外伝3:日ノ本伴天連教
織田信長は九州を制圧した後に、衝撃の事実が分かった。何と南蛮人宣教師による奴隷売買である。これに加担していたキリシタン大名たちに激怒した信長は南蛮人宣教師を国外追放し、所領を安堵したにも関わらず改易となった
「ワシは何のために・・・・」
大友宗麟は織田家に降伏したが、奴隷売買に加担した事で改易となり、大友家は没落したのである。特に宣教師による奴隷売買に誰よりも落胆したのは高山右近と小西行長である
「これが宣教師の正体・・・・」
「我等は何のためにデウスを奉ったのか。」
熱心なキリシタンであった二人は此度の南蛮人の奴隷売買に悪い意味で衝撃を与え、いつしか改宗を考えるようになった。その後、故あってか堺に訪れ、親交のあった新名内蔵助の下を訪れた
俺こと新名内蔵助は二人が尋ねてきたと奉公人から知らせを聞き、二人を出迎えたが、二人は焦燥した様子だった
「高山様に小西様、九州での凱旋、おめでとうございます。」
「「あ、ああ。」」
空返事をする二人に俺は茶室へと案内した。九州で何かあったのかと思い、話を聞こうとした
「どうなされたのですか、御二方?九州で何かあったのですか?」
俺が尋ねると高山右近が口を開いた
「ワシは何のためにデウスを信仰したのだろうか・・・・」
俺はワケを聞くと、九州で宣教師による奴隷売買が発覚したのだ。それを間近で見た二人は改宗しようかどうか迷っていたらしい。熱心なキリシタンでデウスの教えに従い、人民の救済に尽力していた二人は殊の外、落胆していたようである。なぜかは知らないが、ふと俺は仏教を思い出した。仏教もかつては天竺(インド)発祥の宗教であり、中国、朝鮮、そして日本へと伝わり、やがて日本独自で宗派を増やしたのである
「だったら日ノ本独自の伴天連教を作れば良いのでは?仏教も元は天竺の宗教であり、独自で宗派を増やして日本の宗教として扱われていますから・・・・」
俺は仏教と同じように日本独自で宗派を作ればいいと二人に言うと・・・・
「「それだ!」」
二人の目に光が宿り、俺に礼を述べた後に、足早に去っていた。小西行長は父である小西隆佐に相談の上、高山右近と協力して日本独自のキリスト教である【日ノ本伴天連教】を起ち上げた
「よし、まずは上様の御許可をいただこう。」
高山右近は早速、安土にいる織田信長を訪ね、【日ノ本伴天連教】の布教の許しを得るために説得を続けた
「右近よ、南蛮の宣教師共はこの国の民を奴隷として海外に売り飛ばしたのだぞ、そやつらの宗教を祀って何になる?」
「上様、我等は我等で、南蛮人の伴天連教と一線を画し、日本独自の伴天連教を広めるのです!私は南蛮人宣教師のように奴隷売買を一切せずに、純粋にデウスの教えを広めたいのです!」
右近の熱心な説得に信長は根負けし、許しを得ることが出来た
「そこまで言うなら、好きにせい。」
「ははっ!ありがたき幸せ!」
信長の許しを得た高山右近は同志である小西行長と合流し、【日ノ本伴天連教】として活動した。初めは九州での宣教師による奴隷売買が広まり、思うように集まらず、陰口を叩かれるばかりだった
「日ノ本伴天連教だってよ、あほらしい。」
「きっと陰で奴隷売買してるぞ。」
そんな状況下であっても高山右近と小西行長は諦めずに、学校と病院と孤児院を設立し、人民の救済に尽力した。やがて【日ノ本伴天連教】の評判が良くなり、やがて人々に受け入れられたが、ある壁にぶつかった。それは仏教である。京・奈良で活動する仏教徒たちは【日ノ本伴天連教】と対峙した
「奴隷売買を積極的に行う南蛮の宗教を信じられるか!」
「そうだ、寺社仏閣を破却した罪は免れないぞ!」
九州で奴隷売買と共に寺社仏閣を破壊したのも知られており、高山右近と小西行長は信長の許しを得て、大坂にて宗論を行った。高山右近と小西行長は九州での南蛮人の宣教師による奴隷売買と寺社仏閣の破壊について非を認めつつ、自分たちは純粋に人民救済のために頑張っていることを主張した。仏教徒たちは頑として信じなかった。信長はいつまで経っても収まらない宗論に苛立っていたが、そこへある人物がアドバイスをした
「だったら、【日ノ本伴天連教】の実態を仏教徒たちに見せればよろしいのでは?」
アドバイスをしたのは御伽衆として召し抱えられた新名内蔵助である。これに信長も同意し、仏教徒の代表者を【日ノ本伴天連教】の下へ訪れ、実態を調査するよう命じた。高山右近と小西行長は快く受け入れた。仏教徒たちも信長の命には逆らわず、逆に【日ノ本伴天連教】の正体を暴いてやろうと躍起になった。その後、高山右近と小西行長は親切丁寧に説明をし、実際に【日ノ本伴天連教】の活動に触れた仏教徒たちも反論できず徐々に受け入れていった。このことがきっかけで【日ノ本伴天連教】の評判が上がり、信仰する人々が増えていった。そこへある夫婦が訪れた
「これは細川殿。」
「うむ高山殿、久しぶりだな。」
「そちらの御方は?」
「ああ、妻の玉だ。」
被り物を来た女性の正体は明智光秀の娘であり、細川忠興は妻である玉である。あの細川忠興は玉を連れてきたのである。普段の細川忠興は文武両道の教養人だは、性格は冷徹で短気、妻である玉を愛する熱烈な愛妻家である。玉自身も絶世の美女であり、普段は屋敷から出さなかったが、何のきっかけか、キリスト教に目覚めたのである。九州での南蛮人宣教師の蛮行を知っている忠興は改宗を迫ったが、頑として改宗しない玉に苛立ちを覚えていた。しかし愛する妻に強くも出られず、悶々とした日々を送ったが【日ノ本伴天連教】の評判を聞きつけ、玉を連れて訪れたのである。被り物を着た玉は高山右近に尋ねた
「高山様、ここならデウスの教えを学べると聞きました。」
「はい、我等はこの国独自でデウスの教えを広めようと思い、日々、精進しております。」
「私も学ぶことができましょうか?」
「はい、ここでは身分や性別に関係なく学べます。細川殿もどうですか?」
「うむ、まあ、聞くだけ聞くが・・・・」
その後、細川忠興は高山右近らの教えに聞き惚れ、本格的に【日ノ本伴天連教】に入信することを決めた。妻の玉も夫と同じように入信し、積極的にデウスの教えを学んだ。それがきっかけで、二人は仲直りしたのである。徐々に信者を増やしていった高山右近と小西行長にある一人の尼僧が尋ねた
「どうかなされたのですか?」
「はい、どうしても聞いてほしいことがありまして・・・・」
その女性の名前は天心院、出家前はお安と言い、かつて商人になりたいという元夫と離縁し、実家に戻り再婚したが、2人の息子が安土城下で、かつて離縁した元夫を襲う事件を起こしたそうである。それがきっかけで、離縁した元夫の実家と自分の実家が御家断絶の危機に瀕したが、離縁した元夫が助命嘆願したことで息子の命と御家の断絶は免れたが、主君である織田信長の息子と甥に家を乗っ取られ、やがては独立し蝦夷地へと移ったようである。離縁した元夫を内心では怨んでいたが、実の息子に襲われたのにも関わらず、助命した元夫に内心、複雑な思いを抱いたそうである
「それはおつらい日々を送られたようですね。」
「はい、夫が亡くなり出家いたしましたが、この心の雑念が消えず、どうすればいいのか迷っておりました。」
「うむ、では一度、デウスの教えを受けられてはいかがか?もし、その雑念も消えるかもしれない。」
「・・・・分かりました。」
やがて、その尼僧はデウスの教えに魅了され、入信したのである。彼女と同じように夫に離縁した女性と共に心安らかに日々を過ごしていったのである。やがて【日ノ本伴天連教】は日本の植民地にも広めた。ルソンで布教活動していた高山右近はルソンにて1615年に没したのである。京で活動していた小西行長も1625年に亡くなった。その後の【日ノ本伴天連教】は若きカリスマ、天草四郎時貞が指導したのである
後に日本でのキリスト教の活動については、九州での宣教師による人身売買を目撃した日本のキリシタンたちは、独自で日本のキリスト教【日ノ本伴天連教】を作ろうと決意した。織田信長・織田信忠の許可を得て、日本だけではなく、日本の植民地にも【日ノ本伴天連教】を布教させた。本場キリスト教のローマ・カトリック教会からは東洋の野蛮人が作った似非キリスト教と見なされ、異端視されたが400年後、ローマ・カトリック教会は【日ノ本伴天連教】に謝罪し、同じキリスト教として扱った。高山右近と小西行長は【日ノ本伴天連教】の教祖として祀られたが、なぜかは知らないが新名内蔵助は【日ノ本伴天連教】の教祖の一人として祀られたのかは新名内蔵助本人は知らずにいたのは言うまでもなかった
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