外伝6:伊達と真田

新名内蔵助だ。現在、織田信長の御伽衆として頑張っている。信長からの無茶ぶりに答えつつ、俺はある人物と会っていた


「新名殿!お初にお目にかかる!伊達藤次郎政宗でござる!以後、お見知りおきのほどを!」


俺の目の前に独眼竜の異名をとる伊達政宗がいた。なぜ伊達政宗がいるかって?それは俺の主君である織田信長が伊達政宗の傾奇っぷりを気に入り、俺に引き合わせたのである


「利三、こやつはなかなか面白き奴じゃから、そちにも引き合わせておこうと思ってな。」


「それはそれは、こちらこそお初にお目にかかります。新名内蔵助にございます。よろしくお見知りおきを。」


「いやあ、こちらこそ天下の茶人、新名内蔵助殿にお会いできて光栄です!是非、某を茶の弟子にしてくだされ!」


おいおい、初対面の人間に対して、俺の弟子になりたいとは、やはり史実通りだな。ちなみに信長と政宗の対面についてだが、実は伊達輝宗と共に伊達政宗も大坂に参り、織田信長に対面した。その時、伊達政宗は織田信長に対してこういったという


「伊達藤次郎政宗にございます!10年早く生まれていたら、某が天下を取っておりました!」


10代後半の小僧が織田信長本人に大胆不敵ともいえる発言をした。父である輝宗から叱責と折檻を浴びせられ、織田家家臣たちから無礼だと非難轟轟だった。とうの信長はというと・・・・


「ほお、天下を取るか・・・・・ワシを前にしてもか?」


「天下を取るためなら、相手が誰であろうがやる!」


「ハハハハハハハハハハハ!気に入ったぞ、政宗!」


信長は怒るどころか、政宗の事を大層気に入り、政宗を寵愛した。それがきっかけで、今、俺の目の前にいるわけだ。それにしても、この若者は本当に物怖じとしないというか、ふてぶてしいというか、若気の至りって奴かしらね


「そこまで言うとは、なかなか肝の据わった若者ですな。」


「何、言ってるんだ利三、そちだってワシが明を攻めようとした際、ワシに意見したじゃろうが!」


「はは、畏れ入りまする。」


「まあ利三のおかげで、領土が拡大できたから良かったがのう。」


「某も新名殿の評判を聞き、是非、お会いしたいと思い、上様にお願いした次第!」


まあ、こうして伊達政宗と会えただけでも良しとしよう。俺は早速、茶の湯の用意をしようとした矢先・・・・


「上様、徳川三河守様がお越しになられました。」


「おお、そうか。政宗、丁度良い、利三の茶を飲んでけ。」


「ははっ!有り難き幸せ一!」


「では行くぞ。源次郎。」


「ははっ!」


信長に声をかけたのは真田源次郎信繁、後の世で人気が高い真田幸村である。真田安房守昌幸の次男として生まれ、最初は滝川一益の人質だったが、なんやかんやで織田信長の馬廻衆として仕えている。温和で明るく、周りに好かれる性格で、信長から大層、気に入られている。まさか戦国で人気が高い真田幸村と伊達政宗と会えるなんてラッキーだな


「さて伊達殿、茶の湯はご存知ですかな?」


「多少は。」


「そうですか、では始めましょう。」


俺は瑠璃色の天目茶碗を取り出した。政宗は瑠璃色の天目茶碗に見惚れていた


「新名殿!その茶碗は!」


「はい、手前が雇っている大陸の焼き物職人のお手製にございます。」


「おお!大陸の焼き物にござるか!」


俺は既に熱くなっていた茶釜からお湯を柄杓で取り出し、茶碗に入れ、清めた。そのお湯を建水に入れた。そして抹茶の入った茶器から、抹茶の粉末を茶杓で掬い瑠璃色の天目茶碗に入れた後、柄杓でお湯を取り出し、茶碗に注いだ。注いだ後は、茶筅でかき混ぜ、お茶が出来上がった


「さあ、どうぞ。」


俺は茶碗を政宗に渡した。政宗は瑠璃色の天目茶碗を恐る恐る手に取り、茶の作法に則り、少しずつ飲んでいき、最後は一気に飲み干した。口をつけたところを指で拭き取り、懐紙で拭いた


「結構な御点前にございました!」


「畏れ入ります。」


「新名殿、どうか某を茶の弟子にしてくだされ!」


「まあ、構いませんが・・・・」


「ははっ!有り難き幸せ!」


その後、伊達政宗を俺の茶の弟子とし、交流を深めた。数日後、俺の茶席に2人の客人が来ていた。一人は伊達政宗、もう一人は真田信繁である


「新名様、此度は茶の湯の席にお招きいただき光栄に存じます!」


「源次郎殿、そう堅苦しいことが抜きにしましょう。伊達殿もそうであろう?」


「勿論!茶の湯は身分に関係なく、誰でも茶を学べるんだ、真田の子倅も遠慮するな。」


「ははっ!有り難き幸せ!」


なんでこの2人を招待したかというと、やはり戦国ファンとしては、この2人を引き合わせたいと思った。ゲームやアニメでは伊達政宗と真田幸村はライバルとしてアピールしているが、実際2人が戦場であったのは大坂夏の陣である。2人は一進一退の攻防を繰り広げ、最後は互いに称賛しあった。真田幸村の娘が片倉小十郎景綱の息子、片倉小十郎重長に嫁ぎ、また真田幸村の息子である大八(後の真田守信)を匿ったくらいだから、どこかしら2人の友情が育まれたのかもしれない


「さあ、茶ができました、どうぞ。」


俺は最初の客である伊達政宗に瑠璃色の天目茶碗を渡した。以前と違い、伊達政宗は茶碗を手に取り、茶の作法をやった後、茶を飲み、口をつけたところを指で拭き取り、懐紙で拭いた。次に真田信繁だが、やはり高価な茶碗を恐る恐る手に取り、茶を飲み、口をつけたところを指で拭き取り、懐紙で拭いた


「結構な御点前でした!」


真田信繁が茶碗を返したところ、伊達政宗が話しかけた


「おいおい、そのように手を振るえてしまっては満足に茶が飲めんだろうに。」


「いやあ、瑠璃色の天目茶碗を割ってしまわないか、心配で・・・・」


「源次郎殿、形ある物がいつかは壊れるのです、お気を楽になさい。」


「いや新名様の前で・・・」


「ハハハハハ!真田の子倅も意外と臆病なところがあるな♪」


「伊達殿、臆病も大切ですぞ、戦場においていつ首を取られるか分かりませんからな、それに伊達殿も最初は恐る恐る茶碗を触っていたではないですか?」


「いや、ははは。」


「へえ~、伊達様が♪人の事、言えませんね♪」


「ははは・・・・」


俺がそういうと政宗は苦笑いを浮かべ、信繁もニヤリと笑った。何だかんだあって茶会は終わった。二人の関係だが意外と馬があったのか、これを機に仲良くなったという。まあ、仲良くなって良かったと俺は微笑ましく見るのであった


その後の2人についてだが、伊達政宗は蝦夷地、樺太、千島列島、カムチャッカ半島、アラスカ、カナダへと八面六臂の活躍を見せ、寛永13年(1636年)に69年の生涯を閉じた


続いて真田信繁は織田信長・織田信忠・織田信武に仕え、諸大名との調整役として活躍し、イスパニアとの戦では温和な性格とは打って変わって、鬼神の如き大活躍を見せ、イスパニアの兵士たちを震え上がらせる等、天下に勇名を馳せたのである。真田信繁は寛永14年(1637年)に70年の生涯を閉じた


二人は別々に活躍しつつも、互いに手紙のやり取りを欠かさず行った。二人の死後、両家の蔵から伊達政宗と真田信繁の手紙が多数見つかり、二人の友情エピソードが伺わせる内容が含まれていた。後に2人はドラマ・アニメ・ゲームと知名度が上がるとともに人気が高まり、一部の腐女子から二人はデキてると妄想を掻き立てる等、良くも悪くも有名になったのはいうまでもなかった。そのきっかけを作ったのは新名内蔵助であることは二人の人気が高まるとともに、有名になったことは本人は知らないのであった


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