第377話 擦り合わせ(レイクタウン攻囲戦2)
自分たちは戦場に立っている。
その自覚は確かにあった。
だからクリアリングを徹底し、奇襲やトラップへの警戒を怠らなかった。
しかし、だから何だというのか。
いくら頑張った、努力した、気を付けたと主張しても、今こうして奇襲を受けてしまっているのだから、弁明のしようもない。
運が悪かったと言えばそれまでである。
たまたまアラタたち黒鎧を装備した第1192小隊の持ち場近くにいた。
たまたま捕虜の扱いが雑な兵士が目に付いた。
たまたまアラタの気が立っていて、戦闘許可を下ろした。
そう、全ては偶然、時の運に過ぎない。
彼らは運が無かったから、これから地獄を見ることになる。
「ひっ……」
目の前で頭頂部から串刺しになり、胸の辺りから反りの入った剣の先端が飛び出している。
そんな光景を目にすれば、誰だって尻込みすることだろう。
先ほどまであんなに生き生きとしていた嗜虐嗜好のある兵士が、報復とばかりに殺された。
この世のものとは思えない程残虐な死にざまを目にすれば、名もなき帝国兵士の身体が硬直してしまうのも無理からぬ話だ。
しかし、それがアラタの気に障ったらしい。
「侵略しといて——」
その瞬間、男は人生の終わりを悟った。
「ビビってんじゃねえ!」
少々乱暴に振り下ろされた打ち刀は、彼をこの世界に飛ばした神の特別製だ。
折れず、曲がらず、劣化せず。
だから刀身にいかなる負荷がかかろうとも決して破損することがない。
アラタの刀の使い方は、現代日本の居合道的価値基準では決して褒められるものではない。
それでも、戦争では強ければ問題ないのだ。
生き残る力があれば、仲間を守るだけの実力があれば、刀の扱い方など些事に過ぎない。
肩口をバッサリと斬り裂いたアラタの刀は、思う存分血を吸って笑っているように見えなくもない。
自分の隊長ながら、エルモは戦慄せずにはいられない。
半年ほど前、まだアラタが八咫烏の前身でクリスと2人きりだったころ、彼らの出身である特殊配達課の残党を捜索、捕縛、処刑するという計画があった。
計画はアラン・ドレイクの介入で打ち切りとなり、それ以降彼らに手出しをするような仕事が出てくることは無かった。
今なら自身を持って言える、あの時作戦が実行されなくて良かったと。
片割れであるアラタが公国の為にここまで尽くしているというのもそうだし、正直化け物のように強い彼のことをどうやって仕留めればいいのか、途方に暮れる未来しか見えない。
自らの隊長に畏怖の感情を抱きつつ、エルモをはじめ1192小隊の面々は周囲の敵兵を迅速に排除する。
数の上では敵軍の集団の方が圧倒的に多いのだから、この戦闘には時間制限が設けられている。
30秒。
それが彼らに与えられた戦闘時間。
もうすぐその時間が経過しようとしていた。
「んっ」
29秒と少し。
かなり正確だが、正解よりは少し速いヴィンセントの体内時計が反応した瞬間だった。
「出るぞ! 分隊行動!」
ハナニラの白仮面を身につけた男が、ガードの下から指示をした。
多少声が籠ってしまっても、これほどの近距離なら問題なく機能する。
「逃がすな! 殺せェ!」
「黙れ」
部下には分隊行動を命じておいて、いの一番にそれを破る小隊長兼中隊長。
現在の1192小隊の初期隊員数は17名。
アラタを除けば16名で、4人1組の分隊行動が可能となる。
アラタは1から4のどの分隊にも所属しないことで、ある程度の自由を手にしていた。
自由に敵兵を斬り殺す自由である。
「あっ」
戦槌を振りかぶった敵の喉元を斬り裂く。
「ぎぃっ」
槍を繰り出してきた敵兵のうち、最も距離が短かった者をカウンターで串刺しにした。
「おっ、あっ」
アラタの動きが攻撃から次の攻撃へ移行する一瞬の隙間時間を狙っていた兵士は、いつの間にか斬られていた自らの首元を抑える。
突いた槍を掴まれて、間合いの外側に引っ張り出され、バランスを崩したところをなす術もなく撫でるように斬られた。
当然激痛が走ったが、そこまでどうしようもない痛みではない。
緩やかに死へと向かうその様子は、侵略者に与える最後にしては随分と生ぬるいものだったかもしれない。
まあ、殺し方を選んでいる余裕は無いから。
「続け! ぎゃっ」
「潰——」
「距離を——」
「お——」
アラタの太ももに、ほんの少し攻撃が当たった。
それは黒鎧の防御力と反応装甲のおかげでノーダメージのまま受け流すことに成功しているわけだが、帝国兵にはアラタが傷を負ったように見える。
少しだけ損傷したアラタの装備が、帝国兵に勇気を与えてくれる。
相手も同じ人間だと、戦えると、決して無敵ではないと。
撤退する1192小隊に対して、追いすがる帝国軍の勢いが増した。
公国軍からすると、中々に面倒な展開である。
「戦果報告!」
アラタが荒々しく叫んだ。
「味方1! 敵1!」
「敵2!」
「味方1!」
「ゼロ!」
味方救出は2名、敵の捕縛は3名だと脳内で素早く暗算をした。
大した技能ではないが、この極限状態で平静を保ち続ける精神力は常人のそれとは一線を画している。
そんな隊長アラタの次の指示に対して、部下たちは素早く反応した。
「散開! 場内で再合流!」
左折1。
右折1。
直進2。
4個分隊は、3手に別れて逃走を開始した。
あまりのアラタは直進する分隊の最後尾を守っている。
そして、すでに全隊員が黒鎧の隠密機能を起動していた。
「逃がすな! 絶対に捕まえろ!」
「殺せ!」
「行くぞぉ!」
逃げれば当然追いかける。
当たり前の話だ。
ただ、この距離、この人数であれば追いついて押し包むことが出来るだろうという、帝国軍の考え方は甘かった。
そんなに第1192小隊は甘くないし、黒鎧の潜伏能力は安くない。
路地に入り込んだ2個分隊はまだしも、帝国兵は直進していたはずの残りの2個分隊まで見失うことになった。
「…………ロストしました」
「撤退だ。元々のオーダーに従うとしよう」
帝国軍の戦死者9、負傷者0、捕縛者3。
公国軍のダメージ0。
攻囲戦の始まりは、実に緩やかで穏やかなものだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ん…………んぅ」
「S1、捕虜が目を覚ましました」
「おっけー。残りの準備は終わっているな?」
S1と呼ばれた男の問いに対して、黒い布で顔を覆い隠した兵士はこくりと頷いた。
帝国軍の兵士は、すぐに自分が椅子に縛り付けられていることを理解し、その他の現状把握に努めた。
窓のない部屋、レンガを積み上げたものに見える。
床には何も敷かれていないので、10月初めでもひんやりと冷たい。
自分は先ほどまで武装していたはずだが、靴は脱がされていて裸足になっている。
それから、着ている服は肌着だけだった。
「じゃあ準備頼む。A3にも始めさせろ」
「了解」
アルファベットと数字は、兵士の個体識別に使っているのだなと兵士は考えた。
そう仮定すると、一握りの希望が男の中に芽生えた。
顔を知られてはいけない、名前を知られてはいけない。
それの意味する所とは、捕虜である自分の処遇が定まっていないこと、つまり解放される可能性があることを示している。
殺す一択なら顔も名前も伏せる必要は無いから。
スキルも、ほんの少しだけ使えるはずの魔術も全く効果が現れないのが少し気がかりな帝国兵士だったが、消耗していることを鑑みれば特別不自然でもなかった。
何はともあれ、無事に尋問もとい拷問は開始される。
ガツン。
「っっっっ! …………え?」
ズキズキと鈍痛が頬に逗留している。
あまりの驚きに、捕虜の男は痛みを大して感じていなかった。
脳の処理が追いついておらず、痛みを感じるところまでいかないのだ。
殴られた、あれ? 変だ、そんなところで止まっている。
「敵軍の規模は」
「え……ぁ、いや……」
「やれ」
「はい」
まだ顔を殴られたくらいなら、そこまで痛みを感じないという現象もあり得た。
ただ、切断は無理だ。
耐えられるわけがない。
「あっぎっ、ぎぃぃぃいいい!」
「軍の規模は」
無機質な音声が、土の牢獄に響き渡る。
S1と呼ばれて、たった今捕虜の右手小指を落とす指示を下した男の顔には、布の代わりに白い仮面が付けられていた。
僅かに空いた目の穴の奥には、底冷えするような冷たさを秘めた瞳が濁った光を宿している。
遅れながら兵士は理解する。
これは逆らってはいけない、逆らえば逆らうだけ、それに見合った苦痛がやってくると。
「よ、4千です! わが軍は4千でぇぇぇえええす!」
男はまた殴られた。
「やかましい」
仮面の奥から苛立ちを含んだ声が聞こえた。
「次、コートランド川で公国軍を崩したのは誰だ?」
「あっあっ、あっあぅ……」
「次は左手だな」
「あっあっ、なっ名前は知らない! 本国からの援軍だ!」
「人数、容姿、性別、知っている限り全て吐け」
「し、知らない」
「左手首はまとめて1つでいいや」
「あっ待っ——」
「やれ」
「あっ——」
骨の太い海水魚の首を落とすかのような抵抗感。
感触的には牛や豚の方が近しいはずだが、難易度としては魚の骨を断つくらいのものだ。
短い取っ手のついた斧が血に染まった。
「おい、止血」
阿鼻叫喚の地獄となり、兵士の叫びが反響する拷問部屋の中で、S1は静かに指示を出した。
どうやら本当に知らなかったみたいだなと、自身の失敗を反省した。
話さねば痛い思いをする、話せばそうならない。
そのように捕虜の身体に覚え込ますことが出来なければ、得られる情報の確かさに疑問が生じてしまう。
まあ捕まえた敵兵3名すべてに同じ質問を行っているので、情報のすり合わせというのは後で必ず行われる。
とにかく今は、死ぬまでの間に一つでも多くの情報を得ることが最優先。
監視、指示、質問をするアラタと、その補助に入るエルモ、バックヤードで敵の能力を封じるリャンの3人組は、この退屈な作業が速く終わってくれないかと願い続けていた。
公国の裏社会を渡り歩いてきた彼らは、今更拷問をやりたくないとかそんな理由でネガティブになっているわけでは断じてない。
敵は侵略者で、捕虜の取り扱いに関する条約も何もなく、先に捕虜の扱いの一線を越えたのは帝国軍だ。
では何が嫌なのか。
「臭えなぁ」
椅子の間から、黄色い液体が漏れ出てきた。
「チッ、質問を急ぐぞ。A2早くしろ」
「はいはい」
淡々と止血をする彼らを前にして、帝国軍の兵士は悟った。
あぁ、恐らく自分は生きて帰れないだろうと。
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