第337話 銀星のアラタ

「第1192小隊長アラタ、貴官に銀星十字勲章を叙勲する」


「はい」


「……コホン、同隊アーキム・ラトレイア、エルモ、ヴィンセント。貴官らに十字勲章を叙勲する」


 公国軍大将、アイザック・アボットは厳かな表情の中に、ほんの少しのメッセージを含ませた。

 特にラトレイア伯爵家の人間であるアーキムに対しては。

 それが通じたのか通じなかったのかは分からないが、アーキムは代表として前に出て勲章を授与される。


「ありがたき幸せ」


「貴官の今後ますますの奮戦に期待する」


 彼の胸元には金属でできた十字の勲章が付けられていて、授与式に参加している将兵からは羨望の眼差しを向けられている。

 それほど戦闘行為で勲章を受勲するということは珍しく、名誉なことなのだ。

 特に勲章をもらった時に生きているともなれば、さらに珍しい。

 大抵戦死した兵士の遺族に対する心ばかりの配慮としての受勲が多いので、彼らのようなケースは羨ましがられる。

 勲章もつけば老後に年金がもらえる仕組みもあるから。

 その後しばらく、士官による長い長いお話があった後、一同は解散となった。


「隊長、なんすかあの返事は」


 第1分隊のカロンは面白そうに聞いた。


「はいって。くふふ、はいってそれはないでしょう。司令官も戸惑ってましたよ」


「しょうがねーだろ。勲章なんて貰ったことねーんだからさぁ」


「にしてももう少し何かあるじゃないですか。ありがとうございますとかなんとか」


 余程ツボに入ったようで、カロンは非常に楽しそうにしている。

 エルモをはじめとした小隊のお調子者たちはここぞとばかりに隊長をイジりにかかった。


「あれは無いですよ。あれはねえ。ねえエルモさん?」


「叙勲し甲斐が無いっつーか、まあアラタって感じだな」


「うっせーなーもー。エルモはいつまで勲章それ付けてんだ。さっさと外して失くさないようにしまっとけ」


「いいじゃないすか。しばらくは十字勲章のエルモと呼んでください」


「あーウザ」


 アラタはうんざりした顔で手元の銀星勲章に目をやった。

 メダルの中心には銀の星が象られており、その四方に十字のモチーフが形成されている。

 これがカナン公国銀星十字勲章だ。

 アラタは徽章とセットで受け取った入れ物の蓋を占めると、ポーチにそれを仕舞った。

 戦闘で役に立つものでもないし、失くしたりすると後々面倒なことになる。

 エルモのように肌身離さず持ち歩くのも一つの手だが、彼はそういう人間ではなかった。


 それに、手放しで喜ぶことのできる戦果ではなかった。


 コートランド川の戦域の中で中心よりも少し北、アラタ達が投入された桟橋における戦闘。

 こちらが確認しただけで敵の戦死者は158名、こちらの戦死者は289名だった。

 向こうは撤退後に死亡した人間が必ず存在するから、『最低』という但し書きがつく。

 それに遺体を収容された場合や川に流されたケースも想定できる。

 対してこちらはそう言った集計ミスは基本的に起きない。

 投入された部隊の中で確認を取り、司令部が集計した結果だからそれなりに信頼できる。


 …………大きな打撃を受けた。


 現場を指揮する連隊長や大隊長はそう言っていた。

 ミラ丘陵地を除いても2万の軍勢の内の289人。

 損耗率にして実に1.445%。

 これを大きいか小さいと捉えるか、人によって意見は分かれるだろうが、少なくとも現場ではこの数字は大きな痛手だ。

 普通戦闘というものは、一桁の死者が出ただけでもその数倍の負傷者が発生するわけで、そうなると撤退ムードが漂い始めてくる。

 しかし今回、その壁はいともたやすく打ち破られたうえで、なおも陣地を死守しようと死闘が繰り広げられた。

 河川敷という遮蔽物の少ない環境。

 敵の魔術師部隊と共に突如出現した橋。

 そして明らかにこの場で押し切るつもりで投入された予備隊。

 このような結果になったのは誠に残念だ。


 せめてもう少しアラタ達が橋を落とすのが速ければ、そんなことを言うのは野暮だろう。

 彼らは精一杯任務を遂行したし、実際アラタも吐血して昏倒するまで戦った。

 それでも夜までかかってようやく橋を落としたのだから、これほどの被害が出たことも致し方ない。

 現場の部隊は再編成のため一部を残して後方の部隊と入れ替わり、フレッシュな戦力が河川敷にやって来た。

 彼らの初めの仕事は、前任者たちの遺体を弔う事だった。

 そしてそこには後に銀星十字勲章と十字勲章を与えられる第1192小隊の姿もあった。


「気が滅入るなあ」


 いつものようにエルモが真っ先に音を上げる。


「いやなら帰っていいぞ」


 それを叱責したのは分隊長のアーキムだ。


「そういう事じゃねえけどさぁ」


「じゃあ黙って手を動かせ」


「はいはい」


 小隊の隊員たちは手際よく遺体を運搬し、台の上に乗せていく。

 台というのは、5m四方くらいの木で出来た舞台のことだ。

 その下には集められた枯れ木が山のように敷き詰められていて、何をするのか分かる人もいるだろう。

 彼らの戦友は、これから火葬されて灰に還る。

 衛生面や、本国まで遺体を送還することが現実的ではないという理由が大半だ。

 しかしここは日本ではなく異世界、それに加えてある理由があった。

 それは、遺体のアンデット化を防ぐという目的。

 死者が甦り、意志を失って尚活動するというアレ。

 アンデットと言えば肉体が激しく損傷していたり、一部腐敗しているイメージが強いが、その認識はここでは少し異なる。

 むしろ亡くなったばかりのフレッシュな素体の方がアンデットとしての適性は高い。

 そして、この世界においてよほどの偶然が重ならない限り、人体が自然発生的にアンデット化することはあり得ない。

 ではなぜ遺体を焼却するのか。


 ——敵の死霊能力持ちによる悪用を防ぐためである。


 今彼らが行っているのは戦争だ。

 物資は貴重で計画的に使用しなければならない。

 戦闘行為という活動をマクロで見たとき、人命さえもコストとなることは半ば仕方のないこと。

 であればコストカットのために死体を操る能力が利用されるのは自明。

 公国軍には死霊使いネクロマンサーのクラスホルダーが2名、【人体操作】のスキルホルダーが18名在籍している。

 この手のスキルやクラスは訓練でどうにかなるものではない傾向があるので、カナンでもウルでも同程度の割合であることが推測される。

 であるならば2万以上いるコートランド川に集結したウル帝国軍の中にも、きっと死体を操ることに特化した人材はいる。

 流石に味方の遺体を使用するようなことは無いと思いたいので、双方が確保した遺体は早急に焼却処分する。

 この世界の常識の一つで、アラタの中の非常識の一つだった。


「隊長、準備が出来ました」


「ご苦労様。連隊長からはさっさと始めるように言われてるから、準備が出来た班ごとにどんどん始めてくれ」


 彼の言葉を聞いたハリスはみんなの方に戻っていった。

 彼も先日の激戦でダウンしていたが、他の隊員と同様今は回復して元気にしている。

 むしろ元気ではないのはアラタの方だ。


「魔力の逆流で体の中がズタズタです」


「……なるほど」


「それに私は整形外科は専門外なのですが、右肘がボロボロです」


「それは元からなんで平気です」


「そ、そうですか。とにかく大規模魔術は少し控えるようにしてください。命にかかわりますから」


「はぁ」


 なんてやり取りが軍医とあったわけだが、その程度の軽い忠告でアラタが魔術を控えるわけがない。

 むしろ先日の失敗をもうしないために、さっそく練習で雷槍を撃っていた。


 彼が炎雷を発動しようとして意識を失ったのは、単純に魔力の操作技術が未熟だったから。

 未熟と言っても、行使しようとした環境と術式のわりにそうだったというだけで、彼はとっくに魔術初学者の領域を超えている。

 多くの兵士がひしめき合う橋の下で、無意識下に魔力が放出されている状況で、我流の天地裂断を2発撃った後で、崩落する橋の近くにいたことで意識が多少そちらに向いたこともあり、体外に展開させつつ循環させていた魔力操作を誤って逆方向に流し込んでしまい、体内に構築した魔術回路が耐えきれずに破裂したというものだ。

 決して軽いアクシデントではなく、人によっては死亡してもおかしくない案件。

 あの程度で済んだのはむしろ行幸と言える。

 それでも気管が傷ついて食事も碌にとることが出来ず、アラタは空腹状態が続いている。

 治癒魔術師はこの戦場にはいないので、自然経過での治癒と並行してまずは重湯からのスタートだ。

 アラタを診察した軍医は、こんなことを言っていた。


「スキル性魔力膨張症候群の疑いがあります」


 名前が物語るように、何らかのスキルが原因で身に余る魔力を宿し、制御技術や体が追いつかずに最終的に事故で命を落とす病気。

 アラタが今回起こしたのはその症状の一つともいえる。

 既に魔術師としての技量は師匠であるアラン・ドレイクなど一部を除いて熟達の域にある彼をもってしても、掌握しきれないほどの魔力。

 分不相応な力には、それ相応の代償が伴う。

 そして魔力の異常増大に見舞われた人間というのは、得てして魔術に頼る傾向がある。

 自分が他人よりも優れているというのは事実だから、輪をかけて醜悪な病理体系なのだ。

 クラスやスキルの補助もなしに、炎雷のような高難易度高出力高コストの魔術を行使できる。

 確かに魅力的で、今回のように単騎で戦況を変えうる力を確かに持っている。

 だが、ひとたび操作を誤れば待っているのは人より多くの苦しみ。

 例えばドレイクが炎雷の操作を間違えたとしても、吐血するようなことはまずない。

 せいぜい腕が痺れたとか、数日間お腹を下したとか、せいぜいその程度。

 それほど魔術を扱う上で肉体の強度や適性は重要な要素なのだ。


「黙祷!」


 アラタは目を閉じて、戦友の御霊を見送る。


 【不溢の器カイロ・クレイ】を使えば、時間はかかっても確実に強くなれると妄信していた。

 それだけでは足りない、そんなこと分かっていたはずなのに、いつの間にか忘れていた。

 魔術を行使するのはこの肉体で、その中に流れる魔力を使う。

 なら強力な魔術を行使するためには肉体の強さが必要で、人並み以上の強度を備えている自信は確かにあった。

 …………でも、足りない。

 もっと、強さが足りない。

 守る為の力が、足りない。

 一から百まで、足りない。

 足りなければ、失うことになる。

 何もかも、全てを通せなくなる。

 それだけでは、もう嫌だ。

 生き方も、死に方も、自分のことはどうでもいい。

 それでも、通したい理想はある。

 俺の仲間たちが遠い未来でも笑っていられるように、理不尽に脅かされる事の無いように、幸せな人生を全うできるように、力が必要だ。


 ——強くなる。

 強くなって、戦争で勝つ。


「終了」


 目を開けば、焼却の煙が天高く昇っていくのが見える。

 自分の不甲斐なさで散った数多の命に謝罪と別れを伝えつつ、必ず勝つと心に誓う。


 ——たとえこの身が朽ち果てようとも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る