第282話 走り続けなければ生きていけない
「えー本日はお日柄も良く……」
余所行きの格好をして大勢の前で挨拶をしているノエルを見て、アラタとクリスはこう思った。
「「いつもこうならいいんだけどな」」
そしてお互いの顔を見合わせる。
やっぱりお前もそう思うか、と笑う。
「まあ実際良家のお嬢様だし」
そう言いながらアラタはジョッキの中に並々と注がれている黄金色の液体を覗き込んだ。
普通に市販されているもので、特に珍しくはない。
これだけ多くの人間が参加する回なのだから、まずは量を集めなければならない。
それにアラタは酒に対して特にこだわりはないのだから、つべこべ言わず安酒を飲んでいればよろしい。
とにかく、
「ダンジョン制覇記念だ、みんな楽しんでくれ! 乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」
ダンジョンを制した翌日、ギルドでは記念パーティーが開かれていた。
リーゼ曰く、これから貴族院などの祝賀会にも顔を出さなければならないから当分はこういった日々が続くらしい。
飲み会自体は好きなアラタだが、貴族とか堅苦しいことは苦手なので良し悪しだ。
ただ、今日は冒険者やギルドの人間しかいない催しなので、心行くまで楽しむことが出来る。
そう言った意味では、このパーティーが一番楽しみな行事だった。
「ノエル様、二つ名は考えたのですか?」
「いや、まだそういったのは……」
「慣例を鑑みればパーティーを解散して新たなパーティーのトップになるというのも」
「だからそういうのはまだ考えて……」
「まあまあ、今日はそれよりもダンジョン制覇を祝いましょうよ」
開始早々ノエルに殺到した冒険者たちは、リーゼによって受け流されていく。
もはやお家芸だとアラタは思った。
ノエルは明るいが、適当にスルーするとかそういう処世術は苦手なように見受けられて、それは彼女の育ってきた環境由来だと思える。
粗野で野蛮な冒険者なんかと接する機会なんてここ最近まで無かったわけで、常に隣にはリーゼが護衛についているから、こうしてグイグイ来られると困るらしい。
そう言ったことも追々克服した方が良いんじゃないかなと思いながら、アラタはテーブルに用意されていた食事に手を伸ばした。
「おうアラタ、飲んでるか?」
「おー、飲んでるよ。カイルは?」
「ギルドの奢りなんだから飲まないわけないだろ。今日はぶっ倒れるまで飲むぞ!」
そしてカイルはグラスの中のビールを一気に流し込んだ。
また調子の良いこと言って、パーティーのキーンやアーニャが解放する姿が目に浮かぶ。
ただ、今日はそれでもいいとアラタも思った。
アラタも初めの1杯を一気飲みし、お代わりを注いでもらう。
「今日は朝までいくぞ!」
ノエル、リーゼは周囲と談笑しながら軽く食事をつまみ、アラタは友達たちと陽気に酒をあおっている。
その中で、クリスは隅の方でちょこんと座っていた。
元々このような会に縁がなく、それに怪我までしている彼女は少し入っていきづらい。
アラタたちが楽しんでいるようだからそれでよしと、クリスはよそってもらった食事に手を付ける。
「アラタの所に行かなくていいのか?」
目線を上げるとハルツたちがそこに立っていた。
「別に。私はあんな風に乱痴気騒ぎをする趣味は無い」
「乱痴気……久しぶりに聞いたな」
「そもそも浮かれ過ぎなんだ。帰り道に敵の襲撃があったらどうする」
「それもそうだな」
そう答えたハルツは、仲間たちに目配せする。
ここは俺だけでいいから、お前たちは向こうに行っていろと。
「お前も向こうに行かないのか?」
「怪我をしている君一人では心もとない。私も今日は飲まないよ」
「そうか」
それからクリスは黙々と食事を口に運んでいた。
その視線の先には楽しそうな顔で騒いでいるアラタの姿があった。
ノエルもリーゼも若干引くほどの飲みっぷりを見せて、周囲の人間たちを次々に潰していく。
しかし少し心配になる飲み方をしている彼を、クリスはそこまで心配している様子は無い。
「あんなに飲んで大丈夫なのか?」
ハルツは心配なようで疑問を呈した。
「大丈夫だ」
「アラタはあんなに強いのか」
「強いというより、薬物に耐性がつきつつある」
そう呟くクリスの表情は心なしか悲しそうに見えた。
「例のポーションか。クリスからやめるようには言わないのか」
例のものとは、ドレイク特性の非認可魔力増強剤のことである。
強い依存性と副作用は、確かな効果を保証しているようにさえ思える。
アラタはこれをかなり前から服用している。
それは今回のクエストでもそうだった。
「ああでもしなければ私たちは生き残れなかった」
「……昔はそうでも、今は違うだろ」
「変わらない。強くあり続けなければ、私たちは生きていけない」
「そんなことは無い!」
思わず強まったハルツの語気に、クリスは少し驚いたようで握っていたフォークを落としてしまう。
「すまない」
ハルツはそれを拾って布巾に包むと、代わりのフォークを持ってきた。
クリスはそれを受け取るとまた食事を再開する。
「クリス、よく聞いてくれ。もう大公選は終わった。アラタもお前も、自分のために生きていいんだ。自分のために生きるだけなら、そこまで体を痛めつける必要なんてどこにも無いんだ」
「流石はクラーク家の次男坊、明るい考えだ」
「お前だってそう思う日がいつか来る」
「人間はそう簡単には変わらない」
「簡単だとは言っていない。頑張って変わるべきだと言っているんだ」
ハルツの眼はリーゼやノエルと似ていて、真っ直ぐ透明感に溢れている。
アラタやクリスが一等苦手とするタイプだ。
「何かやりたいことは無いのか」
クリスは今までに聞かれた事の無い質問が飛んできて、答えに詰まる。
惰性で生きてきたわけではないが、それでも自分の意志とは無縁な人生だったから。
アラタ同様、彼女も自信を見つめ直す機会がやって来たのかもしれない。
「あいつがあんな風に笑うと知ったのはつい最近だ」
「うん、それから?」
「私も出来るなら、ああやって笑うあいつでいてくれた方が嬉しい」
「うんうん」
「あと…………」
「あと?」
「いつかは剣を置いて、畑とかをやってみたい」
奴隷で尚且つ育児放棄までされていた彼女は、いつも空腹だった。
その経験が彼女に食べることに対する執着を植え付けた。
だから、動機としては至極当然の流れである。
「夢が叶うと良いな」
「あぁ」
それからも2人は大騒ぎする冒険者たちを、外側から眺めていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「あー飲み過ぎた」
ふらふらと揺れる視界に沿ってバランスを取ろうとすると、自然と体が揺れてしまう。
揺れる視界に合わせているのだから、当たり前だ。
今日は家に帰らず、ギルドの宿に泊まることになった。
男衆はギルドや隣接している食堂で酔いつぶれていて、女性陣は部屋に行ってしまった。
ノエル、リーゼはだいぶ酔いが回っていて、クリスが警護を買って出てくれた。
アラタ的には少し心もとなかったが、ハルツまで警備に当たってくれるということなので一安心、アラタは心行くまで酒をあおったのだ。
ギルドを出て、入り口の階段に腰を下ろす。
夜の空気感とひんやりとした石材の温度が心地よい。
月が出ていない代わりに、星が良く見える。
「…………いないか」
【敵感知】を起動してみたものの、それらしい反応はない。
今日は本当に何もないのだと、そう判断した。
こんな暗闇は、昔を思い出す。
中学生の頃は、陽が落ちても出来る練習をやっていた。
高校生の時は、ナイター設備で何でもできた。
大学生になってからは、コンビニでバイトをしていた。
いつも何かをしていた夜なのに、異世界の夜はこんなにも早い。
時間的にはまだ深夜1時。
まだという表現がアラタの時間間隔を如実に表している。
彼は朝も強いが、夜更かししても問題ないタイプだ。
それでも睡眠の大切さを知っている彼は、決して自分のことをショートスリーパーだとは認識していない。
そんなものを自称する人間は、早死にすると相場が決まっている。
「はぁぁぁあああ」
長い溜息は非常に酒臭い。
寝る前に歯磨きしなければ、寝起きが最悪になってしまうことは確実。
ギルドに歯磨き道具があるかは微妙なところで、それは宿にも同じことが言えた。
なんだか面倒くさくなったアラタは口をよそぐことだけ決めて、そのまま黄昏続ける。
向こうの俺は元気だろうか。
遥香は元気だろうか。
父さんは、母さんは、
慎太郎はプロで活躍しているだろうか。
他の皆も、幸せに暮らしているだろうか。
最近、そんなことばかり考えている。
きっとまだ、元の世界に未練があるんだろ。
もう帰れないっていうのに、俺にはその資格が無いっていうのに。
ただの大学生だった青年は、異世界の厳しさに順応するうちに元の自分を忘れてしまった。
記憶としては、知識としては自分がどんな人間だったのかよく覚えている。
ただ、仮に帰ったとしても前と同じ自分ではいられない。
背後には常に気を張っているし、近しい間柄でも必要とあれば斬る。
そんなことする機会なんて無いというのに、考えずにはいられない。
失うことが怖くて、つい他人と距離を取ってしまう。
そんな自分が元の世界に帰ったところで、まともな生活を送ることが出来ないのを彼は悟っていた。
彼はマグロのような人間で、泳ぎ続けなければ生きていられない。
何か夢や目標があって、その中で窒息しそうになりながら全力疾走する生き方しか知らない。
だからダンジョンを制覇した今、空っぽの自分に何かを入れなければ気がふれそうになる。
次は何をしようか。
答えは出ないまま、アラタは寝ることにした。
ギルドの中に戻って、そのまま隣にある宿の部屋に入る。
隣には先につぶれたカイルが寝ていて、もう片方のベッドに横になった。
いつかの夜、考えた事を思い出す。
「余計なことを考えるな。なるようになるさ」
約10か月ぶりにそう呟くと、眠りについた。
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