第374話 1勝1敗

 今年で50歳の壮年男性と、20になる青年。

 アラタが攻撃を受け止めるのは、さほど難しくなかった。


「閣下!」


「止めろお前ら!」


「大丈夫です」


 右手で拳をキャッチしたままアラタは周囲を制止した。

 ガルシアの拳にはいまも相当な圧力がかかっていて、彼は思わず痛みに耐えかねて【痛覚軽減】を起動した。


「放したまえ」


「住民に十分な説明を行って同意を取るというのならいいですよ」


「若造…………」


「敗戦のあらましは聞きました。俺はその時何もしていなかった、ご機嫌で説教できる立場ではないのは承知しています。ただ、みなさん焦りすぎでイライラしすぎです。落ち着かなければ、周りを見渡すことが出来なければまた敗けます。まだ1勝1敗ですよ」


「アラタ君、放したまえ」


 ブレア少将からの再度の命令によって、アラタはようやく手を離した。

 ガルシア中将の手にはくっきりと握られた跡がついていた。


「アラタ君、我々には時間がない。敵がいつ攻めてくるか分からない状況で、住民の避難に加えて市街地戦の同意を取っている余裕は無い。これが現実だ、弁えてくれ」


「じゃあ、仮に勝ったとして、破壊された街は当然復興まで面倒を見るんですよね?」


「それは……」


 それは軍の仕事ではない、ブレア少将はその言葉を飲み込んだ。

 それを言うべきではないと分かっているから。

 街の顔役のラパンの前でそこまで言ってしまうと、もうどうしようもなくなってしまうから。

 ハルツが懸念しているように、本当に東部が離反しかねない。

 ガルシア中将も、ネルソン大佐も、本来ならこんなに感情的な行動をとる人ではない。

 長期的なデメリットを無視して短期的な利益を貪る御仁ではない。

 彼らはただひたすらに、焦っていた。

 当然だろう、司令官が戦死したのだ。

 あの戦場を味わった無力感、敗北感を一刻も早く払拭したいと願うのは人間の反応として当然と言える。

 しかし、それではだめなのだ。

 現場における軍の最高責任者を喪失するという前代未聞の大失態に、将兵らは大いに怒り、大いに悲しんでいる。

 そのエネルギーの矛先は、アイザック・アボット大将の目論見通り敵方に向いた。

 ここまではいいが、エネルギーは正しい指向性を、正しいベクトルを持たなければ何の意味もない。

 使われなければ意味は無いし、自分たちの方向を向いているなんて論外だ。

 ハルツやアラタは、そういうことを懸念していた。


「何度でも言います。皆さん落ち着いてください。我々にはもう後がない、ここで負ければ本当に公国軍は敗北する。でも、急ぎすぎれば勝ったとしても後に続かない。それくらい皆さんだって分かっているはずだ、ただ少し頭に血が上っているだけのはずだ」


「彼のいう通りです。数でもさほど劣っているわけではなく、地の利は我々にある。拙速を尊ぶのは確かに兵家の基本ですが、それだけではまつりごとは行えない。戦争は、外交手段の1つです」


 上級将校と真正面からぶつかるアラタの横から、ハルツも加わった。

 アラタは少し驚いたが、ハルツの性格的にもこの参戦は予想できる。

 彼は悪く言えば融通が利かず、よく言えば真っ直ぐな性格をしているから。


「クラーク家の落ちこぼれ殿も随分と大きくなられましたな」


 ガルシア中将は精一杯の皮肉をハルツにぶつけた。


「出来損ないだったからこそ、私はいまここに立つことが出来ている」


「はっ、何のことやら」


「私の兄のように出来が良ければ、そもそも貴族は戦場に出てきたりはしないもので」


「…………チッ」


「中将殿」


 いきり立つガルシア中将に声を掛けたのは、少将のブレア・ラトレイア。

 彼もアラタとぶつかっていたが、今は少し落ち着いた表情をしている。


「私は、説明責任を果たした上で同意を取るべきだと考えを改めました」


「なっ!」


「この話題で重要なのは、誰が破壊したかではなく、誰が破壊したことになっているかということではないですか?」


「ん?」


 何か変な方向に話が向かっているとハルツは違和感を覚えた。

 アラタも自分も、そんな話はしていない。


「詳しく」


 ガルシア中将が食いついた。


「攻め込まれている公国軍、追撃、進撃する帝国軍。街を破壊するのはどちらでしょう」


「…………なるほど。住民の避難はどれほど進んでいる?」


「私のような軍との窓口以外は全員街から出ました」


 間髪入れずラパンが答えた。

 この時点でアラタも少し嫌な予感を覚えている。


「ラパン殿、と言ったかな」


「はい」


「もしよければ少し秘密の話でもしたいのだが……どうだろう、少し奥で話さないか?」


「えぇ、それはもちろん」


 ノータイムで応じるラパンの下卑た笑みを、アラタはもう知っている。

 そしてもしまた同じことをすればどうなるか、彼は前もって警告していた。

 アラタの左手が、刀の柄に掛けられた。


「……おい」


 ブレア・ラトレイア少将が低い声を出した。


「それ以上良からぬことをしようとすれば、貴官は軍属としての最低限の保証すら受けられなくなるぞ」


「アラタ、抑えるんだ」


「この件は大公に報告してもいいんですよ?」


「そうなればラトレイア家、ロペス家をはじめとした武門の貴族が大量に離反することになる。それでもよろしければどうぞ」


「…………チッ、好きにしろ」


「どうも」


 途中までは良かった。

 逆にどこからがダメだったのか、アラタは過去を遡る。

 主要な士官たちが軒並み退室した会議室で、アラタはやり取りを反芻する。


「アラタ、一度出るぞ」


 ハルツにそう言われるまで、アラタは固まったままだった。


「ラパンの野郎、初めからこのつもりだったのか」


「かもな」


「やっぱりあの時叩き斬っておけば」


「やめろ。そんなことしても後釜が生まれるだけだ」


「じゃあどうしろっていうんですか」


「さあな」


 多くの味方が発見されて、こんなに嬉しいことは他にないと喜んだ直後、アラタの感情はジェットコースターのように急降下した。

 途中までは良かった。

 うまく説得することが出来そうだという感触もあった。

 しかし、毎回思い通りにいくようなら彼はここで戦争に参加していない。

 同じ国に住んでいるからと言って、必ずしも味方であるとは、全面的に心を預けることのできる人間だとは限らない。

 刻一刻と移り変わる利害関係に配慮しながら、お互いに不利益を少なく利益を享受できるように調整する。

 アラタに欠けていたものは、それだけだった。

 そしてそれは、ハルツに不足している要素でもある。

 それ故に、ハルツは碌なアドバイスをすることが出来ない。


「まぁ」


 2人は冒険者ギルド支部から少し歩いたところにある広場に座っていた。

 こんな夜遅くでは兵士もほとんど出歩いていない。

 満天の星空だけが、輝かしく彼らを照らしている。


「彼らは俺たちが思っている以上に削られていた。心に余裕が無かったのだ、分かってやろうじゃないか」


「あいつら、後ろから斬っちまえば……」


「やめろバカ」


「あいたっ」


 ハルツの拳がアラタの頭頂部に激突する。

 避けることも出来たが、彼は空気が読める人間だ。


「気に食わない人間は殺すというスタンスはいつか限界がやってくる。お前自身、それはもう分かっているはずだ」


「分かってますよ。冗談です」


「冗談でも好かないと言っている」


「はいはい」


 先ほどからアラタは、広場に敷き詰められた石畳をいじくっている。

 石材の隙間には土が入り込んでいて、それをほじり返して遊んでいる。

 人の話をあまり長く聞くことのできない、彼の時間の潰し方だった。


「俺はただ、エリーが遺したものを守りたい。あの子は世界を恨んでいたけれど、それでも最後は俺に頼んだんです、だから——」


「一つ講義をしようか」


「え、嫌です遠慮します」


「まあ聞け。アラタ、お前は国を持たぬ民族の事を知っているか?」


「いや、分かんないです」


 非常にセンシティブな話をしているというのはアラタでもわかる。

 まつろわぬ民、そういった物はアラタの元居た世界でも確固として存在している。


「国というのは人がいなければ成り立たない。しかし逆に、国を持たない人々の生き辛さもまた、想像を絶するほどに過酷なものなのだ」


「はぁ」


「カナンが敗けて消えれば、ウル帝国の版図が広がることだろう。しかし、元公国民は厳密には帝国国民ではない。分かるな」


「何となくは」


「それが国を失うという事だ。今まで当たり前だと思っていたすべてが失われる。社会保障も、権利も、仕事も、食料も、尊厳も、何もかもだ」


 土いじりをするアラタの手は、疾うに止まっていた。


「俺も、お前も、俺の家族も、仲間も、ノエル様たちも、ここで俺たちが敗ければ全てを失う。それなら仲間内で正しい正しくないを論じていても、時間の無駄だ。思い通りにならないことは確かにある。どうしようもないほどに欲に塗れた人間もこの世には存在する。だが、それらをすべて飲み込んだとしても、この国には守る価値がある。守るべきものを、お前はもう知っているはずだ」


 アラタの願いは、誓いは、コロコロと変化する。

 昔はどうだったかは知らないが、今の彼の願いは、『自分の仲間たちが幸せに暮らしてほしい』である。

 その為に彼は自分の人生を使いたい。

 屈託のない笑顔で笑っている人は、自分に多くの物を与えてくれた。

 アラタはそれに報いたい、恩返しをしたい。

 何より、自分がすでに失ってしまったものを、彼女の中に垣間見た。

 それが大切なものであると知っているから、無くしてはいけないものだと分かっているから、アラタはその人の幸福を願うのだ。


「……まだ負けてない。たかが1勝1敗です」


「そうだな」


「勝ちましょう」


「あぁ」


 青年は、大人の階段を登っていく。

 上に上がれば、下にしか無かったものには手が届かなくなる。

 あの頃の純真さや、無垢な笑顔が還ることはもう無い。

 それでも、彼は成長しなければならない。

 我を通すために、自分の意見を押し通すために。

 自分の生き方を、貫き通すために。

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