第309話 想いを秘めて、いってらっしゃい

 戦争なんて嫌いだ。

 野蛮だとか、命がもったいないとか、そういう世間一般的な考えは私も持っている。

 でも、それだけじゃない。

 また私からアラタを奪うのか。

 私は行けないのに、アラタは当然のように行ってしまう。

 カナン中にいる3万人もの人々が命を懸けて戦場に向かうのだから、戦わないでほしいなんて言えない、でも頑張ってほしくもない。

 私はどうしたらいいんだ。

 私はなんて声を掛けたらいいんだ。

 ねえ、教えてよ剣聖。

 私は——


※※※※※※※※※※※※※※※


「第32特別大隊! 出るぞ!」


 同大隊長、レイヒム・トロンボーンの号令により、アトラの街から冒険者を中核とする500名の部隊が出立した。

 レイヒム直下の小隊は貴族院前中央広場にて、大公らの見送りを受ける。

 それ以外の者は城門付近からダラダラと出るのだ。


「アラタ、どうしたの?」


「いや、何でもない」


 少し暗い表情を見せたアラタと、それに気づいて声を掛けたキィ。

 彼らの装着している装備は見るからに特別製だ。

 竜の骨を惜しげもなく使用し、アルミを使用した金属の具足は、他に例を見ない実験的な装備である。

 ボーキサイトを魔道工学で実現した高圧・高熱の環境内で水酸化ナトリウム溶液に溶かし、アルミナを抽出する。

 この工程によって得られたアルミン酸ナトリウム溶液を冷却、沈殿した水酸化アルミニウムが精製される。

 そしてこれを高温で焼くことで、アルミの材料アルミナを得るのだ。

 そこからさらに高難易度魔術、豪炎レベルの火力を一定時間維持してアルミナを氷晶石と共に溶解させる。

 ここに炭素を両極電極として挿入して導通させることで、陰極側にアルミが吸着される。

 こうまでして生成されたアルミは、異世界に存在する金属の中で格段に軽く、それでいてある程度の強度を持っていた。

 ここに竜の骨を使用し、鱗を砕いた粉を魔力誘導物質として使用する。

 そうすることで、黒装束を超えた黒装束、黒鎧こくがいは完成した。

 脛当て、手甲にあしらわれた棒状の金属板、鎖帷子の要領で編みこまれた金属製の黒装束。

 その上から通常の黒装束と同じ素材で織り込まれた布を服として着込めば、可動性、軽量性、防御性、ついでに通気性の全てを兼ね備えた防具が完成したのだ。


 第1192小隊クラスの手練れ同士の戦闘において、このアドバンテージはひたすらに大きい。

 あとは希望者だけが額当てを装着し、出陣準備は完了する。

 彼らの役割として割り当てられた輜重隊にしては、明らかにオーバースペックな代物。

 これの意味するところは、部隊として戦闘力を向上させ、戦争中盤から特殊部隊として動いてもらうという意志表示に他ならない。

 この装備の研究開発にはアラン・ドレイク、メイソン・マリルボーン、コラリス・キングストン、そしてアラタが関わっている。

 アラタから搾れるだけ金を搾り取り、貴重な竜の素材を持ってこさせ、アルミ精錬を手伝わせる。

 メイソンほどではないが、アラタも中々尽力してこの装備は完成した。

 それでも、アラタの表情は少し暗い。


「そろそろ行くか。第1192小隊、出るぞ!」


 前線に持っていく荷物は、道中交代しながら民間の業者が担当してくれる。

 彼らはそれを守るだけだ。

 20名全員が騎乗し、それだけで金を掛けた特別な部隊であることが一目でわかる。

 アラタはつい最近、ついに成長して壁を突破した【敵感知】改め【感知】を出しっぱなしにしている。

 それはもしかしたら……そういう事も心の片隅にあったのかもしれない。

 アトラの城門が近づいてきていた。


※※※※※※※※※※※※※※※


 アトラの街が出陣で沸いている頃、ノエルは実家の部屋に閉じこもっていた。

 第32特別大隊が出発する少し前のことである。

 彼女は嫌なことがあると、決まって部屋に籠る。

 アラタが去った時もそうだったし、剣聖のクラスが暴走してリーゼを傷つけてしまった時も同じだった。

 そしてそれは今回も同様。

 あれ以来、アラタとは会っていない。


「ノエル、ちゃんと送り出してあげましょうよ」


「……嫌だ」


 部屋の前に立つリーゼ、クリス、シルは困った顔で扉を見つめるしかない。

 彼女たちは昨日、一度屋敷に戻って来たアラタと話している。

 まだ準備があるからとすぐに出て行ったが、十二分に話をすることが出来た。

 しかし、ノエルはその場にいなかった。

 彼女だけが、アラタとまともに会話できていない。


「前と同じでいいんですか。突然お別れになっても、それでいいんですか」


「アラタが家に帰れって言ったんだもん」


「まったく。クリスも何か言ってください」


「あいつは…………」


 昨日の会話が、彼女の脳裏に焼き付いていた。

 何のために戦うのか、この国の出身ではない彼の、カナン公国を守ろうとする理由。


『お前ひとり行ったところで、何も変わらないんじゃないか?』


『そうかもしれないけど、もし国がなくなったら、家がなくなったら、皆がバラバラになったら……帰るところがないのは悲しいだろ』


『それはお前の話か? それとも——』


『皆には、帰るべきところを失くして欲しくない』


 あれはきっと、彼の根底にあるもの。

 家族と、友達と、先生と、恋人と、それらすべてから切り離されてしまった、悲劇の主人公の中にある想い。

 遠く離れた異世界で、心が張り裂けそうなほどの疎外感と孤独感に苛まれて、そんな彼が仲間の人生に対して、唯一と言っていい注文を付けている。

 家族を大切に、帰るところを大切にしてほしいという、彼の願い。


 リーゼにはハルツという叔父がいて、両親がいて、兄弟がいて、許嫁がいて。

 ノエルには両親がいて、リーゼというお目付け役兼幼馴染がいて。

 クリスとシルに親はいないが、それでもお互い上手くやっていて、それぞれがこの町に居場所を持っていて。

 アラタもそれなりにこの町に根を張っているが、それは昔から持っていたものでは無い。

 絆をすべて失くしてしまったから、それでも生きて行かねばならないから、必要に迫られて手に入れた繋がり。

 彼はノエルの両親の想いに触れて何を想ったのだろう。

 リーゼの父親やハルツと話して、何を感じたのだろう。

 レイテ村のカーター一家の団欒を見て、何を懐かしんだのだろう。

 家族の絆は尊いもので、決して自分から切り離していいものでは無いと、彼は誰よりもよく知っている。

 大切なものは、失って初めてその大切さが理解できる。

 家族も、恋人も、仲間も、自分自身さえも。


 クリスは、アラタの言葉を彼女なりに咀嚼して、彼女なりの言葉を紡ぎ出した。


「あいつは、きっとお前に幸せな人生を歩んでほしいと願ったのだろう。だから突き放して、家に帰らせたんだ」


 扉の向こうから反論は聞こえず、なおもクリスは続けた。


「帰るところが無くなるのは悲しいから」


 彼女がそう言った次の瞬間、岩戸は開き、中からノエルが飛び出してきた。

 急に飛び出してきた彼女はリーゼにぶつかり、勢いで抱き着いた。


「どうしよう。私、またアラタに酷いことを言ってしまった」


「アラタは笑って許してくれますよ。だから早く行ってください」


「うん……行ってくる!」


 剣聖の少女の後ろ姿を見送った3人は、安堵の表情を浮かべた。

 世話のかかる仲間だと、顔を見合わせて笑った。


※※※※※※※※※※※※※※※


 なんでこう、いつもいつも、良くないことを言ってしまうのだろう。

 本当は喧嘩なんてしたくないのに、笑って送り出す事しか出来ないと分かっているのに。

 自分がすべきこと、出来ることなんて限られているのに、それすらできない私ってば一体何なのだろう。


 ノエルは、東に向けて走った。

 クレスト邸からアトラの東門に向かって、ただ走る。

 クラスとスキルの力を総動員して、常人には出せないような速度で走った。

 道は見送りと軍の行進で埋まっているから屋根の上を走った。

 スレートが割れないように、下に落ちないように注意しながら、それでも全速力で走る。

 次々と門の外へ軍隊が出ていく中、黒装束の一団をその目に捉える。

 その先頭、最も遠くにいる背中を、ノエルははっきりと見つけた。


「アラタァァー!」


 声を張り過ぎて少し裏返った叫びは、確かに届いた。

 その場にいた誰もが振り返り、彼女の方を向いている。


「リャン、先に行ってろ。あとで追いつく」


「分かりました」


 アラタは手綱を左に引っ張って隊列から外れ、下馬した。

 今回も彼の愛馬はドバイだ。

 大勢の前でも大人しくしていて、手綱を他人に任せても主の用が終わるのをじっと待っている。


屋根の上から降りてきたノエルは大いに注目を集めた。

 それでも本命の隊列がひっきりなしに通過していくのだから、すぐに興味は逸れる。

 黒鎧に身を包んだアラタは、戦争に向かうとは思えないほど穏やかな表情でノエルが話し始めるのを待つ。


「その……」


「ゆっくりでいいよ」


「行かなっ……うっ、ぐすっ、行っちゃあ…………うぅ。アラタ、アラタァ」


「泣くなよ。こっちまでしんどくなる」


「うぅっ、ズズッ、無理」


 アラタがノエルが話すのを待っている間にも、次々と隊列は通過していく。

 あまり長時間ここにいるわけにはいかない。

 彼は小隊長だ。


「……もう行かなきゃ」


「アラタ」


 ノエルはアラタの服の裾をそっと掴んだ。

 実験装備のアルミが、ひんやりと冷たい。


「うん」


「アラタが死んじゃったら悲しいよ。泣いちゃうよ。だから、生きて帰ってきて、お願い」


「……頑張るよ」


 ——約束はしてくれないんだな。


 そう思った彼女だが、戦いに絶対はなく、約束できないことくらいわかる。

 ノエルは涙を拭いて、上を向いた。


「うん、頑張って!」


「あぁ、行ってくる」


 アラタはそれだけ言うと、再び馬に飛び乗っていってしまった。

 隣に並んでいる空想の自分を思い浮かべながら、ノエルはむせび泣く。

 我慢するのも楽ではないのだ。


「あれが例の大公の娘殿ですか?」


「そー。リャンは初めて見るんだっけ?」


「ええまあ。辺境で遠目には見ていましたが」


「そんなこともあったな」


「生きて帰らなければ、ですね」


「…………カナンが滅びなければそれでいい」


 その言葉の真意を、リャンは問いただそうとしなかった。

 アラタとそれなりに付き合いのある彼は、アラタの考えを汲んでいたから。

 最悪自分が帰らぬ人となっても、公国が存続さえすれば問題ないと、そう言っているように思えた。

 その生き方は酷く不器用で、悲しく、空っぽだった。

 第十五次帝国戦役が始まる。

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