第295話 私は
「重症だな」
「でもそれだけクラスのポテンシャルが大きいってことですよ」
「それもそうか」
不参加のクリスは除外して、3人によるノエルの呪いに関する調査は計測中だ。
アラタが商会経由で入手した記録では、剣聖の呪いに統一的な基準は無いとの事。
つまり何が出来て何が出来ないのか、どんな条件で効果が発動するのかを事細かに調査していく必要があるのだ。
それが剣聖の呪いをコントロールすることに繋がるはず。
「包丁ダメ、泡立て器ダメ、ボウルダメ、フライパンダメ、鍋ダメ、あとは……」
チェック項目として挙げられていた内容を一通り確かめ、失敗したものにチェックを付けていたリーゼの前で、もう一つ失敗した。
食材を洗うこと、ダメ。
ノエルが水道の蛇口をそう言った目的で捻ると、なぜか水道がバカになって壊れてしまう。
アラタから見ると、呪いというのは物理法則よりも強制力が高いのではないかと思えてくるほどだ。
そんな強力な敵に対して、調査チームは未だ有効な手立てを見つけられずにいた。
どうにもならなそうな雰囲気は、下手したらダンジョンを攻略するときより難しそうだ。
「はは……これもダメか」
アラタ、リーゼ、シルの3人は調査しているだけな分まだましだが、一つ一つチェックするごとにお前はこんなにできないのだと現実を突きつけられるノエルの身にもなってほしい。
自己肯定感は大暴落している。
まあ泣き言を言ってもどうにもならないので、無慈悲にもすべての項目の調査が完了するまでノエルには苦しんでもらった。
その結果を踏まえて、3人で会議が開かれる。
「清々しいほどにダメだったな」
「見てください、ゆで卵を剥くのは出来ましたよ」
「それ実はシルが手伝ったの……少しだけ……ごめんなさい」
「あっ、いいんですよ。じゃあこれもバツっと」
「道理で。生卵握りつぶすのにゆで卵セーフな意味が分かんなかったんだ」
「アラタッ」
「……わるい」
彼が首をすくめたところで、会話が途切れた。
ここまで何もできないと、クリスではないがもう諦めた方が良いと思えてくる。
彼女はこの国有数の名家の人間で、冒険者として成功を収めていて、収入面に不安要素は一つもない。
それこそ使用人やお手伝いさんなんて無限に雇用できるほどに。
ただ、そういうことではないとこの場の全員が分かっている。
ノエルがやりたいというのだから、この不出来な妹分に悲しい思いをさせたくないと、最年少のシルでさえも思っている。
改めて、具体的な方策をひねり出そうとする。
「火を見張るだけとかは駄目なの?」
「多分調理器具に触れたらアウトなんですよね」
「違うかも」
「シル?」
シルはおもむろに立ち上がると、台所に広げられた調理器具の中から取っ手のついた平たい鍋を取った。
そのフライパンに油を敷いて火にかけ始め、少し置く。
その間に生卵を一つ用意すると、シルはノエルを呼んだ。
「割ってみて」
「え、でも」
「シルのいう通りにして。シルがヒビを入れるから、ノエルはそれをぱかってやるだけ」
「うん」
シルは台所の角で卵を割ると、それをフライパンの上に構える。
白身があと少しで零れ落ちそうなほど、ひびは大きい。
「こ、こうか?」
シルが卵を手に持ったまま、2人で共同作業をするようにノエルが手を添えた。
そして少し力を入れると、今までとはまるで違う、綺麗に半分に卵の殻は分離した。
黄色い眼玉が、フライパンの上から2人を見上げている。
「…………できた」
「できた?」
「出来たんですよ!」
「出来た!」
なんとも非効率的で、時間の無駄な作業。
初めからシルがやってしまえば3秒とかからない作業。
でも、それをノエルが参加してやったということに意味がある。
先ほどまでは卵を割る事すらできなかったのに、ようやく一歩進んだ。
出来たという事実は、ノエルの心を明るく照らす。
「見たか!? ねえねえ、見たか!」
「はいはい、見たから」
「シル! もう一回!」
何個卵料理を作るつもりなんだと苦笑しながら、シルは次の卵を準備する。
「人に手伝ってもらうっていうのがセーフなのか」
「人の手伝いをするのがセーフなのかもしれませんよ?」
「一緒だろ」
「とにかく、良かったですね」
「だな」
ここから先は、奇跡の連続だった。
共同作業であればある程度呪いが回避できると分かったのだから、今度はその境界線を攻める作業になる。
手を触れるだけではダメ、手を添えれば包丁だって使える。
そんな基準を一つ一つ調べていって、事細かに記述していく。
キングストン商会から金貨3枚で売りつけられた剣聖オーウェン・ブラックの手記の元手を回収すべく、アラタも必死だから。
日頃の行いのせいでシルによるお小遣い制になってしまったアラタは、これ以上金を動かすことが出来ない。
何とかしてメイソンと一発狙っている最中だが、堅実に回収していくことも必要になる。
そうしてリーゼをメインに調査を進めること30分、急にノエルの動きが悪くなった。
「ノエル?」
「ちょっと離れて」
今は後ろから二人羽織の要領で作業していたところ、急にノエルが不機嫌になって来たのだ。
「チェンジ」
「何でですか」
「なんでも」
理由も分からないまま、今度はアラタがその役を務める。
後ろから手を伸ばして、フライパンで魚を焼く作業だ。
「…………アラタも離れて」
「は?」
「いいからっ」
「はぁ」
「シル、来て」
「シルじゃ手が届かない」
小さなおててを見せてシルは不可能だと断った。
なんでチェンジしたのか理由が見当たらないアラタだったが、まあいいかと今日はここで切り上げることになった。
時刻は既に正午を回っていて、朝から働き詰めのアラタは休憩することになった。
シル、ノエル、リーゼだけになって、リーゼはそれとなくチェンジの理由を訊いてみた。
「後ろからじゃなければよかったですか?」
「……うん」
「何でか教えてくれますか?」
「…………ねが当たってた」
「え?」
「だからぁ! おっぱいが当たってたのぉ!」
普段は紅玉のように美しい瞳が、ひどく淀んでいる。
「同じものを食べているはずなのに、なんでこんなに不公平なんだ。私の分はどこに行ったというんだ、ハハハ、こんな世界壊して……」
「わーノエル! もうしませんから怖いこと言わないでください!」
「近づかないで! 接近禁止!」
「そんなぁ。でもそれならなんでアラタもすぐにチェンジしたんですか」
「それは…………とにかく! 2人は接近禁止!」
「理不尽ですよ~」
解呪は進んだのか進んでいないのか微妙なところに落ち着いたノエルの料理教室は、2人の接近禁止令で片が付いたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
剣聖つっても、結局ノエルなんだから適当に話合わせとけばいいんじゃないだろうか。
そんなことを考えつつ、アラタは夜ご飯の洗い物をしていた。
午前中に色々やったせいで、台所の整理整頓までしなければならないのは面倒な話だ。
それでも恐らく生まれて初めてまともに料理が出来たノエルの嬉しそうな顔を思い出すと、それならそれで良かったとも思えてくる。
シルは疲れたので寝ると言い、現場には彼一人だけ。
そこに現れた状況を後で思い返せば、月単位でずっと前から虎視眈々とタイミングを計っていたのだろう。
「あの、アラタ……さん」
「は?」
ノエルの声で敬語が聞こえた気がしたアラタは、間抜けな声を上げて振り返った。
推測した通り、そこにはノエルが下を向いて立っている。
「どうした?」
「あの、あのあの、わわ私……ノエルっていいます」
「知ってるけど」
なんとも言えない、気まずい時間が流れる。
沈黙を破ろうかとも考えたが、アラタはそうしなかった。
いつもながら変だとも思いつつ、少し様子のおかしい彼女を警戒していたというのもある。
「その、今まですいませんでした」
「はぁ?」
突然の謝罪に、彼はもう何が何だが、非常に頭が混乱させられる。
「その、この前は酷いこと言ってごめんなさい。首絞めたりしてごめんなさい。背中を斬ったりしてごめんなさい」
うつむいたまま、ノエルはさらに深く頭を下げた。
女の子の日で情緒が不安定なのかな? と決して口に出せない内容を頭で考える。
思想は自由だ。
「この前って……随分前の話だけど……」
「それでもごめんなさい」
現在8月上旬で、それらの出来事があってから10か月程度が経過している。
今更という気持ちが一番強く、次いで忘れかけていたという気持ち。
「まあ、お前のせいじゃないからさ。あんまし気にすんなよ」
「いや、私のせいなんだ」
「もうめんどいからそれでいいや。あの状況なら誰だってああなってた。だから気にすんな」
「そう言ってくれるとありがたいが……」
突然BADに入ったノエルに、アラタはどうすればいいのか分からなくなった。
とりあえず、泡だらけになった手を洗い、布巾で水滴を拭いながらノエルの方を向く。
「他に何かあるの?」
「その、あの……」
「出来ることならやってやるから。ほら早く」
「じゃ、じゃあ」
眉を八の字にして申し訳なさそうにしながら、手を差し出した。
「どういう?」
「手を貸して」
「はい」
何の気なしに出した手を、ノエルはがっしりと掴んだ。
その力は予想よりずっと強く、しかし我慢できない程ではない。
少し驚いただけだ。
ただし、その後アラタは本当にびっくりすることになる。
「は、おい」
手をスススと上に持ち上げると、ノエルは自分の頭の上に置いた。
やわらかい髪質の黒髪に触れて、少しくすぐったい。
「何してんの?」
「何も言わないでくれ」
「はぁ……」
ノエルはアラタの手を取って、自分の頭の上で跳ねさせたり、軽く押し付けたり、思い思いに勝手した。
やがて満足したのか、ノエルは彼の手を離す。
「もういい?」
「うん、ありがとう」
「よく分かんねーけど、あまりため込みすぎんなよ」
「うん」
返事をすると、ノエルは足早に台所を後にしようとした。
そして入り口で立ち止まり、
「私は、私の名前はノエル・クレスト。ノエルと呼んでくれると嬉しい」
「呼んでんだろ」
「ハハ……そうだったな」
また一人になった厨房で、アラタは先ほどまでの行動がまるで理解できないまま固まっていた。
彼がこの意味を知るのは、最低でもあと数年はかかる。
「意味が分かんねー」
そう言うとアラタは、手に残った感触ごと食器洗いに戻っていった。
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