第280話 ドラゴンスレイヤー

「嫌だ」


「最初の一発以外どうせ意味ないんだから、貸してやれよ」


「これは私のだ。必要ならアラタのを貸してやれ」


「……まあいいけどさ。俺だって装備薄くなるのは嫌なんだよ」


「それを私に押し付けるな」


 居場所を把握できていないドラゴンの捜索中、アラタとクリスのどちらがノエルに黒装束を貸すのかで言い争っていた。

 隠密行動が強みのクリスは能力を下げたくないし、防御力を黒装束に依存しているアラタもそれを渋る。

 だがノエルだけが火竜の分厚い装甲を撃ち抜ける可能性を持つ以上、出来る限りバフをかけておきたいというのもある。

 仕方ないかとこぼしつつ、アラタは自分の着ていたケープを脱いだ。

 本来なら仮面を貸し出すところだが、あれを装着して行動するにはそれなりに慣れが必要だ。


「フードを被って魔力を流せ。クラス、スキル、魔術は出来る限り絞る事。OK?」


「うん、分かった」


 ノエルは受け取ったケープを装備の上から羽織った。

 胴、腰回り、脛、肩、前腕に金属の鎧を装着している彼女だが、黒装束は邪魔することなく着用することが出来る。

 【身体強化】、【剣聖の間合い】を解除してから魔力を導通させると、心なしかノエルの存在感が希薄になる。

 準備は整ったようだ。


「いけそうだな」


 アラタは魔道具の起動を確信する。


「まず隠密からノエルが一発。俺が間に入って時間を稼ぐ間にリーゼが回復、クリスは俺とその護衛、それからもう一回挑戦、基本はこの繰り返しだ」


「アラタはあと何回ならあの攻撃を受けられますか?」


 リーゼが訊いたのは、火竜の咆哮をあと何回捌くことが出来るかということだ。

 アラタ自身、刀をノエルに預けているのだからどうなるのか正直分からない。

 代わりに受け取った2本の剣がきちんと能力を発揮したとして、あと2回。

 それ以上は計算できない。

 ただ、2回では少し心もとない。

 それだけのチャンスでは、ノエルの精神にプレッシャーを与えることになる。


「……3回受け切る。あとは分かんね」


「ではアラタが2回受けた時点で一度撤退、再度体勢を立て直すということでいいですね」


「異議なし」


 クリスが同意する。


「俺もそれでいい。それでいこう」


 この話はノエルに聞いても仕方ないので、アラタとクリスが同意した時点で話は決まった。

 タンク役のアラタの耐久値が残り少ないことからして、次が実質的にラストチャンスとなる。

 そして捜索すること30分、その時はやって来た。


 ——止まれ、見つけた。10カウントで突撃する。


 先導していたクリスが全体を停止させ、ハンドサインでやり取りをする。

 ノエルとリーゼは慣れていないこのコミュニケーション手段だが、アラタは慣れたものだ。

 先ほどの内容ならそれほど複雑なやり取りは発生せず、指折りながらカウントダウンするアラタを見て2人も何をするべきか理解した。

 ノエルはフードを被り、存在感を消す。

 そして腰に差した日本刀を左手で握り、走り出しに備える。

 アラタの指が、全て折られた。


 ——ゴー。


 グーに握られた拳を開いて、人差し指で火竜を指さした。

 アラタの後ろから弾かれたように走り出したノエルのことを、ドラゴンはまだ認識していない。

 これほどまでに巨大化した体躯と膨大な魔力を持つこの存在は、感覚器官が少し馬鹿になっているのかもしれない。

 そうでもなければ膨大な情報量を捌くことが出来ずに脳がパンクしてしまう。

 何はともあれ、ノエルは未だ気づかれることなく接近している。

 走りながら鯉口を切って、刀を抜いた。

 刀身がルクシオキノコの照明に照らされて鈍く光るが、その光はドラゴンに届いていない。

 狙うは頸椎、それを右側からぶった斬る。

 剣聖からの助言に従って、魔力を練っても刀には流さない。

 力を籠めるのはほんの一瞬だけ、その一瞬のインパクトがそのまま衝撃となって対象物を斬り裂くはず。

 淡い光に照らされて、竜鱗がギラりと気味悪く光った。

 アラタたちは少し遅れて走り出している。

 ここで決めれば、全ては終わる。

 その気負いが、ノエルの剣筋を曲げてしまう。


「くっ……!」


 神速の一太刀だったが、虚しくも火竜の鱗に弾かれる。

 完全な虚を突いても、ノエルの剣をもってしてもこの化け物の装甲を突破することは難しい。


「ノエル下がれ!」


 初めはノエルの方を見ていたドラゴンは、次に声を上げたアラタの方に体を向ける。

 図体の割にはずっと素早くて小回りが利く。


「来るぞ!」


 クリスが警告した次のフレームで、火竜が攻撃モーションに入った。

 アラタは既にクリスから借り受けた剣を思い切り振りかぶっており、そこには魔力が漲っている。

 カーテンを引くようなイメージで、ウル帝国で直に食らった剣聖オーウェン・ブラックの攻撃を再現する。

 劣化版の【天地裂断】こそが、アラタの中で火竜の咆哮に対抗する唯一の手段なのだ。

 魔力の塊同士が激しくぶつかり合い、互いの組成を食い破るように破壊していく。

 魔術というよりも純粋な魔力をぶつけあっているから、組成としては非常に強力である。

 つまり、単純な構造故に壊れにくい。

 相手の力と同程度の魔力を使用しなければ、差分が襲い掛かってきてアラタなんてすぐに蒸発してしまう。

 だから彼も必死なのだ。

 クリスの剣を一発で壊してしまったとしても、多少コントロールが雑になってしまったとしても、気持ち強めに力を行使せざるを得ない。


「ク……」


 クリス、そう言おうとしてアラタは思いとどまった。

 彼女の姿はおろか、存在感すらすでに消え去っていたから。

 仮面を着け、黒装束に身を包む。

 目を保護する瞬膜に邪魔されて攻撃失敗した彼女だが、今度は違う。

 それを織り込み済みで、攻撃を仕掛けた。


 だが、ドラゴンはそこまで馬鹿ではない。

 きちんとした思考の下、確かな対応を敷いてきた。

 目の粘膜を狙って跳躍したクリスに対して、ドラゴンは瞬膜を閉じようとしない。

 そうすることで狙いを絞らせようとしたのか。

 クリスは誘導されるように吸い込まれるように、金色に光り輝く玉に向かっていく。

 こんどこそ破壊してやる、そんな攻撃姿勢は本来なら褒めるべきなのだろうが、今はサポートに入れる人間がいない。

 攻撃偏重になれば、防御がおろそかになる。

 ギョロリと巨大な眼球が彼女を捉えた。

 次の瞬間、ドラゴンの口元から小さな無数の火花のようなものが彼女に向けられて発射された。

 小さいと言っても基準はドラゴンスケールで、人間であるクリスからしたら一つ一つがそれなりに大きい。

 必然的にそちらを対処せざるを得ないわけで、剣を1本しか持たない彼女は後手に回る。

 そして、彼女の側面から赤く巨大な何かが肉体を捉えた。


「リーゼ!」


「分かってます!」


 ノエルの回復に当たっていたリーゼは、クリスがピンポン玉のように弾かれた先に走り出している。

 クリスはドラゴンの尻尾に弾き飛ばされたのだ。

 支援のために雷槍を準備していたアラタはそれをキャンセルし、彼女たちとドラゴンの間に割って入る。

 手に持つのはノエルの剣、これで最後の1本だ。


「アラタ気張れ!」


 敬語を使う余裕すらなくなったリーゼはクリスの元にたどり着いて絶句した。

 命の危険はない。

 ただ、骨が何本も折れてしまっている。

 自分の残り魔力、治療に賭けられる時間、アラタの限界点、ノエルの攻撃が貫通するか否か。

 それらを複合的な判断材料として思考を回すと、この場でクリスを戦えるまでに回復させるのは難しかった。

 そしてその頃、アラタも正念場を迎えていた。


 あのデケーくちの中にぶち込んでやりてえな。


 そんなことを考えつつも、それを実行するだけの余裕は無かった。

 残り少なくなってきた魔力をありったけ練り上げて、再度火竜と魔力の力比べだ。

 相手が準備した攻撃に対して対処的に魔力の塊を放つのだから、後出しじゃんけんの要領で必要とされる魔力量は決定される。

 だからエネルギー効率としてはそこまで悪くないのだが、求められる量が効率という概念をぶっ壊している。

 おおよそ人間の持つ魔力量では賄いきれないそれをアラタが支払うことが出来るのは、間違いなくエクストラスキル【不溢の器カイロ・クレイ】のおかげだ。

 ただ、そのスキルは万能ではない。

 限界点を引き上げる能力を持つと推測されるだけで、今すぐに欲しい能力を与えてくれるようなものではないのだ。

 この戦いを超えた先に、彼の最大魔力量はまた増加するのだろう。

 ただ、それは今ではない。

 【痛覚軽減】、【敵感知】、【気配遮断】、それから黒装束に回す魔力をカットする。

 余計なことをしている余裕は無い。


「おおぉぉおおっ……!」


 カナン公国にいる現役の冒険者の中で、ドラゴンの攻撃をこれほど防ぐことのできる人間は他にいないだろう。

 ただ、彼ではドラゴンの装甲を突破できない。

 戦況を維持することは出来ても、戦況を打開することは出来ないのだ。

 だからこそ、全ては彼女に託された。


「具体的なイメージの中で、ありたい姿を具現化する……」


 菱巻きされた日本刀の柄は、ノエルの手にしっかりとフィットしている。

 この刀を持ったのは1年近く前、レイテ村でアラタに見せてもらった時以来。

 変わった形ながらも、不思議と使い方を理解することが出来た。

 それも剣聖の能力なのだろうが、あの時のアラタの尊敬の眼差しをノエルは今でも覚えている。

 子供が働く大人を見るような、そんな目を。

 おそらくもう、アラタがそんな視線を自分に向けてくれることはないのだろう。

 それくらい、両者の間にあったはずの実力差は埋まってしまった。

 だけど、見てほしいという想いは変わらない。

 みんなで冒険者を続けていきたい。

 過去の自分を、剣聖の人格を越えたい。

 それが彼女の在りたい姿だ。

 アラタの上を飛び越えて、今度は正面から斬りつけた。


「……撤退します」


 無情にもノエルの刀は弾かれる。

 ドラゴンの顔にも少し傷がついているが、骨を断ち切るほどの威力は無い。

 いくら浅い傷を付けたところで、どうにもならない。


「ダメだ! ここで戦う!」


 アラタが打ち合わせとは違う方針を打ち出した。


「何故! …………あっ」


 リーゼも気づいた。

 この場所は初めの場所からほど近い、遮るものの無い一本道だ。

 ドラゴンは丁度広場の方に立ち塞がっており、下がっても咆哮を受けるほかない。

 先刻同様に間をすり抜けたいところだが、負傷したクリスを担いでどれほど速度が出せるのか。

 ハルツたちに協力を要請することも出来るだろうが、それではクエストは失敗だし何より彼らに咆哮を防ぐことは出来ない。

 七つの道は塞がれていて、残るは正面の一本道だけ。


「ノエル!」


 アラタは根元から折れた剣を構えながら、心中を吐露した。


「腹の方が柔いはずだ。あとは首の関節を通せ。隙は俺が作るから、お前はただ全力で打ち上げろ」


 セットポジションから、彼は投擲モーションに入るタイミングを待っている。

 火竜がブレス攻撃を放つのと同時に、彼はノエルのサポートを行う。

 その為の準備だ。


「確かに剣聖はすげえクラスだ。でも、それを使うのはあくまでお前自身、俺は剣聖の力を見込んだんじゃない、お前に賭けたんだ」


 刀を握るノエルの力が強く脈打つ。


「クリスはハルツさんたちに任せて、リーゼは首元までノエルを送り届けろ。ゼロ距離で攻撃を届けるんだ」


「分かりました」


「頑張れノエル。お前なら出来る」


 アラタはドラゴンに最も近い位置に居て、敵をまっすぐ見据えている。

 だから彼の表情を窺い知ることは出来ない。

 でも、言葉だけで十分だった。


「うん」


「4時の方向から回り込め! 来るぞ!」


 足をめいっぱい、胸の近くまで振り上げると、洗練されたフォームでアラタは剣を投げる。

 明らかに今までとは異なり、攻撃的なアクションだ。

 同時に火竜も今日一番の強力なブレス攻撃を繰り出してきて、それらがぶつかり合う。

 あとだしで準備したはずのアラタは、剣を投げた瞬間にこう思った。


 ——勝てねえ。


 先ほどまでの竜の攻撃は、例えるなら砲弾だった。

 魔力の塊を射出して、それが通った道を焼き尽くす。

 対して今度は、まるでビームのように撃ち出している。

 後ろから繰り出される高エネルギー体は、アラタの想像を大きく超えている。

 さっきまで背後にはクリスとリーゼがいたが、攻撃が拮抗している間に彼女たちはポジションを移動している。

 後ろを気にすることなく、あとは自分の体のみ。

 しかし、咆哮を防ぎ切ったとしても、その後ノエルとリーゼが攻撃を畳み込むには陽動が足りない。

 何より、今日まだ一撃も入れられていないなんてことをアラタが許容できるはずもなかった。

 先に放った剣と魔力の塊が消滅しようかという時、アラタは右手を前に構え、それを左手で支える。


「抉り込むように、駆け上がれ」


 元の世界の物理法則と人間の身体能力では成しえなかった物理挙動。

 オーバースローでボールを投げれば、あとは落ちるだけ。

 しかし、こと魔術においてはそうでもない。

 魔力を推進剤的な使い方をして、軌道をあらかじめ設定する。

 すると夢のような変化球が完成する。

 アラタのネーミングセンスに基づいて名付けるのなら、ライジングカーブ。

 通常とは逆方向、つまりブレーキを利かせながら抉り上がる軌道。

 それを撃ち出した後、アラタは目の前に広がった火竜の咆哮に対して、地面に手を突いた。


「アラッ…………うぉぉぉおおお!!!」


 彼の放った雷槍は確かに竜の喉元を突き上げて、上体を浮かせた。

 その代償に、アラタの立っていた場所は火竜の炎に包まれた。

 一瞬そちらに気を取られたノエルとリーゼだが、すぐに正面を向きなおす。

 アラタは大丈夫だと信じる以外に道はなく、自分たちの役割も目の前にあるこれ以外にない。


「道を作ります! 氷壁!」


 無から有を生成出来る時点で、この世界の魔術がアラタの元居た世界の物理法則に則っていないことは確定している。

 それでも何もない場所から氷の柱を作り出すには、生まれ持った才能とたゆまぬ努力が必要だった。

 ドラゴンの首元まで伸びる氷の階段は、リーゼの成長曲線を表しているようだった。

 線形的ではなく、決して一定ではない。

 それでも確かに積み上げていって、昨日の自分より少し強い自分になる。

 透明なその道は、剣聖の少女を確かに目的地まで送り届けた。


 視界を追い尽くすほど巨大なドラゴンの首。

 人間なんてきっと噛まずに飲み込んでもそのまま食道を滑り落ちていくことだろう。

 それほど大きな首を落とすには、アラタの刀は刃渡りが足りない。

 きっとそれ用に特注したギロチンでもなければ、火竜の首を落とすのに十分な長さを確保することは難しい。

 しかしヒントは既にあった。

 魔力で攻撃を拡張するアラタの戦い方。

 異国の剣聖が使った剣技。

 そして、15歳の時に自らが放った人生最高の一撃。

 右足を後ろに刀を引き、きっさきを後ろに向ける。

 半身を切り、手元を低く構えた打者のようだ。

 脇構え、陽の構え、金の構え。

 狙いは前ではなく、真上。


「ノエル! これで決めてください!」


「ノエル様!」


 リーゼとハルツ、クラーク家の声が重なった。

 音の伝わる速度というのは非常に速く、常温なら秒速340m前後。

 ノエルがモーションに入るより速く、2人の声は彼女に届いた。

 アドバイスとしては何の意味もない声が、彼女の肩の力を抜く。


 父上や母上ならともかく、こんな私についてきて、2人は変わっているなぁ。


 そんなことを考えると、貴族とは何の関係も無いアラタやクリスが傍に居ることがなおさらおかしく思えてくる。

 鬱陶しい人間だと、彼女ははっきりと自覚している。

 面倒くさい女だと、彼女は自己認識している。

 だから、それでも近くにいてくれる人間は貴重で、ありがたいのだ。


 アラタに説教を垂れておいて、じゃあ私はどうなのか。

 アラタにそれを指摘されることがずっと怖かった。

 荒れたアラタに何かを言っても、俺はお前に背中を斬られたと言われたら、私は何も言えなかった。

 でも、アラタはそんなこと一度も言わずに、ただ私の言葉を受け入れた。

 言われなくても分かっていることを、しつこく何度も言われても、それでも文句を言わなかった。

 アラタも、リーゼも、クリスも、シルも、ハルツ殿も、みんな私の宝物だ。

 私のエゴに付き合ってくれる皆と、これからも一緒に居たい。

 誰一人として失うことなく、これからも過ごしたい。


 ——剣聖、力を貸してくれ。


 ——…………いいよ。


 月の弧を描くように、美しい軌道で力を解き放ったノエルの刀は、いままでびくともしなかった鋼鉄の鱗をまるで紙のように引き裂いて、自分の体より遥かに大きな火竜の首を輪切りにした。

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