外伝5:ひょうげもの

新名内蔵助だ。今は織田信長の下で御伽衆として仕えている。俺は御伽衆の他に新名屋の経営者であり、茶人でもある。そんな俺に、とある人物が尋ねてきた


「新名殿、某を茶の弟子にしてくだされ!」


俺に茶の弟子入りをしてきたのは古田左介重然、未来でいう古田織部である。と言っても古田織部と名乗るのは信長が亡くなり、秀吉の世になってからであるが、現に信長は生存しており、今の古田重然は一介の旗本にすぎない


「古田殿?なぜ私に茶を習いたいのでしょうか?」


「はい、某、天正11年(1583年)までは茶の湯に全く興味はございませんでしたが、田中与四郎様から茶の湯を教授され、茶の湯に魅了されました。某は田中与四郎殿に弟子入りをしようとしましたが、断られました。」


「ほお~、しかし解せませんな。なぜ私に?」


「はい、田中与四郎殿から、新名殿に弟子入りを勧められました。飛ぶ鳥を落とす勢い新名内蔵助殿に弟子入りした方がいいと与四郎殿が申されました。」


おいおい何、勝手な事してんだよ。俺が受けるかも分からないのに、勝手に勧めるなんて、全くこっちの身にもなれよってんだ


「古田殿、私は人に教えるほどの器はございません。私よりも優れた人が良いと思いますが・・・・」


「新名殿、そう自分を卑下してはなりません!新名殿はご存知ないのかもしれないが、新名殿に弟子入りしたい者は数多くおります!某も新名殿の御名と評判を聞いたときは、某の中でビビッときましてな。何が何でも新名殿に弟子入りしたいと思い、罷り越しました!」


えっ!そんなにいるの!俺に弟子入りしたい奴!まあ悪い気はしないが・・・・


「はあ~、分かりました。弟子入りを認めます。」


「ははっ!有り難き幸せ!」


その後、古田重然は正式に俺の茶の湯の弟子となり、俺の持つ茶の湯の技量と作法を教えた。古田重然は俺の掲げる【初客心茶】に感銘を受け、自分も師と同じくあろうと努力をした。しかし俺は古田に対してこう言った


「古田殿、私の真似をするな。古田殿ご自身の茶を目指しなされ。」


「某自身の茶でございますか?」


「そう茶の湯は日々、進化していく。誰よりも工夫をしていかなければいけない。古田殿は私の真似をせずにご自身の茶の湯の道を開花なされ。」


「宗匠・・・・分かりました!某の茶の湯の道を究めてみせまする!」


その後、古田重然は自身の茶の湯に工夫に工夫を重ね、そして今までの質素で地味な茶の湯とは違い、派手で遊び心満載の茶の湯にたどり着いた。古田重然の茶の湯は老人たちから受けが悪いが、若者には大変人気が高く、彼に弟子入りする人が続出した


「それにしても派手だね。」


俺は古田重然から茶の湯に招かれ、来たのだが茶の湯の席はまさに派手だった。とにかく赤や黄色等、明るい色を使った茶席だった。そして何より、古田重然が使う茶碗が変わっていた。子供の落書きにように描かれた絵、形が歪んでおり、正直に飲めるのかすら分からない程の茶碗だった。今までの作品にない歪みや、型作りによる奇抜な形を意図して作られたといえる


「おお、宗匠。お待ちしておりました!」


「ああ、それにしても随分と奇抜な事をするな。」


「はい、某は工夫に工夫を重ね、今に至りました!」


「ああ、遊び心満載でなかなか面白いな。」


「畏れ入ります。」


俺は茶席に座り、茶席を一望すると本当に派手である


「宗匠、もう一人、客人を招いておりまする。」


「ほお、誰かな?」


「はい、おお、来られました。」


俺は後ろを振り向くと、派手な傾奇者の服装を着た男と一頭の馬がやってきた。誰だろうと観察をしていると・・・・


「いやいやお師匠、お待たせして申し訳ござらん♪」


「宗匠、この御方は某の茶の湯の弟子の前田慶次郎利益殿です。」


前田慶次郎利益・・・・ということは前田慶次か!某漫画の影響で前田慶次のファンが多く、数々の武勇伝を残している。漫画の影響で前田慶次は大男のイメージがあったが、実際に会うと一般的な戦国時代の男性の平均身長と変わらない。せいぜい160㎝くらいだ


「お師匠、この御方はどなたですかな?」


「ええ、某の茶の湯の師匠である新名内蔵助殿です。」


「おお、これはこれはご無礼仕った!某は前田慶次郎利益にござる!以後、お見知りおきのほどを!こちらは我が愛馬の松風でござる!」


やっぱり松風か!漫画の影響で巨大な馬の印象を受けるけど、実際は日本在来馬と変わらないほどの大きさだ、まあこの時代の人間の平均身長には丁度良いのかもしれない


「これはこれはご丁寧に、私は新名内蔵助にございます。古田重然殿に招かれましてございます。」


「いやあ某も新名殿がいらっしゃると聞いていたら、正装で臨んで居り申した!お師匠は肝心な事は言わないんですからな♪」


「いやあ、すまんすまん!次から気を付けるよ♪」


「ははは・・・」


俺と古田重然と前田慶次、3人の茶会が始まった。派手な茶席とは違い、静かだった。小鳥の囀りと茶釜の湧く音、そして歪な茶碗に抹茶を入れ、お湯を注いで、茶筅でかき混ぜた


「宗匠、どうぞ。」


「うむ、いただきましょう。」


俺は茶の作法に則り、茶を飲んだ。歪な茶碗なため、飲み口が限られている。俺は茶を一服した後、口をつけたところを指で拭き取り、懐の懐紙で拭き、茶碗を前田慶次に渡した。前田慶次も茶の作法に則り、茶を一気に飲み干し、口をつけたところを指で拭き取り、懐の懐紙で拭いた


「結構な御点前でござった。」


茶を飲んだ後、そこから談笑が入った。すると前田慶次は俺に絡んできた


「しかし新名殿もなかなか傾いた生き方をしておりますな。」


「私がですか?」


「勿論、元は織田家の家臣だったのに、商人になるために実家や婚家から絶縁され、主君の下から去り、いつの間にか天下に名を轟かすほどの豪商になったのですから。」


「ははは、今にして思えば、若気の至りですな。」


「いやあ、人生、何があるか分かりませんからな。分からぬがゆえに面白い!新名殿の人生はまさに破天荒を絵に描いたような生き方ですな♪」


「ははは、褒め言葉として受け取っておきます。」


「実は某も、実家から絶縁されておりましてな。なあに、前から不仲だった義理の叔父にあたる前田利家殿を水風呂に入れ、叔父の愛馬であった松風を奪い、家族を捨てて逃亡いたし申した、今が絶賛、牢人中でござる(笑)」


そういえば前田利家と不仲だったのは、前田慶次の義理の父である前田利久に病弱を理由に織田信長から前田家当主の座を奪い、お気に入りの家臣である前田利家に与えたのがきっかけだろう。それが影響してか、前田慶次は傾奇者として生きている。前田利家はかつて傾奇者だったことから当てつけじゃないかと言われている


「前田殿も傾いた生き方をしておりますな。」


「ええ、某がお師匠に弟子入りしたのもお師匠の傾いた茶の湯に惹かれましてな。」


「確かに変わってますね。」


「これも何かの縁、傾いた者同士、仲良くしましょうや♪」


前田慶次は俺の背中をバシバシと叩きながら笑顔で語った。実は俺、前田慶次の大ファンであり、一度会ってみたいと思ったが、向こうから仲良くしたいと言ってきたので受けることにした


「こちらこそよろしくお願いします。」


「おお、こちらこそ♪」


「あの、某をお忘れか?」


俺と前田慶次の会話に入りづらかった古田重然は苦笑いを浮かべながら、話しかけた


「「申し訳ない、古田殿(お師匠!)」」


「ははは、ちなみに某の茶の湯はひょうげた茶でござる。」

「「ハハハハ!なるほど、それは面白い!」」


俺と古田重然、前田慶次は定期的に茶会を開き、交流を深めた。その後、前田慶次は慶長17年(1612年)、京の前田慶次邸宅にて亡くなった。前田慶次の葬式には俺だけではなく多くの人が訪れた。彼が多くの人々に愛され、慕われているのが分かる。そして俺の死後、古田重然は寛永2年(1625年)に京にて亡くなった。彼の葬式は、まさに派手で多くの人々が魅了したのであった

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