第296話 八咫烏帰還命令

「シル、もう少しお金ちょうだい?」


「ダメ」


「最近塩が高いんだよ。全体的に物価も高いし、まじで」


「収入を増やしてから言ってください!」


「そんなぁ」


 自分の娘のはずなのに取り付く島もないシルに対して、アラタはどこで育て方を間違ったのか記憶をさかのぼる。

 よくよく考えると、彼はシルに対して何も父親らしいことをしてこなかった。

 というよりほぼ育児放棄状態で、シルは生まれてからほとんどの時間をハルツの屋敷で過ごしている。

 金銭感覚と頭が緩い親に対して辛辣とも取れる態度を取ってしまうのは仕方のないことに思えた。

 しかし、それくらいでアラタの金に対する執着の炎は消せやしない。

 シルがダメなら裏ルートで、そうしてノエルに声を掛けた。


「ノエルさ~ん」


「お金なら貸さないぞ」


「まあまあそう言わずに話だけでも……」


「しつこい人は嫌い!」


「はぁ、使えな」


「なにぃ!? アラタちょっと正座しろ!」


「嫌でーす」


 仕方ないのでギルドに仕事を探しに行こうとアラタは家を出た。

 最近反抗期なのかアラタに対して態度が厳しいシルとノエルは置いてきて、保護者2人も別行動だ。

 ダンジョン制覇を成し遂げ、灼眼虎狼ビーストルビーという二つ名まで付けたパーティーのもっぱらの仕事は、他の冒険者のサポート業務だった。

 単独で他のパーティーを率いてクエストを行うとか、稽古を有料で付けてやるとか、そんな仕事が増えた。

 Bランク冒険者にしかできない仕事もそうそうない訳で、それだけ平和な日常だということになる。

 今日もまたどこかのパーティーと組むのかな、そう予想しながらギルドのドアをくぐったアラタを見た受付の職員は、慌てた様子でカウンターから飛び出してきた。


「アラタさん!」


「おはよーっす。どうしたんですか?」


「ドレイク様より緊急です! 今すぐ家に向かうようにと!」


「かなり急いだ方が良いですか?」


「全速力で!」


「分かりました」


 何なのか分からなくても、急がなければならないことだけは判明しているのでアラタは走り出した。

 スマホがあればSNSで一発なのに、と久しぶりに現代文明の素晴らしさを痛感する。

 手紙は情報伝達速度が遅くて敵わない。

 屋敷からギルドまでゆっくり徒歩で15分。

 そこからドレイクの家まで、全速力で3分。

 アラタが家を出て20分足らずで彼の家に到着したのだから、上出来だろう。


「先生! アラタです!」


「入れ!」


「お、おぅ」


 いつになく大きな声で急かされたアラタは、ただ事ではないと理解した。

 何か漠然とした不安感が、低気圧のようにじわりじわりと迫りくる感触。

 言い現わしようのない悪寒が手にじんわりと汗をかかせた。

 いつもと同じように玄関で靴を脱ぎ、フローリングの廊下を歩く。

 いつもと同じように、ドレイクが紅茶と茶請けを用意して待っているはず、そう思っていた。

 しかし、事態はそこまで楽観的ではなかった。


「遅いぞ!」


「すみません」


 理不尽だが、いい訳一つしない。

 そんなことをする時間も無ければ、求められてもいないから。


「まあよい、立ったまま聞け」


「はい」


「先ほどウル帝国におる八咫烏の第4、第7小隊から連絡が届いた」


 大公選時に暗躍した、アラタをトップとしてドレイク指揮の下組織された八咫烏。

 3分の1が死亡もしくは再起不能となり、残りはほとんどが解散した。

 ウル帝国の帝国議会議員、コラリス・キングストンの協力を取り付けるためにレンタルされた第4小隊、第7小隊を除いて。

 嫌な予感は、外れない。


「政治状況に芳しくない変化の兆しあり。2個小隊では任務を達成できない可能性があるため増援を要請する。とのことじゃ」


「分かりました。すぐに行きます」


「すまんの」


「この時のために俺ですから」


「急な事態じゃ。キィとリャンは間に合わぬ」


「クリスだけ連れて行きます」


「うむ。頼むぞ」


「ではこれで。失礼します」


 アラタは早々にその場を辞して、彼の屋敷を後にした。

 一刻の猶予も許されない程の状況でなくとも、向かっている最中にそうなる可能性は十分にある。

 アラタはダッシュでファームに向かい、実質的な愛馬になっているドバイと他1頭の用意を依頼した。

 それからまた走って今度は郵便局に向かい、その場で1通の手紙をしたためる。

 ポケットに入っていた金額では郵送料が足りず、シルに支払ってもらうように念書を書き上げる。

 その分少し時間をロスしたが、大した時間差ではない。

 屋敷に戻ってきた時点で、出かけて帰ってくるまで実に1時間。

 実質40分で全ての用意を終えたようなものだ。


「クリース!」


 大音量で彼女を呼びつけると、クリスが出てきたが他にも余計なものが釣れてしまう。


「なんですか大声を出して」


「そんなに大声を出さなくても聞こえている」


「何かあったのか?」


「アラタうるさい」


 全員集合しなくても……と思ったが、これは彼のミスだ。

 クリスが部屋で何していようが問答無用で突撃して、ピンポイントで呼びつければよかっただけの話。

 非常に焦っている彼にそれだけの配慮というか気配りができたかどうかは定かではない。


「クリス、ちょっと来い」


「なんだいきなり」


「いいから!」


 有無を言わさず強い力で腕を掴み、引きずっていこうとする。

 その余裕のなさが、他人の介入を許してしまう。


「ねえアラタ、落ち着いてよ」


「離せ」


「ねえ」


「邪魔だ」


 左手で強引に振り払うと、アラタはクリスを外に連れ出した。


「何なんだ一体」


「八咫烏再始動だ。俺とクリスはウル帝国に赴き、第4第7小隊に合流する」


「その理由は?」


「政治状況の不透明さを懸念してのことだ。詳しい話はあとでするから、とりあえず旅の準備をしろ」


「分かった」


 クリスが了承したところで、2人は建物に戻ろうとした。

 そこに玄関を通り抜けようとしたところで、ノエルが立ち塞がる。

 リーゼも一緒だ。


「アラタ、何があったんだ。教えてよ」


「ダメだ。俺とクリスは今から少し出てくる」


「ねえ」


「しつこいな。どけ」


 忙しいところを邪魔されていい気分になる人間など存在しない。


「アラタ、またいなくなるのか。私の傍からいなくなっちゃうのか」


「子供みてーなことを言うな。いいからどけ」


 そうしてアラタはノエルを押しのけて2階に上がろうとした。

 それをノエルは羽交い絞めにして止めようとする。


「どけって言ってんだろ!」


「嫌だ! またどこかに行っちゃうなんて嫌だ!」


「子供か!」


「アラタが行くなら私も行く!」


「おい……いい加減にしないと本気で怒るぞ」


「怒られてもいいから行かないで。どうしても行くなら連れてって」


「クリス! 先に駅に行ってろ! 馬は用意してある!」


 クリスは何も言わずに階段を駆け上がっていった。

 その下で、アラタはノエルを引き剥がす。


「聞き分けろ! 大人だろ!」


「だって……だって、まただよ。なんでアラタなんだ、別の人でいいじゃないか」


 自分とは無関係な人間が貧乏くじを引けばいいと、そんなことを考える彼女ではない。

 むしろ他人にやらせるくらいなら、積極的に関与しようとするだろう。

 ただ、また、今回も、常日頃からそう考えていたのだ。


 なぜアラタが頑張らなければならないのか。

 なぜアラタが苦しまなければならないのか。

 なぜ彼なのか、なぜ私ではないのか。

 答えは明白、アラタは使い捨ての駒で、ノエルは大公の娘だから。

 文字通り、身分が違う。


「諦めろ」


「イヤだ」


 押し問答をしていてはキリがない。

 この手の言い合いでノエルが折れないことを、アラタは承知していたから、別の手段を模索する。


「じゃあ大公が許可をくれたらいいよ」


「本当か?」


「あー。一筆書いてもらえたら連れてってやる。その代わりお前の面倒は見れない。もちろん文書を偽造したら【暗号貫通】で見破れる」


「行ってくる!」


 こうしてはいられないと、ノエルは屋敷を飛び出していった。

 ようやくやかましいのがいなくなったところで、大人の会話だ。


「2人とも、俺とクリスがいない間、ノエルを頼む」


「アラタ、私怒っていますよ」


「俺には関係ない」


「あのですねぇ!」


 そう言ってリーゼはアラタの胸ぐらを掴んだ。

 眉を吊り上げて、本気で怒っている。

 しかし、任務を帯びたアラタは揺るがない。


「離せよ」


「ダメです。ノエルが帰ってくるまでここに居てもらいますから」


「事態は一刻を争うかもしれないんだよ! てめーのせいで人が死んだらどうすんだ!」


「見ず知らずの人は大事にして、何でノエルの気持ちは大事にしてあげないんですか!」


「知らねーよ! あいつがどう思おうが、関係ねーんだよ!」


「守るって決めたじゃないですか!」


「守れればあとはどーでもいいんだよ! 気持ちなんて関係ねえ!」


 胸ぐらを掴んでどついてきたリーゼに対抗して、アラタも奥襟を取って対抗する。

 力勝負になれば、性差がもろに出る。

 玄関扉に押し付けられ、リーゼの踵は宙に浮いていた。


「ノエルが可哀そうです」


「何とでも言え。とにかくあとは任せた」


 そしてアラタは掴む手を緩めた。

 リーゼもこれ以上何かする気力はなさそうだ。

 彼女も、アラタが優しいことを知っている。

 向こう見ずで無責任よりも、負えない責任を見定めて初めから除外する方が何倍も尊い。

 アラタとクリスが向かうのは、甘えの許されない戦場なのだ。

 だから貴族の子女である2人、特にノエルを連れていくことが出来ないことくらい、初めから分かっていた。

 でも、それではあんまりではないか。

 リーゼのそんな考えは、明らかに正しいアラタによって打ち砕かれてしまった。


「準備できたぞ」


「おう、先に行って待ってろ。すぐ追いつく」


「分かった」


 クリスが家から馬を待たせている駅に向かったあと、アラタも急いで準備に取り掛かる。

 ウル帝国までの道中には宿場町もあるが、それらを都合よく手配できるとは限らない。

 当然のように野宿の準備、最低限の食料と必要なだけの金銭、それから関所を正規手続きで抜けるための手形。

 かさばる荷物を何とかして詰め込んでいく。

 合計15キロという非常に軽量な装備で、準備は完了した。

 あとは馬を拾って走るだけだ。

 アラタはようやく落ち着いてきた我が家の階段を噛み締めるように下りていき、別れを惜しむ。

 思えばこの屋敷に住んでいた時間というのは、空けていた時間よりもはるかに短い。


「シル、留守は任せた」


「うん」


「リーゼもな」


「……分かっています」


「じゃあ、行ってくる」


 そうして走り出したアラタを見送る2人。

 玄関を出て、その先にある門を潜り抜ければ敷地の外だ。

 大きめの道に面しているのだから、日本なら当然注意して出る。

 いつ何が飛び出してくるのか分からないから。

 だから、これはアラタの不注意だ。


「はっ!?」


「キャアァ!!!」


 走り出して1歩でノエルと出合い頭に衝突したアラタは、背負った荷物ごとフッ飛ばされた。

 右側からぶつかって来たノエルは、アラタをクッションに無傷である。


「てめ…………あぶねーだろ!」


 シチュエーション的には彼に非がありそうだが、そんなことを考えている暇はない。

 一刻も早くクリスの後を追いかけてウル帝国に向かわなければならないから。

 しかし、ノエルの表情が非常に明るい。

 ガバッと起き上がると、ノエルは手に握りしめていた1通の手紙をアラタに押し付けた。


「許可を貰ったぞ!」


「は?」


 八咫烏の任務に、異分子が紛れ込もうとしていた。

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