シーン2 準備

「以上だが、他に何か検討すべき残存リスクはあるか?」

 大佐はその場にいたクルーの顔を見渡した。副機長である中佐。航法士の少佐。レーダーナビゲーターと電子戦オペレータを担当するのはいずれも大尉だ。ミーティングは、小休止を挟みながらすでに2時間に及ぼうとしていた。トップクルー達が作戦の完遂を阻害する要因を細部に至るまで洗い出し、如何に対処するべきかをこれだけの時間をかけて慎重に検討してきたのだ。今や、検討すべき残存リスクなど残っている道理はなかった。大佐の問いかけは、あくまでも形式的なものに過ぎなかったし、そのことはその場にいる全員が暗黙のうちに共通認識としていた。

 その場を沈黙が支配した。全員が落ち着いた表情を大佐に向けている。大佐はその様子を見て満足げに頷くと、こう宣言した。

「では、本作戦の検討会議は以上をもって終了する。発動は本日午後1300ヒトサンマルマル、目標到達予定は1730ヒトナナサンマル1215ヒトニヒトゴにブリーフィングルームに集合だ。以上、解散。」

 言い終わるや、大佐以外の4名が一斉に起立し、一糸乱れぬ動きで敬礼の姿勢をとった。大佐はゆっくりと返礼した。そして、全員の顔を見渡すと何も言わずに踵を返し、退室していった。クルー達には、作戦決行までの間に行っておかなければならない、決して少なくはない準備作業が待っていた。大佐を見送った4名も彼ら自身の責任を果たすべく、それぞれの持ち場へと消えて行くのだった。


「おい、ジョン。これが今回の発明、とやらなのか。」

 サダが顔中からだらだらと汗を流しながら、円筒形のやたらと重い機械を家の中から車庫へと運んでいた。ジョンは、というと車庫の中の小部屋にある無線装置とおぼしき機械から伸びているヘッドセットで熱心に何かを聞いている。

「おい、ジョン。そろそろが何をしているのか、教えてくれないか。心が折れそうだ。」

 今日、何度目になるかわからない溜息を心の中だけでついてから、今度は芝居がかった調子でサダがそう言った。ジョンは相変わらずヘッドセットから聞こえてくる何かに集中しているようだったが、それでもわずかな意識をサダの方にも向けていたと見えて、短くはあったが今度はサダの問いかけに答えた。

「今、運んでもらっているのはイグニッションだ。」

「いぐにっしょん???」

 言われてサダは改めて手に持っているものに視線を落とした。その物体は筒状で、両端にある円形の断面のうち、片側の面から2本の赤と黒のコードが出ていて、その先はワニ口のクリップになっている。感電防止用だろうか。クリップを丸ごと覆うようにそれぞれゴム製のカバーがついていた。側面ともう片方の円形の断面はツルツルに磨き上げられていて、持ち手もついていないから持ち運びにくいことこの上ない。

「正確に言えば、イグニッションの中にセットする蓄電用パーツだ。それを車庫に運び終わったら、そのパーツのすぐ隣にあったイグニッションの本体を持ってきてくれ。」

 ジョンは涼しい顔でそう言ってのけた。

「本体?中身だけだってこんなに重いのに、本体も運べって言うのか。」

 サダは心底げんなりして抗議した。たしかにこの蓄電用パーツとやらの隣りに、これよりも一回り大きそうな物体がブルーシートをかけられて置いてあった。ブルーシートのせいでどんなものかはわからなかったが、この蓄電用パーツよりも大きそうだったから、きっとさらに重いものに違いない。

「心配するな。本体のほうは中身はほとんど空洞だから、それよりもだいぶ軽いはずだ。」

 依然としてヘッドセットにほとんどの集中力を割きながら、ジョンはそう言った。

「へいへい。人使いの荒いこって。」

 サダはぶつくさ言いながらも蓄電用パーツをジョンの近くに置くと、サダは本体を取りに家の中に戻って行った。と、間もなく、家の中からサダがジョンに問いかける大きな声が聞こえてきた。

「おい、ジョン。本体ってのはホントにのことなのか?」

 その場にいない相手に「これ」と言ってみても通じるわけがない道理だが、サダのリアクションは全くもってジョンの予想の範疇だったので、ジョンは確かめもせずに叫び返した。

「そうだ。のことだ。持ってきてくれ。」

 サダからの返答はなかったが、しばらくすると、果たしてサダが『本体』を抱えて戻ってきた。

「どうだ、蓄電用パーツほどは重くなかっただろう?」

「確かに、それほど重いもんじゃなかったが、オマエ、何かの冗談のつもりなのか?」

 サダはそう言いながら、抱えていた『本体』をジョンのすぐそばに下ろした。

「こんな、をどうしようってんだ。」

じゃない。今回の発明のイグニッション装置だ。」

 ジョンはすぐさま訂正した。サダが家の中から運んできた『本体』は、サイズを別にすれば、まさに乾電池そのものにしか見えなかった。しかも、単三電池にそっくりのシルエットだ。でっかい単三電池。頭の中にそんな単語を思い浮かべながら、サダはぼんやりと思った。『これだけでっかくても、やっぱりって言うのかなー。』そんなサダの思いを見透かしたかのように、ジョンがわかったような、わからないようなことを言った。

「いいインターフェースってのは、長く広く使われるモノなんだ。優秀なデザインには敬意を払って、その良さを素直に認めることができなくては一人前いちにんまえの発明家とは言えんのだ。」

 と、それまで、ヘッドセットから聞こえてくる何かにその集中力のほとんどを注ぎ込んでいたジョンが、大きな音をたてて椅子をひっくり返しながらいきなり立ちあがると、着けていたヘッドセットをかなぐり捨てた。

「きた!!」

 そして、近くにあった地図を手繰り寄せると、何かを書きこみ始めた。

「今度は、何が来たって言うの。そもそも、さっきから何を聞いてたんだよ。」

 何も教えてもらえないことにいい加減慣れてきて、答えが返ってくることも期待せず、半ば独り言のようにサダがジョンに問いかけた。すると、サダの予想に反して、ジョンが応えた。

「さっきから、聞いていたのはさ。そして、来たのは積乱雲。これを待ってたんだ。午後あたりから今夜半にかけてここから西の方に線状降水帯を形成するような巨大な積乱雲が発生する予報が出た。」

 ジョンはいまにも小躍りしそうな様子でサダを見た。

「サダ、急いで出発するぞ。この辺は基本的には乾燥地帯だ。こんなチャンス滅多にない。」

「ちょっと、待て!さっぱり、わからんぞ。いい加減説明しろ。でなきゃ、俺は行かんからな。」

 サダは慌てて抵抗した。マズイ流れだ。このままジョンにペースを握られてしまったら、きっとロクなことにならない。実際、過去に何度もロクでもない目にあってきている。それだけは何としても避けなくてはならない。だって、命が惜しいもの。今日、こうしていられるのも数多あまたの幸運に恵まれてきただけのことなのだ。だからと言って、そうそう幸運の無駄遣いをしてよいわけがない。

 ジョンはサダが持ってきたイグニッション装置のフタをあけて、その中に蓄電用パーツをセットしながら、時間がもったいないとばかりに早口で説明した。

「いいか、サダ。俺たちはこれから、雷を捕まえに行くんだ。今回の発明品を起動させるのには、非常に大きなエネルギーを必要とする。そんなエネルギーをご家庭用の電源コンセントから取るわけにはいかないだろう?」

「いいじゃないか、コンセントから取れるなら取ったって。無理をする必要はないだろう。何か問題でも?」

「電気代が無茶苦茶高くなるじゃないか。それにどれだけ時間がかかると思ってるんだ。」

「どれだけかかるの?」

「知らん。計算したこともない。第一そんな悠長なことする気になれん。」

 そこまで聞いて、サダはようやく何が起ころうとしているかをおぼろげながらに理解した。なるほど、それで雷を捕まえようなんて発想になったわけね。雷を捕まえたいから天気予報で積乱雲の発生をチェックしていたのね。この辺は乾燥地帯だから、なかなか積乱雲なんて発生しない。それが発生しそうな気配があったからあわててたわけね。

 如何に雷と言えども、残念ながらそのエネルギ―量は発電所代わりに使えるほどにはならないだろう。それでも一般家庭で使う電気量を考えればかなりのエネルギーを持っている、ということなのだろう。ジョンの発明品がどんなものなのかはまだわからないが、確かに雷を捕まえられれば十分なエネルギーを得ることができるだろうことはイメージできる。

 と、そこでサダはあることに気がついた。雷を捕まえるには、雷を伴うような巨大な積乱雲が発生した場所まで移動しなければならない。積乱雲が発生するだろうと思われる大まかな地域は天気予報で事前に分かっても、積乱雲が発生する場所を、ましてや、雷が発生する場所をピンポイントに特定できるわけじゃない。地域が予想できるとは言っても、追いかけようと思った場合にはその範囲は相当広いわけで、追いかけているうちに積乱雲が移動したり消えてしまったりする可能性だってあり得る。どうやって、積乱雲を追いかけるつもりなんだ?

 サダは素直に聞いてみることにした。きっとジョンには考えていることがあるだろう。サダがそれを想像してみるのは労力の無駄遣いというものだ。サダが尋ねるとジョンは待ってましたとばかりに説明を始めた。

「なるほど。いい質問だ。こんなこともあろうかと、実は密かに強力なレーダーを開発しておいた。超高空にできる雲だってばっちりとキャッチできる。それにこの辺は昔から発明品のテスト起動だったり、データ集めだったりをあちこちでやっているから、観測用の機器もあちこちに設置済みのものがあって、かなり詳細な気象データも取れる。」

 サダはそれを半ば呆れながら聞いていた。昔から、発明の事となると理性と節度がなくなることを知ってはいたが、よもやこれほどまでとは。サダも自身の想像力がいかに貧困であったかを痛感しようというものだ。

「なるほどね。それらのデータを分析して、精密な予測をしようってわけか。お前さんに気象予報の素養もあったとはね。初耳だ。」

「なにを言ってるんだ?サダ。オレにはそんなことはできんよ。」

「なに!?だってお前、たった今・・・」

 ジョンはサダにそのセリフを最後まで言わせなかった。

「データの分析をして積乱雲の発生場所を予測するのはだよ。」

 ジョンはそう言うと、車庫の中に止めてあった車のボンネットのあたりを軽く叩いた。カバーがかけられているからはっきりとはわからなかったが、そのシルエットとこの辺の荒れた道のことを考えれば、ピックアップトラックの類だろうということは容易に想像がついた。

 ん?車のことを『こいつ』だって!?まさか・・・

 サダがそう思ったところで、不意にジョンのものでもない、サダのものでもない、若い男性の柔らかいバリトンの声が響いた。

「やあ、サダ。お久しぶりです。またお会いできて幸栄です。」

 そして、続けてこう言った。

「そろそろ、出番ですか?マイケル?」

「マイケルじゃない『ジョン』だ。何べん言ったらわかるんだ?ハル。」

 ジョンはと言うと、名前を間違えられたことは、字面ほどには気に留めていないらしく、さらっと受け流して車にかかっていたカバーを外し始めた。果たしてカバーの下から現れたのは真っ黒なピックアップトラックだった。ピカピカに磨き上げられた車体。ボンネットの一番前方、中央には車幅の3分の1はあろうかという横長の赤いLEDがピカピカと光っている。

「ジョン。サダからの返答がありません。サダはエネルギー切れで稼働できなくなっているのではありませんか?」

 明らかにその声は車の中から聞こえてきていた。セリフに呼応するように赤いLEDがピコピコ光っている。

「サダは久しぶりの再会に感動して言葉を失っているだけだ。それに人間はエネルギー切れで動けなくなることなど、ない。」

 律儀にもきちんと状況を解説して、事実誤認を訂正するジョン。

「そうでした、ジョン。最近、あなたが大量のデータを流し込むものだから、処理しきれずにデータの混同が起きているようです。修正作業を並行してすすめておきます。」

 唖然としながら、夢うつつので車とジョンの会話を聞いていたサダがふと我に返って呟いた。

「ハルに乗って雲を追いかける気なのか。。。」

 前にハルに時は、ピックアップトラックではなく、もっとスマートなスポーツカーだった。サダは意を決めて話しかけた。

「やあ、ハル。久しぶりだな。随分とイメージチェンジしたんだな。一目見ただけじゃわからなかったよ。」

『ハル』はジョンが開発したAIの名前だった。ジョンが車にAIを付けた、というので面白半分で乗りに来たことがあった。その車に搭載されていたAIがハルだ。確かに、疲れた時は自動運転もしてくれるし、VICS情報を分析して近道を案内もしてくれるし、その場に合った雰囲気のBGMも流してくれて、それはそれで快適なものだった。路面状態などの情報をキャッチして、もっとも燃料効率が高い駆動領域を算出するなどAIの名は伊達ではなかったが、たった一つ問題点があった。彼はだったのだ。彼に突っかかってきた走り屋は路面や車体の状態、周囲の状況を詳細に分析するハルのスーパードラテクの前にことごとくクラッシュし、暴走するハルを追いかけてきたパトカーはスパイ映画さながらの数々の装備の前に撃退されていった。結局、本気になった警察の検問で力づくで停止させられたわけだが、取り締まりに当たった警官をハルはこともあろうに『クソポリ』とののしってみせたのだ。運転席に座っていたジョンと、助手席に座っていたサダはなすすべもなく、それを見ているしかなかったわけだが、警察がそんな事情を斟酌しんしゃくしてくれるわけもなく、ジョンは一発免停を食らったはずだ。サダは免停こそ免れたが、だからと言ってもう一度あんな目に会いたいとは思うわけもない。

「前のボディはこの辺の道に向いていませんからね。ジョンに頼んでボディを交換してもらったんです。いつでも全開でいけますよ。」

 ハルは嬉しそうにそう言った。ハルは大変優秀なAIなので嬉しそうにすることだってできるのだ。いや、問題はそこじゃない。また暴走に付き合わされることになるのか・・・。サダの一瞬の沈黙に、考えていることを察したジョンがすかさずフォローする。

「そんなに心配するな。サダ。この辺には突っかかってくる走り屋も、取り締まりをする警官もいない。前みたいなことになる心配はないさ。」

 ジョンの気持ちはありがたいが、やっぱりピントがずれていた。ジョンはハルの言う『全開』とやらに対する心配はしてないらしい。サダの情報処理能力はすでにいっぱいいっぱいになりつつあったが、それでも興味を押さえきれずに聞いてみた。

「そいつは何よりだな、ハル。でも、ハルは気象の予測なんてできるのかい?」

「ジョンに教えてもらいました。私はAIですから、データさえあればちゃんと学習することができるんですよ。」

 ここで、ジョンが口をはさんだ。

「ここ数十年の気象データを掻き集めて、片っ端から学習させた。下手な気象予報士よりよほど詳しい予測ができるようになったぞ。このハルに、私が設置した機器からの観測データを流し込んでやれば、高確率の予測が可能になるはずだ。」

 サダはようやっと、これから目の前で何が起きるのかを理解した気持ちになれた。そうか、これからジョンと2人でハルに乗って、雷を追いかけて嵐の中に突っ込んでいくのかー。そして、思った。「帰る」って言っても、きっと帰らせてもらえないんだろーなー。

「サダ、荷物の積み込みが終わったようですよ?」

 ハルの呼びかけにサダはふと我に返った。そばには、準備万端のオーラをまとったジョンが立っていた。ジョンはサダの肩にポンと軽く手を置くと、嬉しそうに言った。

「さあ、出発だ。」

 サダは覚悟を決めざるを得なかった。




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