず聞き返した。

「あの、昔から存在は論じられてきたけど、結局、SF小説の中にしか存在してこなかった、アレのことか?」

「そう。ソレのことさ。」

 ジョンは、サダのリアクションに満足したのか、嬉しそうにそう首肯した。

「と言っても、できるのはまだ重力の遮断だけだがね。」

「どういうことだ?」

 ジョンが言わんとしていることが今一つサダには理解できなかった。

「重力場を発生させるようなことはできないってことさ。サダ、お前の言うSF小説の中の重力制御ってやつは、宇宙空間で重力を発生させて宇宙船の推進力に使えたりするやつだろう?」

「重力制御って言うとそういうモノだっていうイメージだなぁ。」

 サダは素直にそう感想を述べた。

「残念ながら、まだそういうことはできなくてね。今回の発明は、地球の重力を遮断することしかできないんだ。」

「ふーん。」

 ジョンの説明を頭の中で咀嚼しながら、サダが言った。

「そう言われると、なんだか急にスケールダウンしたような気にもなってくるけど、それだけだって、かなりスゴイ部類に入るんじゃないのか?」

「まあな。それだけだって、これまでに実現させた奴はいないわけだからな。反重力研究の第一歩ってやつだ。それに、地球上だけの技術とはいえ、重力を遮断するってことは物の重さがなくなるってことなんだから、世の中の常識はガラッと覆るはずさ。」

 なるほど。これまで、大型の貨物船でようやっと運んでいたようなモノの重さがゼロになるってことは、極端なことを言えば人ひとりの力で楽々と動かせるようになるわけか。サダはそこまで考えて、ようやく、この発明が世の中に与えるインパクトについて、リアルに感じることができるようになってきていた。確かに、、大発明の名にふさわしい。

「確かに、大発明だな。ホントなら。」

 考えていたことがそのままサダの口からこぼれ出た。ジョンはこれを聞き逃さなかった。サダがジョンの発明に疑いを持っていることを敏感に察すると、異を唱えるべく口を開いた。

「お前はいつもオレの発明品のすごさを信じようとしないがな・・・」

「あのう・・・」

 ジョンはその反論を最後まで言い切ることができなかった。申し訳なさそうにジョンのセリフを遮ったのはハルだ。話に夢中になっている間に、外はすっかり雨も止み、ハルが車内に流していたゴキゲンな曲も聞こえなくなっていた。

「そろそろ、いいんじゃないですかね。雨の降ってない場所まで移動できましたし。」

 その言葉にジョンは改めて外を確認した。ついさっきまで雨が降っていたことの証拠に地面はややぬかるんでいるようだったが、外を歩き回るのにそれほどの支障はなさそうだ。ここなら確かによさそうだ。ジョンは、ひとつ、嬉しそうにうなづいた。

「よし、サダ。百聞は一見に如かず、ってやつだ。いよいよ、試運転と行ってみようか。」

 言い終わるや、ジョンはハルから飛び出していく。サダは軽く肩をすくめてみせてジョンのあとに続くことにした。ジョンはハルの荷台から、ひとかかえほどもある機械を引っ張り出そうとしていた。

「おい、サダ。手伝ってくれ。」

 見た目は、そう太鼓、あるいはビール樽のようなずんぐりむっくりした円筒形をしている。機械類がぎっしりと詰まっているのだろう。側面には持ち手がついていて、ジョンとサダは二人で持ち手をつかんでその機械を持ち上げた。それなりに重たい。ハルの荷台からその機械を下ろしながら、サダは側面に円形の深い穴が一つ空いているのに気が付いた。

「そこにさっき雷で充電したイグニッションを挿入するんだ。」

 サダの視線がどこにあるのかに気が付いたジョンがそう解説した。ハルから10mほども離れた場所に発明品を設置し、そこから長いコードをやはりハルの近くまで引っ張ってきて操作盤とおぼしき機械に接続する。

「よし、準備完了。」

 満足げにジョンが言った。あたりはだんだん暗くなってきていた。夕闇がこれ以上光を飲みこんでしまう前に発明の起動実験をやってしまいたかった。

「サダ。やるぞ。」

 ジョンがそうサダに声をかけた時だった。

「あのう・・・」

 遮ったのはまたもやハルだった。

「どうした、ハル?」

 ジョンが反射的にそう聞いた。間髪入れずにハルが答える。

「また、レーダーに正体不明機が映り込んでいるんですよ。」

「さっきの奴らが引き返してきたのかな。」

 そう尋ねたのはサダだ。

「いえ、先ほどとは少々反応が違います。別の機体なのではないかと思います。」

 ハルの話の中身がわかって、急に興味を失ったジョンがつまらなそうに言った。

「気にするな、と言っただろう?どっかの誰かが悪だくみしていようが、オレ達には関係ない。実際、問題なかっただろう。」

 なあ、そうだよな、と言わんばかりにジョンはサダを見た。確かに先ほどはサダの心配をよそに何も起こらなかった。サダとしてもジョンの言葉にはうなづいて見せるしかないところだった。だが、サダがリアクションを起こす前に、ハルが相も変わらずのんびりした口調で言った。

「でも、今度はこっちに近づいてきているんですよねぇ。」

「近くを通り過ぎたところで大した問題はないはずだ。ハル、もう忘れろ。サダ、続きをやろう。」

 ジョンの意識の中には、すでに正体不明機のことは影も形もなくなっていた。再び嬉しそうにサダに声をかけると、今度は球状の重そうな物体を持ち出してきた。磨き上げられたような光沢のある表面に指が入りそうな穴が3つ、そして、『15』という数字が刻印されている。

「ボーリングの玉のように見えるな。」

 サダがそう感想を口にした。

「そりゃ、そうだ。ボーリングの玉だからな。」

 ジョンがそう答えた。サダは辛抱づよく次のジョンの言葉を待った。ジョンがサダの反応を楽しんでいるのは明らかだ。ジョンの悪い癖だ。

「これを、あの発明品の上に置く。そして、電源をいれて重力を徐々に遮断していく。どうなると思う?」

 ジョンがサダに尋ねた。

「どうなるんだ?」

 考えるそぶりすら見せずにサダがそう答えた。どうせ、ジョンはサダの答えなんて期待していない。

「重さがどんどん失われていくので、ほんの少し風が当たった程度でも簡単に動いてしまうことになる。」

「今は完全に無風だぞ。」

 ジョンの説明にサダがそう茶々を入れる。

「そしたら、小指でつつきにいくさ。さあ、わかったらボーリング玉を発明品の上においてきてくれ。」

 ジョンはそう言ってボーリング玉をサダに手渡した。

「何でオレが???」

 ぶつぶつ言いながらもサダがボーリング玉を設置して帰ってくる。

「よし、電源をいれるぞ。サダ、いいか?」

「オッケーだ。今日はさんざん苦労したんだ。よく見ておこう。」

「電源ON」

 ジョンはそう宣言すると、手元の操作盤のスイッチを入れた。操作盤のLEDがあちこち光りだす。

「よし、出力を上げるぞ。」

 ジョンが別のレバーを少しずつ上げていく。と、ジョンの動きが不意に止まった。

「あれ?」

「どうした?」

 サダがすかさず聞いた。予定外の事態が発生していることはあきらかだ。

「いや、このレバーを上げると出力が上がるはずなんだけど、ちっとも出力が上がらないんだよなぁ。」

 そう言われて、サダは改めてジョンの前にある操作盤に目をやった。レバーの脇にある小さな液晶モニタにデジタル表示されている数値が小数点以下の水準で微妙に上下している。どうやらこれが出力状態を表す数字になっているらしい。モニタの脇にパーセント記号が書かれているところを見ると、出力状況を百分率で表示する仕組みらしい。

「うーん。少しずつ上げるみたいな繊細なコントロールが効かないのかなぁ。」

 ジョンは不穏な憶測を口にした。

「一気に上げてみるか。」

 そして、物騒な結論にたどり着くと、サダに制止する隙を全く与えることなく、何のためらいもなく実行に移した。サダは、目の前のデジタル表示の数字が一気に百まで上がるのを確認すると、慌ててボーリング玉に視線を移した。ボーリング玉は発明品の上で、一瞬ふわりと浮かび上がったかと思うと、天に向かって落ちていくかのように急加速しながらあっという間に視界から消えていった。

「な、なんだ?何が起きた!?」

 と、慌ててジョンを見やったのはサダ。

「ふぅむ。」

 と、ボーリングが飛んでいった先を見上げながらジョン。

「飛んで行っちゃいましたねぇ」

 と、のんびりした口調でハル。

 いずれにも共通しているのは、何が起きたのか、いまひとつよく理解できていないということだけだった。

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