外伝12:松井友閑

某は松井友閑でござる。元々、某は室町幕府の幕臣として足利義輝公にお仕えしていたが、永禄8年(1565年)に起こった永禄の変で義輝公が三好三人衆らに襲撃され、討ち死に成された。某は他の幕臣と一緒に京を脱出し、その後、尾張に入り織田信長公の家臣となり申した


「一からやり直しだ。」


永禄11年(1568年)、織田信長公は足利義昭公を奉じて上洛し、幾内の政務に取り掛かられた。某は右筆に任じられ、京や堺の豪商らと接触し名物の茶器などを供給させた


「京に戻れて良かった。」


天正2年(1574年)3月24日に相国寺にて開かれた織田信長公の茶会にて某は茶頭を務め、同年に東大寺正倉院にて名物の蘭奢待の一部を拝受したと同時に奉行を務め申した


「蘭奢待、我が家の家宝にしよう。」


天正3年(1575年)に堺奉行の代官に任じられ申した。この頃より堺の豪商らと交流を深めるようになった。某にとって運命の出会いを果たし申した。それは元織田家の武士で、現在は新名屋の主である新名内蔵助殿との出会いである。なぜ織田家の武士の身分を捨てて、商人になったのか気になり、新名殿本人に聞いてみた


「新名殿、そなたは何ゆえ、織田家の武士を辞められたのか?」


「はぁ~、某は武士の世に嫌気が差し、自由に生きる商人に憧れを抱き申したと述べるしかござりません。決して織田信長公に御不満を抱いているわけではありませんので、誤解のなきよう申し上げまする。」


「左様か。」


その後、某と新名殿の付き合いが続いた。新名殿は見たこともない産物を生み出し、多大な利益をもたらした。驚くべき事は国崩し(ライフリング式のフランキ砲)、火打石式の鉄砲、投石器、焙烙火矢等を発明し、織田の軍事力を向上させたのである


「新名殿、いや斎藤利三殿、恐るべき男じゃ。」


某はその後、朝廷より宮内卿法印(正四位下)の官位を授かった。織田家文官の中で村井貞勝、武井夕庵と並んで、織田信長公の吏僚の中でも最高の地位にいたのである。そんなある日、新名殿から某が官職を賜った祝いとして茶会に誘われ、某は快く受け入れた。茶会には某だけではなく村井貞勝殿や武井夕庵殿も同席していた


「松井様、村井様、武井様、おめでとうございまする。」


「忝い。」


「今日はお招きいただき感謝いたす。」


「まさか松井殿や村井殿も一緒とは驚き申した。」


「某も同様に・・・・」


「右に同じく。」


「新名内蔵助、【初客心茶】の精神にて、御三方をおもてなしいたしまする。」


新名殿は茶道具の他に精巧かつ秀麗な白一色の陶器製の天目茶碗を用意した。某だけではなく、村井殿も武井殿も目を見張った


「新名殿、その茶碗は?」


「はい、手前が雇った唐人、マオ・ジロウが作った天目茶碗にございます。」


「おお、これは見事な。」


「た、大陸の焼き物か。」


「う、うむ。」


某だけではなく村井殿も武井殿も白一色の陶器製の天目茶碗に心を奪われていた。純白の天目茶碗はこれでもかというほど目立っていたのである。新名殿は既に熱くなっていた茶釜からお湯を柄杓で取り出し、茶碗に入れ、清めた。そのお湯を建水に入れた。そして抹茶の入った茶器から、抹茶の粉末を茶杓で掬い茶碗に入れた後、柄杓でお湯を取り出し、茶碗に注いだ。注いだ後は、茶筅でかき混ぜ、お茶が出来上がった。抹茶の入った純白の天目茶碗を某に渡した


「で、では。」


某は思わず声をうわずってしまった。純白の天目茶碗を恐る恐る手に取り、作法に則り、茶を飲み、口をつけたところを指で拭き取り、懐紙で拭いた。次に村井貞勝、武井夕庵の順へとお茶を飲んでいった


「結構な御点前でござった。」


「ありがとうございます。実は御三方にお渡しいたしたい物がございまする。」


茶会が終わり、新名殿は某たちに渡したい物があるそうだ。某たちの官職祝いの品だろうと思い、心待ちにしていた。新名殿はパンパンと手を叩き、奉公人たちが桐の箱を持って茶室に入ってきた。奉公人たちが我等の前に座り、桐の箱を置き、平伏した後、茶室を退出した


「新名殿、これは?」


「ふふふ、開けてみてくだされ。」


新名殿から開けるよう言われ、我等は紐をほどき、桐の箱を開けると、中に入っていたのは先程の純白の天目茶碗だった。村井殿にも、武井殿にも同じ純白の天目茶碗が入っていた


「に、新名殿、これは!」


「皆様方が御手に取られた天目茶碗にございます。この天目茶碗を松井様、村井様、武井様に御献上いたします。」


某だけではなく村井殿も武井殿もこの天目茶碗に心を奪われたに違いない。新名殿は大陸より伝わった焼き物の一品を某たちに献上したのである


「ううむ、せっかくの献上品、断るのは悪いな。」


「ありがたくいただこう。」


「新名殿の御志、感じ入り申した。」


「今後とも新名屋を御贔屓のほどを・・・・」


某も村井殿も武井殿も、純白の天目茶碗を遠慮なく受け取り、某たちは新名屋を後にした


「いやあ、村井殿、武井殿、良き品を貰いましたな。」


「大陸より伝われし一品、大事にしましょうぞ。」


「我等は得をしましたな。」


某と村井殿と武井殿は純白の天目茶碗を大事に抱えながら、それぞれの持ち場へと離れるのであった


「ふふふ、いつ見ても美しい。」


某は純白の天目茶碗を見て、うっとりとした。某の見立てで城一つは建てられるほどの値が張るだろうと感じた。新名殿との付き合い、これからも親密にしようと心に誓うであった


それからは外交や財務等に心血を注ぎ、上杉謙信公に信長公の書状に副状を発し、三好康長の投降交渉したり、本願寺との和睦工作、謀反を起こした荒木村重や松永久秀の説得交渉、伊達輝宗や大友宗麟ら遠方の大名との外交交渉にも奔走し、途中で明智光秀が謀反を起こしたが、信長公は事前に察知され、京を出て、安土城に到着し、明智討伐の軍を起こされ、明智光秀を討伐したのである


「いやあ、一時はどうなるかと思った。」


その後、織田家は中国、四国、九州、関東、東北等を平定し、ついに天下統一を果たしたのである。某は感無量の極みだった


「ううむ、良かった。誠に・・・」


その後、某は信長公の命で堺奉行を罷免され、大坂奉行へと昇進した。そこで新名内蔵助殿と再会した。どうやら新名殿も御伽衆として織田信長公に仕える事になったらしい


「松井様、これからもよろしくお願いいたします。」


「こちらこそ。」


その後、某は新名殿と交流を深め、慶長3年(1598年)に某は大坂屋敷にて亡くなり申した。波乱万丈の人生でござったが、終わりよければそれで良しでござる

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