第308話 翼を背負う烏たち
「旦那様、それでは行ってまいります」
深い碧色の髪の男は、主であるマッシュ男爵に挨拶をした。
これから出兵するにあたり、使用人兼護衛の任を一時的に解かれるから。
扱いは休職と同じで、戦争が終わり次第復帰する予定だ。
「帝国人の血が流れているこの身としては複雑な気持ちだが……亡国の憂き目に遭っている我が国を頼むぞ」
「お任せ下さい。2人で粉骨砕身の働きをしてまいりますゆえ」
「頼もしい限りだ。所属の部隊は決まったのか?」
「えぇ。ずっと前から、決まっていました」
男はそう呟くと、もう一人の従者に次いで乗馬した。
彼らはまず、手紙に書かれていた集合場所の首都アトラへと向かう。
「生きて帰ってこい」
「御意」
馬上から返事とした男は、馬の腹を蹴って駆け出した。
ここ数日、カナン公国中で同じような光景が生まれた。
地元を後にして、戦地へと赴く兵士たちの門出。
喜ぶべきことではないが、止めることは出来ない。
彼らは自分たちの代わりに、敵国の兵士を殺害しに向かってくれているのだから。
現役、予備役、軍属、非軍属を問わず、カナン公国に存在する戦力のうち、およそ3万の兵士たちが、起軍命令に従って準備を開始した。
※※※※※※※※※※※※※※※
「エリーがいなくなってから、もう5か月も過ぎたんだ。月日が過ぎるのは本当に速いよ」
リリーやシャーロットが運営している孤児院の敷地内、誰も来ない林の奥に、アラタはいた。
鬱蒼とした木々の間を抜けると、爽やかな風が吹く草原が広がっている。
その中心には、前回の帝国戦役で没したシャーロットの戦友たちが眠っている。
アラタもここ数日、多少なりとも帝国との戦争について調べた。
帝国による侵略戦争の原因は様々だが、決してこれは外交的解決手段の一つという扱いではない。
まず言葉による外交、その後どうしようもなくなったら戦争という現代世界の理とは違い、帝国はある日突然攻めてくる。
それは例えば政治的空白を狙った侵略行為であったり、民族解放を謳った国土略奪行為だったり、果てには皇帝に子供が生まれた記念に戦争を起こしたなんてこともある。
要するに、理解しようとするだけ無駄な相手だ。
そんな頭のとち狂った類人猿以下の野蛮な国家が、この世界の人間界において最大の国土と軍事力を有しているのだから、手の付けようがない。
出来るのは、帝国に迎合して生きながらえるか、こうしてたまに起こる戦争に勝つか、2つに1つだ。
アラタはレイの働く花屋で買ってきた花束を供えると、そっと手を合わせる。
いつまで経っても風化しない、風化してくれない悲しみ。
どんなに平和で楽しい毎日だろうと、悲しみと憎しみが消えた日は一日たりともなかった。
その負の感情こそが、彼をここまで強くした。
アラタは目を開けて、手を下ろす。
「結局、エリーのいう通りだった。これから何千何万という人が死ぬんだろう。エリーが大公になることで犠牲になるのが一部の貴族だけだったとして、俺はそうすべきだったのかもしれない。どちらにせよエリーが死んでしまうのなら、あとは誰が死んでもおんなじだった」
ほとんど誰も寄り付かないはずの無名の墓前に、一人、また一人と、人が集まって来た。
それは影から染み出てくるように、何もないところから湧いてくるように、静かに出現していく。
それらは思い思いに墓前にものを供えたり、手を合わせたりして、アラタの後ろに集まる。
「君の犠牲の上に今のカナンがあるのなら、この命続く限り、俺はそれを守るよ。それが君の生きた証を守るってことだと思うから。それが俺に、俺たちに課せられたたった一つの役割だから」
アラタの背後には、すでに19名の男たちが集結している。
「エリー、ずっと愛している」
そこまで言い終わると、アラタは後ろを振り返った。
見知った顔もちらほらといて、過去に因縁のある者たちも少なからずいた。
そのどれもが、アラタの眼で見て選んだ一流の使い手たち。
すなわち、精鋭部隊だ。
「久しぶり、という人間もいれば、初めまして、という人間もいる。まずは俺の自己紹介からさせてもらおう。冒険者アラタ、ランクはB。元八咫烏総隊長だ、以後よろしく」
彼を見る視線には、大きく分けて3つある。
一つは懐かしい旧友を見る顔、これは問題ない。
一つは憧れの存在を見るような顔、これも問題ない。
そして一つは、まるで親の仇かと言わんばかりに彼のことを睨みつけている顔、こちらは少々問題だ。
「右側から順番に、名前と所属と言ってほしい。ついでに一言も。じゃあお前から」
そう言われて、アラタから見て最も右側にいた男から自己紹介が始まった。
「カロン、元八咫烏第5小隊長。今は無職。アラタ隊長には聞きたいことが山ほどある。だがまあ、それは追々でいい。よろしく」
「アーキム・ラトレイア、特務警邏所属。カロンと同じく元八咫烏第2小隊長だ。よろしく」
「バートン・フリードマンです。元八咫烏、現特務警邏です。以後よろしくお願いします」
「うっす、エルモっす。特務警邏所属っす。よろしくおねしゃっす」
「元黒狼、八咫烏のダリルだ。アラタさんの頼みでここに来た。総隊長の邪魔をする奴は容赦しない」
「デリンジャーです。公国軍士官学校を今年卒業しました。よろしくお願いします」
「……ヴィンセント。よろしく」
「ウォーレンだ。中央戦術研究所から来た。腕利き部隊に配属されて緊張している、優しくしてくれ」
「ハリスっていいます。一応元八咫烏です。今はパン屋で働いているので、もしよかったら買ってください」
「冒険者のテッドです。ランクはCで、軍の戦闘工兵カリキュラムを修了しています。そっち方面を担当すると思うのでよろしく」
「公国軍北部方面隊から来ましたカイです。精鋭部隊で仕事を出来ることに感動しています」
「アレサンドロだ。警邏機構対テロ特殊部隊出身、よろしく」
「同じく対テロ特殊部隊出身、バッカスだ。まさかテロリストたちと共に戦うことになるとは思わなかったが、仕事に私情は持ち込まない派だ。よろしく」
「えーサイロスです。元中央軍第1師団所属、今は冒険者やっています。軍と交渉することもあると思うので、その時は任せてください」
「サイロスのパーティーメンバーのシリウスです。俺は普通の冒険者、よろしく」
「クラーク伯爵家で私設兵として雇われているエリックです。よろしくお願いしましゅ……します」
「メトロドスキー子爵家から来ましたギャビンです。東部動乱ではご迷惑をおかけしました。子爵家の名誉を回復するために、粉骨砕身働かせていただきます」
「キィです。マッシュ男爵家から来ました。元八咫烏です」
「同じくマッシュ男爵家使用人兼護衛のリャン・グエルです。元八咫烏ですので、動きについて分からないことがあれば遠慮なく聞いてください」
リャンで締めくくられた自己紹介イベントを聞く限り、どいつもこいつも粒ぞろい。
ここに戦力を集めている分他が薄くならないか不安になるレベルでの精強な部隊。
それを率いるのは、当然彼だ。
「みんな硬いし壁を感じるなぁ。まあ友達じゃねーし、追々仲良くなっていこうや。それじゃまずは分隊長と班分けを発表する」
アラタは隣に置いてある大きな袋の中から、さらに小分けされた麻袋を取り出した。
そこには誰のものかわかるように名前が書かれている。
「第1分隊長は俺として、リャン・グエル、キィ、カロン。お前たちは第1分隊だ」
そう言いながら、アラタは3人に袋を手渡した。
この部隊として動くために必要な装備が入っていて、それらは全てメイソンが死ぬ気で制作したものだ。
彼のおかげで、出陣に間に合った。
「久しぶりですね」
「あぁ。クリスはいねーけどな」
「アラタ、僕少し背が伸びたんだ」
「おー、確かに。期待してるぞ」
元八咫烏第1小隊の面々は再会を喜び、次はカロンに荷物を渡す。
「頼むぞ」
「隊長、話したいことがたくさんあるので、それまで死なないでください」
「お前もな」
カロンは大公選後の混乱の中、首都から脱出しようとした第1小隊とぶつかり撃破されている。
彼らに対して思うところがあるのだろう。
様々な人間を登用するという事は、そういう問題も包括的にフォローするということになる。
彼らの今後の課題の一つだ。
「続いて第2分隊長アーキム、班員はバートン、エルモ、ダリル。第3分隊長はデリンジャー、班員ヴィンセント、ウォーレン、ハリス。第4分隊長テッド、班員カイ、アレサンドロ、バッカス。最後に第5分隊長サイロス、班員シリウス、エリック、ギャビンだ。名前を呼ばれなかった者は?」
誰も手を挙げない。
これにて完了だ。
「俺たちの所属は公国軍、第1師団、第1旅団、第2連隊、第32特別大隊、第206中隊、その中の第1192小隊だ。第1192小隊は明日9:00にアトラを発つ。初めの仕事は輜重隊、物資を運搬管理する物流部門だが、この間に部隊の訓練を行う。みんなそのつもりで心の準備をしてくれ。何か質問のあるやつはいるか?」
数名の手が上がり、アラタはその一番左側、アーキム・ラトレイアを指名した。
「クリスの姿が見えないが、来ないのか」
「あいつは従軍しない。大公の娘たちと別行動だ」
「小隊長が遠ざけたのですか」
「別に。必要ないと判断しただけで他意はない。他にあるか」
次に、テッドを指名した。
「隊長はこの部隊をどのように使いますか」
「用兵は専門外だ。ただ勝つために、負けないために、生き残るために戦う。その中にはお前ら兵士も含まれている。つまり、無駄死にするつもりもさせるつもりもない」
「なるほど、よく分かりました」
「もういいか」
いくつか質問が重複していたようで、これ以上手は上がらない。
これにて結成式終了のようだ。
「では明日から、我々は一心同体の戦闘単位となる。武力ではカナンを侵せないと帝国の連中に知らしめるのだ! 解散!」
こうして公国軍第1192小隊は組織された。
この部隊は通称、八咫烏。
大公選時に活躍した組織の名を受け継ぐこの名前の部隊を率いるのは、同じく冒険者アラタ。
前回は失敗した。
エリザベスを護り切れず、壊滅と言っても差し支えない損害を被り、そして部隊は解散した。
今回は違う。
そう誓うように、全員に配布された黒装束装備の背中には、三本足の烏の紋章が刻まれている。
新時代を飛翔するための翼を背負い、彼らは飛び立つのだ。
帝国の宣戦布告から3日、ついに中央軍3万が動き出す。
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