第294話 ノエルの料理教室

 例えるなら、それは頬っぺたにドッヂボールがぶつかったような軽くて重い音だった。

 もう少しまともな例えが無いかと言われると……無い。

 そもそも、この現象自体説明不可能なものなのだから、何で例えようと合っているし、完全な正解は無いのだ。


 風船が100個くらい同時に割れたような炸裂音が屋敷に響いた時、時刻は朝の4時半だった。

 リーゼは寝たままだったが、アラタとクリスは飛び上がり、武器を手にしてスキルを起動した。

 敵襲か? そう思った2人は急いで黒装束の上だけ羽織って廊下に飛び出る。

 アイコンタクトとスキル【以心伝心】でコミュニケーションを取ると、彼らは1階へと駆け降りた。

 そこで彼らが目にしたものとは…………


「何してんねん」


「ち、違うんだアラタ、これはだな、その、この粉が悪いんだ」


「クリス、もういいぞ。代わりにシルを起こしてきてくれ」


「分かった」


 アラタも黒装束を脱ぎ、寝間着の状態になる。

 白い粉と、元卵たちが床に飛散した台所で、アラタは長い長い溜息をついた。


「こうなった理由を聞こうか」


「あの、母上がパンケーキくらい作れないと苦労するって言ったから……」


「作ろうとしてこうなったと」


 コクリと頷くノエル。

 にしても何でこんな朝早くからやろうとするかなと、頭を抑えるアラタ。

 ここは笑うところかもしれないにしても、目の前の現実が笑えない。

 文字通り絶句しているアラタの元へ、寝ぼけ眼のシルが到着した。

 シルキーは家事全般を得意とする精霊として有名で、とりわけ掃除が得意である。

 しかしシルはどういうわけか、料理の方がお気に入りらしく仕事のウェイトもそちらにやや偏っていた。

 そんな聖域を粉塗れ粘液塗れにされた妖精さんは、一体どんな反応をするのか。


「…………ちょっと横になります」


 そう言って回れ右をして、部屋へと帰ろうとする。


「ちょっと待ってぇ! これ一人で掃除するのは無理だって!」


「シルはもう限界です。実家に帰ります」


「お前はこの家の子だろ!」


 アラタの制止もむなしく、登場30秒で退場してしまった。

 こうなったら腹をくくるしかないか、とアラタは諦めた。


「テーブルから片付けるから、手伝ってくれ」


「分かった」


「じゃあ雑巾取ってきて」


「うん」


 布巾を頼まれたノエルは、不注意にも粉塗れの台所の床の上を走ろうとした。

 アラタが止めようとしたが声を出す間もなく、誰でも予想できた事態が起こった。


 ステンッ、ガシャッ、ゴロゴロ、パリンパリン、バシャーッ。


 擬音だけでおおよそ何が起こったのか分かってしまうほど、この女の呪いの力は酷い。

 呪いだけでなく、元々こういう性格なのではないかと思えてくるくらい、酷い。

 ノエルは小麦粉塗れたまごまみれ、挙句に皿を割って涙目になっている。

 泣きたいのはこっちだという言葉を飲み込んで、アラタは最大限やさしく指示を出した。


「風呂に入ってきてください。洗濯物はバケツに入れておくこと」


「…………うん、ごめん」


 気落ちしたノエルを見送ると、朝ご飯まであと2時間半。


「終わるけどさぁ、しんどいなぁ」


 屋敷の台所は、厨房とギリ呼べるくらいには広い。

 アラタは朝から、ここの片づけを始めたのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「みなさん、今日はクエストを受けません」


「何でですか?」


 あれだけのことがあって起きてこなかったリーゼは、いつも通り起床していつも通りの朝食の最中だった。

 そんな時に突然アラタが変なことを言い出したのだから、疑問に思うのも当然だ。


「ノエルの呪いの克服が我が家の最優先課題となったからです」


 剣聖の呪い、そして元気のないノエル、不機嫌なアラタとシルを見て、リーゼはすべてを察した。

 この人たちも自分と同じステージに上って来たのだと、同士を歓迎する始末。


「嬉しそうだな」


「い、いえ。そんなことありませんよ?」


「まあいーや。今日は1日こいつノエルをしごいて、何とかする」


「また曖昧なゴールを」


「じゃあクリスが決めろよ」


「そうだな、台所に進入禁止とかでいいんじゃないか?」


「それじゃ臭いものに蓋なんだよ」


「じゃあお前たちだけで何とかしろ。私は手伝わない」


「別にいーし。クリスもこいつらの陰に隠れてるけど飯作るのへたくそなの知ってるかんな?」


「ふん」


 とりあえず1人脱落なのは決定として、今日のオーダーが出る。


「食べ終わったら台所集合。いいな?」


 こうして、恐怖の料理教室が開催される運びとなった。


「まず目玉焼きから」


「簡単すぎじゃないですか?」


「じゃあリーゼ作ってみろよ」


「いいですよ? 油をひいて卵を落として塩コショウをふりかけて~」


「失格!」


「何でですか!」


「俺はソース派だ」


「理不尽すぎます!」


 不毛すぎる言い争いが始まったので、取り残されているノエルにシルがやり方を教えていく。


「油をひいて」


「うん」


 ドバっと投入されたそれを見てシルは体をびくつかせてフライパンを奪取した。

 すぐにシンクに不要分の油を流し、再度火にかける。


「これくらいで大丈夫。シルが見てるから今度は卵を割って」


「うん」


 パキャッと可哀そうな音を立てて、卵は粉々になった。

 こんな時のために床にはシートが敷かれていて、汚しても平気だ。


「……ごめん」


「こ、こんなこともあろうかと割った卵を用意してありました~!」


 3分クッキングのように、途中まで行程を進めてあった具材をノエルに手渡す。

 落としてしまわないように慎重に慎重を重ねて、シルからノエルの手に開封済みの卵が渡る。


「それをフライパンにゴー!」


「うん」


 流石にこれは問題なかったのか、無事に卵は熱せられ始めた。

 これで一安心、と思った矢先、ノエルはどこから用意したのかベーコンの塊を持ち出す。


「何しているの?」


「一緒に入れたい」


「アレンジはまだ早いでしょ!」


 怒られたノエルはしゅんとしている。

 でもこれでいいとシルは確信していた。

 本命はベーコンを斬り損ねて包丁が舞う、次点でベーコンを塊ごと投入する。

 最悪は想像すらしたくない。

 あとは水を入れて蓋をして、少し蒸らす。

 アラタとリーゼが目玉焼きの味付けについて言い争っている間に、シルの手で目玉焼きが完成した。

 いや、ノエルは何もしてないじゃないかと後で気付く一同。

 まず卵を粉砕してしまう時点で、この料理はノエルには早かったらしい。


「次だ次!」


 続いて用意されたのは、すでに作業済みの生地とアンコ。

 和菓子の代表格、どら焼きだ。

 難しいのは生地を焼くところまでで、あとは思い思いに好きなだけ餡を乗せればよいという、何とも初心者向きな料理。

 生地を焼くところまでは何とか成功までこぎつけて、何事もなくガワが焼きあがった。


「勝ったな」


「ですね」


 早くも勝利を確信するアラタとリーゼ。

 しかし、シルだけは油断していなかった。

 剣聖の呪いがそんなに甘いわけがないと、シルキーは知っているから。


「好きなだけ包んでいいぞ」


「うん、これなら私でも……」


 余談だが、アラタはスキルを出しっぱなしにしている時が多い。

 常に気を張っているというわけではなく、スキルを成長させるためと魔力量を増やすための練習だ。

 だから、こんな家の中でも【痛覚軽減】、【敵感知】は常にオンにしている。

 そしてもう一つ、アラタの【敵感知】はそろそろ変化の時を迎えようとしていた。

 敵意を向ける存在を感知するだけではなく、危険予知のような性能の片鱗を垣間見せ始めたのだ。


「なんか焦げてない?」


 アラタの頭の中に、アラートが鳴る。

 危険源はノエルの手に握られたどら焼きらしきもの。


「おいおいおぉい!」


 シルを抱き寄せて覆いかぶさった次の瞬間、まだ熱いアンコがアラタの首元に着陸した。


「あっつぅ!」


「うわわわぁアラタ! ごめん!」


 手元でどら焼きが炸裂したノエルも熱さを感じているはずだったが、それよりも先にアラタとリーゼへの心配が勝った。

 シルは無傷だとしても、2人は思い切り熱々のアンコを浴びてしまった。


「大丈夫か!? その、ごめ——」


「くくく」


「うふふ」


「あはは! 破裂したぞ!」


「ふふっ、バーンって、パァーンってなりましたよ。あーお腹痛い!」


「酷いぞ二人とも!」


 あまりにも現実離れした呪いの力は、一周回って面白くもある。

 何がどうなったらどら焼きが爆発するのか、一度科学的に検証してみた方が良いのかもしれない。

 しばらく笑い転げていた2人は、笑い疲れたところでようやく息を落ち着かせることが出来た。



「はー面白かった」


「ある程度予想はしていましたけど、ここまで来るともう……最高ですね」


「リーゼ!」


 プンプンしているノエルを片手で制しながら、彼女はまだ少し笑っている。

 一足先に立ち直ったアラタが、リーゼに先を促した。


「おい、そろそろ本題に入ろう」


「ふふ、そうですね」


 アラタから1冊の冊子を受け取ると、それをぱらぱらとめくった。

 この本は非常に高額で、希少で、ノエル以外にはほとんど役に立たない代物だった。

 それもこれも、ウル帝国ひいてはキングストン商会に伝手を持つアラタだからこそできたプレゼントだ。


「剣聖の呪いは、第3段階までの制御の可否に関わらず発動し、一生消えることは無い。しかし、クラスを保持する人間にとっての効果対象は個人差があり、それぞれに検証を行うことでクラスとの最適な付き合い方を模索することが出来る」


 本に書かれていた最初のページの1段落目を読み終えると、ひとまず閉じた。

 先人の記録が、ノエルを助けてくれる。


「さあ、解呪を始めようか」


 屈託のない笑顔で笑ったアラタの顔は、優しくて、温かかった。

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