第288話 平面の中で奔走する

「ふむぅ」


 クリスの眼を覗き込む老人、アラン・ドレイクは難しそうな顔をしていた。

 彼が覗き込んでいるのは彼女の左目、つまり光を失った方だ。


「何か分かりましたか」


 隣で心配そうにしているアラタが訊く。


「恐らく網膜出血を起こしておる。でもって、確証は無いが剥離も起こしているじゃろう」


「でも治癒魔術で治りますよね?」


 ドレイクは頷いたが、事態はそれほど簡単ではない。

 それならリーゼと仲直りした時点で何とかなるし、そうでなくても孤児院のリリーに頼めば済む話だ。


「竜玉を使ったことによる後遺症じゃから……魔力の残滓が反発しておるのじゃよ」


「どうすれば取り除けますか」


 ドレイクは首を振る。


「魔力が目に宿り、蓄積媒体としての役割を果たしていると考えるのが妥当じゃ。であるならば魔力を吸い出したところで自己の魔力を変換してしまう。それでは意味がない」


「……他に何かないんですか」


 アラタはなおも食い下がる。

 それほど彼の中で、この件は譲れない事案なのだろう。

 自分に覆いかぶさる責任のために、クリスは視力とスキル【以心伝心】を捧げたから。

 弟子の頼み、それにクリスは八咫烏の一員として尽力した一人、出来ることなら力になりたいというのが人情だ。

 ドレイクはこの時のために、いくつかの手段を用意していた。

 そしてそのための条件は、つい先日満たされた。


「3名の治癒魔術師、それにお主等が今回倒したドラゴンの竜玉、それを用意出来たらなんとかできるかもしれん」


「治療方法を聞いてもいいですか」


 アラタはインフォームド・コンセントを求めた。


「勿論じゃ。クリスもよく聞きなさい」


 クリスが頷くと、ドレイクはどこからか眼球の模型を取り出してきた。

 木製のパーツに、分かりやすいように色分けがなされている。

 実際のものとはカラーリングが一部異なるそれは、理解しやすさ重視なのだろう。


「一番大きなものが分かるな? これは硝子体という」


 そう言うと水晶体の裏にある一番大きな球体を取り出した。

 眼球というイメージの大部分は、この硝子体で構成されていた。

 残るのは虹彩や角膜、水晶体などフロント部分に限られる。


「ここに異常が発生している可能性が極めて高く、竜玉の影響もここがメインじゃろう。じゃから、今回取得した竜玉を使って眼球を一つの魔道具に作り替える」


「……ッ!」


 思わずアラタは立ち上がったが、何を言うことも出来ない。

 医学や魔道学に疎いアラタでも、それがどれだけ難しいことかは理解できるし、かといって何か反論できるほど専門性の低い話ではない。

 言葉が見つからなかったのだ。


「アラタ、座れ」


「……分かった」


 クリスが服の裾を掴み、着席させた。

 その表情はいたって通常通りで、改造手術しかないと言われた女性にはとても見えない。


「続けてくれ」


「うむ。魔物の魔力、龍の魔力に当てられていたのだから、失明したとしても眼球そのものに耐性が出来ているはずなんじゃよ。それを耐性ではなく、順応し循環させる仕組みを組み込む。光を取り戻すためにはこの方法以外にはない」


 それは現代日本で生まれ育ってきた彼の常識に照らし合わせると、随分と適当で荒唐無稽な話だった。

 角膜移植よりもはるかに難易度の高い手術。

 角膜移植術が初めて成功されたと言われているのが1928年、硝子体の対象部分摘出術が1970年、この手術は、アラタが考えているよりもずっと時代を先取りした難しいものになる。

 それでも、この先を考えれば手術はいずれ必要になってくる。

 文明水準的にはまだまだ遠く及ばない異世界で、一縷の望みをかけるとするならば魔術、魔道工学、魔力学。

 ドレイクはこの分野のスペシャリストであり、ゼネラリストでもある。

 そしてリーゼ、リリー、タリア、カナン公国の治癒魔術師には全員渡りをつけることが出来る。

 あとはクリスの意志次第。


「手術を頼みたい」


 クリスは左目に手を当ててそう言った。

 エリザベスのために捧げたものでも、返ってくるのなら取り戻したい。

 出来ることなら両の眼で、これからの人生を歩んでいきたい。


「話は決まったようじゃな」


「先生、よろしくお願いします」


 アラタは席を立つと、深々と頭を下げた。


「お主にも働いてもらう。治癒魔術師3人を呼び、それから大公より竜玉を貰い受けてきなさい」


「リーゼたちはともかく、大公にはなんて説明すれば……」


「今度もう一度ドラゴンを狩るから、今回は自分に譲るように説き伏せよ」


「出来ると思います?」


「出来なければこの話はナシじゃ」


「そんなぁ」


 厄介ごとを押し付けられ、それでもクリスのためなら断るわけにはいかないアラタをドレイクは愉快そうに見ている。

 若い衆がてんやわんやして四苦八苦しているところを見るのは、この老人の数少ない楽しみだ。


「はようせんと、時間はどんどん過ぎていくぞ」


「分かりました、行ってきます」


 そしてアラタはドレイクの家を後にして、家の方に走っていったのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「リーゼはタリアさんとリリーさんに協力を頼んでくれ。ノエルは俺と来てほしい」


「いいけど、何しに行くんだ?」


「大公の所に行くんだよ。クリスのために竜玉が必要になった」


「分かった」


 即了承したノエルを連れて、アポもなしにクレスト家に向かった。

 当然大公は不在中で、門前払いされる。


「ノエル、いそうか?」


「うーん…………いない、と思う」


「じゃあ次だ」


 【敵感知】が働かないのなら、剣聖の感覚に任せた方が状況把握能力は高い。

 センサー的な使い方をする目的でノエルを連れてきたアラタの采配は当たっていた。

 貴族院前にて、これまたアポイントメントもなしにアラタは訊く。


「大公に用があります。ノエル・クレストの名前で通してください」


「大公はここにはいません」


「ノエル」


「多分いると思う。さっきより怪しい」


「よくやった」


 予約もしていないのに本当のことを教えてもらえると思っていないアラタは、借金返済中の黒装束を身に着けた。


「ノエルはここで待ってろ。ちょっと行ってくる」


「あまり怒られないようにね」


「分かってる」


 そう言うと、【気配遮断】、黒装束を同時に起動、白い仮面をかぶり、アラタは貴族院本館に侵入していった。


 ——警備何とかしないとな。


 盗っ人猛々しい、というのは少し違う気もするが、侵入者が警備に関して思うところがあるのも変な話だ。

 普通に廊下を歩いて、人が来たら止まって完全に気配を消し、また歩き始める。

 やはりスキルや魔術、魔道具技術とは怖いもので、この手の行為を完全にコントロールすることは出来ない。

 もし仮にアラタが敵対勢力のヒットマンなら、そう考えると警備内容の変更も視野に入れなければならない。

 だが、最終ラインはしっかりしているようで、アラタの足が止まった。


 ——なんかまずいな。


 魔力が上手いこと流れない。

 その何が問題かというと、【気配遮断】はともかく黒装束のスイッチが落ちるから。

 スキル単体では、手練れ相手に完全に認識から外れることは難しい。

 警戒している相手となればなおさらだ。

 アラタはリャンのような【魔術効果減衰】系統のスキル持ちが警備に当たっていると推測、作戦を変えることにした。

 人通りが無いことを確認して、仮面を外し、フードを取る。

 黒装束への魔力伝達も完全に遮断し、楽になる。

 あとは腰から刀を鞘ごと抜き、右手に持った。

 一応敵意は無いという意志表示のつもりらしい。

 そして男は歩き出した。


「止まれ」


 当然こうなる。

 貴族院における大公執務室の位置は把握していて、そこに厳重な警備が敷かれている。

 ともなれば大公が在室していることは火を見るよりも明らか。


「武器を置き、両手を上げろ」


 警備は一人が杖を構え、2人が剣を抜き、もう一人が扉の前に立つ。

 彼らの警戒心を極力刺激しないように、アラタは言われたとおりにした。


「何者だ」


「大公殿下に用があって来た。ノエル・クレスト様の代理の者だ」


「お前……灼眼虎狼ビーストルビーの……」


「確認を取ってくれてからで構わない。それまでチェックでも何でも受ける」


「どうします?」


 剣を構えた男が後ろに向けて訊いた。

 彼はどうやら男の部下らしく、判断を委ねている。

 後方の警備は、少し考えこむそぶりを見せた後、杖を仕舞った。


「問題ない。入れ」


「武器は預かっていてください」


「うむ」


 アラタは刀を床に置いたまま、扉の前に立った。

 コンコンコンと3回のノックに対して、部屋の中から返事が来た。


「入りたまえ」


「失礼します」


 アポなしで、貴族院の管理下に入った竜玉を寄越すように大公に要請する。

 手術本番並みに難しいミッションがスタートした。


※※※※※※※※※※※※※※※


「あれの価値を君は知っているのかい?」


「い、いやぁ~、金貨1000枚くらいですかね」


「2万枚だ」


「ひぇ」


「正確には、貴族院がギルドに対して支払った金額のことだけどね」


 金貨250枚のやりくりで自転車操業状態になっているアラタにとって、文字通り桁が違う価格に思わず眼玉が飛び出しそうになった。

 それと同時に、ある疑問が浮かび上がる。


「俺たちの手元には入らないんですか?」


「いや、入っているはずだが?」


「ギルドの悪だくみですかね」


「いや、そんなことをしたら今度こそギルドは終わりだ。普通に支払っていると思うよ」


 何か腑に落ちないアラタだったが、それは放置して本題に戻る。


「とにかく、仲間の治療のために竜玉が必要なんです。お願いします」


 そう言うと、また頭を下げる。

 ペコペコし続けているアラタは、きっと良いサラリーマンになれる。

 しかし、大公にその手は通用しない。


「アラタ君」


 やばい、厳しい条件が来る。

 そう察知した。


「特別に、金貨2万枚で譲ろう。貴族院の手取りは無し、手数料を考えれば損だ。どうだい?」


「あの、手元にお金が無くてですね……」


「それは私が関知する所ではない」


「今度もう一回竜玉を取ってきますから」


「ならその竜玉を治療に当てればいい」


「ぐぅう」


 脂汗を浮かべながら、苦悶の表情を浮かべるアラタ。

 交渉ごとに向いていない彼をなぜドレイクはこの場に送り込んだのか。

 彼なら出来ると踏んだのか、それとも彼の成長のために分不相応な現場に投入し続けるのか、真意は彼の中だけにある。

 そして、大公はこう考えていた。

 そろそろ折り時だな、と。


「アラタ君」


 先ほどとは打って変わり、今度は優しく語り掛けるような、優秀な詐欺師のような声色だ。


「竜玉を譲ってもいい」


「本当ですか!」


「本当だとも。ただし、条件がある」


「出来ることなら」


「一つ、譲った竜玉の代価は次のダンジョン制覇の拾得物で賄うこと。二つ、ギルドから支払われているはずの金の在り処をきちんと調べ、報告すること。三つ、ノエルの頼みを一つ聞いてやる事。そして最後に、必ず手術を成功させること」


「分かりました。それでお願いします」


 シャノンはノータイムでの返事に逆に驚いた。


「即決してよかったのかい?」


「これ以上は望めませんから」


「まあ君が良いならそれでいい。君一人でも問題ないと思うが、一応もう一人くらい連れてきて竜玉を持っていきなさい」


「外にノエル様を待たせています。2人であれば問題ないかと」


「そうだね。ふふ、ノエル”様”か」


「変ですか」


「いや、君の好きなように使い分けるといい」


 そして大公シャノンは席を立った。


「休憩がてら、ノエルに会っておきたい」


 アラタは貴族院の保管庫に眠っている竜玉を受け取り、それを背負いながら出口にやってきた。

 そこにはすでにノエルとシャノン、それから大公の警備が待っていた。


「それじゃあノエル、頑張りなさい」


「ありがとうございます父上!」


 ノエルは満面の笑みである。

 父親と話せたことがよほど嬉しかったのか、微笑ましい光景だ。


「それでは、また今度ご報告に伺います」


「手術の成功を祈っているよ」


 こうしてアラタは最重要素材である竜の魔石、通称竜玉を手に入れた。


「ねえアラタ」


 帰り道、重い荷物を抱えているアラタの警備をしながらノエルは切り出した。


「ん?」


「アラタが私の頼みを何でも一つ聞いてくれるというのは本当か?」


「そういう約束で竜玉を譲ってもらったからな」


「へぇー」


 それ以上ノエルはその件に言及することなく、2人はドレイクの家に到着した。

 ノエルがアラタにどんな願い事をするのか定かではないが、碌な使い方をしないのは確かだろう。

 ニヤニヤ、ニマニマ、ニコニコして、あれこれ画策しているのは明白だったから。


「早かったの」


「代わりにいろんなものを失った気がします」


 再度ドラゴン狩りその他諸々を義務付けられたアラタは、先行きを不安に感じつつもクリスの左目治療のために一歩然したことを喜んだのだった。

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