第292話 来年の約束

「遅かったねノエル」


「ちょっとお腹壊してて……」


「気を付けなさい。リーゼ君たちに迷惑をかけてはいけない」


「アハハ……気を付けます」


 入れ替わってから元の場所に戻って一言二言。

 既にアラタは限界が近かった。


 やっべー、ばれたら殺される。


 何の気なしに提案して、どうせ誰が損な役回りになるのか揉めるからじゃんけんを提案して、いつものように負けて、ここまでズルズル来てしまったのだ。

 ノエルに同情した過去の自分にこう言ってやりたい。

 チョキを出せと。

 いつ変わり身がバレてしまうのか気が気でないアラタをよそに、意外にも時間は速く過ぎ去っていく。

 思ったより順調な気がしてきた彼の警戒心は徐々に解けてきて、それも良い方向に転がる。

 第一ほとんど身内しかいないこの場でノエルが緊張して縮こまっている方が怪しいので、どっかりと構えている方が好ましい。


 シャノンの所にはひっきりなしに貴族が話をしに来ていて、その隣の大公妃も会話に混ざっている。

 一方ノエルに扮したアラタはというと、全然話が回ってこない。

 そもそも初めから眼中にないのか、いてもいなくても一緒だ。

 アラタは3階のバルコニーから広場を見渡す。

 貴族院前の広場は人でごった返していて、決して少なくない数の迷子が発生することは確定だ。

 そしてそれと同じく、屋台やステージが大量に設営されていて、多くの人が今日という日を楽しんでいる。

 日本では建国記念日は2月11日であり、多くの人にとって祝日と休日としての意味しか持たない。

 先祖に思いを馳せることも無ければ、こうしてどんちゃん騒ぎをすることも無い。

 夏だから、夏祭りを兼ねていると言えば確かに日本とは違うのだろう。

 それでも、この異世界では、カナン公国では建国記念日は日本以上に特別な意味を持っていることは明白だった。

 今年も国が存続してこの日を祝うことが出来た。

 また1年、来年も今日という日を迎えることのできるように、頑張っていこう。

 そんな活気が街にあふれていた。


 祭りなぁ。

 いつから行ってないんだろう。


 彼が野球を始めたのは小学校1年生。

 本気で始めたのは中学校1年生。

 アラタは中学生の頃から、祭りの類に行くことがなくなっていた。

 休日はすべてクラブチーム、練習が終わるより祭りが終わる方が早い。

 都内の川沿いで行われる花火大会の観客が道路にはみ出していたせいで、アラタ達の漕ぐ自転車はいつも通りの時間に帰れなかった。

 高校生になってからはさらに厳しく、学校の敷地内にある寮とグラウンドの往復だけ。

 校内で大体のことは何とかなるので外出許可が無ければ外に出ることすらままならない。

 一般生徒が毎日のように出入りする校門が、彼らには遠かった。

 そんな日常でお祭りに行くなんて、彼にとってはフィクションにも等しい世界の出来事だ。


 今年は一緒に隅田川の花火を見に行こう。

 そう彼女である清水遥香と約束した夏から1年。

 異世界のアラタはその約束を果たせなかった。

 意識を取り戻してから転生するまでの記憶が真実なら、元の世界にはもう一人の千葉新が生きていて、彼は約束を果たせたのだろう。

 でも、アラタは違った。

 うだるような暑さの中、何時間も待って花火を一緒に見ることも出来なければ、近所の祭りに行って金魚すくいをすることも叶わない。

 そんな悲しい現実を知っていたから、アラタはノエルの身代わりになることを計画し、実行した。

 何年も行っていないのなら、今年行かなかったところでどうということは無くても、一度も行ったことがないのなら、せめて少しぐらいは体験させてあげたいと願うのは、彼の中で極々自然な感情だった。


「……ル。ノエル、聞いているかい?」


「あ……すみませんチチウエ。何のお話でしたっけ?」


「そろそろ時間だ。今日はうちに帰ってくるのか?」


「あ…………いえ、屋敷に帰ります」


 これ以上一緒に居たらどんなぼろを出すか分からないとアラタは断る。

 その時のシャノンの寂しそうな顔は、彼に少しの罪悪感を与えてしまう。

 だが、だからどうしろという話だ。

 ノエルに実家へ帰る頻度を増やせと言うくらいが彼の限界で、そのためには生きてこの場を切り抜けなければならない。


「今日はいいが、たまには帰ってきなさい」


「はいチチウエ」


 歪な家族という表現は不適切でも、アラタはそう思ってしまった。

 両親は大公と大公妃、自身は剣聖のクラスを持つ冒険者。


 少しの時間だけど隣にいて思った。

 この人たちはとんでもなく忙しい身の上で、娘と過ごす時間は貴重なんだ。

 あいつがそれを分かっているのかは正直分からない。

 けど、出来ることならもう少しくらい2人の所に帰るべきなんじゃないか。


 もう2度と会えなくなった自分の両親と、目の前にいるノエルの両親を重ねたアラタはそう思った。


「ノエル」


「ハハウエ、うむぅ」


 ノエルの母、アリシアがノエルに変装したアラタを抱き締める。

 どうして母娘でこうも違うのか、そんな感想を抱きながらアラタはされるがままになる。

 アリシアは茶色がかった黒髪ストレートの女性で、顔のパーツは似ていても眼の色が異なるので一見似ていない印象を受ける。

 それに性格もかなり違うと、アラタは後に語る。

 洞察力が鋭すぎた。


「ノエルのためにありがとうね」


「ひっ」


 アラタ以外には聞こえないくらいの小さな声で囁かれたアラタは小さな悲鳴を漏らした。

 この人にはとっくの昔にバレていて、今の今まで泳がされていたことに今気づいたのだ。


「リーゼちゃんならもう少しうまくやるでしょうし、あのツンツンした女の子は初めからやりたがらないでしょう? なら貴方は……うふふ」


「ちょ、ま、ひみっ、秘密に……」


 アラタも周囲には聞こえないように精一杯音量を絞って囁く。

 彼としては必死そのものだ。

 ノエルに化けることがどれほどまずいことなのかは定かではないが、貴族院に勝手に侵入して要人に近づいたのだから、最悪死刑になる。

 そんなアラタを、アリシアは意地の悪い笑顔で解放してくれた。


「また家に来なさい」


「は、はいぃ…………」


 ノエルに課せられた拘束はこれで終わり、アラタは温情を掛けられて貴族院からの脱出に成功した。

 着替えの手伝いを建物の中で撒き、【気配遮断】を起動した状態で外に出る。

 こんなのは金輪際やらないと心に決めて、アラタは人がはけてきた祭り会場に戻って来た。


「……流石に帰ってるか」


「アラタ!」


「うわぁ!」


 恐怖の対象として記憶に紐づけられたアリシアの声と似ている声を後ろからかけられて、アラタは驚きのあまり数十センチ飛び上がった。

 後ろには普段着に着替えて祭りを満喫してきたであろうノエルと、他3人がいた。


「びっくりさせんなよ!」


「あ、ごめん」


「まあ、お前のせいじゃないか。クリス、スキル解除して」


「分かった」


 ノエルの姿をしたアラタに手を触れると、【十面相】は解除された。

 元通りの姿に戻ると、アラタはようやく一息つく。


「お前の母ちゃん鋭すぎだろ」


「あ~、アリシア様にバレたんですね?」


「そー。死ぬかと思った」


「母上はそういう人なんだ。父上の方がちょろい」


「お前がいうな」


「アラタ」


「あ?」


「これ、取っておいた」


 差し出したノエルの手には、透明なガラスのようなものでコーティングされている苺の串が握られていた。

 定番の苺飴である。


「サンキュー」


 さっきまでの自分と瓜二つな姿をした人からものを貰うと、なんだか変な感じがして感覚が狂う。

 妙な違和感を抱えながらアラタは串を受け取り、パリパリの飴のコーティングを割りながら齧りついた。

 飴と苺のベクトルの異なる甘さと、苺の甘酸っぱさが丁度いい。


「帰るか」


「ですね」


 クリスから黒装束を受け取ったアラタは串を咥えながら器用に着替えていく。

 貴族院に入るときには持ち込まなかったが、愛刀も袋の中に入れて携帯している。

 夜道で襲撃があったとしても、この面子なら相手が可哀そうなくらいだ。


「なあノエル」


「なんだ?」


「お前、たまには家に帰れよ」


「アラタには関係ないだろ」


 楽しい祭りの後に、そんなこと言うアラタも良くないが、ノエルも少し子供だ。

 彼女は家の話になると少し機嫌が悪化する。


「でも、大公は帰ってきてほしそうにしてた」


「じゃあ私の代わりにアラタが帰ればよかったじゃないか」


「あのなあ、ばれたら首が飛ぶぞ。いいから、今度一回家に帰れ。分かったな?」


「……考えとく」


 それからは、ノエルも機嫌を直したみたいで祭りの話ばかりしていた。

 リーゼはともかく、実はクリスもこういった物に参加するのは初めてのことで、生まれて1年たっていないシルも同様だった。

 4人中3人がお祭り未経験者となれば、それはそれは新鮮で楽しかったらしい。

 やっぱり自分が替え玉で良かった、アラタはそう思った。


「ねえ」


「んー?」


「来年はみんなで行こうよ」


「来年もお前は貴族院行かなきゃいけないんじゃない?」


「それは……何とかなる!」


「分かりました! 来年は叔父様にクリスのスキルを使えばいいんですよ!」


「ハルツさん泣くぞ」


「とにかく! 約束だからな!」


「はいはい」


 来年の話をすれば鬼が笑う。

 未来を見通す力を持つ者の前でその話をすれば、知っている側は面白くて笑い転げるという意味だ。

 もし来年の同じ日、何が起こっているのか知っているものが存在するとすれば、彼らの約束は面白くって笑い転げていることだろう。

 これから何が起こるのか、そんなこと露ほども知らない彼らは、今だけは幸福な時間を過ごすのだった。

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