外伝16:田中与四郎

天正19年(1591年)の堺、田中与四郎の屋敷、ここの主、田中与四郎はとある禁制の品の密貿易で幕府より切腹の命を受けることになった


「ふう、我が博打、見事に外れたな。」


私は大永2年(1522年)に和泉国堺の商人、納屋衆田中与兵衛の子として産まれた。若いころより茶の湯に興味を抱き、17歳で武野紹鴎に弟子入りし、今井宗久・津田宗及と並び、天下三宗匠と呼ばれるまでに数多くの弟子を抱えた


商人として、堺の実質的支配者である三好氏の御用商人になり、財を成した。永禄12年(1569年)以降、堺は三好氏の支配から、織田信長の支配を受け、織田信長に接近し、知己を得て、鉄砲・弾薬を提供した


「これからは織田様の世だな。」


私は運命的な出会いを果たした。そう元織田家の武士であった斎藤利三改め新名内蔵助、まだ今井宗久の奉公人だったころに出会い、茶の湯を通じて交流を深めた。やがて新名内蔵助は今井宗久の下から離れて、独立し【新名屋】を創業し、初の商売相手が私だった。私は新名内蔵助が持ってきた石鹸と真田紐に魅了され、買い取ろうとしたが、途中で新名内蔵助の元主君である織田信長が割り込み、石鹸と真田紐を多く買い取れなかった


「ああ、織田様が入らなかったら私が買い取っていたのに・・・・」


その後、新名屋は軌道に乗り始め、新商品を開発し、堺で一番勢いのある新進気鋭の勢力へと成長した。中でも注目すべきは、大陸から来た焼き物職人であるマオ・ジロウを雇った事で、大陸の焼き物が新名屋で売られるようになった。たまたま私は人だかりができていた新名屋に立ち寄った所、展示品として並べられていた精巧かつ秀麗な大陸の焼き物を目にして、心を奪われた


「これは見事な茶碗だ。」


「お褒めいただき恐縮にございます。」


「この茶碗いくらで売ってくれる?」


「申し訳ありません、これらはあくまでも展示品でして売り物ではないのです。」


「だったら新しい茶碗を作って欲しい!金に糸目はつけぬ!」


「は、はぁ。」


田中与四郎は新名内蔵助に茶碗を作ってほしいと頼んだ。だがある一つの条件があった。それは漆黒の闇を表現した黒一色の茶碗だった。新名内蔵助はマオ・ジロウに掛け合うと、できるとのこと・・・・


「黒一色の茶碗が作れるようです。」


「おお、そうか!」


「出来上がりましたら、お知らせいたします。」


「ああ、楽しみだ。」


田中与四郎は自分の屋敷で自分専用の茶碗が来るのを首を長くして待っていた。そして知らせが来た途端、足早に新名屋が所有する窯工房へ足を運んだ


「黒一色の茶碗だよ。」


マオ・ジロウが持ってきたのは、正に黒一色、どの方角から見ても漆黒の闇を形にした茶碗である


「おぉ、正に黒。」


私は手を震わせながら、恐る恐る茶碗を手にした。そして感触を確かめた後、私は俺とジロウに頭を下げた


「内蔵助、ジロウさん、ありがとう。これほどの代物、私には勿体無いほどだ。本当にありがとう。」


「お気に召していただけて、何よりです。」


「職人として仕事をしただけよ。」


私は早速、黒一色の茶碗を、堺の会合衆の方々に披露し、その出来の良さに、誰もが舌を巻いた


「おお、これは見事な茶碗ですな。」


「漆黒の闇が茶碗になったみたいだ。」


「ええ、新名屋が雇った唐人の焼き物師の作にございます。」


「内蔵助が唐人の焼き物師を雇ったのか!」


今井宗久や津田宗及や小西隆佐等は羨ましそうに黒茶碗を見ていた。後に会合衆の方々は新名屋に自分専用の茶碗を注文したようだ


「ふふふ、早い物勝ちですな。」


そこから歳月が経ち、織田信長公の下、破竹の勢いで天下を平定し、日ノ本は織田信長公の物となった。私は織田幕府の下で茶道頭の地位を築いていたが、あの件で茶道頭の地位を捨てることになった。そう織田信長公が主催する天覧茶会、多くの参加者が集まり、何より大親町上皇・後陽成天皇が行幸なさったことだ


「うう、やはり緊張する。」


上皇様と天子様がお越しになられたことで、茶人たちは緊張感は半端なく、今井宗久にいたっては自分の下に来たらどうしようかと、周囲の目を気にせずに悩み続けていたのが目に移った。私の同じ立場だったら、今井宗久と同様、粗相しないか不安になる。私は自分の持ち場にて茶会を開き、多くの公家や大名や文化人を相手にしたが、上皇様と天子様はお越しになられなかった。茶会も終わり、私が片づけをしていると、そこへ織田信長公と織田信忠公がお越しになられ、新名内蔵助の下へ向かい・・・・


「利三、上皇様と天子様に茶を振る舞ったそうだな!」


信長公の一言で、私を含め、茶会に参加した人々は一斉に新名内蔵助の方を向いた


「内蔵助、上皇様と天子様は、そちの茶を褒めて居ったぞ!これで織田幕府の面目が立てられたな!」


「あ、ありがたき幸せ・・・・」


その後、私を含め、参加者から上皇様と天子様について聞いたが・・・・


「生きた心地がしませんでした。」


その一言のみだった。正直言って羨ましかった。もし私がその立場だったらと思うと新名内蔵助に嫉妬と羨望を抱いた。その後、新名内蔵助は朝廷より「利休居士」の称号を賜った


「内蔵助殿、おめでとうございます。」


「あ、ありがとうございます。」


当の本人は未だに信じられないといった表情をしていた。この時、私の時代が終わったと思い、新名内蔵助に茶道頭の地位を譲った。それからの私は堺へ戻り、商いと茶の湯に精を出していた。そんなある日、織田幕府から堺にある命が下された


「金・銀の流通を禁じるだと・・・・」


織田幕府は金・銀が海外へ流出することを阻止すべく、【金銀流出禁止令】を発令した。これにより金・銀は御禁制となり、御禁制を海外に売れば、死罪にすると命を下したのである


「何という事だ・・・・」


私は金・銀を売って、海外から商品を買い取っていたが、【金銀流出禁止令】によって金・銀は御禁制となった。私は織田信長・織田信忠に【金銀流出禁止令】を解いてもらうよう書状と献上品を送ったが、無視された


「これでは堺が危うくなる。」


私は織田信長・織田信忠両名の暗殺を決意した。全て堺のため、田中家の商売発展のため、戦乱の世になれば、我等の商売も益々発展すると田中与四郎の心に邪念が芽生えた


「ではお願いしましたよ。」


「心得た。」


私は腕利きの忍びである石川五右衛門を雇い、信長・信忠両名の暗殺を頼み、忍びは大坂城へ向かった。忍びたちは大坂城に侵入し、天井裏を伝って、寝室にいる織田信長・織田信忠両名を暗殺しようとしたところ・・・・


「何奴だ!」


織田信長は槍を手に取り、天井に向けて槍を指した。忍びたちは負傷し、天井に空いた穴に血が流れた


「皆の者、曲者だ!」


織田信長の大声で家臣たちが続々と集まり、賊を捕まえようと躍起になった。織田信忠の方は、天井から忍びたちが出てきて、織田信忠を襲った


「うわっ!」


織田信忠は突然、現れた忍びに驚き、迎撃できる状態ではなかったため、忍びたちは信忠を殺そうとしたが、そこへ弓矢を装備した側近たちが入ってきて、矢を発射し、忍びたちに当てた


「ぐっ!」


「上様、大事ございませんか!」


「う、うむ、大事ない!」


織田信長・織田信忠両名の暗殺に失敗し、生け捕りにされた石川五右衛門ら忍たちは拷問にかけられたが、一向に口を開かずにいた


「こやつらは釜茹でにしてやれ!」


信長は生け捕りにした石川五右衛門ら忍びたちを京の三条ケ原にて釜茹での刑にされ絶命した


「父上!兄上!某にお任せくだされ!刺客を放った賊は某が始末いたしまする!」


織田信長の息子で織田信忠の異母弟である織田右近衛中将信孝は信雄亡き後、次第に勢力を伸ばし始め、後に御三家【織田信雄「尾張国(57万石)】系・織田信孝【越前国(50万石)】系・織田秀則【備前国・美作国(40万石)】系」の一角として、頭角を現した


「落ち着け、信孝。」


「されど!」


「そちに言われずとも賊はいずれ見つける。そちは越前国主の役目があるであろう。しゃしゃり出るでないわ!」


「は、ははっ!」


信孝は渋々引き下がった。信長と信忠は信孝の鼻息の荒らさに呆れつつも、頼もしく感じた。話は変わるが、信長の三男である織田信孝は信忠・信雄とは母親違いの兄弟で、母親の身分が低かったことで同い年の信雄が次男、信孝が三男になった。織田信孝の性格は礼儀正しく、思慮があり、文武両道かつ智勇に優れた人物であったという。うつけの織田信雄とは対照的に信長・信忠から期待されたという。織田信孝は織田信長、織田信忠に認めてもらいたいという欲求から誰よりも忠誠心が厚かった。同時に織田信雄にライバル心を燃やしていた。織田信雄が謀反を起こそうとしたことで、死罪に処されたとき、信孝は・・・・


「三介、ざまあみろ。」


ライバルであり、異母兄である織田信雄の死を殊の外、喜んだという。後に織田信孝は慶長20年(1615年)に病を患い、57歳でこの世を去った。織田信忠は信孝の死を悲しみ、盛大な葬儀を行ったという




やあ、新名内蔵助だ。突然だが知らせが入った。何と織田信長と織田信忠両名を暗殺しようと忍びが侵入したらしい。俺としては犯人の目星がついていた。そう田中与四郎である。俺には自前の忍びがいる。忍びの情報網によって田中与四郎が下手人であることが発覚している。だが忍びの情報だけでは証拠にならない。田中与四郎が言い逃れできぬほどの証拠を・・・・


「何か考え事でござるか、新名殿?」


「これは失礼いたしました。細川様。」


俺は今、細川侍従藤孝から茶会の招きを受けていた。いかんいかん大事な茶席で考え事など・・・・


「ところで新名殿、与四郎殿の事を聞いておるか?」


「はて、それは如何様な?」


藤孝いわく、最近の田中与四郎の様子がおかしいのだと言う。まるで狐に憑りつかれたかのように、鬼気迫るものを感じたという


「やはり【金銀流出禁止令】の件かのう。あの御仁は金・銀で渡来品を手に入れておられたからのう。」


「左様ですな・・・・」


「新名殿、もし大御所様、上様に刺客を放たれたのは・・・・」


「細川様、私、喉が渇きましたゆえ、茶を御所望いたします。」


「・・・・そうだな、申し訳ない。」


そのころ堺では田中与四郎は信長・信忠暗殺に失敗したことを知り、憤慨していた


「全く、役立たずが・・・・」


もはやその姿は茶聖と呼ばれた男の姿ではなく、利益を貪る亡者の姿だった。田中与四郎は堺奉行の目を盗みつつ、御禁制の金・銀を海外に流出させていたが・・・・


「田中与四郎、御禁制の金銀を流出の罪にて、この場で捕らえる!」


田中与四郎はついに囚われの身になった。与四郎は己の運命を悟り、観念するのであった。どうしてばれたかというと、新名内蔵助の放った忍びによって御禁制の金銀流出の証拠を手に入れ、堺奉行に密告したのである。田中与四郎の弟子たちは仰天しつつ、何とか命だけは助けてほしいと助命嘆願をした


「・・・・与四郎を切腹にせよ。」


織田信長は田中与四郎に切腹の命を下した。御禁制の金銀を流出させた罪は、たとえ元茶道頭であっても許されないことを天下に知らしめるために死罪を与えたが、商人としては異例の切腹を下したのである


新名内蔵助は信長の許しを得た後に堺にいる田中与四郎の下へ向かった。役人に許可をもらい、田中与四郎に対面した


「与四郎殿・・・・」


「これも天命という他はない。さあ、新名殿、茶を点てまするゆえ、どうぞ。」


「・・・・いただきます。」


これが田中与四郎と新名内蔵助の最後の会話である。その後、田中与四郎は切腹して果てたのである。田中与四郎の妻子は、蟄居の処分を下され、信長の死後に、許されたのである

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