外伝9:後継者

新名内蔵助だ、現在は御伽衆として現役バリバリで活動している。今、俺は何をしているのかというと、茶の湯をしている。相手は織田幕府2代将軍である織田右大臣信忠、羽柴家の後継ぎである羽柴侍従秀次、徳川家の後継ぎである徳川侍従秀忠、父親(叔父)が織田信長、羽柴秀吉(豊臣秀吉)、徳川家康といった面々、普通だったら日本歴史上の三英傑の子息が目の前にいるのである


「上様、羽柴侍従様、徳川侍従様、ようこそお越しくださいました。」


「うむ。」


「叔父上がお世話になっておりまする!」


「新名殿、よろしくお見知りおきを!」


次の世代を代表する御三方は、大御所である織田信長の命でここにいる。目的は次世代同士の交流、これからの織田幕府を支えていく上で、茶の湯を通じて交流を深めていくの織田信長の目的である。俺は事前に信長から聞いたので、俺としては3人とも仲良くしてほしい所だ


「羽柴侍従、徳川侍従、ここでは身分や家柄は関係ない、茶の湯を通じて交流を深めようぞ。」


「「ははっ!」」


俺は早速、茶道具と瑠璃色の天目茶碗を揃え、既に熱くなっていた茶釜からお湯を柄杓で取り出し、茶碗に入れ、清めた。そのお湯を建水に入れた。そして抹茶の入った茶器から、抹茶の粉末を茶杓で掬い茶碗に入れた後、柄杓でお湯を取り出し、茶碗に注いだ。注いだ後は、茶筅でかき混ぜ、お茶が出来上がった


「上様、お茶が出来上がりましてございます。」


「うむ。」


最初の客人である織田信忠に渡した。最初の頃の信忠は高価な瑠璃色の天目茶碗に手が震えて、茶をこぼして、実父である信長から叱られたのが昨日の事のように思える。今では慣れた手つきで、茶を一服していた。口をつけたところを指で拭き取り、懐紙で拭いた


次に羽柴秀次である、秀次は元は尾張中村の百姓の出であり、叔父である羽柴秀次の縁で、養子となり、現在は2カ国【筑前国・筑後国(59万2千石)】を治める羽柴家の跡取りとして活動している。秀次は将軍である織田信忠、徳川の跡取りである徳川秀忠の前で粗相があってはならない、実は過去に叔父が主催する茶の湯で茶をこぼした事があり、此度は慎重にやろうと決めていた。秀次は茶の作法に則り、慎重に慎重に、茶を一服し、口をつけたところを指で拭き取り、懐紙で拭き、最後の客人である徳川秀忠に渡した。心なしか秀次は安心した面持ちだった


最後に徳川秀忠だが、茶碗を取ろうとしたが、手を滑らせ、茶碗を落とし、茶をこぼしてしまった


「これはご無礼を!」


「いいえ、新しい茶を点てますゆえ・・・」


「心配いたすな、余も茶をこぼしたことがある。」


「実は某も・・・・」


「申し訳ありませぬ!」


秀忠は土下座したが、俺と信忠と秀次は目を瞑り、秀忠のミスを庇った。俺は瑠璃色の天目茶碗を回収し、布巾でこぼした茶をふき取った後、新しい茶碗を清め、少量のお湯と抹茶を入れ、茶筅でかき混ぜた後、秀忠に渡した


「徳川侍従様、どうぞ。」


「忝い。」


秀忠は申し訳なそうな面持ちで茶を飲んだ。茶が飲み終わった後、秀忠は茶碗を俺に渡した


「結構の御点前にございました。」


「お粗末様でした。」


茶会も終わり、落ち着いたところ、秀忠が再び土下座した


「上様、羽柴殿、新名殿、先程のご無礼申し訳ありませぬ!」


「徳川侍従、気にするな。余も茶をこぼして父上に叱られた事がある。」


「某も叔父の主宰する茶会で茶をこぼしてしまったので・・・・」


「徳川侍従様、お気になさらずに・・・・」


「忝い。」


秀忠は生真面目な性格のせいか、終始申し訳なさそうな表情をしていた。そこからは父親(叔父)談義が始まった


「父上は、普段からせっかちで、まるで嵐のような御方だった。」


「大御所様がでございますか。」


「ああ、父上はふと思いついたら、即行動する御方でな、余だけでなく家臣たちも困っていたんだ。挙句の果てには明を攻略するとか言い出しおって・・・・」


「それを新名殿が説得して断念されたと聞きましたが・・・・」


「ああ、内蔵助が説得しなければ今頃、明討伐の真っ最中だ。」


「畏れ入りまする。」


「ところで羽柴侍従、ハゲネズミ・・・・じゃなかった。お主から見て羽柴筑前はどう見る?」


「ははっ、某にとっては晴天の霹靂にございました。元々、尾張中村の百姓として暮らしておりましたが、叔父が突然、私を引き取り、三好家の人質として使わされました。」


「羽柴侍従殿も苦労されておるな。」


「ええ、今は羽柴家の後継ぎとして日々、精進しております。ぶしつけながら徳川侍従殿の御父上である徳川右少将様どのような御方ですか?」


「・・・・申し訳ございませんが、父の事は申し上げられませぬ。」


「羽柴侍従殿、人には言えぬ事情があるのです。」


「申し訳ない、とんだご無礼を・・・・」


「いいえ。」


空気が悪くしたようだ。俺は気を利かして別の話をした


「ところで御三方はどのような国造りをなさいますか?」


俺が国造りの話題を出すと、3人は顔を上げて一人一人発表した


「うむ、余は法の整備、殖産興業を行い、国を富まそうと考えている。」


「ええ、戦乱の世が終わり、太平の世が参りました。法を整備することで治安を守り、人々の生活を守る。殖産興業で特産品を生み出し、国を富ませる。いい事ですな。」


「うむ、日ノ本だけではなく、植民地の支配も考えなければいけないからな。」


「上様の志、内蔵助、生きている間、黄泉の国に言っても見守りまする。」


「内蔵助、縁起が悪いぞ。」


「いいえ、人はいつか死にまする。いずれ大御所様も、私も・・・・」


「すぐに死ぬことは許さぬぞ。」


「勿論ですとも、私は早死にするつもりはございません。」


「ハハハハハ、言ったからには付き合ってもらうぞ。さて余の話は終わりだ、次は羽柴侍従だ。」


織田信忠は自分の目標を言い終わった後、羽柴侍従を指名した。羽柴侍従は突然の指名に驚きつつ、自分の目標を話し始めた


「は、ははっ!某は国を富まし、法度を定めます。それだけではなく庶民に学問を学ばせまする!」


「ほお、民に学問を。」


徳川秀忠は興味津々に秀次の話を聞く


「はい、民に学問をさせ、国を富まそうと考えています。庶民たちが文字を書き、自分たちの暮らしを考え、工夫し、やがて国を富ますと私はそう信じております。」


「民に学問を学ばせることで国を富ますか、なかなか良き考えですな、羽柴侍従殿。」


秀次は褒められたことで、照れつつ、最後に徳川秀忠の番となった


「さて最後は徳川侍従か。そちはどのような国造りをするのだ。」


「ははっ!某は質素倹約を旨とし、法を定め、租税を軽くし、治安を良くし、安心して作物が作れる国を作りたいと思いまする。」


「ほお、つまり百姓のための国か。」


「ははっ!かつて三河の国は今川の支配下にあって、重い年貢を取られ、重臣たちが自ら田畑を耕しながら軍資金を集め、ついに独立が叶い申した。某はそれに倣い、農業による国造りをしたいと考えておりまする。」


「商いは二の次か?」


「いいえ、城下町を発展させ、港を作り、商いをいたしまする。」


「ふむ、羽柴侍従も、徳川侍従も、それぞれ見識があるのだな。」


「上様、御二方から学ぶべき事がございましたかな。」


俺から見ても、学ぶべきところはあると思う。それぞれ形は違うけど志がある。俺としても後継者に相応しい考えを知って良かったと思う


「うむ、確かに学ぶべき事がいっぱいあるな。」


「それはようございました。」


茶会は終わり、それぞれ挨拶を済ませた後、秀次と秀忠は自分の屋敷へと帰っていった


「内蔵助、ワシも負けてはいられぬな。」


「左様ですな。」


その後、俺は元和3年(1617年)に亡くなり、3人の動向を見てみよう


まず2代将軍、織田信忠は様々な諸法度を設け、海外遠征を推し進めつつ、殖産興業にも尽力した。外国の産物を日本で栽培し、日本の特産品が増え、食糧自給率が上がり、民の暮らしが豊かになり、織田幕府の礎を築き、日本だけではなく植民地支配に多大な手腕を見せ、海洋国家としての礎を築いた。俺の娘婿である3代将軍織田信武に家督を譲った後、大御所として権勢を奮った。寛永2年(1625年)に大坂にて亡くなった。享年68歳


「父上、内蔵助、ワシはやったぞ!」


次に羽柴秀次は、法度を定め、商いを充実させ、特産品の奨励を行った。更に庶民でも学べる学問所を作り、筑前・筑後の庶民の識字率が上がり、更に様々な特産品を生み出したことで、国を富ますことに成功し、羽柴家隆盛の基礎を築いた。秀次は叔父の羽柴秀吉や羽柴秀長とは違い、子沢山で後継ぎを設けつつ、血を絶やさないために分家を作り、羽柴家は現代まで繁栄し続けた。その後、羽柴秀次は承応元年(1652年)に亡くなった。最後は息子・孫・ひ孫に見守られ、静かに息を引き取ったという


「叔父上、秀次はやりましたぞ!」


最後に徳川秀忠だが、父である徳川家康以上の優れた政治手腕を発揮し、3カ国【三河国・遠江国・駿河国】を繁栄させることに成功したが、一つだけ致命的なミスを犯した


「ううむ、竹千代(後の徳川家光)は病弱、いつ死んでもおかしくない。こうなれば次男の国松(後の徳川忠長)に期待するほかない。父上は長幼の序を重んじろと言うが、父上だって人の事、言えないではないか。」


秀忠は病弱な竹千代よりも、利発で文武両道の国松に英才教育を施した。英才教育を受けた国松は将来性のある立派な若者に育ち、名を徳川忠長と名乗った。嫡男である竹千代は病弱ながらも成人し、徳川家光を名乗った。秀忠は家光を出家させようとしたが、家臣たちによる争いが勃発した


「嫡男である徳川家光様こそ、後継ぎにするべきだ!」


「いや聡明な徳川忠長様こそ相応しい!」


家臣団の争いを止めようとする秀忠だったが、争いは収まらず、秀忠は無理矢理でも家光を出家させ、忠長を後継ぎにしようとしたが、そこへ幕府の介入を受け、領地は没収となり、川中島4郡へと国替えとなった。徳川秀忠は隠居謹慎、徳川家光と徳川忠長は流罪となった


「はあ~、こんなことだったら、家光を後継ぎにすれば良かった。」


秀忠は自分の判断ミスで徳川を弱体化させたことに心を病み、隠居屋敷に引きこもるようになった。その後、秀忠は寛永8年(1631年)に亡くなった。その後の徳川家は徳川正之が跡を継ぎ、父譲りの政治手腕を発揮し、家運を盛り返し、現代まで徳川の血筋を残したのである

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