最終話(上)

俺こと新名内蔵助、現在、織田信長の御伽衆(知行1万石)として仕えています。史実の斎藤利三も1万石を与えられて丹波黒井城主になっている。城主ではないが1万石は大名並みの石高であり、何か因果を感じた。まあ、それは置いといて、信長は俺の方策に従い、織田家は蝦夷地・琉球・高山国・ルソン等を攻め、次々と支配下に置いた。支配下に置いた土地は多くの大名が派遣された。その中には美濃織田家から離れ、蝦夷地へ国替となった稲葉・斎藤両家も含まれていた。そんな大坂城内の茶室にて信長からある知らせを受けていた


「利三、明が琉球と高山国を無断で支配した事について抗議しているぞ。」


どうやら明国が動いたようである。琉球は明の冊封国(さくほうこく)であり、高山国は支配下に入ってはいないが、現地に住む原住民の他に、多数の大陸の人間が移住しているため、日本が琉球と高山国を占領した事に激怒しているらしい。大陸の人間は世界で一番偉いという自負というか、傲慢な所があり、現代でもそれが続いている


「心配ご無用です。明国は北虜南倭という問題を抱えています。北虜とは北方の騎馬民族の事です。南倭は倭寇を指しています。北虜南倭は長年に渡って明を悩ませています。倭寇はこちらの支配下に収まり、海上封鎖を致しました。仮に軍を派遣しても船での戦になりましょう、武力と機動力と火力が勝る我が国の力を見せつけ、なおかつ経済を締め上げれば、向こうは根を上げます。」


「うむ、それを聞いて安心した。」


「畏れ入ります。」


俺の言った通り、明国は軍船を派遣したが、南蛮船の機動力で明国の軍船を翻弄させ、ライフリング式のフランキ砲を前に、軍船は沈められた。また商船も襲い、大陸の品々を奪い取った。明国は朝鮮にも出撃を命じたが、南蛮船とフランキ砲を前に軍船を沈められ、朝鮮も身動き取れない事態に陥った。更に明国や朝鮮をある問題が襲い掛かった、飢饉や旱魃である。穀物の不作により、もう琉球や高山国には構ってはおれず、琉球と高山国は正式に日本の領地となったのである


「はあ~、上手くいって良かった。」


俺は大坂で用意された屋敷で、味方が勝利した事に安堵した


「「「父上!」」」


「こら、父上は仕事中ですよ。」


「あぷ。」


「いいよ、ほれ、お前たち♪」


幸松・お香・お燐、そして1586年に生まれた次男の福丸、1588年に生まれた三女のお風(ふう)である。楓とともに子供たちも大坂に住み、店も開いている。伝兵衛たちは堺に残って頑張っている


そんなある日、徳川家康が当屋敷にやってきた。最初、何用でやってきたのか、警戒しつつ茶室へ招いた


「新名殿は、倅に殺されそうになったのにも関わらず命を助けたと聞いたのだが・・・・」


「え、ええ。全て、私の身から出た錆にございます。」


聞いてきたのは利康と利宗の事である。まあ、元舅の稲葉一鉄の助命もあったが、さすがに見殺しにすると、後味悪いからな・・・・


「ワシには信康という倅がおった。」


「聞いております。」


「・・・・せめて信康だけは出家させれば良かったのかのう。」


家康はやはり我が子を殺した事を悔いているみたいだ。通説では信長の命令で信康が母である築山御前とともに自害した事になっているが、現実は親子仲の悪さと、家臣たちの軋轢によって築山御前と松平信康が自害している。信長が死ねば、信長のせいにできるが、現に信長は生存しており、後味の悪い結果となってしまった


「畏れながら、後悔しても、もう遅そうございます。是非もなしという事にございます。」


俺は信長がよく言っていた「是非もなし」を使い、家康を遠回しに慰めた。俺が言えることはそれぐらいである


「是非もなし・・・・か。」


「さて茶ができました、どうぞ。」


「・・・・忝い。」


家康は茶碗に入ったお茶を一気に飲んだ。妻子殺しの悪行を吞み込む男の姿であった。茶を飲んだ後、家康は礼を述べたのちに屋敷を去るのであった。その背中はどこか空しい感じがした


「寂しい背中だな。」


家康の話は置いといて、ルソンだが、イスパニアとの領地争いが起きたが、圧倒的な日本の軍事力を前にイスパニアは手も足も出ず、ルソンの領有権を日本側に譲り、ルソンは日本の領地となった


「一時はどうなることかと思ったが、ルソンを支配下に収めることができたな。」


「はい、向こうも距離の問題がありますからね。これ以上の犠牲を避けたのでしょう。」


「うむ、蝦夷地の方はどうだ?」


「はい、アイヌの文化を認めつつ、時をかけて、じっくりと日ノ本の民と同じように扱います。急がば回れという諺もございます。後は未来の者たちに委ねましょう。」


「うむ、我等のやるべきことは、その礎を築くことだな。」


「御意にございます。」


織田信長が征夷大将軍に就任してから2年後、息子の織田信忠に譲り、大御所として信忠を支えた。俺はその信忠に呼ばれてきた


「内蔵助よ、そちのおかげで、父上の明攻略を断念され、新たに領地を得ることができた。礼を申すぞ。」


「勿体なきお言葉、畏れ入ります。」


「ついてはそちに尋ねたいことがある。」


「何なりと。」


「うむ、ここで領土侵攻を止めて鎖国をすべきかどうか悩んでいる。そちの意見を聞きたい。」


信忠が聞いてきたのは、領土侵攻か、鎖国かである。俺はありのままを答えた


「はい、まず鎖国をすれば、国は収まり、国内で戦は起きないでしょう。しかしそれは一時の事、100年、200年先は南蛮の力が増し、この国に攻め入るでしょう。鎖国をした状態の日ノ本では恐らく勝ち目はないでしょう。」


それを聞いた信忠は渋い顔をした。信忠自身もどう国を治めるか考えた上での方策なのだろう、今の段階なら国は収まるだろう、あくまで今の段階である。だが100年~200年先の未来となれば、話が変わる。我が国も南蛮に後れを取らないように、強き国を作らなければならないのだ


「ですが領地を広げすぎて、統治がままならないこともございます、鎖国はしませんが、ある程度、領地を広げたら、獲得した領地の開発をしましょう、さすれば南蛮もつけ入る隙がない国を作れます!」


「うむ、そちの言う通りにしよう!」


信忠の考えも取り入れつつ、国内と獲得した植民地の発展に尽力する方向で決定した。そこから歳月が経ち、信長は病に倒れ、床から起き上がれない状態にまで衰弱した。俺は臨終の席に呼ばれた


「利三よ・・・・」


「ははっ!」


「ぬしとの遊び、楽しかったぞ・・・」


「はっ!」


その遺言を聞いてから数日後に織田信長は1604年に永眠した。享年は70歳、普段は塩辛い料理や甘い菓子を好んだが、天下統一後の領地拡大のため、節制を心掛け、医者の忠告を聞き、健康に気を使った結果、70歳まで生きることができたのである。信長も年を取ったせいか、今まで食べていた塩辛い料理が受け付けなくなり、京風の料理を食べるようになったらしい


俺は信長が死んだあと、御伽衆を返上しようとしたが、信忠に留意され、今度は織田信忠の御伽衆となった。そして俺も75歳になり、老齢のため、御伽衆の座を退いた


「はあ~、親子揃って、人使いが荒いな。」


気付けば75年、俺はようやく平穏の日々を送れそうである


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る