第281話 その手に栄光を
氷の階段は、滑り台のような役割を果たす。
輪切りにされた火竜の
階段の最上段で、剣聖の少女は雨のような返り血を避けることも無く浴びている。
避けきれるものでもなく、避ける必要もない。
もう勝ったのだから。
過去の自分を越えて、ダンジョン最強の存在に打ち勝ったのだから。
刀には降り注いだ血が大量についていて、このままでは鞘に戻せない。
ノエルは刀を持ったままゆっくりと階段を下りる。
そして血の雨が降りやんだ頃、ようやく血を拭って納刀した。
その様子を遠巻きに見守っていたハルツたちは、新時代を感じずにはいられない。
間違いなく世界が動く瞬間というのを目撃した。
「15、いや、16年ぶりのダンジョン制覇か」
「まだよ。これからクリアリングが待ってるんだから」
「時間の問題だろう」
確かに、とレインはハルツの言葉に同意する。
それなりにダメージを負ったとはいえ、これから8時間以内に第3層から第5層の魔物を掃討することは、彼らにとってそこまで難しい仕事ではない。
治癒魔術師のリーゼもいるのだから、クリスもアラタもまた戦うことが出来る。
そのアラタはドラゴンのブレスを直接受けてしまったのだが、果たして生きているのだろうか。
そんな不安がノエルやリーゼたちの間に流れる。
「ノエルはアラタを!」
「分かってる!」
クリスの治療も出来る限り早く行いたいリーゼは彼女につきっきりだ。
代わりにノエルがアラタの元に駆け寄り、ハルツたちも近づく。
初めはぞっとした。
土色の塊が横たわっているように見えたから。
黒焦げになってしまったのかと、一同は本気でそう思った。
しかし、それにしてはやや趣が異なる事にも気づく。
土色の塊というより、土そのものなのだ。
こんもりと盛り上がったそれは、まごうことなき地面なのだ。
そしてそこからモグラのように、何かが出てくる。
「さ、酸欠で死ぬかと思った」
ブレスの燃焼と地中の空気の少なさで、アラタは危うく死ぬところだった。
咆哮が到達する直前に地面に手を突いたアラタは、土をひっくり返して壁を作り、その下に潜り込んだ。
そしてカブトムシの蛹のように周囲をありったけの魔力で強化して、ブレス攻撃を凌いだということらしい。
そう説明するアラタの顔は泥だらけで、黒装束は激しく破損している。
それはもう修復不可能なほどにボロボロで、所々素肌が露出してしまっている。
「…………斬れたのか」
地中にいたアラタは、強大だった敵の亡骸を見て、全てを悟った。
ノエルがやったのだと、成し遂げたのだと、理解した。
「やったな」
アラタはノエルに向けてこぶしを突き出した。
それにノエルも応える。
「みんなのおかげだ」
コツン、と拳がぶつかり、2人は笑った。
クエストにおける最難関部分を突破したのだから、肩の荷も下りるというものだ。
しかしまだクエストは終了していない。
喜んだのも束の間、まずはやることがある。
「クリスの容態は?」
全員で2人の所に向かった時、クリスにはすでに意識が戻っていた。
治癒魔術師のいないパーティーだったらと思うと笑えない話だが、それほどリーゼの存在は大きい。
「命に別状はないです。ただ、何か所も骨折しているのでこれ以上は戦わない方がいいです」
「そっか。正直俺もカツカツだし、防具も壊れたから少ししんどい。あと任せていいか?」
「残る敵はある程度予測できますし……えぇ、大丈夫ですよ」
「事後処理任せて悪いな」
クリスの治療がひと段落して、今度はアラタの治療である。
ノエルが補給している間に、アラタはリーゼから決着当時の様子を聞いていた。
「私の作った階段をバァーって登って、ズババァンって両断したんですよ。それから——」
「ちょ、ストップストップ。その擬音何とかならない?」
「だってバシャアって感じだったんですよ?」
「まあいいや。とにかく勝ったんだし、もう言うことはないな」
大きな負傷の無かったアラタに対して、リーゼは擦り傷などの細かい治療を施した。
難易度もエネルギーもそこまで高くないこの治療は、ただ時間だけがかかる。
一つ一つ治療することには変わりないので、結構な手間なのだ。
それでも消毒と並行しながら傷を癒す彼女の手際は慣れたもので、ものの20分程度で治療は終了した。
これからアラタとクリスの戦わない穴をリーゼが補うことになるので、魔力や体力的な回復は無し、そちらは自分で何とかすることになる。
アラタが軽食を取っている間、一足先にノエルの手でドラゴンの解体が進められていた。
解体はクエスト要項には無関係なので、ハルツたちも参加する。
何よりこれほど巨大な獲物の解体を彼女一人でやらせたら何日かかるか分かったものでは無い。
この場ではとりあえず希少部位の収穫のみを行い、残りは後続の回収部隊に委託している。
まずは、竜玉こと竜の魔石があるかどうかだ。
あれほど硬く、何も通さなかった鱗の装甲は、あっけなく剥がれた。
魔力が流れていない状態では強度は大したことなく、段ボールくらいの硬さしかない。
鱗を剥がし、肉が露になった場所から剣を入れていく。
死後間もないせいか筋肉には張りが残っていて、少し捌きづらい。
それでも【身体強化】を駆使して何とか解体を進めていくと、ルークが何かを察知した。
「ノエルちゃん、こっち来て」
「なんだ?」
「いいから」
言われるがままに赴いた彼女を待っていたのは、ルビーのような輝きを放つ巨大な岩。
間違いなく、竜の魔石だ。
大きさとしてはソフトボール位であることを考えると、竜の体に対してとれる量は非常に少ない。
まさしく希少部位、高額部位だ。
他にも牙、鱗、骨、肉、眼などすべての部位が高額なドラゴンの肉体の中でも、これは群を抜いている。
出回らな過ぎて相場の値段が存在しない。
「おぉー。重いな」
少し血の滴る竜玉を手に、ノエルはドラゴンを討伐したことを実感していた。
これほど大きな魔石を持つ敵を倒したのだと、首を落としたのだと、そう考えるとなんだか自分が凄いことを成し遂げたのだということを、ひしひしと感じることが出来る。
この感動を独り占めするのはなんだかもったいない気がして、彼女はアラタやクリスのいる方へと持って行った。
「見て! 取れた!」
「前使ったのより大きいな。なあクリス?」
「そうだな。こんなの使ったら体がはじけ飛ぶぞ」
「な、何の話?」
クリスの左目には未だ眼帯が付けられていて、その原因は竜玉を使用したことによる後遺症だ。
あの時よりさらに大きいこの魔石を用いれば、恐らくアラタでも無事では済まない。
「いや、こっちの話。凄いな」
「でしょ? もう少ししたら出発するから、待ってて!」
そう言うとノエルはまた解体作業へと戻っていった。
彼女の背中を見送りながら、アラタは干し肉を齧っている。
再度リーゼの治療を受けている最中のクリスはそれを物欲しそうに見つめていた。
寄越せと、そう右目が言っている。
「ほら」
アラタはポーチから包みを取り出して、丸ごと渡した。
戦闘中に摂取したポーションの効果が続いているアラタよりも、クリスに食事を取らせるべきだと思ったから。
「ありがとう」
腕も折れているはずなのに、クリスは動かない身体で器用に袋から干し肉を取り出して齧っている。
アラタはそんな彼女の横顔を見て、ある事を口にした。
「竜の素材が手に入ったんだ、先生に目の治療を頼んでみよう」
「あいつは医療に関しては専門外だろう?」
「リーゼもいるし、タリアさんもいる。孤児院のリリーさんにも話を付けられるし、何より先生は魔術系の技術を持っている。相談するだけでもさ」
「そうだな、相談するくらいなら」
そう言うとクリスは眼帯に触れた。
失くした光は今でも恋しい。
願うのなら、出来るのなら取り戻したい。
破損した【以心伝心】も、もう一度使えるようになりたい。
ただ、これだけが理由ではないにしろ、アラタが自分の眼の治療のことを考えながら戦っていたこと思うと、少し複雑な気持ちだった。
彼はいつもそうだ。
理由があっても口にせず、勝手に無茶をする。
そして何食わぬ顔で言うのだ、丁度よかった、いいタイミングだったと。
そういうのはやめてほしい、それがクリスの考え。
「次からはちゃんと教えろ」
「何を?」
けろっとした顔でアラタは答える。
しかし、彼女に残された右目が逃さない。
本当は分かっているのだろう、下手な芝居をするなと、そう言外に言っている。
アラタは人の気持ちをよく汲む方だ。
鈍感ではない。
「……分かったよ。ドラゴンのこと聞いてからずっと考えてたんだ。これでいいだろ?」
「そうだ、初めからそう言えばいいんだ」
無表情がちなクリスがふっと笑った。
結構レアなそれを見て、アラタもリーゼもびっくりする。
「なんだ?」
「いえ、何でもないです」
「お前表情でだいぶ損してるぞ」
「やかましい」
「みんな! そろそろ行くぞ!」
一次解体が終了して、ハルツたちに荷物を持ってもらったノエルが走ってきた。
「行きますか」
「つっても俺とクリスは役に立たないけどな」
「私はまだやれる」
「2人は休んでいてください。私とノエルで十分ですから」
「最後の仕上げだ。油断せずに行くぞ!」
ニッコニコでそう言うノエルの顔には説得力が無い。
しかし、内心は皆同じなのだから指摘することも無い。
第5層、敵性存在の全滅を確認、この時点で火竜討伐から2時間。
第4層、敵性存在の全滅を確認、第5層を出てから1時間半。
ここでドレイクも合流し、ボス戦の顛末をアラタから語る。
「治療はやってみよう。治癒魔術師を3名同席させなさい」
「ありがとうございます」
「なに、これくらいのこと。それよりも、よくやったの」
ノエルに貸しているケープ以外黒装束を全損したアラタと、複数個所の骨折を負ったクリスを労うようにドレイクは言った。
本当に良く戦ったと、褒め称えた。
「ところで先生、黒装束の代わりなんですけど」
「金貨250枚じゃな」
「無いですよ」
「では借金じゃな」
「無理っす。マジで無理。本当にお願いします」
金の貸し借りにトラウマのあるアラタは必死に追いすがるが、ドレイクは非情にもそれを振り払う。
「まあこれからも励めということじゃな」
「あんたいつか痛い目に遭いますよ」
恨めしそうに睨みつける弟子をよそに、ドレイクの視線の先で最後の一刀が降り下ろされた。
各フロアを順番に回っていって、取りこぼしが無いことは確認済みだ。
これで、アトラダンジョン制覇である。
第3層にはアラタ達だけではなく、偉業達成の瞬間を目撃しに来た多くの冒険者たちが待っていた。
「ノエル・クレストたちがダンジョン制覇を成し遂げた!」
アラタの刀を握り締めながら、左手を天に向かって突き上げた。
それに呼応して、ギャラリーたちは大興奮だ。
割れんばかりの歓声の中、ノエルとリーゼの後ろ姿を見た二人は同じことを考えた。
「こういう時は絵になるんだけどなあ」
「普段を知らなければな」
意見の合致した2人は目を見合わせ、それからダンジョン制覇を実感して、笑った。
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