シーン3 追跡
キーンンンン!
かん高いエンジン音がそのトーンを急激に上げ始めた。滑走路の端に鎮座していた黒い巨体がゆっくりと動きだしたかと思うと、急激に加速し始める。加速するほどにエンジン音のトーンはぐんぐんと上がっていき、そのトーンが上がりきったと思われるや平たい二等辺三角形に類似した機体が重々しく浮かびあがった。最大で20トンもの爆弾を積むことができる能力があるが、今回のミッションでは1トンにも満たない物資しか積み込んでいない。みるみる高度を上げていったかを思うとあっという間に見えなくなった。
キーンンンン!
続いて2機の単座式のジェット戦闘機が後を追うように離陸していった。先に離陸した戦略爆撃機の護衛に当る分隊だ。この作戦では隠密行動が重要となるため護衛も最小単位の1分隊だけであった。敵が本気で迎撃機を出撃させてくればひとたまりもないだろう。
「先発隊は、
それを見送りながら中佐がそう口を開いた。先発隊が離陸していった方角に目を向けたまま大佐がこれに応えた。
「本作戦は軍内部でも極秘だ。先発機のクルーは敵領土上空における気象兵器の実験がそのミッションだと教えられているはずだ。もちろん我々があとから出撃することも知らされていないし、今後もそれを知ることはない。」
「なんだか気の毒な気も致しますな。」
通常、
中佐のその言葉を聞いた大佐は冷ややかに言った。
「いい気なものだな。我々がその立場に立たされることはないとでも思っているのかね?我々はコマに過ぎんのだ。他人のことを気遣っていられるような立場ではないのだよ。」
大佐の言う通りだった。先発隊は気象兵器開発に必要なデータを得るための人工降雨実験という名目を信じ切っていることだろう。我々が搭載してあがる特殊爆弾が実は偽物で、本物を搭載する別動隊が存在する可能性だってあり得るのだ。中佐は冷たい汗が背筋を流れていくような錯覚を覚えた。大佐の言葉で、自分達が陽動に使われるかもしれない可能性に初めて気がついたのだ。
「いずれにせよ、我々がすべきことに変わりはない。与えられた任務を完璧に遂行するまでだ。間もなく出撃の時刻だ。成すべきことを成し給え中佐。」
中佐は敬礼すると兵士の顔に戻って持ち場へと消えて行った。
サダの予想に反して、ハルは紳士的な運転をしていた。それもそのはずで、ジョンの言ったとおり、このだだっ広い荒野にはハルを挑発するようなイキのいい若者は全くいなかったのだ。若者どころか、サダ達の他には人っ子一人いなかった。すでに、ジョンの家を出発してから小一時間が過ぎようとしていたが、この間、ジョンの家が徐々に小さくなっていく以外は変わり映えのしない渇いた荒野がひたすら続いていた。街道を走ってはいるものの、人がほとんど来ないことと相まってお世辞にも整備が行き届いていると言える状態ではなかった。ハルがスピードを抑えているのも、自重しているからというわけではなく、悪路故にスピードを上げたくても上げられずにいる、というのがホントのところだ。皮肉なことに、悪路から伝わってくる大きな車内の揺れだけが、ハルが順調に走っていることを感じさせてくれている。とは言え、サダは早くもこの単調な旅路に嫌気がさしてきていた。運転席には誰も座っておらず、ハンドルとアクセルペダルが勝手に動いているのはハルが自ら運転をしているからだ。ハルは自由に運転させてもらえて上機嫌。ジョンは、と言うと助手席でコンピュータのコンソールを開いて、なにやらデータとにらめっこをしている。時々、ハルに声をかけているのを聞いている感じだと、ハルがコンピュータに送り込んでくる情報を解析しつつ、積乱雲を追いかけているらしい。なにもすることがないのはサダだけだった。
「なあ、ジョン。今日はもう無理なんじゃないかと思うんだが、どうだろう。」
「まだ、出発したばかりですよ。サダ。」
応えたのはジョンではなく、ハルだった。早くも帰りたくて仕方がなくなっているサダに忖度してくれる気配はまるでない。
「それにこんな何もない真っ平なところというのは、そもそも雲はできにくいんですよ。」
そりゃ、そうだろうよ。そう思ったことはおくびにも出さずに、サダは別の言葉を口にした。
「どこまで行っても真っ平な地平が広がっているようにしか見えないんだがな。一体、我々はどこに向かってるというのかな?」
サダはささやかな抵抗とばかりに小っちゃな嫌味を込めてみた。
「なんだ、サダはそういうことが知りたかったんですね。説明いたしましょう。」
残念ながらハルは嫌味というものを理解できるほどには高性能ではなかったようだ。むしろ、嬉々として行き先の説明を始めようとした。
「ん?なんだ?レーダーに変な影が映ってるな。」
だが、ジョンのそのセリフに遮られてサダは行き先を知る機会を逃すこととなった。それを聞いたハルがさも当然であるかのように言った。
「たぶん航空機ですね。3機編成でしょうか。」
「3機編成!?軍隊か!!」
サダはハルの言葉に素っ頓狂な声を上げた。旅客機や民間機は普通、編隊を組んで飛行することはあまりない。
「多分な。そもそも民間機がこんな高高度を飛行するはずないしな。」
「ステルス性能を持った民間機なんてそうそうあるわけありませんよ。」
ジョンとハルが口々にそう言った。あきれ果てた口調でサダが応えた。
「何を言ってるんだ?ステルス性能って、そんな性能を持ってる機体ならハルにだって捉えることはできないだろう。」
「バカにしてもらっては困ります。どんな高性能なステルス性能を持っていたって私にはちゃんと見えますよ。昔から目はいい方なんです。もっともこれくらいステルス性能が高いと、
ハルはなんでもない口調でそう反論した。口調の割には言っていることはそこそこに物騒な内容だった。
「ジョン。
ハルはジョンにそう聞いた。ジョンは興味なさそうに答えた。
「よせ。自分達にキャッチできなかった正体不明機の存在なんて、やつらが信じるわけがない。それに奴ら自身が飛ばした機体の可能性もある。そのケースなら、むしろ、目をつけられるだけだ。どっちにしろ、我々に益するところはない。そんなつまらんことより、湿度と気圧に注意して、雲の発生確率が高くなってきている地域がないか、そちらに集中力を割いてくれ。」
「らじゃです。」
ハルは短くそう答えた。この一人と一台にとって、軍用らしき正体不明機はどうでもいい存在らしかった。だが、相手はこちらの好奇心を掻き立てたいのか、放っておいてはくれなかった。
「おや?今度は何かをバラまきましたよ。なんでしょうね?」
気がついたのは、当たり前だが、ハルだった。
「ヤバそうなものか?」
ジョンが短くそう尋ねる。しばらくの沈黙ののち、ハルは相変わらずののんびりした口調で答えた。
「うーん。そうでもないようですね。爆弾なんかの類ならもっと大きな塊か、小さな固体がばらばらと見えるはずですけど、そういうわけじゃないんですよねぇ。ミサイルみたいに自分で推進力を持つようなものでもなさそうです。かと言って、重力加速度で降下してくるか、というとそういうわけでもない。何か気体かそれに近い状態のものを散布している感じです。とは言え、煙幕にしちゃ、丸見えだしなぁ。いったい、なんでしょうね???」
「まさか、毒ガスの類じゃないだろうな。」
そこまで黙って聞いていたサダが独り言のようにぼそりとそう言った。
「いったい誰を狙っているって言うんです?この辺りには私たちの他には誰もいないんですよ。」
確かに対象となる相手がいる可能性が極めて低い場所にそんなものをバラまくのは不自然ではあった。だが、その仮説が正しいかを確認できる方法があるなら、試してみるに越したことはない。
「ハル。成分の分析はできるか?」
サダはそう聞いてみた。
「無茶言わないでください。いくらなんでもそんな高空にあるよくわからないものの成分なんて、分析の元になる観測データが取れませんよ。」
ハルの言うことももっともだった。さすがのジョンもそんな高空にある気体のデータを収集するような観測機器は設置していないのだろう。ジョンが黙ったままでいることが、サダのその憶測を肯定していた。
「ひとつだけ調べてみる方法もありますけど、やってみます?」
ハルが相変わらず緊張感のない口調でそう言った。
「やってみてくれ。」
「そんなもの後回しだ。」
最初のセリフはサダ、あとのセリフはジョンだった。
「ハルが言った通り、こんなところで毒ガスをバラまくようなバカなんぞ、いるものか。無駄なことなどしてないで、積乱雲を追うのが先だ。」
どこの誰ともわからない飛行物体が何をしようが、ジョンの興味の的ではないらしい。サダが調査する事をもう一押しだけ主張しようとするより、一瞬だけ早くハルがこう言った。
「その心配は無用のようですよ。」
一瞬の沈黙があった。サダはもとより、ジョンにもハルが言わんとしていることが理解できなかったらしい。そんなサダとジョンの様子を察したかどうかは定かではないが、ハルは嬉しそうに続けた。
「例の飛行体が何かをばらまいた辺りで、急速に気圧が下がりつつあります。多分、雲ができますよ。」
「なんだ、そういうことか。それなら問題ないな。ついでに調べるくらいならどうとでもなる。」
ジョンはハルの言わんとしていることを察したようで、いつもの調子でそう言った。サダは、と言うと不穏な空気を感じつつ、恐る恐るこう切り出した。
「ちょっと、整理させてもらえるかな。」
ジョンが不思議そうな表情でサダの方を向いた。ハルもセンサーをサダに向けて次のセリフを待っているようで何も言わずに黙っている。サダは軽く息を吸い込むと、おもむろに話し出した。
「雲が出来そうだと言うことは、すぐにでもそこに行こう、と思ってるよな、ジョン?」
「モチロンだ」
と、ジョン。
「上空にばらまかれたモノの正体を調べる方法が一つある、と言ったよな、ハル?」
「ええ、言いましたよ」
と、ハル。
「それを調べても、雲を追いかけるのが遅れる心配は無用だって、そういう意味のことも言ったよな。ハル?」
「ええ、言いましたよ。」
「で、雲を追いかけるついでにそれを調べるって、そう言ったよな。ジョン?」
「モチロンだ」
サダは軽く頭を抱えた。それを見ていたジョンがたまりかねたように言った。
「いったい、何が言いたいんだ?まだるっこしい。」
「お前たちは、上空からばらまかれたわけのわからん気体のその真っただ中に突っ込んで行って、それを調べようとしているってわけだ。」
サダは、深いため息とともにそう聞いてみた。答えはもうわかっている。
「アタリマエじゃないか。」
「え?だって、そうしないと分析に必要なデータが取れないじゃないですか。」
果たして、返ってきたのは思った通りの回答だった。彼らはばらまかれたものが人体に有害な気体であった場合のリスクなど、全く気にしていないのだ。いわゆる眼中にないってやつだ。
「では、一つ聞こう。例の正体不明機がばらまいた気体が何らかの悪意をもった物質でできていた場合、我々は重大なリスクにさらされる、ということにはならないか?」
サダは、最後の抵抗を試みた。一般的な航空路から遠く離れたこんな
「考えすぎだ、妄想癖も度が過ぎると笑えないぞ。」
ジョンは興味なさそうに一刀両断にそう言った。それを受けとるようにハルが太鼓判を押した。
「サダ、大丈夫ですよ。たとえ人体に影響があっても、私にはおそらく無害ですから。」
「ハル、お前だけ無事でいてどーするんだ?」
「そういう意味じゃありません。私にはエアコンだってついているんですよ?いつでも快適で、清浄な空気を車内にお届けできるんです。」
ハルのセリフを補うように、ジョンが続けた。
「ハルの気密性は完璧だ。何と言っても、この私が作ったんだ。間違いない。たとえ目の前でサリンをバラまかれたとしても、それを浄化できるエアフィルターだって完備している。ハルの中にいれば安全だ。もっとも、今回はそんな心配はいらないと思うがね。」
サダは思わず絶句した。一般市民の装備じゃないな、こりゃ。
「よし、急ぐぞ。ハル。」
ハルがこの上なく嬉しそうに応えた。
「らじゃ。急ぎます。ジョン。」
ハルのエンジン音が一瞬高くなったかと思うと、緩やかに加速し始めた。悪路ゆえに車体の揺れはひどくなったが、目的地がはっきりした以上、速度を抑え続ける必要性などないのだ。いつの間にか、ハルの走っている街道の上空には分厚い雲が広がり始めていた。目的地が近づいてきている実感を、二人と一台は
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