外伝13:ルイス・フロイス
初めまして、ルイス・フロイスです。私は現在、日本という国にいます。そこでデウスの教えを広めようと日々、努力をしています。私が来日したのは永禄6年(1563年)に横瀬浦(当時の大村領、大村家の貿易港、現在の長崎県西海市北部の港)に上陸し、大村純忠公のもと、念願だった日本での布教活動を開始しました
「コノクニニ、デウスノオシエヲ、ヒロメルノデス。」
しかし問題が発生しました。大村純忠公と後藤貴明の争いにより、横瀬浦が破壊されたので平戸に近い度島に避難した。ここで10ヶ月、私は病魔と闘いながら、先に来日したフェルナンデス修道士から日本語および日本の風習を学び、永禄7年(1564年)にトルレスの命により、度島に向かったアルメイダ修道士はフロイスに上洛をするよう伝達を受けました
「ニホンノミヤコ、キョウ・・・・」
私は平戸から京の都に向かった。永禄7年(1565年)12月29日に上洛し、京にいたガスパル・ヴィレラや日本人修道士ロレンソ了斎らとともに、将軍、足利義輝公の許可をいただき、布教活動を行った。しかし将軍・足利義輝公が家臣の謀反に遭って殺害されると、三好党等によって都を追われ、摂津国・堺に避難しました。翌永禄8年(1566年)にヴィレラが九州に行ってからは、京の都にて布教責任者となりました
「マダマダ、アキラメマセン。」
永禄12年(1569年)、将軍・足利義昭公を擁して台頭していた織田信長公と二条城の建築現場で初めて対面した
「パーデレは、いくつになる。」
「ハイ、37サイニ、ナリマス。」
「故郷を離れ、この国で何をしたいのだ?」
「ハイ、ワタシタチハ、デウスノオシエヲ、コノクニニ、ヒロメタイト、オモッテイマス。」
「もし、この国でデウスの教えが広まらなかったら、如何いたすのだ?」
「モシ、イナケレバ、サリマス。デスガ、ヒトリデモ、シンジャガ、イレバ、ソノモノヲ、タスケマス。」
「であるか。」
信長公は既存の仏教界の腐敗ぶりに信長公は辟易しており、私はその信任を獲得して畿内での布教を許可され、ニェッキ・ソルディ・オルガンティノ等と共に布教活動を行い多くの信徒を得ることができました
「コレカラダ、ワタシタチノ、タタカイハ・・・・」
その後、私は九州において活躍したが、天正8年(1580年)の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、安土城にて織田信長公に拝謁した
「ノブナガサマノ、オカゲニテ、フキョウカツドウガ、ジュンチョウニ、ススンデオリマス。」
「であるか。」
私は改めて、この国に来てよかったと思っている。デウスの教えが広めることこそ、私たちイエスズ会の願い、そう思っていたが、ある事件が起きた
「アケチガ、ムホン。」
明智光秀が京の本能寺に襲撃したのである。本能寺には織田信長公が滞在しており、もはや風前の灯だと覚悟をしましたが・・・・
「ノブナガサマガ、イキテイタ!」
何と織田信長公は京の都を脱出し、安土城へ帰還したのである。すぐさま明智討伐の軍を整え、明智光秀のいる坂本城へ攻撃を開始し、ついに明智光秀は坂本城と共に爆死したのである
「アァ、コレデワタシタチノ、フキョウガサイカイデキル。」
しかし我々の布教活動もここまでだった。織田信長公は九州を征服後、宣教師による奴隷売買が発覚し、宣教師を国外追放、奴隷売買の手助けをした大名を改易にしたのである
「アァ、カミヨ・・・・」
私は一旦、幾内を出て加津佐を経て長崎へと避難した。本国からの指令が来るまで待機を続けた。そして織田信長公は天正13年(1585年)に日ノ本を統一した。織田信長公は国内の統治をしつつ、蝦夷地、琉球、高山国のルソン等に領地を広げていった
「ノブナガサマハ、ミンヲセメズ、ホカノトチニ、メヲツケルトハ。」
織田信長公はてっきり明を攻めると思っていたが、他の土地で植民地を広げている。これははっきりいって最悪な状況だった。本国も植民地を広げるために東洋に進出したが、宛が外れたようだ。しかも予想外の事態が起きた
「【ヒノモトバテレンキョウ】ダト!」
何と高山右近と小西行長等が、【日ノ本伴天連教】なるものを創設し日ノ本で布教活動をしていた。どうやら九州での宣教師の奴隷売買を目にした二人は我々の本国のデウスの教えを辞めて、自分達が考えたデウスの教えを広めるようである。我々の立場からしてみれば、何たる傲慢な考えだと心の底から軽蔑した。デウスの教えは我等、イエスズ会(ローマ・カトリック教会)こそ相応しい存在だ。自分達が神に選ばれた存在だと、私自身、そう思っていたが、【日ノ本伴天連教】の勢いは日ノ本だけではなく日ノ本の植民地にも広まったのである
「マサカ、ココマデヒロマルトハ・・・・」
私はただ、この事態を黙ってみていることしかできなかった。【日ノ本伴天連教】について最初、他の同僚からは東洋の野蛮人が作ったデウスの教えは、悪魔の教えだと激しく非難していたが、勢いづく【日ノ本伴天連教】を前にして、苦虫を噛み締める事しかできなかった
「ホンゴクカラ、ツカイガ!」
天正18年(1590年)に帰国した天正遣欧使節を伴ってアレッサンドロ・ヴァリニャーノが再び来日し、大坂城にて織田信長公・織田信忠公に拝謁した。しかし信長公・信忠公の反応が冷たかった
「ドウカ、ワレワレニ、フタタビフキョウノ、キョカヲ。」
「パーデレ、布教も何も、デウスの教えは広まっているのだが?」
「ワレワレ、イエスズカイノニオケル、デウスノオシエヲ・・・・」
「同じデウスの教えではないか、一体何が違うのだ?」
「ソ、ソレハ。」
「日ノ本伴天連教は日々、人民救済のために活動している。デウスの教えを忠実に守っているのに、貴国はなんだ?布教は表向きで、奴隷売買が真の目的ではないのか?」
どうやら日ノ本の民を奴隷として海外に売りさばいたことが問題となっているようだ、私自身、奴隷売買に関わっていないが、他の宣教師は奴隷売買に手を染めていることは聞いていた。私はそれを放置し、ひたすら布教活動に邁進したが、まさか奴隷売買が布教活動の妨げになるとは・・・・
「貴国の布教を許せば、再び奴隷売買が始まる。我が国でも人身売買を取り締まり、人身売買禁止令も発している。パーデレには悪いが布教は認めぬ。」
もはや布教活動はかなわぬようだ。私は、いや我等はどこで間違えたのだ。私とアレッサンドロ・ヴァリニャーノは大坂城を出た時・・・・
「これはこれはパーデレ方。」
我々の前に現れたのは、新名内蔵助という信長公に仕える御伽衆だった。元は織田家の武士だったが、現在は商人をやっているらしい。かつてセニョール神父が滞在していた堺でお世話になったと知らせを聞いたが、日ノ本の軍事力を向上させ、信長公の明攻略を断念させ他の土地を攻略するよう唆し、我々の布教の妨げをした【日ノ本伴天連教】創設のきっかけを作った悪魔が我々の目の前にいる
「その様子だと失敗に終わったようですね。」
「ハ、ハイ・・・・」
「私は【日ノ本伴天連教】もデウスの教えを広めているから、それで宜しいではありませんか。後は未来ある若者に任せましょう。」
「ハ、ハイ・・・・」
その後、私は日本を去り、マカオに滞在し、慶長2年(1597年)にこの世を去ったのである。後にフロイスは新名内蔵助の事を【一見すると善良に見えるが、冷徹な判断力と果敢な実行力と優れた英知を持ち、内には計算高く万事に抜け目がなく、平素何を考えているのか分からない男】と評したという
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