第375話 孤立無援

「これは……まずいな」


 公国軍第1師団、第2連隊を率いるリーバイ・トランプは、ひっきりなしに押し寄せてくる情報の波を前に、思考能力のキャパを感じていた。

 相手はいつもと同じく、適当に揺さぶりをかけてきているだけだ。

 有利なのはいつだって公国軍で、いつも帝国軍はほどほどに戦ったら撤退する。

 今日も今日とて勤勉にミラ丘陵地帯に踏み込んできた帝国兵は、待ち構える公国兵の攻撃を浴び続けている。

 普段なら数十分戦えば長い方。

 しかし、ここ数日その傾向が変わりつつあった。


「報告! 八番砦の前に敵200が接近!」


「後方から回してもらった500をぶつけて瞬殺しろ。時間を掛けさせるな」


「報告します! 九番砦の前にも敵が300出現しました!」


「川を渡らせてしまえ。そこから攻撃を開始させろ」


「報告!」


「またか」


 トランプ中佐が指揮を執るのは約2500名からなる連隊。

 異動や損耗が発生しているので、実際には2200名程度。

 彼の部下たちは今日もフル稼働して迎撃に努めている。

 この方針転換は、敵の作戦進行が次の段階に入ったと推測できる。


「勝ってくれよ…………」


 ミラ丘陵地帯の第1師団は、まだコートランド川での敗北を知らない。


※※※※※※※※※※※※※※※


 ラパンは、少しミスをしたかなと後悔し始めていた。

 悪事に関して、状況を読む目はあるつもりの彼は、先日の損失を補填しようと躍起になっていた。

 元は自分がギャンブルでこさえた借金が原因とは言え、ギャングにみかじめ料を払う毎日にはうんざりだ。

 当初の金はとうの昔に完済しているというのに、あれこれ理由を付けて奴らは金を無心してくる。

 彼の最大の失敗はギャンブルによる借金を闇金にしたことではなく、その返済のために悪事を働いたことである。

 裏の人間が、債務者の犯罪行為を知らないはずがない。

 知っているとなれば、当然証拠は押さえておく。

 それさえ持っていれば、確実にラパンを言いなりにさせることが出来るから。

 彼らにとって棚ぼたというかなんというか嬉しかったのは、ラパンが軍属の人間とそういった行為に及んでいたことである。


 アラタの部下で、中央戦術研究所出身のウォーレンは、物流系は肥溜めだと断言した。

 これには異論を認めてしかるべきだが、まあそういった場所もあるのは事実。

 現にアラタの目の前で、ラパンは物資の横流しを提案してきたのだから。

 腐った物流系の兵士と、腐った地元の有力者。

 2つ合わさればコンポストにぶち込んでも肥料にならない悪質な廃棄物の出来上がりだ。

 ウォーレンの口から垂れ流される呪詛について解説するのはその辺りにしても、その辺りを根城にするアウトローたちは都合がよかっただろう。

 軍との癒着は彼らにとって大いなる利益を生み出すから。


 話は戻って、ラパンは組む相手を間違えたかと考え始めていた。

 紫煙が立ち込める部屋の中で、イライラしながら現状を向き合う指揮官たち。

 これならまだアラタの方にくっついていた方が良かったのでは、そう思えなくもない。


「チッ、第1師団からの返事はまだか!」


 マイケル・ガルシア中将は空いた席の椅子を蹴飛ばした。

 アイザック・アボット大将が存命だった時とは天と地ほどの差がある。

 まあ、人間そんな物だろう。


「中将殿、その辺で。クラーク中将が何の返事もしないというのは考えにくい」


「アラタのやつ、先に連絡を入れたのではあるまいな」


「それはないでしょう。彼も相当に驚いていたようでしたし、時間もありませんでしたよ」


「それもそうだな」


 そうなると、可能性は限られてくる。


「敵軍が情報封鎖を完了しているとしか考えられないな」


 ガルシアの言葉にブレア少将も頷いて同意を示す。

 そう考える方がよほど自然で、脅威だ。


「連絡に出した規模と数は?」


「少将の管轄は知らんが、私の下からは分隊単位で3回送っている」


「帰って来たものは?」


「ゼロだ」


 会議の参加者は、一様に暗い顔をする。

 情報を遮断されていたとして、それを突破する、もしくは包囲網ごと破壊するのにどれだけの労力がかかるのかよく知っていたから。

 最悪何の障害物も地形もない平野に引きずり出されて、負けたばかりのこの状況で白兵戦をしなければならなくなる。

 情報のシャットアウトという、軍隊にとって目隠しをされているのと同義の状況を、甘んじて受け入れる以外の選択肢は無かった。

 閉塞感に息が詰まりそうになっている中で、ティボールド・ネルソン大佐はあることを思いつく。


「1192小隊に伝令を任せればよいのでは? それか206中隊の中核でもいいです」


 実力は申し分ないし、厄介者を弾くことが出来ると彼は考えたのだろう。

 明暗を思いついたとばかりにはしゃいでいる彼に対して、2人の師団長の視線は冷たいものだった。


「大佐、それは悪手だ」


「なぜですか?」


「市街地戦の段取りで対立したとしても、彼らは心強い味方だ。この先の戦いで彼らの力は必ず必要になる。それに、もし包囲網を突破したとして、ミラから中央に連絡が入ればこちらが工作する時間がない。我々が悪者になってしまうのだよ」


「は……考えが至っておりませんでした」


「認識を改めたまえ。我々は勝たねばならないのだ。そのためにわざわざ対立までして自身の意見を通そうとしている。私腹を肥やすためだとか、そんなチンケな理由ではないのだよ。なあラパン殿?」


「はは、おっしゃる通りで……」


「第1師団も1万の兵で2万6千もの敵軍を抑えているのだ、これ以上は望み過ぎというもの」


 ガルシア中将は、新しい煙草に火を点けた。


「諸君、我々はこの先、ほぼ確実に孤立無援の状態に陥るだろう。しかし何の問題もない、この街で帝国軍を徹底的に叩くことで、戦争継続を不可能にさせる。そののちに撤退すれば、再度国土を取り戻すことも出来よう。心せよ、決戦である」


 紙の煙草を大きく吸い込むと、余った分は灰皿に押し付けて消火した。

 丁度その時、外から報告が入る。


「失礼します! 敵軍およそ4千から5千! 東に40kmの地点に集結しつつあります!」


「聞いた通りだ。通常なら戦闘開始は明日か明後日となるだろうが……確認するまでもないな。敵に規格外の特記戦力が確認されている以上、いつ戦闘開始になってもおかしくない。総員! 戦闘配置につけ!」


 主張がかみ合わなくても、立場が対立しても、戦争に勝ちたいという想いは変わらない。

 そこだけがアイザック・アボット大将から受け継いだ心意気なのかもしれない。

 レイクタウンに立て籠もる公国軍3千が臨戦態勢に移行した。


※※※※※※※※※※※※※※※


「隊長ってあれっすよね、やること滅茶苦茶なのに案外融通が利かないというか」


「常識的と言え」


「「「いやいや、それはない」」」


 カロン、ダリル、エルモの3人が口を揃えて否定した。

 アラタに睨みつけられた3人は、散り散りになってどこかへ逃げていく。

 代わりに近づいてきたのはリャン・グエルだ。


「またやらかしちゃいましたね」


「そんなつもりはないけどな」


「私は正直、今回はアラタの考えも正しいとは言い切れないと思います」


「そう?」


「だって、今こうして敵がやって来たわけじゃないですか。住民に説明をしている暇は無かったですよ」


 アラタは、城壁の縁に腰かけて溜息をつく。

 少しバランスを崩して下に落ちれば、深く掘り込まれた外堀に真っ逆さまだ。

 彼の隣でリャンが煙草に火を点けた。

 出会った時から、リャンは愛煙家だった。


「煙草、いい加減やめろよ」


「無理です」


「俺は簡単にやめられたけど?」


「アラタなんてたかが数か月吸ってただけじゃないですか」


「それはそうだけども」


「話を戻します。大負けした後の彼らに住民へのフォローもさせるなんて、それは流石に無理ですよ」


「やってみなきゃ分からない」


「アラタは、もっと普通の人の気持ちを理解すべきです」


「俺だって普通の人だよ」


 彼の中の価値観では、自身は凡人判定を受けている。

 もっと凄い人間は山ほど存在していて、自分なんて足元にも及ばない。

 確かに自分がひとより優れているという自覚はあるものの、それは常人の範疇という制約内での話だった。

 アラタの言葉に、リャンは首を横に振る。

 あなたの認識は間違っていると、そう諭す。


「人間、そんなに早く切り替えられませんよ」


「甘えんな、出来なきゃ死ぬんだ。なら死ぬ気で頑張るのが当たり前だろ」


「ほら、また普通じゃなくなった」


「だから普通だって」


「アラタ、いいですか。普通の人というのは、頑張らなければならない時にも頑張れない生き物なんです。アラタみたいに毎日剣を振ることも出来なければ、死に物狂いで戦うことも出来ない。命を懸けるとのたまっても、結局最後には逃げ出してしまう。それが普通の人間ですよ」


「根性が足んねーんだよ」


「また根性論。それだって誰もが標準装備しているものでは無いですよ」


「昔は違ったんだけどなぁ」


「恵まれていたんですね」


「……あぁ、そうだな」


 自分と同じだけの熱量で、共に走り続けることのできる仲間というのは、どこにでもいる存在ではない。

 アラタのように、毎日必死に生きて、本気で甲子園を、プロを目指してきた人間の周りには、自然とそういう人間が集まる。

 類は友を呼ぶ、ということわざがまさにそれだ。

 中学、高校と、それから異世界にやって来てからの少しの間。

 彼の周りには、命を懸けろと言われたら本当に命を懸けるバカが多くいた。

 人生を変えるために、人生を賭けることのできる人間ばかりだった。

 それが出来ない人間は、自然と淘汰されていった。


 しかし、ここは軍隊だ。

 甲子園常連の天下の名門ではないし、どこぞの貴族の選りすぐった私設兵でもない。

 その辺にいる、一握りいくらの、ありきたりな、何の変哲もない一般市民から徴収し、彼らを一人前の兵士に仕立て上げなければならない。

 最低限これだけはクリアしていてほしい、そんな採用基準なのだ。

 だから、アラタは彼らに多くを望み過ぎていた。

 普通の人間は、そんなに勤勉ではない。

 普通の人間は、そんなに情熱的ではない。

 やる気も無いし、比例して能力もない。

 向上心が欠けていて、倫理観も常識も通じない。

 だが、彼らはもっとも多くこの世に存在している何の罪もない一般市民なのだ。

 彼らこそが、国家の中核たるマジョリティなのだ。

 だったら、時に彼らに迎合して意見を擦り合わせなければならない時は確かに存在する。

 アラタはそれが分からないから、まだ子供なのだ。


「リャン」


「はい」


「お前は、せめてお前らだけは、俺と同じ想いで、覚悟で、決意で、戦ってくれないか」


 多くは望めないのなら、そう理解したアラタは、腹心の部下たちに求めた。

 お前たちはこちら側だろう、そうであってくれと、頼み込んだ。

 リャンは煙草の火を消すと、まだ肉眼では見えない敵の方を見た。


「当然です。そのために私はここにいるんですから」


 翌日、レイクタウン攻囲戦が始まる。

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