第277話 鋼鉄を斬る

 鋼鉄とは、2%未満の炭素を含む鉄のことである。

 強靭かつ加工も容易で、安価である。

 このことから非常に重宝される素材なことに議論の余地はない。

 そして、多くの刀剣もこの素材を用いて制作されている。

 決して傷つかないという完全に物理法則を無視したアラタの刀でさえ、素材的には鋼で出来ているはずだ。

 それは他の面々が使用する武器も同じ話で、クリスも、リーゼも、ノエルも鋼鉄の恩恵を享受していた。

 それ故に彼女たちは専門家までいかなくともある程度この物質に対する知識を持っている。

 容易に加工できると言っても、剣で切り裂けるようなものではないということくらい、誰だって知っている。

 だから、これは無理筋だ。

 ノエルに求められている技術的ハードルとして、鋼鉄を切り裂くほどの剣撃を要求したドレイクの発言は絵空事と言うほかない。


「あはは、先生も冗談言うんですね」


 なんてアラタは笑い飛ばしたが、表情を崩さない師を前に5秒後には真剣な顔に戻った。


「正気ですか」


「無論。それくらいしなければ火竜は倒せぬ」


「先生は出来るんですか」


「出来ぬが、わしにはわしのやり方がある」


「教えてくださいよ」


「断る」


「はぁ」


 弟子にはとことん厳しいドレイクからは、それ以上何も得られるものはなさそうだった。

 アラタは諦念気味にノエルの肩を叩き、『あとは任せた』といってどこかへと言ってしまった。

 クエストの成否がノエルの双肩にかかっているとしても、彼は彼でタンク役としての準備がある。

 ここからは別行動だ。


「ドレイク殿、ドラゴンの装甲は鋼鉄より硬いのか?」


「それはもちろん」


「でも私は前にあれの頭を落としている。そんなに硬かったとは思えないのだが」


 ノエルの記憶の中では、おぼろげながらもう一人の人格がドラゴンの首を一刀両断した時のものが残っている。

 手に残る感触からしても、そこまで硬かったとは思えなかった。

 ただ、物理的な特徴量と心理的な指標のどちらを優先して考慮するかなど、自明である。

 ノエルが以前どのように感じたかなど関係なく、ドラゴンの強度は鋼鉄を上回るのだ。


「竜鱗は硬い。ノエル様がどのようにあれを打ち破ったのか、正直わしには分かりません」


「そうか」


「じゃがハルツ殿の報告でも分かるように、ドラゴンは臨戦態勢であり、体には魔力が漲っていた。その状態で過去のノエル様がそれを斬った事実は変わらぬ。今一度自分と向き合うことをお勧めいたします」


「ドレイク殿のいうことは分かりにくい」


「失礼。そうじゃのう……いっそのこと剣聖の人格に話を聞くというのはどうでしょう」


「それはない。もう出さないって決めたんだ」


 ノエルは胸の前でバッテンを作ってNGアピールする。

 しかしドレイクと言う人間が人の意志や考えを尊重することの方が少ないことを彼女は分かっていない。

 彼の中でそれが有効な手法だと考えた以上、それ以外の選択肢は存在しないのだ。


「わしが見ておりますから。暴走したとしても問題ありませぬよ」


「そういうことじゃ……分かった。やってみる」


 そう言うとノエルは、ドレイクの家の庭に腰を下ろした。

 縁側ではなく、地べたの上にだ。

 剣を鞘ごと抜いて、自身の右側に置く。

 この取り組みの中で剣は必要ないから。

 ゆっくりと目を閉じると、レイテ村で受けた治療を思い出す。

 あの時は壮大な設備と他人のクラスの力を借りてそれを成し遂げたが、今回そのような補助はない。

 あるのは自身の体一つだけ。

 心の中に閉じ込め続けた、自分の中の否定すべき感情の集合体を、今一度呼び起こす。


 ——おい……おい、起きろ。返事をしろ。


 まるで電話の呼び出し音が鳴っている最中のように、語り掛けても呼び出しても無反応な時間が続く。

 それは実際の時間よりずっと長く感じられて、30秒程度の待ち時間のはずなのに3,4分くらいには感じられた。

 そして唐突に連絡が繋がる。


 ——なんだ。


 ——初めてクエストに行った時のこと、お前がドラゴンを倒した時のこと、それを詳しく教えてほしい。


 ——断る。


 至極予想通りのリアクションに、ノエルの中でストレスが蓄積される。

 イラつく行為という物は、予想していても予想していなくてもむかつくものなのだ。

 ノエルは額に青筋を浮かべながら、ギリギリ残った我慢の心で下手に出る。


 ——協力的なら、それなりに見返りを用意することも出来る。それでも断るか?


 ——見返りってなんだ。抽象的過ぎて話にならない。


 割と簡単に釣れた剣聖の人格に、ノエルは驚いた。

 これで断られて、それでもしばらく粘っているうちになし崩し的な流れの中で了承させてやろうと考えていたから。

 まあ彼女が自分をどんな性格だと思っているかは置いておいて、他人にこの話をしたらこう思うだろう。

 剣聖の人格と言ってもそれがノエルであることには違いないのだから、我慢が利かず、直情的で、すぐ釣られるのも同じだと、そう思うに違いない。

 とにかく乗ってきたことは好ましいので、主人格のノエルは話を進める。


 ——見返りはお前の望むものを出すつもりだし、ドラゴンの話の内容次第で変わることでもある。だからまずはそちらから話を聞かせてほしい。


 ——ダメだ。報酬が先でなければ話さない。


 報酬が先なら話すのかと、ノエルは安堵した。

 自分を相手に話を進めると、妙にとんとん拍子に進むから拍子抜けだ。


 ——じゃあお前の望むものを教えてほしい。


 ——主導権の移譲。


 ——却下だ。人を傷つける可能性がある以上お前を表に出すわけにはいかない。


 ——じゃあ人を傷つけない、それに殉じる行為もしない。これでどうだ。


 ——約束を守らせる拘束力がないからダメだ。


 ——じゃあ契約しよう。それでいいだろう?


 ——破るから意味ないじゃないか。


 主人格にとって、契約と言っても単なる口約束程度の拘束力しかないそれを信用するわけにいかないことは当然だった。

 剣聖の人格のせいで、ハルツのパーティーやリーゼ、果てにはアラタまで、多くの人を傷つけた。

 だから、彼女が慎重になるのも無理からぬ話だ。

 しかし、もう一人の彼女からしたらそうでもないらしい。

 そうでもないというのは、『契約は行動を制限するのに信頼できる指標ではない』ということだ。

 回りくどい話だが要するに、剣聖の人格の言う契約にはそれなりの信頼度と拘束力があるということだ。


 ——契約を履行しなければ私はお前の完全支配下にはいる。


 ——今のままでも私はお前を制御している。取引になっていない。


 ——それなら…………


 はたから見れば、ノエルは庭に座り込んで目をつむっているだけでしかない。

 寝ているようにさえ見える。

 しかし、彼女の心象世界の中で剣性の人格が次の一言を放った時、そのリアクションは確かに外の世界にまで及んだ。

 剣聖の力が体から漏れ出して、陽炎のようにゆらゆらと揺らめき始めたのだ。

 ドレイクは何が起こっているのか推し量れずにいるが、手出しすることも出来ずに杖を握ったまま立ち尽くしている。

 彼には見守ることしか出来ない。


「ノエル様………………」


 第3段階への到達は、案外近いうちに達成されるのかもしれない。


 ——契約を破れば、私という人格は消えよう。


 そう聞こえた時、主人格は聞き間違いか何かだと思った。

 曲がりなりにも自分の分身が、目的を諦めるような発言をするとは思えなかったから。

 自他ともに認めるしつこさを持つ彼女が、主導権への執着を諦めるにも等しい契約条項を提示してきたことに彼女の理解が追いつかない。


 ——それでいいのか、それで、本当に?


 ——契約を結ぶなら早い方がいいぞ。決意が揺らぎそうだ。


 意図的かどうか分からないその一言が、主人格に焦りをもたらす。

 明確に時間制限が発生したわけではない。

 それでも剣聖の人格が心変わりしないうちに、そう考えるのが普通だ。


 ——5分だ。5分だけなら代わってもいい。


 ——10分。


 ——5分。


 5分、10分と特に根拠のない時間設定を押し付け合う。

 あまり時間を与えすぎると何をするか分からない恐怖感から5分に設定した主人格と、5分を提示してきたのなら実際には10分くらいまでなら粘れると自分のことをよく分かっている剣聖の人格。

 押し問答はしばらく続く。

 これも当たり前のことなのかもしれない。

 なぜなら彼女たちは同じ人間で、同じ人間なら思考も行動もそれに釣られて同調するから。


 ——8分だ。これ以上は譲歩しない。


 ——いいだろう。契約成立だ。


 結局交代時間は8分に落ち着き、契約が締結された。

 破った際にどのような方法でペナルティを履行するのかよくわかっていない主人格だが、もう一人の自分が嘘をついているのかどうかくらいは判断できるつもりだった。

 この約束を違えることは無い。

 そうしなければ、自身の目的も達成できないからうやむやにした部分も少しはあるはずだった。

 そして剣聖の人格は本題に入る。


 ——私から提供できるのは、ドラゴンを斬る力の使い方だ。


 ——竜鱗を破る方法を教えてくれ。


 元々それが知りたくてノエルはこの取引を持ち掛けた。

 半ば暴走した剣聖の人格が初めて顕現した際の出来事。

 それを再現することが出来れば、彼女はもう一度火竜を屠ることが出来るはずだから。


 ——それは………………


 それからしばらくやり取りが続いたのち、ノエルはゆっくりと目を開いた。

 目の前ではドレイクが縁側に座っていて、初夏の陽気の中で時間を過ごしていた。


「終わりましたか」


「うん。知りたかったことは全部わかった」


「それは重畳。内容をお聞きしても?」


「すまない、それは秘密にしなければならないんだ」


 ノエルはやんわりとそれを断る。

 秘匿することは契約事項に含まれていないが、出来ることなら隠しておけと他ならぬ自分に言われたから。

 相手がドレイクでも、リーゼでも、クリスでも、アラタでもそれは変わらない。


「分かりました。この後いかがされますか?」


「とりあえず家に帰る。用事が出来たんだ」


 剣を腰に差して、ノエルは帰宅しようとする。

 彼女の中でどんなやり取りがあったのか、ドレイクは知らない。

 外見上変化も無いし、取引が上手くいったのかいかなかったのかすら分からない。

 だが、どのような結果になったとしても、例えアラタやノエルが死んだとしても、彼には見守るしか選択肢が残されていない。

 それはまるで自分が既にクリアしたゲームに頑張って取り組む年下の子供を見守っているようで、微笑ましくもあり、もどかしくもあった。

 しかし、こうするしか、これでいいのだと自身に言い聞かせる。


「ノエル様」


「ん?」


「ご武運をお祈り申し上げております」


「うん、ありがとう!」


 ノエルの笑顔を見ると、ドレイクの心は少し軽くなる。

 そしてその2日後、運命の日がやってくる。

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