第338話 祖国に命を捧げる覚悟

 銀星十字勲章を授与されてから数日後、第1192小隊は今日も土木作業に従事している。

 丸一日以上かかった桟橋の激戦が終わってから、付近の両軍は立て直しを余儀なくされていた。

 実質行動不能であれば、今のうちにやらなければならないことがある。

 ゴミ掃除だ。


「おい、貴様ら何をしている」


「いや、ちょっとですね休憩の方をば……」


 そういつものようにいい訳をするエルモにはまだ余裕がある。

 相手がアラタではなく、第2分隊長のアーキムだからか。


「いいから働け。でなければ隊長に報告する」


「あぁ~今からやろうと思ってたのになぁ。やる気が削がれたなぁ」


「黙れ。早くしろ。これは命令だ」


 余程動きたくないのか、エルモは頑としてダラダラし続けている。

 アーキムからしてみれば、上官としての責任8割、残りの2割は優しさから来ているというのに、このエルモという男は一向に動こうとしない。

 大体にして、この男は昔からそうだった。

 アーキム・ラトレイアがカナン警察機構、特務警邏に入局した時も、この男はデスクの上に足を置いてさぼっていた。

 年齢と局での経験はエルモの方が2年早く、アーキムはそれを聞いて驚いたのを今でも覚えている。

 たった2年先輩なだけなのかと。

 まるでその場にいる中の最古参のような雰囲気を出しつつ、まだまだ新人のペーペー。

 周囲からの視線をものともせずに、彼は今日もさぼっていた。

 アーキムが彼を認めるに至るにはかなりの時間がかかって、それはまた別の話なのだが、とにかくこの男のさぼり癖は一朝一夕のものでは無かった。


「いま何時?」


「11時だ。いいから動け」


「じゃあそろそろメシにしようぜ。腹減った」


「お前さっきからろくに動いていないだろうが……!」


 そろそろ我慢の限界も近い彼の前で、アーキムはなおも河原に腰を下ろしたままだ。

 拾ってきた橋の残骸を日よけにして、このくそ暑い中でも日陰でのうのうとしている。

 先日アラタが破壊した橋は、その亡骸を川に横たえた状態のまま放置されている。

 これではまたそのあたりを起点にして桟橋を掛けられかねないと、司令部から撤去命令が下った。

 幸いだったのは敵軍が特に動く様子を見せなかったことだが、それでも作業自体は待っている。

 エルモが仕事をさぼり始めるには十分な理由だった。


「おい、本当にいい加減にしないと怒るぞ」


「もう怒ってるじゃん」


「違う。怒るのは俺ではない」


「ご苦労様アーキム。あとは俺がやる」


 こうなることは分かり切っていたのに、それでもバカエルモはさぼることを選んだ。

 シャツ一枚になって汗だくになりながら荷物を運んでいた青年が、抱えていた木材を地面に降ろした。

 見た目的にはとても一人の人間が持ち上げられる重量物ではなく、地面に降ろした時のドスンという衝撃もそれを物語っていた。

 ただ、この世界には魔術やスキルというものがあって、【身体強化】なんておあつらえ向きなものも存在している。

 きっと彼もスキルを使用したのだろう。

 青年は爽やかな表情で部下に語り掛ける。


「今ここで死ぬか、死なないギリギリまで働くか、どっちがいい?」


 アラタは腰に提げた刀に手をかけた。

 冗談だと分かっていても怖い。

 それに、アラタからは決して冗談では済まなそうな圧を感じる。

 いつものことながら、まずいとエルモは思った。

 本当に学習しない男である。

 それはもう、哀れなほどに。


「は、働きまーす」


「おし、行け」


「はぁーい」


 アーキムの時はあんなに言っても動かなかったのに、アラタが命令するとすぐこれだ。

 きっと八咫烏に在籍していた時に軽口を叩いてボコボコにされたことが尾を引いているのだろう。

 それほど彼にとってアラタは恐怖の象徴なのだ。

 崩れた橋の方へ向かうさぼり魔を見送った2人は、アラタが元々持っていたゴミとアーキムがここまで運んできたゴミを分担して持ち上げる。

 比率はアラタの方が少し多いが、誤差の範囲内だろう。


「アラタ」


「ん?」


「敵が仕掛けてこない理由は何だと思う?」


「そうだなあ」


 まつげをすり抜けて目に入って来た汗に不快感を露にしつつ瞬きをする。

 【身体強化】をオフにすれば良いトレーニングになるかもしれないと思いつつ、流石に効率重視でスキルを使用しながらアラタは思案する。


「こっちもそうだけど、動けないのは現場にいた部隊だけだから余裕がないってのは通用しないと思う」


「同感だ」


「じゃあ、何か企んでいるわけだけども……流石にそこまでは分かんねえ」


「確かに、その通りだと俺も思う」


 アラタの回答に同意したアーキムは、なおも何か言いたそうにしている。

 彼は思ったことをはっきり言葉にするタイプではあるものの、こうして言い出せないという事はかなり憶測が混じっていて信頼性に欠けるのだろうか。

 アーキムの様子をそう解釈したアラタは発言を促した。


「言ってみ?」


「ウル帝国軍は開戦時に公称8万、実情は5万と言われていた」


「そだね」


「俺たちが従事したミラ丘陵地帯での偵察任務、あれから得られた情報ではミラに攻め込もうとしている敵軍は2万6千」


「だったな。少し多いな」


「では、コートランド川に沿って陣を張る敵本隊の規模はどれくらいなのか。こちらの調査では2万という話だったが、それでは腑に落ちない」


 彼は几帳面な男だから、常に手帳とペンとインクを持ち歩いている。

 紙もそれなりに高級品だというのに、羊皮紙ではなく植物繊維の紙を使っているのは流石ラトレイア家と言った様子だ。

 所在が判明している敵軍の合計は、4万6千。

 前情報と4千もずれがある。

 4千もの敵が突如出現すれば、戦況は容易に崩壊しうる。


「敵はもっと多いのではないか? それに橋を建築、維持した魔術師の集団も恐らくは追加投入された部隊だ。敵軍の全容が掴めない、正確には情報が隠されている状態で、敵は何を目論んでいるのか」


「……動きを作ろうとしているのは確かだよなあ」


「俺が考えるに、敵は今戦力の一部を各地に散らして追跡不能にしているんだ。十分に隠し終わったら、然るべき動きに呼応して各地で戦闘が開始される」


「4千もいるならレイクタウンとか襲わせるんじゃないかな?」


「それもある」


 日本語ではない、アラタの知る限り元の世界のどの言語とも一致しない文字で紙に書き込まれた4千という数字が、酷く恐ろしく感じられる。


「我々の背後を突く、散らして伏兵とする、どれも有効で現実的な作戦だ。司令部は気づいていないのか?」


「…………聞いてみるよ」


「あまり時間がない。いま行くべきだ」


「分かった。分かったからこれ運び終わったらな」


 少し興奮気味のアーキムを抑えて、アラタは再び橋の残骸を運び始めた。

 自分の運んでいる材木これが、ウル帝国の一撃必殺の作戦の前段階なのだとしたら。

 正直先の戦いでかなりギリギリだったのに、これがほんの小手調べだった場合、今度こそ耐えきれないかもしれない。

 そう考えると、アラタはアーキムに急かされるまま早歩きで瓦礫を運び、司令部へと向かったのだった。


「…………なるほど。確かに説得力のある話だ」


「最低でも消えた4千の兵がどこにいるのか捜索するべきです」


 一介の小隊長が司令官であるアイザック・アボット大将に繋がるチャンネルを持っているのは、第1192小隊特有の権力と言えるだろう。

 有能であれば自由度を付与される。

 司令官は苦しそうな顔をしながらコーヒーを口にした。

 決して飲み物が苦いからこんな顔をしているのではない。


「はぐらかしても納得しそうにないから、本当のことを伝える」


「はい」


「仮に敵が何らかの策を弄していたとして、我が軍に対応する余力は残されていない」


「なっ…………マジで、いや本当ですか」


 サンタクロースのような白いひげを蓄えた初老の男性は、無言で頷く。

 重々しい雰囲気が司令部に流れた。

 どうやら彼らは既に事情を把握しているらしい。


「詳しくお聞きしても?」


「兵士の損耗が激しく、脱走者も毎日のように出ている。そんな状態でこれ以上の戦力とぶつかるとなると、想像を絶する被害が出るだろう」


「すぐに下がって立て直さないと——」


「渡河されれば敵の戦術自由度は跳ね上がる。我々を無視して東部一帯を刈り取ることも出来るだろう。だから当方はこの場から逃げるわけにはいかない」


「ミラ丘陵地に立てこもり、にらみを利かせると言うのは?」


 アイザック大将は首を横に振った。

 彼が思いつく範疇の戦略ぐらい、ここにいる人間たちがすでに思いついた後に決まっている。

 そう言った方策を検討した結果、打つ手が無かったという事なのだ。


「第2、第3師団は全滅するつもりですか」


「敵も打撃を受ければ立て直しを余儀なくされる。我々に課せられた使命は敵を一兵でも道連れにし、出来る限り国境の近くで敵を撤退に追い込むことなんだ」


「ちょっと……ちょっと待ってください。スケールが大きすぎて頭が追いつかない」


「銀星十字勲章の授与も、味方の士気向上を狙ってという意味もある。だがそれでは足りなかった。公国軍には、祖国に命を捧げる覚悟が足りなかった」


 アイザックは唇を噛み、こぶしを握り締めた。

 溜まっていたものが噴き出したように、アラタに対して現状を説明したからだろう。

 もうこの軍は崩壊寸前なのだと、アラタが知らないうちにこんな状況になっていたなんて、彼は知らぬどころか想像すらしなかった。

 むしろ今までの戦いは前哨戦やアップの類で、これから本番がやってくるだろうからそのつもりで小隊を鍛えていたはずだった。

 いつからこうなったのか、アラタは過去の記憶をさかのぼって答えを探してみるが見つからない。

 それもそうだ、激戦と言っても彼の見てきた公国軍は有利に戦局を進めてきたはずだったから。

 コートランド川の大きな範囲で兵の削り合いをしている重大さをよく認識していなかった。

 正確には、そこで戦う公国兵と帝国兵の強弱を考慮していなかった。

 先日の桟橋の戦いにおいても、公国兵の方が被害が大きい。

 有利な防衛だったにもかかわらずだ。

 つまり、公国兵は帝国兵よりも弱いのだ。

 2万いたここの戦力も、すでに1割5分が離脱した。

 少なく感じるかもしれないが、辺りを見渡せばいなくなったやつが数人、その中の1人2人は死亡している。


「貴官は小隊を率いて第1師団と合流しろ。精鋭としてまだ出来ることはあるはずだ」


「…………っあ、か、す、少し考えさせてください」


 アラタは乾いた口で、そう答えるのが精いっぱいだった。

 コートランド川流域の戦場に、暗雲が立ち込めている。

 それは東から西へ、まるで公国軍を飲み込もうとしているように。

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