シーン6 結末
ドンッ!
短く、鋭く、大きな音と衝撃だった。と、同時に機内に警報が鳴り響き、機体の挙動がフィードバックされる最新のフライ・バイ・ワイヤ技術による操縦桿が妙な手ごたえを示した。
「各員、機体の状況を確認せよ。」
歴戦を生き残ってきた機長は、瞬時に機体に問題が発生したことを察してクルーに指示を出していた。
「レーダーに異常なし。敵機も、敵ミサイルも接近した形跡はありません。」
「第一エンジン、第二エンジンともに異常なし。」
「左翼、異常なし。」
クルーから次々と異常なしの報告が返ってきた。
「右翼・・・、なんだ!?機長、右翼に大きな穴が開いています!!」
後部の窓から主翼の状態を確認していたクルーがそう報告した。
「あわてるな。
機長は冷静にそう指示した。この状況に適切に対応するには何が起きているかを正確に把握することが必要不可欠だった。機体の状況を確認すると、機体はゆっくりと右に旋回を始めていた。右翼に大きな穴があいたことで気流が乱れて揚力が低下しているようだった。普段は発生しない細かな揺れも継続的に発生している。正常な飛行状態を維持できなくなってきているのは明らかだった。
ここは敵国の領空内だ。高度を下げれば敵に気づかれる恐れがあった。機長は高度を維持できる限界いっぱいまで速度を落として主翼にかかる負荷の軽減を図った。同時に、操縦桿の微妙なコントロールで機体の水平を維持しようとしていた。
「機長、
電子戦オペレータが素っ頓狂な声を上げた。幾たびもの戦場をともにしてきた部下であったが、彼がこんな声を上げるのを機長は聞いたことがなかった。
「冷静に状況を報告せよ。」
それでも機長は、端的にそう指示した。そう、今はまさに冷静さこそが求められる最重要事項なのだ。
「
電子戦オペレータは一瞬のためらいの後、口頭での報告ではなく、映像の転送という形で命令を遂行した。機長は、電子戦オペレータのその行動にやや違和感を感じながらも操縦席の脇に設置されているモニターに転送されてきた映像に目をやった。
「!?」
それを見た機長は絶句した。そこにはまさに主翼に穴があいた瞬間の映像が鮮明に映っていた。機体に穴をあけた物体はどうやら下から上に向かって主翼を突き抜けたらしい。翼に開いた穴の上に映っていたのは15ポンドの黒いボーリングの玉だった。機長は何が起きたのか、まったく理解できなかった。翼、空いた穴、ボーリングの玉。単語が頭のなかをぐるぐると回るが、それらが具体的なイメージを彼の頭の中で形作ることはなかった。
「機長、機体が持ちません。」
副機長が報告する声に、機長は現実へと引き戻された。
「天候も再び悪化し始めました。直近に非常に強い低気圧が発生して、急速に発達しています。すぐにでも、現空域を離脱しないと危険です。」
「目的地はもうすぐそこだ。何とか持たせられないのか?」
答えはわかっていたが、それでも機長はそう尋ねた。
「無理です。このまま、この低気圧が発達すると天候はますます悪化します。万全な機体であればまだしも、機体に異常が発生している以上、帰投できる可能性はその分下がります。こんな場所で墜落でもすれば、わが国の最高の軍事機密が敵国の手に渡ることにもなります。ご決断を。」
機長は一呼吸おいたのちに、クルーに下命した。
「現時点をもって作戦を中止、帰投する。」
「機長、ご英断でした。」
副機長が、機長の指示にそう短く返答した。
機長が機体に無理がかからぬようゆっくりと、しかし大きく操縦桿を倒すと、機体は大きく旋回を開始した。
「なるほど、そういうことか。」
しばらく考え込んでいたジョンがおもむろにそう呟くと、ウンウンと一人うなづき始めた。あたりは夕闇がだんだん濃くなってきており、つい先ほどまでは全く無風であったが、少しずつ風も強くなってきているようだった。
「ジョン、私にも何が起きたのか、わかりましたよ。ちょっと困ったことになりましたね。」
「まあ、この辺は周りに何もないし、大したことにはなるまい。」
ジョンとハルは事態を理解したようで、なにやら不審な会話を始めたが、サダは全く何がどうなっているのかを理解できていなかった。わかったことはジョンの発明が何かやらかしてしまったらしいってことだけだ。
「一体、何が起きてる?オレにもわかるように説明してくれ。」
サダがジョンを睨みつけながら、そう言った。ジョンは、軽く肩をすくめて答えた。
「まあ、端的に言うと実験が成功した、ってことかな。」
「ごまかすな。何かやらかしただろう。そっちを教えてくれ。」
周囲はますます風が強くなり、また、天候が悪くなりかけているようだった。ジョンは、バツが悪そうに苦笑いを浮かべながら、説明を始めた。
「今回の発明は、重力を遮断することができる装置だ、という話をしたな。地球上には重力のほかにもう一つ恒常的に働いている力がある。わかるか?」
「いや、想像つかんね。」
サダが間髪入れずにそう言った。この後に及んで、ジョンのペースに付き合う気はなかった。
「遠心力ですよ。」
口をはさんだのはハルだった。
「地球は自転していますから、地球上のすべての物質には自転により発生する遠心力が働いているんです。バケツに水をいれて振り回したことありませんか?逆さまの状態になっても遠心力で水が落ちてこないってやつです。ところが地球には重力があります。地球の中心に向かって引っ張られる力が働いているわけです。重力があるから、地球上のすべての物質は自転の遠心力で外側へ飛ばされることがないわけですね。」
ここで話の接ぎ穂をさらってジョンが言った。
「つまり、重力を遮断すると、遠心力だけが残るってわけだ。今回の発明は重力を遮断することができるだけで、自由にコントロールできるわけじゃないからな。あの重力遮断装置の真上にある空間は、地球の外側へ向けた遠心力、つまり、空へ向かって吹っ飛ばされる力が働いている、ということになる。」
サダにもようやく話が見えてきた。つい先ほどから吹き始めた風は油断すると体ごと吹き飛ばされるんじゃないかと思えるほどに強くなってきていた。
「それじゃ、さっきのボーリング玉は、地球の遠心力を受けて宇宙めがけてすっ飛んでいった、というわけか。」
ジョンが首を縦に振って、これを首肯した。
「上空を飛んでいたやつにぶつかってなきゃいいけどな。」
サダがそう冗談めかして言った。こんな
「いやー、それなんですけどね・・・」
冗談じゃなく、ぶつけちゃったかもしれないんですよ。と言いかけたハルにかぶせるように口を開いたのはジョンだった。
「と、まあ、ここまでは大した問題じゃない。マズイのはここからだ。」
「へ?」
意表を突かれたサダは、間抜けな声を上げた。ジョンは何を言い出そうというのか。
「重力遮断装置の上にあったのは、いや、あるのはボーリング玉だけじゃないってことさ。」
サダは矢継ぎ早に与えられる情報を、ともすれば思考停止状態に
「空気か!」
「ご名答。重力遮断装置の上にあった空気もボーリング玉と同じように鉛直方向に遠心力を受けて、宇宙空間めがけて噴き出したはず。空気が吹き飛ばされるのは重力遮断装置の上だけだ。その一方、周囲には当然まだ空気がある。その周囲の空気が、空気が吹っ飛ばされて気圧が下がっている重力遮断装置の上に流れ込んできたらどうなるか。しかも、空気が流れ込んでくるそばから、その空気は吹き飛ばされていくんだ。」
そこまで聞いて、サダの頭の中にも何が起きているかのイメージができてきた。それってつまり・・・。
「とんでもなく強い勢力の爆弾低気圧がいきなり出現した、みたいことになってるんですよねぇ。」
サダが想像したことを、ハルが代わりに口に出してくれた。そのころには、あたりは台風が来たかのような暴風へと変わっていた。
「のんびりしている場合か!早く装置を止めるんだ、ジョン。」
サダが怒鳴った。もはや、怒鳴るくらいの大きな声を出さないと会話が成立しなくなりつつあった。
「それが、コントローラの調子がおかしくて出力が下がらないんだ!」
ジョンも負けじと叫び返した。
「ね、困ったことになっているでしょ?」
ハルは相変わらずのんびりした口調でそう言った。ちゃんと聞こえるようにスピーカーのボリュームを目一杯上げたようで、そのセリフはかなりの大音量になっている。
「そんなことを言ってる場合か!あのイグニッションを力任せに引っこ抜くんだ!!電源がなくなりゃ止まる。」
サダは即時に行動を起こした。その背中にジョンが声をかけた。
「気をつけろよ。風に負けて装置の上に吸い込まれると、宇宙空間まで吹っ飛ばされるぞ!」
言われて初めてサダはその可能性に思い至った。
「なにー!もっと早く言えー!!」
もう後戻りはできなかった。強風の中心に向かって進もうとするたびに、風に体をもっていかれそうになる。持っていかれたら最後、装置の上に吸い込まれて、宇宙へGOだ。
あー、貧乏くじひいた。
サダは一瞬そう思ったが、これからやらなくてはならないことに意識を集中した。幸いなことにジョンを手伝って装置の設置を行っていたから、どうすればイグニッションを外せるかはわかっている。一歩踏み出すたびに、風に吸い込まれないように踏ん張る足がずるずると滑る。この装置のせいで集まってきた雨雲から雨粒が落ち始めてきていた。その雨は地面をぬかるみに変えつつあった。もう、あまり時間はかけられない。
装置まであと数メートルのところまできていたが、風に逆らって踏ん張るのが精いっぱいで足を踏み出すことができなくなってきていた。風に負けて装置に吸い込まれるのが時間の問題であることは明白だ。
サダは覚悟を決めた。装置を設置した地点に向かって低く飛び出せば、装置の上面に吸い込まれる前に側面に取りつくことができるかもしれない。精いっぱい体勢を低くして足の力を緩めた。一気に体が風に持っていかれる。お尻を地面にこすらんばかりに体をさらに低くする。なんとか、狙い通り体を舞い上げられることなく、装置の側面に向かって、ずるずると滑っていく。
あと、2メートル。
1メートル。
ようやく装置の側面に取りつくと、力任せにイグニッションを引っ張りだす。イグニッションから本体へ電気を供給するためのコードが派手な火花とともにちぎれたが、そんなことはこの際どうでもいいことだった。
「どうだ!」
サダは、装置にしがみついて体が飛ばされないようにしながら、必死の思いで様子を見守った。これでダメなら、今度こそホントに宇宙へGO、だ。
しばらくの間、風はその強さを弱めることはなかったが、やがて徐々にその勢いが弱くなってきていた。サダはほっと肩をなでおろした。装置を止めることに成功したのだ。
「サダ、よくやったな。」
ジョンが駆け寄ってきて、にっこりとほほ笑むとサダを引き起こそうと手を差し出す。サダはその手をつかんで立ち上がるなり、ジョンに向かって言い放った。
「なにが『よくやったな』だ。すべての原因はお前じゃないか!」
そして頭を一つひっぱたいてやった。
「こんな危険なものは使用禁止だ。封印しておけ!」
その様子をみていたハルが相も変わらずのんびりした口調で言った。
「あーあ。また怒られちゃいましたね。」
「ふぅむ。まだ改良の余地があるな。」
懲りずにそう言うジョンの頭を後ろから小突きながら、サダが片づけを始めると、ジョンもそれに続いた。今回の起動実験はこれでひとまず終了、ということになるようだ。
そんな二人の様子を見ながら、ハルは考えていた。
うーん。多分、いや、ほぼ間違いなく、あの正体不明機にボーリング玉が当たってるんですよねぇ。あの瞬間、真上にいたことはデータから言っても間違いないですし。その直後に進路を急に変えて洋上に向かいましたし。なぜかエマージェンシーコールを出していませんから、よからぬことを企んでいたんだろうとは思いますけどねぇ。ま、いいです。ジョンにまた怒られちゃいますから、一応データは保存するだけしておいて、ロックかけておきましょ。
ハルはデータをストレージに保存して、ロックしてしまうことにした。そして、メモリからは関連データをすべて削除した。
「さあ、ジョン、サダ、家に帰りましょう。」
すべてを忘れ去ったハルは、二人のいたずら小僧に、陽気にそう声をかけた。
太陽は沈み、風がやんだ荒野は夜の闇にすっぽりと包まれていたが、空にかかっていた雲はすっかり晴れて、大きくまん丸になった月がうっすらと周囲を照らし出していた。ジョンとサダとハルの長かった1日はようやっと終わりを迎えたのだった。
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