第293話 好きこそ物の上手なれ
指名クエスト。
特定の冒険者もしくはパーティーを指名するクエストのことで、支払う報酬は高くなるがその分信用の高い冒険者を雇うことが出来る。
そしてその際は例外として、指名クエストを受注した冒険者が自らの裁量で冒険者を雇用することが出来る。
つまり、冒険者の下請けを雇うことが出来るようになるのだ。
それによる報酬の増加などはなく、指名された冒険者が必要としない限り単に手取りが減るだけなので、悪用される可能性は低い。
そして、この仕組みはしばしば次のように活用される。
ハイレベルな実戦経験を積みたくても中々クエストを受注することが出来ない、探索メインの冒険者パーティーの実績づくりとしてだ。
「えーと、Bランクのアラタです。角ぐま討伐の指名クエスト開始申請しに来ました」
「はい、少々お待ちください」
「悪いなアラタ。キャリーしてもらってよ」
「いいよ。どうせ運搬に外注しないといけなかったんだから、そんなに変わんない」
冒険者仲間であるカイルの頼みで、今日彼は指名クエストに彼らを同行させる。
彼らというのはカイル、それから同じパーティーのキーンとアーニャのことだ。
彼らの等級はキーンがC、カイルとアーニャがDランクになる。
「お待たせしました。それではお気をつけて」
「あざっす」
依頼書を受け取り、クエスト開始だ。
現場はアトラの街を出て西に数キロ進んだ地点。
かなり前にアラタたちがミノタウロスを駆除した場所よりも、さらに首都に近い。
こんな場所にクマが出るのだから、近隣住民は気が気でないはずだ。
行きはランニングで、帰りは収穫物があるはずなので徒歩になる。
基本的な打ち合わせは済んでいるものの、一応雇用主であるアラタから道すがら説明が行われた。
「角ぐまね、まあ普通のクマと大差ないから普通に倒してくれるとありがたいんだけど、例によって角は出来る限り傷つけないようにっていう依頼者の意向があるからそのつもりで。報酬は——」
昨日ギルドで話した内容を、もう一度なぞっていくだけなので特に質問などは発生しない。
互いのスペックや相手の脅威度にも十分検討がなされているし、その上で問題ないという判断だった。
報酬は通常のクエストと大差ないので、相対的に良心的な価格となっている。
その分アラタの取り分は減ってしまうのだが、いわゆるお友達価格という奴だろう。
任務地に到着した一行は、依頼者である街の顔役に挨拶をした。
彼はこの村の役員で、害獣対策の責任者。
責任者と言っても、彼らでは手に負えない相手が出たのでクエスト依頼を出したわけで、特にゆっくり話すことも無い。
「では、出来れば今日中に片を付けます」
「そう言っていただけると心強い」
役員は二重の意味で喜んだ。
一つはBランクの冒険者が来てくれたという安心感、そしてもう一つは彼が長居する気はないということだ。
元の契約日数が1日なので、料金もその体で設定されている。
狩りが長引いて2日目以降に突入すると、延滞料金が発生するのだ。
だから高額なBランク冒険者が1日で片を付けると言ってくれて、これ以上嬉しいことは無い。
「よし、クエスト開始だ」
そう言うと、アラタよりも前を3人が歩いていく。
戦闘メインではなく、秘境探索や遺跡調査などに偏重している彼らのパーティーは、森を歩くことに定評があった。
そのノウハウを教えてもらうことを条件に、アラタは同行を許可したのだ。
「感知系のスキル持ちは誰だってほしいけど、そうも言ってられない。だから俺たちは技術やテクニックでカバーする。例えば木の皮がこんな感じで剥がれてたらクマのテリトリーに入っているとかな」
「なるほど」
先ほどから3人は、アラタに惜しげもなく森の歩き方を伝授してくれている。
おかげでアラタはペンと紙が手放せない状況にあるわけだが、実はアラタ、うっすらと【身体強化】を発動している。
警戒しているのもあるが、単純に彼らの歩くスピードが速い。
マタギなどがそうだが、やはり専門職というのはアラタのようなオールラウンダーを凌駕しやすい。
こと森や山に関して言えば、BランクのアラタよりもCやDランクの彼らの方が上手だった。
それでも彼らが上を目指す以上、一定以上の戦闘力が無いと頭打ちになってしまうのは、仕組みとしては問題がある気がする。
まあ今回のようなキャリーをギルドも黙認しているので、何らかの形で成果を出せば問題ないのだろう。
森の中を捜索すること2時間、案外早くその時はやって来た。
「3人とも止まれ」
アラタは彼らより前に出ると、【敵感知】を起動する。
刀に手をかけて、鯉口を切った。
「俺たちはどうする?」
「何もしないのもあれだし、とどめはお前らが刺してくれ。おぜん立ては俺がやる」
「りょーかい」
武装はカイルとキーンが槍、アーニャが弓である。
全員が予備の剣を提げていて、今回の任務では男子2人は槍の長さを詰めている。
障害物の多い森の中で上手く立ち回るための工夫だ。
アラタは先頭を切ってクマに近づきながら、解説を行う。
「角ぐまはクマだから、鼻が異常に鋭い。だからテリトリーに入った段階でこっちの存在に気づいていたはずだ。それでいて俺から逃げないってことは、気性が荒くて手に負えない若い角ぐまってことになる」
木々の向こうに、体長2メートルはゆうに超えている焦げ茶色のクマがいた。
その額付近にはねじ曲がった角が生えていて、その先端は非常に鋭く尖っている。
そんなもので突かれたが最後、体を貫通することは容易に想像がつく。
ただそれよりも前に、突進されただけで死にそうな巨躯。
4人はなおも距離を詰めつつ、アラタは解説を続ける。
「角ぐまは賢いから、クマの弱点があまり出てこない。例えば覆いかぶさるように立ち上がるとか、まあそんなところだ」
刀を抜き、魔力を練り始めたアラタから発せられるプレッシャーに、思わず3人は距離を取る。
人間である彼らはこれほど本能に従順なのに対し、角ぐまは一歩も引こうとせずジッと彼のことを見つめている。
「角ぐまは魔物で、例に洩れず魔力攻撃に高い耐性を持っている。だから低威力の魔術は意味がない。効果があるのは例えば……」
距離は約30メートル、アラタの射程圏内だ。
「雷槍」
けたたましい音を響かせながら、紫がかった雷がはじけ飛ぶ。
確かな指向性を持ったそれは一直線に魔物へと向かい、その右前足を炸裂させた。
「うわっ、うるっさ!」
クマの咆哮に思わず耳を塞いだアーニャを一瞥して、アラタは減点する。
敵から目を逸らすな、武器の構えをやめるなと。
「こんなわけで、雷槍なら攻撃は通る。それと、これより簡単なのが地形変更系の魔術だ」
足から地面に魔力を供給し、遠隔起動をする。
アラタは以前から普通にやっているが、これがまた難しい。
魔術に加えて結界術の素養を必要とする遠隔起動、これは才能の割合が大きい。
座標系でものを考える常識というのは、日本の高度な基礎教育の賜物であって異世界で標準搭載されているわけではない。
遠隔で起動したのは、水弾と軽度の土石流。
混ぜれば粘性の高い沼地が出来上がる。
「すげえな」
「ぼーっとしてねーで行け。あとは首を落とすだけだ」
アラタの指示するままに、カイルとキーンが距離を詰めた。
アーニャはアラタより少し角ぐまに近い位置で、まず一射。
「あれ?」
彼女の矢は、確かに頭に当たったはずだが刺さることなく弾かれた。
「クマは頭蓋骨が硬く、角ぐまは魔物だ。体表面の毛皮にも魔力が流れていて衝撃を和らげてしまう」
「初めて知ったわ」
「ん?」
角ぐまの拘束は完璧に成功して、あとは2人がとどめを刺す直前というところで、アラタの感覚に何かが引っかかった。
そしてそれが何なのか分かった時、気づいた時にはアーニャの横を通り過ぎた後だった。
「伏せろ!」
角ぐまにも負けず劣らずの大音量で怒鳴られた2人は、思わず反射的に言う通りに体を伏せた。
その上をアラタは高速で飛び越えて、2人が仕留めた角ぐまの死体を踏み台にする。
最短距離を通過した先にあったのは、こちらも反対側から高速で突進してきたもう1頭の角ぐまだった。
魔物は2体いたのだ。
「ん゛ん゛んっ!」
最も得意な袈裟斬りを放った彼の刀は、まるで豆腐でも斬るようにCランク相当の魔物を両断した。
頭蓋骨は硬いから外せと言ったのに、角は傷つけると価値が下がると自分が言ったのに。
思い切り頭部を斜めに斬り裂いてしまった彼は、2頭の獲物の向こう側で悠然と立っていた。
「ふぅー。よし、終わりだ」
色々突っ込みどころのある3人は、何やってんだよと茶化すタイミングだと分かっていた。
だが、あまりにも実力の違いすぎるアラタに対して、仲間意識よりも先に尊敬と畏怖の念が来てしまい、ろくに話しかけることが出来なかった。
「あぁ、帰るか」
カイルがそう言うだけで精いっぱいだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
ギルドに併設されている食堂で、4人は夕食を共にしていた。
「今日はありがとうな」
カイルはパーティーを代表して実績作りに協力してくれたことに対して礼を言う。
「俺も助かった。最近単独クエストが増えていて困ってたんだよ」
「回収を外注すれば何も問題なさそうよね」
アーニャはビールに手を付けながら言う。
この中で一番の酒豪は彼女だ。
「そんだけ戦えると選択肢も多くて楽しいだろ」
「いや、別に」
キーンはしまったと思った。
カイルがまた地雷を踏んでしまったと思ったから。
ただ、結果的にその心配は杞憂に終わる。
その程度のことで彼が目くじらを立てることはほぼないから。
その代わり、アラタは一つ問う。
「みんなはさ、冒険者楽しいか」
「楽しいに決まってんだろ」
「カイルに同じく」
「じゃなきゃこんな危険な仕事出来ねえよ」
3人とも、この仕事は気に入っているようだった。
対してアラタの表情は暗い。
訳を聞いてほしそうだ。
「そんな質問をしたその心は?」
自分なりの答えを持っているはずのアラタは、答える前にグラスの中身を空にする。
そしてお代わりを頼んでから、答えた。
「武器振り回すなんて野蛮だろ。それを楽しいって思うのはなんか変だなって」
「野蛮じゃねえよ。収入を得たり、守る為の力が野蛮な訳が無い。何より、剣を振るお前は楽しそうだぜ、アラタ」
「そうかな」
首をかしげる男の元に、お代わりのグラスが届けられた。
照明に照らされて、金色に輝く水面が彼のことを見上げている。
「好きこそ物の上手なれ、だぜ」
久しぶりに聞いたその言葉に、アラタは何かを思い出したかのように笑った。
そして丸々一杯残っている酒を一気飲みした。
「いいこと言うじゃん。今日はもう帰るわ」
「おう、またな」
アラタは先に金を置いて外に出た。
カイルたちとはまたクエストで一緒になることもあるだろう。
夏のねっとりとした空気が彼の頬を撫でていく。
8月の初めは、カナンも半袖で過ごしたい日々が続く。
しかし冒険者という仕事は安全上の理由からそうもいかず、アラタも汗だくになりながら長袖の黒装束を着用していた。
努力するのは当たり前。
才能があるのも、運を持っているのも、人並みの知能を持っているのも、全部全部当たり前。
そこからさらに先に行くためには、好きでなくてはならない。
全てを捧げても構わないと思えるくらい、競技に恋するくらい、それを好いていなければならない。
小学生の頃からアラタはそう教え込まれて育ってきた。
だから、戦闘術という彼からすれば野蛮と思える技術も、本当の意味で強くなるためには愛さなければならないことを彼は分かっていた。
否、本当はもうとっくの昔に刀を振ることが楽しくなっていることを分かっていた。
ただ、それを認めるのが怖かっただけだ。
幸か不幸か言えないが、彼には素養があった。
敵の嫌なところを攻めるセンスも、細かいところに気づく観察力も、凡人が音を上げる訓練も泣き言いわずに耐える精神力と身体能力も。
言ってしまえば、相手を傷つける素養を持っていたのだ。
それが嫌だったアラタは、今日新しい力の使い方を教えてもらった。
守る為の力。
理不尽に脅かされないための確固たる力。
そういう考え方もあると、彼は友達に教えてもらえた。
——俺は、刀を振るのが好きだ。
殴り合うことも、魔術も好きだ。
だから、強くなろう。
守る為に。
もう2度と、大切なものを失わないために。
何気ない日常の中で、彼は戦う理由を見出していく。
ただ無為に日々を過ごすのではなく、一日一日丁寧に、燃やし尽くすように生きていく。
そうすれば、次の日の自分は今日の自分より強くなれると、彼はもう知っている。
時代のうねりが彼らに近づいていた。
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