第307話 親の気持ち、私の気持ち

「ねえってば!」


 怖い。

 まただ。

 またアラタはどこかに行こうとしている。

 私を置いて、一人ぼっちで。

 置いていかれるのも怖いし、アラタが私のいないところで傷つくのも怖いよ。


 右手を掴まれたアラタは、反射的に振り払おうと力を込めて、思いとどまった。

 自分の手を掴んでいる相手の手が、震えていることに気が付いたから。

 ブルブルと小刻みに振動している彼女の手は、自分より小さく、華奢で、冷たかった。

 一瞬動揺した彼だったが、すぐに『だから何だってんだ』と切り替える。

 こんなことで時間を使ってはいられない。


「離して。とりあえずノエルは……家に帰れ」


「い、い、いやだ。私も行く」


「大公と約束したんだろ。もう我儘言わないって。いいから帰れ。今のうちに両親に会っておけ」


「何でアラタがそんなこと言うんだ。私だって戦いたいよ」


 振り返ったアラタの顔を見て、ノエルは少し涙目になっている。

 単純に、怖いから。

 アラタの怖い部分が、全面に出ているから。

 彼の容赦のない側面が、ノエルの眼前に立っている。


「いいから。こっから先、いつ会えるか分からない。リーゼもだ。とりあえず今は実家に帰れ」


「ノエル、アラタのいう通りです。私たちは私たちで出来ることがありますよ」


「やだ、帰らない。アラタが父上に何か吹き込まれているのは知っている。父上の指図は受けない」


 この時間が無い時に、とアラタは唇を噛む。

 しかし、感情的になってはいけないと自身を戒めながら、理性的に諭そうと試みる。

 元来そんな性格でもないというのに、彼だって心の赴くままに振舞うような野生児なのに、アラタは頑張ってそういう性格を演じる。


「ノエル、本当にいつ会えなくなるか分からないんだ。頼むから、一回家に帰ってくれよ」


「イヤだ! 私も一緒に行きたい!」


 何を言っても嫌いやイヤ。

 世の子育てに奮闘する親の皆様には頭が下がる思いのアラタだ。

 彼とて我慢強くはない。

 徐々に口調が鋭く、厳しくなる。


「帰れ。今すぐ。頼むから」


「絶対にヤダ! 私もギルドに行って申請する!」


 冒険者は、国家の非常事態に際して軍の外郭団体として行動することもある。

 しかしこれはあくまでの要請、志願制であり、先だっての東部動乱におけるハルツパーティーがそれにあたっていた。

 要するに、ノエルも戦場に行くというのだ。


「出来るわけねーだろタコ。いいからはよ大公のとこに帰れ」


「イヤだ」


 プチッ。


「いい加減にしろ! 親の気持ちを考えろ! 会えなくなってからじゃおせーんだよ!」


「アラタこそ、私の気持ちも考えてよ!」


「知らねーよ! いいから帰れ! 大公がどんな気持ちでお前を冒険者にしたのか、大公妃がどんな気持ちでウル帝国に送り出したのか、分からないじゃ済まねーぞ!」


「他人のアラタが指図するな!」


 ノエルは、言ってはならないことを言った。


「ノエル! 取り消しなさい!」


 リーゼに怒鳴られて、目の前にいるアラタが凄く悲しそうな顔をして、寂しそうな顔をして、ノエルは自分が何を言ったのか、なんてことを言ってしまったのか、遅れながら気が付いた。

 アラタの手を握る力が抜け、何をしたらいいのか分からなくなる。


「あ、あの……ごめん、違うんだ、違うんだアラタ。その、あの……分かってくれ、違うんだ。そんなつもりじゃ、分かってよ、ねぇ、すまなかった、酷いことを言った。ごめん、許してくれ、撤回する、帰るから、家に戻るから、だから、お願い、ごめん、許して……アラタ」


「家族と会えなくなってからじゃ、もう遅いんだよ」


 そう優しく語り掛ける彼の声は、今にも消えてしまいそうな儚さを孕んでいて、確固たる自己体験に裏打ちされた言葉の重みはノエルに重くのしかかる。

 もう家族はおろか、友達にすら会えない彼にとって、これほど無神経で腹の立つ言葉もそうないだろう。

 それでも、アラタはただひたすらに、『家に帰れ』と言う。

 ノエルには自分と同じ想いをしてほしくないという、彼なりの親切心だ。


「アラタ、行かないで」


「……ごめん」


「謝るな、謝らなくていいから、行かないで。もう嫌だよ、何でアラタなんだ。他の人でいいじゃないか、なんで、なんでなんだ。行かないでよ、そばにいるって言ったじゃないか」


「…………ごめん」


「いなくならないで。置いていかないで」


 そう言ってもらえることが、俺には嬉しくて、疎ましい。

 自分に価値があると思える瞬間でもあり、それでも俺は俺のことが嫌いだと再認識する。

 俺の存在は、誰かを笑顔にするよりも、こうして悲しませてしまう。


「リーゼ、頼んだ」


「アラタ……ねぇ、行かないでよ」


「沢山のものをくれてありがとう」


「行かないでって言ってるじゃないか!」


「またな」


※※※※※※※※※※※※※※※


「これを速達で。それから冒険者部隊の志願書類はこれでいいっすか」


「はい、問題ありません。配属ですが——」


「アラタ!」


 冒険者ギルドアトラ支部において、彼は自身の従軍申請をしている最中だった。

 そこに背後から声を掛けたのは、ハルツ・クラーク。

 彼はアラタたち灼眼虎狼と入れ替わりでウル帝国入りし、帝国との調停に従事しているはずだった。


「ハルツさんもですか」


「あぁ。ちょっといいか」


「えぇ、書類はどうすれば?」


「持ってこい。郵便は送ってもらえ」


 ギルドが騒がしいのはいつものことだが、今日は次元が違う。

 帝国と戦争になるのだから、これくらい混乱していなければむしろおかしい。

 そういう見方をすれば、このくらいの喧騒は正常だ。

 食堂も併設されているギルドだが、今日ばかりは営業できそうにない。


「結局、最初から帝国は仕掛けるつもりだったってことですよね」


「そうだが、俺たちの至らなさの結果でもある」


「それを言うなら俺だって、極論エリーが大公になっていればこんなことにはならなかったわけで、それを邪魔したのは俺です」


「やめだやめ。互いに傷を舐め合っても状況は変わらん。それより、お前は配属希望を書いたか」


「いえ、どこでもと」


 そんな彼の手元にある記入用紙には、必要事項はすべて記入していて問題ないのだが、備考欄に記述がない。

 配属先の部隊や兵科に希望があるのなら、出来る限りオーダーには沿うように手続きしてくれる。


「なら俺の所に来い」


「ハルツさんは何隊長なんですか?」


「第206中隊長だ」


「中隊ってことは……100人隊ですか」


「そうだ。正式には未発表だが、俺たちは500名以上からなる冒険者の部隊、第32特別大隊、通称冒険者大隊所属だ。ちなみに大隊長はレイヒム殿」


「ことごとくレイヒムさんの下ですね」


 不当な評価でもないが、正当な評価かと聞かれると微妙な人事に、ハルツも笑うしかない。


「察したようなツラをするな。俺は伯爵家の切れ端みたいなものだからな、体裁がつかないんだ」


「お疲れ様です」


「うるせい」


 少し雰囲気も軽くなったところで、ハルツは本題に入る。

 そこまでの道のりがやや長いのが、彼の良くないところだ。


「アラタお前、さっきの手紙は誰に宛てたものだ?」


「プライバシー的にその聞き方はどうかと思いますが……宛先はマッシュ男爵です」


「マッシュ、マッシュ……なるほど。やはり俺の眼に狂いはなかった」


 ハルツは真っ白な歯をにかっと見せてはにかむと、金貨を数枚握らせてきた。

 アラタは驚きつつも、素直に受け取る。

 彼の懐事情的に、謙遜したり断ったりする選択肢は無いらしい。


「これを使え。きっと役に立つだろう」


「恩に着ます。それと、俺たちの所属はどういう構成になってるんですか?」


「一番上がカナン公国軍司令官、アイザック・アボット大将。その下のアダム・クラーク中将率いる第1師団。その下のケイ・マクラクラン少将率いる第1旅団。そしてリーバイ・トランプ中佐の第2連隊。その下に第32特別大隊だ」


「……ハルツさんの下に付いて戦うって認識でいいですか」


 分かりやすい構成とはいえ、彼には少々長かったみたいだ。

 もう少しで頭の上から煙が出てきかねない。


「お前は俺の下、通し番号は分からんがハルツ中隊の第2小隊長をやってもらう。自分を入れて20名の編成だ。その金を使って好きに装備と人員を整えろ」


「了解であります、ハルツ中隊長殿」


 おどけた様子で敬礼してみたアラタにハルツから拳骨が落ちる。


「痛っ!」


「軍に入ったからには規律を叩きこまねばな。不敬は腕立て100回! 始め!」


「勘弁してくださいよぉ」


 そう言いつつギルドの床に手をついて、高速腕立てを実行する彼を見て、その滑稽さにハルツは少しおかしくて笑った。


「それでは、俺は少し回るところがあるので」


「出陣までには間に合わせろよ」


「もちろんです」


 まだやることがあるハルツとその仲間たちはギルドに残り、次の目的地に向かうアラタを見送る。

 戦争に行かねばならないのは、いつだってあんな若者だ。

 不可抗力とは言え、この戦争を止められなかったハルツたちパーティーは、自らを恥じるしかなかった。


「メイソン! 例のやつできてるか!」


 メリルボーン伯爵家も何名か出すようで、屋敷はてんてこ舞い状態になっていた。

 使用人たちは慌ただしく走り回り、ありったけの金と武器の類を数え上げて必要分を投入する。

 そんな中にあって、離れにある工房に籠りきりになっている廃嫡された長男は、それはそれは浮いていた。

 メイソン・マリルボーンは、例によってアラタから無理難題を押し付けられて稼働している真っ最中だ。

 最近は色々と渋り始めて、アラタの言うことを素直に聞かなくなってきたメイソンだったが、そんな彼をアラタは金貨の入った袋で殴りつけて働かせている。

 本当に殴っているのではなく、相場の数倍の値段で仕事を依頼しているだけなのだが、これで受けてくれなければアラタは本当に金貨で殴りかねない。


「アラタ殿、本当に最後ですよ。本当に、もう……無理」


 彼はそう言い残して、バタンキューで寝息を立て始めた。

 限界ぎりぎりだったとしても、その仕事には一切の妥協が無い。

 彼のそういうところがアラタは好きで、自分にはできない技能と矜持を尊敬していた。

 特急料金と言う意味で詰んでいる多額の費用だが、メイソンという優れた職人に対するリスペクトの意味も含まれていることを、彼自身はそこまで理解していない。

 今回も相場よりかなり高い値段で契約を結び、前払い方式で支払いを済ませてある。

 そしてアラタはさらに金貨数枚を工房の机の上にそっと置き、寝ているメイソンをソファに移動させて毛布を掛けた。

 夏の終わりとは言っても、流石にこれで夜まで放置されたら寒いだろうから。

 ギリギリ一人で運搬できるかという量の布地と、こちらはとても一人では持ちきれない量と重さの金属のジャラジャラした鎖。

 【身体強化】で人体の限界を引き上げながら、アラタは20人分のそれを運んで行ったのだった。

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