第376話 ルール無用(レイクタウン攻囲戦1)
「怪物殿にも困ったものだな」
「えぇ、全くです」
帝国軍司令官、エヴァラトルコヴィッチ中将の言葉に側仕えが反応した。
「まあ、彼は思考からして我々とは別次元ですから」
「言えてる」
4千の兵士の中央付近を進むエヴァラトルコヴィッチは、昨日夜のやり取りを思い出すと、今も少しイライラしていた。
なんと、じっくり品定めしたいから初めは後ろで見ている、だそうだ。
流石帝国宮廷武官、考えることも発現することも常人の遥か向こうを行く。
普通の兵士がそう言ったのなら、単に前線に立ちたくないから適当な理由を探しただけだと断じるところだが、彼の場合大真面目だから余計始末に負えない。
奴に品定めされる公国兵が可哀そうだと、エヴァラトルコヴィッチはここ最近殺し合いを演じている敵のことを憐れんだ。
「あぁ、そう言えば」
エヴァラトルコヴィッチは何かを追加で思い出したように手を叩く。
「もう一人の方はどうなんだ?」
「は、それが——」
彼の周りを固める兵士はやや言いにくそうに言い淀んでいたが、中将にジッと見つめられて観念する。
「それが、温泉が出たから入ってから向かうとの事で」
「……すまん。意味が分からない」
「なんでも配下の方が地中を掘り進めたら出たらしく……」
「いや、それでも意味が分からないのだが」
「私も同じ感想です」
「はぁ。まあいいか」
人間を辞めた連中の頭の中なんて、想像することは不可能だ。
分からない要素のことを心配するよりも、分かっている手札で出来ることをしよう。
エヴァラトルコヴィッチという男は、切り替えが非常に速かった。
「向こうからの連絡はどうなっている?」
「は、3日後には必ずと」
「よし、十分だ」
男は馬上でほくそ笑んだ。
ここまでのシナリオは、恐ろしいくらいに順調に進んでいて、思わず感情が漏れてしまったのだ。
とはいえ、計算外が全くなかったわけではない。
コートランド川で初戦を落とすのは予期していなかったし、他にもいくつも未知の現象に遭遇してきた。
それでも、大筋は変わっていない。
それだけで、エヴァラトルコヴィッチの計画は順調であると言える。
「報告! 先鋒を務める第113、第122大隊の配置完了しました! いつでも始められるとの事です!」
行軍してくる方向から逆走してきた伝令は、下馬してそう伝えた。
本日の戦う準備が完了したと、そう言っている。
天候は晴れ、戦うには少し熱いかもしれないが、まあ不足はない。
「手筈通りに動けと念押ししろ。開始だ」
「はっ!」
司令官の合図とともに、突撃の銅鑼が鳴った。
これをきっかけにして、帝国軍はレイクタウンに立て籠もる公国軍に襲い掛かる。
※※※※※※※※※※※※※※※
ウル帝国歴1581年10月6日。
カナン公国東部、サタロニア地方レイクタウン。
人口1万人弱の小都市に、公国軍3千が立て籠もる。
これを攻略しようと動き出したのは、コートランド川を渡って移動してきた帝国軍4千。
頭数の戦力差は1千。
個々人の戦闘力の差、未知数。
帝国兵の軍靴の足音が、城壁の外に広がる街に近づいてきていた。
「来ましたね」
「そうだな」
アラタの隣にいるリャンは、少なからず緊張していた。
もう何度も戦闘に参加しているというのに、未だに戦う前はこうして手が震えるみたいだ。
まあ、慣れることでもないだろう。
「隊長」
「んー?」
「何で敵は正面からだけ来るんですか?」
リャンと比べてカロンは、ほぼ緊張していないように見える。
いつもと同じ、日常と同じ雰囲気で近づいてきた。
こういう差は、あとで地味に響いてくる。
「あー、多分、戦力差がそこまでないからだろ。囲まれたら一点突破すればいいわけだし」
「なるほど」
「とにかく俺らは戦うだけだ」
「了解です」
物見の報告では、敵軍は街から2kmの地点にまで迫っているらしい。
アラタ達防衛側は城壁のその外にある都市に展開を完了させてから、いつ解除されるか分からない待機状態に移行していた。
この時間が、短いようで意外と長い。
アラタは最低でも敵影が確認できるまで、少しコンディションを調整しようと配置から離れていた。
装備を付けたまま、関節部分を中心にメンテナンスをしていく。
2年以上前に手術した右肘は時折痛みが再発するのがネックだが、【痛覚軽減】のスキルで戦闘中に気になることは無い。
屈伸や伸脚から、アキレス腱を伸ばして上半身を軽く動かす。
柔軟な股関節が強力な斬撃を生み出すことを知っている彼は、柔軟体操にも余念がない。
それらを一通り終えて再び配置に戻ると、地平の彼方に土煙が見え始めた。
「準備! 戦闘準備!」
アラタより階級の高い、大隊長や連隊長からの指示が飛び交う。
彼らはこれより市街地で戦闘を行い、ほどほどに戦ってから退却する。
本格的な攻城戦に入る前に、最低限敵の戦力を削っておきたいという意図がある。
「敵影確認! 先方は歩兵だ!」
櫓からの報告を聞いて、現場の兵士たちは少し驚いていた。
騎兵ではないのかと。
確かに何が仕掛けてあるか分からない市街地戦で、貴重な馬を投入するメリットは少ない。
それでも純粋な兵士の削り合いなら根城を構える公国軍が有利なはずで、アラタも魔術師もしくは騎兵、大穴で特記戦力の単騎突撃があると思っていた。
「アラタ」
持ち場を少し離れて、アーキムがアラタの所にやって来た。
「んだよ」
「おかしいぞ。気を付けるべきだ」
「なにに?」
「分からん。もう少し近づいてから判断してくれ」
「おう」
アーキムはそれだけ言うと、またすぐに持ち場へと戻っていった。
普段から変な奴だとアラタは考えつつ、部下の違和感を揉みつぶしたりはしない。
彼が何か仕掛けがあるというのなら、実際敵は何か策を用いてくるのだろうと、彼も信じることにした。
それが外れたら外れたで、また作戦を修正すればいいだけの話。
帝国軍が、ついに地上からでも目視確認可能な距離にまで接近してきた。
まだ遠いので、公国兵の眼は正確な画像を脳に提供してくれない。
ただ、物見やぐらから、望遠鏡を使って監視をしている兵士は、それを見てしまった。
この世のものとは思えない、鬼畜の所業としか思えない帝国軍の悪行を。
「ほっ、報告! 敵は……敵は公国兵を盾にしています!」
その声は、レイクタウン東側のエリア一帯に響いた気がした。
開戦直前で、街の中は大きくざわついている。
それに面積もまあまあ広い訳で、流石に監視役一人の声が戦場全てに伝わったわけではない。
しかし、情報は人から人へ、次々に伝染する。
そしてそれは瞬く間に、最前線を守る第301中隊にも伝わった。
「あー……あー……」
アラタの、他の兵士の中にも、徐々にどす黒い感情が蓄積されていく。
確かに、捕虜の取り扱いに関する取り決めというのは存在しない。
極論、捕虜は奴隷にしてもいいし切り刻んでもいいし、何をしても良かった。
ただ、それは制度上の問題で、実際にそのような残虐な行為が行われることはほとんどない。
なぜならもし仮に自分が捕虜になった時に受ける待遇は、自分たちが敵兵に施したそれと同等のものになるから。
だから、こんなにも公国を舐め腐った行為に対して、アラタの怒りは迸りつつあった。
「総員! 1ブロック後退!」
「聞いたか! 移動だ!」
この意思疎通の速さ、恐らくは現場の判断であろう指示が下る。
当然だ、司令部の指示を仰いでいてはここまで迅速な判断は望めない。
「隊長、下がりましょう」
「あー……そうだな」
最終的に肉壁にされた味方を見捨てる結果になったとしても、そこにはある程度の判断プロセスが求められる。
皮肉なことに、市街地戦を行うにあたって住民の同意を取る段階をすっ飛ばした司令部が、今度は必要なことだからと命の選択をする羽目になっている。
ひとまずは、公国軍を下げることで時間を稼ぐ形だ。
しかし、その様子は当然帝国軍サイドからも見えている。
それなら彼らのとる行動も予測できそうなものだ。
「敵軍加速しました!」
「捕虜を歩かせてるんじゃないのか!」
「台座に括り付けて荷車を動かしています!」
「くそったれ! あいつら人間かよ!」
徐々に下がり始めた公国側最前線にも、敵が接近する音が聞こえ始めていた。
大地を巨大なハンマーで立て続けに叩くような、嫌な足音が何重にも重なって聞こえてくる。
これだけでも軽くトラウマになりそうな迫力と脅迫感を与えていた。
いつか、そう遠くない未来できっと夢に出てくるだろう。
「司令部からの指示は?」
「まだありません」
「チッ、判断が遅いな」
アラタは元居た持ち場から距離を取りつつも、持ち前の反骨心が顔をのぞかせていた。
敵の思い通りにさせるのは気に食わない。
卑怯な手で? 戦争の火蓋を切ろうとするやつが気に入らない。
とにかく敵兵は皆殺しにする。
そんないくつもの負の感情が、彼の中に蓄積されていて、そんな状況で下がれと言われても…………
「中隊の指揮は誰か別の……ケリーに任せておけ。第1192小隊、黒鎧起動」
無機質な声が、路地に響いた。
「くっ……殺せ。殺してくれ」
「ははは、まだまだ。だが、ただ縛り付けておくのに指は要らないな」
「おいおい、その辺にしておけよ。一応敵地に入っているんだぞ」
帝国軍の中でも、西部方面隊のエンブレムが刻まれた鎧を着た兵士たちが街の中を行進していく。
念入りにクリアリングをしつつ、微速前進。
基本に則った丁寧な進攻である。
彼らは突然公国兵が突撃してきてもいいように、前面に捕虜の兵士たちを押し出している。
捕虜の姿は一様に酷い有様で、中には既に息絶えている者もいた。
戦場は、人の心を希薄にしてしまう作用でもあるのか。
それとも単に、帝国人の分別がついていないのか。
アラタにとって、そこはあまり重要ではない。
大事なのは、奴らは一線を越えたという事実だけ。
決してやってはならないことをやった、ただそれだけ。
街に入り、太めの道をいくつかに別れて進んでいく。
その途中にある細い路地も、民家も、商店も、倉庫も、丁寧に確認していく。
だが、帝国軍にディラン・ウォーカーやアリソン・フェンリルという規格外の化け物がいるように、公国軍にもレギュレーションから外れた精鋭部隊が存在する。
帝国歴1500年代を代表する発見の一つともいわれている、魔道具へのスキル効果の付与。
「殺…………し……て——」
「あーもーうっせえなぁ! そんなに死にたいなら俺が——」
「ぶっ殺してやるよ」
行進経路の真上から舞い降りた17の黒い影。
背中には小さくだが3本足の烏、八咫烏の紋章が刻まれている。
ほとんどの兵士はただ黒い装備に身を包んでいるだけだが、その中の8名は白い仮面を着けている。
それぞれに刻まれる花の模様は1つ1つが異なるデザインをしていて、一際異質な存在感を放つのは先ほど敵兵を脳天から串刺しにした長身の男のそれ。
青い塗料で装飾されたハナニラの知名度はそこまで高くない。
それを知るものは、ほとんどが死亡している。
「捕虜救出、それから敵兵を捕縛しろ」
レイクタウン攻囲戦、開戦。
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