第299話 悲劇の続きを前向きに

「隊長、お待ちしておりました」


「あー、久しぶり。本隊はもう動いてないのに悪いな」


 少し気まずそうに挨拶を交わしたアラタに対して、第4小隊長のオリバは首を横に振る。

 その表情は非常に優しげだ。


「顛末は聞き及んでいます。長い間お疲れさまでした」


「そう言ってくれるとありがたい」


「コラリス様がお待ちです。行きましょう」


 アラタたちは馬を第7小隊に任せて、第4小隊と共にコラリス・キングストンの所へと向かっていた。


「八咫烏のみんなはまだ生きていますか」


「半分近くが戦死した。残りは散り散りだ」


「そうですか……」


 アラタ達第1小隊がウル帝国を後にしてからも、残された彼らの仕事は続いていた。

 キングストン商会名誉会長コラリスの手先となって帝国に馴染み、情報を集め、秘密裏に活動する。

 そうして得られた情報はカナン公国へと送られ、祖国の役に立っていた。

 何も誰かを殺す事だけが、八咫烏の存在意義ではない。


「ねえ」


 ノエルがリーゼにそっと耳打ちする。


「なんですか」


「アラタが真面目だ」


「元からですよ。普段はノエルに合わせていくれているんです」


「なにぃ!?」


「そこ、静かにしてろ」


 背中を向けたまま注意され、ノエルは黙った。

 何かこう、自分の知らないアラタを垣間見て、その存在が遠くに感じられた。


「で、コラリス殿はどこに?」


「はぁ、それがですね……」


「商会じゃなさそうだけど」


「追々説明があると思います」


「そうか」


 キングストン商会と言えば、ウル帝国の中でも有数の巨大組織。

 その場所は帝国議会のほぼ隣にあって、当然グランヴァインの中心部に位置している。

 西門から入城してからというもの、本来なら真っ直ぐ中心に向かうはずなのに、一行は北側に向かっている。

 初めから北門から入城すればよかったのではと思えるほどに。

 コラリス個人の邸宅もこの位置には無く、引っ越したような風にも聞こえない。


 何か分からないが、何かあったな。


 そんな彼の懸念は、またも的中することになる。


「ここです」


「小さくなったなぁ」


 盛者必衰というが、まさにそんな感じ。

 豪華絢爛、巨大で強大な城のような屋敷に住んでいたコラリスは、現在こんなにこじんまりとした邸宅にいる。

 それでもアラタの暮らす屋敷に比べると幾分か大きいが、商会の名誉会長ともあろう人間が地方国家の冒険者と同レート帯という時点でお察しだ。

 オリバが玄関の扉を叩き、開けてもらう。

 以前なら警備が立っていて、人力自動で扉が開いていたのだが、それもない。


「はい……あら、そちらが例の?」


 中から現れた使用人らしき女性は、どちらかというとパートタイマーのお手伝いさんという感じだ。

 制服に身を包んでいる訳でもなければ、スーツもメイド服もない。

 家事をするのに必要なのか、薄橙色のエプロンを身に着けているだけで、下は私服。

 どんどん嫌な予感が強まっていくアラタは、それを出来る限り隠して挨拶をした。


「オリバの元上司のアラタです。本日はコラリス殿に御用があって参りました」


「えぇ、えぇ、聞き及んでおりますとも。さぁ、どうぞお入りください」


 中に招かれた一同は、順番に入っていく。

 まず第4小隊が入り、靴のまま上がる。

 ここの屋敷はそういう仕組みのようで、次いでアラタが土足で上がった。

 良くないことだと分かりつつも、彼は内装を値踏みする。

 玄関は普通の屋敷、特に金をかけて作り直したりしている様子は無い。

 キラキラとした光物が大好きなコラリスらしくなかった。

 廊下も、絵画の一枚も飾られていなければ、壁紙も特にこだわってはいないようだ。

 それでも汚れや破れが見当たらないのは流石だとしつつ、ここでも金の匂いはしない。

 来るタイミングが遅かったかな、そう思いつつ、アラタは久しぶりに家主と対面した。


「待っておったぞぉ!」


 記憶していたよりも遥かに大きな声で、コラリスはアラタを歓迎した。


「お元気そうで何よりです。コラリス・キングストン殿」


「硬い、硬いぞアラタァ! もっと砕けろ!」


「はぁ。善処します」


「まあよい。エミリア! 食事にしてくれ!」


「畏まりました旦那様。少々お待ちください」


 先ほどの女性はエミリアと言ったのか、コラリスの指示を受けて退室した。

 これから宴会の準備をするのだから、忙しくなりそうだ。


「連れの方々も、どうぞ力を抜……い、て?」


「どうされましたか?」


 コラリスが不思議そうな顔をして、一行に近づいてきた。

 先頭に立つアラタの脇をすり抜けて、隣にいたクリスもスルーして、リーゼとノエルの顔を交互に見る。


「あ、あの……」


「クレスト家の方でございますか」


「あ、あぁ。ノエル・クレストだ……です」


「するとそちらはクラーク家の」


「長女のリーゼでございます」


 普段は細い眼を真ん丸に見開いて、あからさまに驚いてみせた。

 アラタの常識からすれば、情勢が不安定だから応援に来てほしいと言われて貴族の子女を送り出す家は無い。

 そういう意味で、彼も驚いたのだろうと読んだ。

 勿論それもあるだろう、しかし、他にも理由はあった。

 コラリスは嬉しそうに相好を崩すと、2人の手を取って高笑いした。


「懐かしいのう! ノエル様がお生まれになった時は祝いに行ったのじゃよ。あれからもう20年近くか!」


「18年です」


「そうかそうか! 今年で18歳か! 大きくなられた!」


 まるで久しぶりに帰省してきてくれた孫娘を出迎えるような、嬉しそうな顔だ。

 元々陽気な爺さんだが、さらに数段嬉しそうに見える。


「リーゼ嬢は今年で20か!」


「そうです」


「ということはアラタと同年、時が過ぎるのは早いのう!」


 アラタは彼の喜びようを見て、何だかんだこいつらを連れてきてよかったと思った。

 彼やクリスだけだと、どうしても事務的な会話に比重が寄ってしまう。

 話題作りの意味も込めて、こうして2人が来た意味はあったらしい。


「旦那様、ご食事の用意が出来ました」


「おおそうかそうか。ではご客人方、少し付き合っていただけますかな」


「もちろん喜んで」


 アラタがそう返すと、老人はまた嬉しそうに笑った。


※※※※※※※※※※※※※※※


「今日は楽しかった。こんな老人に付き合ってくれて感謝する」


 その言葉で、楽しい食事会はお開きとなった。

 八咫烏第4、第7小隊、灼眼虎狼、コラリスの13名による宴会は、大いに盛り上がった。

 まず飯が美味い、これに尽きる。

 流石は帝国議会議員、美味いものを知っていて、それを集める術を持っている。

 それだけでも、遠路はるばる帝国まで来た甲斐があるという物だ。

 八咫烏はこの屋敷を拠点として活動していて、アラタ達もそれにあやかることとなっている。

 アラタはクリス、第7小隊のバンドワークを伴って、周囲の状況把握を兼ねて散歩していた。

 閑静な住宅街、首都というだけあって他の家もこのサイズ感、警備をするうえでは特に可もなく不可もなく、八咫烏が3個小隊もいるのなら易々とやられることは無さそうだ。

 そうして一通りの見回りを終えると、廊下でふと声を掛けられて振り返る。


「アラタ、ちょっと付き合わんかい」


「お供します。2人は寝てていいぞ」


 家主に付き合うのも、仕事の一つだ。

 アラタは武装したままコラリスについていき、言われるがままに縁側に腰を下ろした。

 庭は広く、樹木をそれなりの数植えていてもなお余っている。

 その余裕が、いかにも金持ちという感じがした。


「まあ飲め」


「いただきます」


 斬り裂くような辛口の醸造酒。

 酒の良し悪しには疎い彼でさえも、これが上等なものだと一発で判断がつく。

 本物とは、誰もが一流を感じずにはいられないもののことを指す。


「美味いか」


 静かながら、酒という物の美味さを感じているアラタを見て、隠居老人は満足そうに笑う。


「えぇ、とても」


 夜の月明かりの中で、青々と茂る木々の隙間から光が射している。

 蒸し暑い日でも、多少は涼しく感じられるこの庭は、風流だ。

 コラリスという男は回りくどいことが嫌いな質で、すぐに本題に入ろうとする。


「レイフォード卿のことは残念じゃったの」


「……そうですね」


 彼女を失脚に追い込んだ共犯者同士の会話にしては、おかしな話だ。

 彼らが結託してこの帝国で行った諜報活動の成果物こそ、大公選におけるエリザベス・フォン・レイフォードの敗北を決定づけたのだから。

 しかし、彼としては本当に残念だったのだ。

 レイフォード家の資産は分割吸収され、その過程でいくつかは立ち消えになってしまったから。

 それで商会が被った損害も、決して軽くはない。

 そしてもう一つ。

 コラリスは八咫烏を通じて、アラタたちの行く末を耳にしていた。

 決まっていた結末に向かい、散ったと。

 だから、本当に残念だったのだ。

 そして、アラタはアラタで聞くべきことがある。


「今後、商会を通す必要はありますか?」


「……ない。好きにするとよい」


「そうですか」


 それだけで何があったのか察した。

 名誉会長だったこの老人は、今はもうキングストン商会と関わりがないのだ。

 だから、商会本部にもおらず、こんな屋敷に使用人と彼のみが生活している。


「八咫烏から聞いておりませんので、顛末を伺っても?」


「なに、簡単な話じゃ。キングストン商会は死の商人に成り下がり、わしは商会を関わりを絶った」


「フェルメール殿が?」


 悲しそうに首を縦に振る。

 実の息子に商会を奪われ、挙句大切に育ててきた商会を破壊されたのだ。

 彼は今、同時に2つのものを失ったに等しい。

 その悲しみは計り知れない。


「今は何を?」


「わしについてきてくれた一部の者たちと細々とやっておる。ワシのこれ商売は生き方みたいなものじゃからな」


「……なぜ、フェルメール殿は変わってしまわれたのでしょうか」


 以前話した時は、とても父親と袂を別つような人間には見えなかった。

 物腰柔らかく、優秀で、気配りが出来て、これ以上ないくらいコラリスは子育てに成功していたはずだった。


「分からぬ。結局わしは、息子一人のことすら分からぬ凡夫だったのじゃ」


 酒を注いだお猪口が、震えている。

 コラリスは早くに妻を亡くしており、再婚していない。

 子供はフェルメールただ一人、悔やまれる。


「遠からず、帝国は周辺国と再びぶつかる」


「今も東と戦争状態じゃないですか」


「あれはもう日常茶飯事じゃ。それとは違う」


「それにカナンが巻き込まれると?」


「否定はせぬ。可能性の話じゃ」


 コラリスはぐいっと酒を飲み干し、アラタが次を注ぐ。

 器が空いていないアラタのそれをコラリスが見つめ、仕方ないかとアラタも飲み干した。


「ところであれはお主のアレか?」


「何のことです?」


「とぼけるでない。貴族の子女を落とすとは、中々にやり手じゃのう」


「そういうんじゃないです。大公に命じられたから護衛しているだけですよ。……なんすか」


 底意地の悪そうな笑みを浮かべながら、コラリスは美味そうに酒を飲む。

 アテなんてなくても、美味い酒はそれだけで楽しめる。


「若いのう」


「だからなんすか」


「互いに大事な物を失った者同士、爺から助言じゃ」


 そう言いながら、アラタのお猪口に酒を注いだ。


「人生とは不思議な物での、何かを失えば代わりの何かがすぐに現れるのじゃよ。それを手に出来るのかは本人次第じゃが、取りこぼせば一人になる。ワシのようにな」


「コラリス殿は一人じゃありませんよ。我々がいますから」


「嬉しいが、いつかは本国に呼び戻されるのであろう?」


「それはそうですけど」


「恋人との永遠の別れ、なるほど悲劇じゃ。じゃがお主の人生、それで締めくくるにはいささか早すぎる。ゆっくりでもいい、回り道をしてもいい、それでも最後には笑って死ねるように、前向きに生きてみんかい」


 老人は空のお猪口を逆さまにして置くと、すくっと立ちあがった。

 今日はこれにて、そういう意志表示だ。


「まあなんじゃ。再婚しなかったわしがいうのもなんじゃが、あと数十年、独り身は寂しいぞ」


「……そうですね」


「大いに迷え若者よ。ワシは寝る」


「色々とありがとうございました」


「何もしとらんよ。ただの独り言じゃ」


 肩を揺らしながら笑う男の背中は、楽しそうで、どこか寂しそうだった。

 アラタはもう一度座ると、まだ空になっていない酒に手を付ける。


 寂しいというのは、痛いほどによくわかる。

 ただ、寿命が短くなると宣告を受けている俺に、あとどれだけの時間が残されているのだろうか。

 もし長くないのだとしたら、俺は…………


 ——孤独にはもう慣れた。


 ただ一人、元の世界から引き剥がされた異世界人は、二度と帰れない故郷を思い、一人酒をあおった。

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