外伝18:猪熊事件

新名内蔵助、御年75歳、正直引退したいでござる。もう75歳だよ、いつまで俺を縛り続けるんだよ、本当に!親子揃って人使い荒いな。俺は茶室にて織田信忠を待っていると・・・・


「内蔵助、大変な事が起きたぞ!」


織田信忠が茶室にいる俺の下を訪れた。それも慌てた様子で。俺は一旦、信忠公を落ち着かせた後、何があったか尋ねた


「上様、何があったのですか、そのように慌てて・・・・」


「う、うむ。内蔵助、大変な事が起きたのだ。何とかせよ!」


おいおい俺は某アニメの青狸じゃねえぞ、あんたは青狸に泣きつく眼鏡小僧か!俺は突っ込みたい気持ちをぐっと抑え、話を聞いた


「してそれは?」


「畏れ多くも、禁中にて天子様にお仕えする女官と公家の密通が発覚した!」


「な、何と!して下手人は!」


「うむ、下手人は猪熊教利(いのくまのりとし)ら14人だ。」


織田信忠いわく、どうやら後陽成天皇に仕える女官と、猪熊教利を首謀者とした公家が密かに不義密通を行っていたらしい。現代でいえば、天皇の愛人たちに間男である貴族が手を出したのである。しかも全員、全裸で大人数の大乱交である!それを知った後陽成天皇は激怒し、全員死罪にするらしい。そういれば某大河ドラマや漫画で猪熊事件ってあったわ!猪熊教利は当代の光源氏・在原業平と謳われるほどの天下無双の美男であると同時に、当代流行した傾奇者の精神を汲んだ彼の髪型や帯の結び方は「猪熊様(いのくまよう)」と称され、京の都で有名になった。欠点といえば女癖が悪く人妻や宮廷に仕える女官に手を出し「公家衆乱行随一」と呼ばれるほどのプレイボーイであり、かなりの問題児であった


後陽成天皇の腹立ちまぎれの裁定に、困ったのは後陽成天皇の母である新上東門院と関白と五摂家等の面々である。従来の公家の法には死罪はなく、しかも当時、大坂幕府の威光は公家の支配にも浸透しつつあり、捜査権も幕府が有していた。新上東門院や関白や五摂家は後陽成天皇を諫めつつ、武家伝奏(ぶけてんそう)を大坂に送り、此度の事件で激怒した後陽成天皇を諫めてほしいとのことである


「そ、それで上様はいかがなさるので?」


「う、うむ。幕府としては、もし死罪にすれば、畏れ多くも天子様の御威光にヒビが入る。それだけは臣下として、何としても避けねばならぬ。」


「して、上様の御意向は?」


「うむ、島流しにするつもりだ。ただし烏丸光広と徳大寺実久は出家とする。」


「では、そう奉答(ほうとう)なさりませ。」


幕府は後陽成天皇に対し、死罪にはせず流罪と出家にするよう、奉答したが、後陽成天皇は頑として受け付けず、御所に引きこもったらしい。これに困った織田信忠は再び俺を呼び出した


「して天子様は?」


「御所に引きこもられた。どうやら島流しと出家にするのが御気にめさぬらしい。」


「烏丸・徳大寺両名は出家するとして、他の12名は終生、その土地で暮らすようにすればよろしゅうございます。」


「内蔵助、何か考えがあるのか?」


「はい、天子様の御叡慮(ごえいりょ)をくみ取りつつ、島流しにする方策がございます。」


「苦しゅうない、申せ!」


信忠は姿勢を正し、その方策を聞いてきた。俺の考えた方策、天子様の御叡慮と幕府の御威光、両方を兼ね備えた方策を・・・・


「畏れながら申し上げます。公家と女官たちを、はるか遠国へと島流しにいたします。その遠国とは、樺太、高山国、ルソンにございます。」


「な、何!」


信忠はぎょっとした顔で俺を見つめ、わけを聞いてきた


「内蔵助、なぜ、その地なのだ。樺太も高山国もルソンも開発は進んでいるが、未だ未開の地だぞ。そこへ配流とは、さすがに酷ではないか?」


「天子様の御叡慮をくみ取りつつ、幕府の御威光を天下に知らしめる良き方策かと私は思います。未開の地なればこそ、その土地特有の風土病がございます。更に樺太の極寒の寒さ、高山国とルソンの灼熱地獄、やんごとなき公家と女官にとっては生き地獄そのものでございます。」


「それは、そうだが・・・・」


「上様、畏れ多くも彼の者(かのもの)たちは天子様を裏切った逆賊にございます。その逆賊に何の配慮がいりましょうか?」


「う、ううむ。」


信忠が心配しているのは入内問題である。後陽成天皇の皇子である政仁(ことひと)親王(後の後水尾天皇)を天皇にすること、更に自分と松姫の娘を政仁親王の妃にするために、なるべく朝廷との関係を悪化させたくない考えであった


「上様は朝廷との関係を密にしたい御意向は分かりますが、時には荒療治が必要な時もございます。朝廷が犯した過ちは幕府がこれを諫める、それができるのは上様をおいて他にはありませぬ!」


俺の叱咤激励とも言える忠言に信忠は・・・・


「内蔵助、そちの申す通りだ。よし幕府の意向を天子様に奉答いたす!」


早速、信忠は武家伝奏に俺の提案した方策を伝えた。武家伝奏は恐れおののき、流石にそれは、やりすぎと信忠に言ったが、信忠は毅然とした態度で突っぱねた。武家伝奏はこれ以上は無駄と判断し、そのまま京の都へ帰っていった


武家伝奏が帰還した後、幕府の意向を聞いた後陽成天皇は・・・・


「好きにいたせ。」


後陽成天皇は反対することなく幕府の意向を受け入れた。後陽成天皇も少し頭が冷えて、未開の地で灼熱地獄と極寒の寒さで苦しむ12人の女官と公家の姿を頭に浮かべ、それでもいいと判断したのである。残りの2人に対しては若干、不満はあったが・・・・


「朕を裏切った罰じゃ。じゃが烏丸と徳大寺は顔も見たくない。」


その後、事件に関わった公家8人、女官5人、地下1人の処分が決まった


猪熊教利(左近衛少将)はルソンへと配流


兼康備後(牙医)は高山国へと配流


大炊御門頼国(左近衛権中将)は樺太へと配流


花山院忠長(左近衛少将)は高山国へと配流


飛鳥井雅賢(左近衛少将)はルソンへと配流


難波宗勝(左近衛少将)は樺太へと配流


中御門宗信(右近衛少将)は樺太へと配流


烏丸光広(参議)は出家


徳大寺実久(右近衛少将)は出家


広橋局(新大典侍)は樺太へと配流


中院局(権典侍)はルソンへと配流


水無瀬(中内侍)は高山国へと配流


唐橋局(菅内侍)は樺太へ配流


讃岐(命婦)は高山国へと配流


処分を言い渡された12人は全員、青ざめた表情をしていた。中には泣け叫び許しを請う者、卒倒する者等が続出したが、お構いなく、それぞれ配流先へと送られた


「かの光源氏は須磨、明石に配流となったが、麿は未開の地に配流か、ははは・・・・。」


事件の首謀者である猪熊教利は、自身を光源氏に例え、自分と重ね、自分自身を慰める日々を送りつつ、赦免が来るのを待っていた。その後、猪熊含め、12人は未開の地での極寒の寒さと灼熱地獄に耐え切れず、自害をしたり、病で死んだりして、12人はその地で生涯を終えたのである、墓は建てられず、そのまま海へと放り出され、魚の餌になったり、濁流に巻き込まれたりした


出家した烏丸光広と徳大寺実久は織田幕府贔屓の公家である。烏丸光広は細川藤孝の古今伝授において師弟関係を結んでおり、師匠である細川藤孝の助命嘆願もあったという。徳大寺実久は織田信長の娘を娶っており、織田信忠とは義兄弟の間柄だったらしい。その妻は去年に亡くなり、その悲しさと寂しさから興味本位で参加したらしいが、後悔しており、1回しか参加していないと信忠に懇願し、本人の希望で出家し、世に出ないと宣言したとの事である


その後、朝廷は幕府の威光に恐れをなし、幕府の狙い通り、後陽成天皇は退位し、政仁親王が即位し、後の後水尾天皇となった。後に信忠と松姫の娘が御水尾天皇の女御となり、やがて皇子を出産し、天皇に即位しただけではなく、内親王も出産し、親王家、五摂家等にも織田と武田の血が脈々と受け継ぎ、現代まで織田と武田の血筋を残したのは後の話である。俺は信忠に呼ばれ、此度の働きを褒められた


「内蔵助、此度はようやった。」


「ははっ!有り難き幸せ!」


「此度の働きは朝廷及び幕府の危機を救った。望みがあれば何なりと申せ。」


「ははっ!畏れながら、私は隠居したいと存じます。」


「隠居だと。」


「はい、私は齢75になり申した。これを機に引退したいと思います。」


「そうか、分かった。そちの願い通りにしよう。」


「ははっ!有り難き幸せ!」


「だが、それとこれとは別だ。隠居祝いとして褒美を与えるぞ!」


「ははっ!有り難き幸せ!」


新名内蔵助、御年75歳、ようやく御伽衆の座を返上をし、褒美を貰い、引退できたよ!ああ、疲れた・・・

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