第275話 君が笑って暮らせるように

 アトラとレイテ村の往復は、合計6日間かかった。

 片道3日の計算で、レイテ村に滞在したのはたったの1日。

 仮初の故郷を後にしたアラタの表情は明るい。

 今はもう、空っぽではないから。

 やるべきこともそうだが、とりあえずやりたいことを見つけたから。

 だから屋敷に到着して、アラタはみんなの元に向かった。


「おかえりなさい。早かったですね」


 居間にはリーゼとクリスがいた。

 シルは買い物に出かけているらしい。


「ただいま」


「もういいのか?」


「ああ。心配かけた」


 そう言いながら笑うアラタの表情を見て、クリスは驚いた。

 今までにないくらい安らかに笑うアラタを目撃したから。

 爽やかというか、清々しいというか、特配課で出会ってから今まで、彼がそんな顔を見せた事なんて一度も無かった。

 それほど張り詰めた世界で、緊張感と責任の充満した世界で生きてきたから。

 心に仮面が張り付いた彼の不器用な笑みしか見たことが無かったから、少し面食らった。

 だが、それが悪いことではなく良いことであることくらい、クリスも分かっている。


「今度こそ勝つぞ」


「うん、そのつもり」


 おいおいどうしちゃったんですか、とリーゼは目を丸くする。

 クリスが驚いているのと同じように、彼女も心の中でアラタの変化にびっくりしていた。

 出会った頃に戻ったような明るさ……でもない。

 それとはどこか違う、こんな目をキラキラさせた男をリーゼは見たことが無かった。

 不覚にも少しかっこいいと思ってしまったことを恥じる。

 自分にはフェリックス・ベルサリオという許嫁がありながらと、自己を戒めた。


「ただいま~」


「ノエルが帰ってきましたよ」


 玄関の靴でアラタがいることに気づいたのか、ノエルはドタドタと慌ただしく廊下を駆けてきた。


「アラタ! おかえり!」


「うん、ただいま」


 剣聖のクラスを持ち、変化に人一倍敏感なノエルは、一言交わしただけで何かを察する。

 クリスやリーゼでも気づいたのだから、彼女がアラタの変化に気づかない方がおかしい。


「アラタ、少し変わった?」


「そう、かもね。うん、変わろうと思う」


 まだはっきりとしていないのか、あやふやな答えだ。

 でも、芯の部分はぶれない、折れない。

 目と、雰囲気がそれを物語っている。


「やりたいことは見つかった? やらなきゃいけないことじゃないよ?」


 出かける前の問いを、もう一度ノエルは投げかける。

 彼女はアラタが自分の人生を歩むことを願っているから。

 彼の人生の主役は彼以外に務まらないが、他人の人生の脇役にだってなれる。

 アラタは、そうなることを望んだ。


「俺は、みんなが笑って暮らせるように、皆のために生きてみたい。クリスが、リーゼが、ノエルが、シルが、幸せになれるように、そのために俺の人生を使いたい」


 かっこつけたわけでも、でまかせを放ったわけでもない。

 これが現在のアラタの、彼なりの答えなのだ。

 自分の為に生きたいと願えるほど、彼は自身を信用していない。

 好いてもいなければ、価値を感じていない。

 だけど、だからこそ他の人のために生きたいと願う。

 そうすることで、自分の中に少しずつ価値が蓄積されていくと本気で考えているから。

 だから彼は、笑うのだ。

 心の底から満たされて、爽やかに、一切の下心なく、何の含みもなく、ただ魂の赴くままに、内面から喜びを溢すのだ。


「……へへ、エへへ。私のためだって。リーゼ聞いた?」


「随分とまあ都合の良い耳ですこと」


「私たちの間違いだろう?」


「いいの!」


 ノエルは照れくさそうに黒髪をクシクシと触る。

 それを見るアラタの顔は安らかで、嬉しそうだ。


「俺、頑張るよ」


「うん、楽しみにしてる」


 元八咫烏の総隊長とはとても思えないようなフワフワとした空気感を醸し出すアラタを見て、クリスは環境の怖さを知った。

 これが元来のアラタという男の性格だったとして、それをあそこまで冷徹に無慈悲にしてしまうのだから、人は育つ環境次第で白にも黒にもなるいい例だと思う。

 人は簡単に黒に染まるし、逆はなかなか難しい。

 ここまでいろんな人の協力があって、ようやく白になりかけの灰色くらいなのだから、清い心の尊さをこれでもかと心に叩き込まれる。

 そして、こうして笑う優しいアラタの方が良いと、クリスも笑った。


「ヨシ! 今からギルドに出発だ!」


 ノエルの号令で、帰って来たばかりのアラタを伴って冒険者ギルドに向かうことになった。

 用件はもちろん、ダンジョン制覇への挑戦に関してである。


※※※※※※※※※※※※※※※


「な、なんだこれは」


「ははは、酷いなハルツさん。俺ですよ俺、アラタですよ」


「綺麗なアラタだ」


「やばい、ちょっとイケメンかも」


「おい騙されんな。少ししたら元に戻るから」


 ギルドで待ち合わせていたハルツのパーティーメンバーたちは、リフレッシュされたアラタに完全に面食らっていた。

 無理もないことだ、何故なら彼らの中にあるアラタの人物像の大半は特配課もしくは八咫烏の時のものだから。

 くすんだ眼に、人殺しの臭い、警戒心の塊のような性格に、超一流の刀の腕と魔術使い。

 それがどうだろう、立派な爽やかイケメンが一人錬成されている。

 ルークなんかはこの綺麗なアラタを偽物と断じて本物探しの旅に出た。

 それもタリアに止められて中止になったが。


「少し予想外の方向性だが……まあいい」


 ハルツはアラタの目を見る。

 聖騎士の力で、多少のことは汲み取れるから。

 優男になっただけではない。

 秘める想いそのものには変化が無いことを認めて、安堵する。


「期待しているぞ」


「はい。頑張ります」


 彼の返事は歴史の転換点を意味していた。

 アラタが吹っ切れて、パーティーに大きな影響を及ぼし、やがてそれがギルドに波及する。

 まさしく、『物語が動く』きっかけだった。


「ノエル様、ハルツ様、皆さま上にお越しください」


 ギルドの受付の声が聞こえてくる。

 2階の会議室を使うことになっていた。


「行こう!」


 元気よく歩き始めたノエルに続いて、一行は2階の会議室に向かった。


 会議室のレイアウトは、まんま学校の教室と同じである。

 黒板と教卓に、椅子と机がワンセットになって敷き詰められている。

 だからどこに座るかでその人間がどんな生徒だったかおおよそ分かる。

 リーゼやクリスみたいな真面目な人間は最前列か2列目の中心付近に陣取り、アラタのように授業中寝ることが体に染みついている奴は自然と最前列の一番左端に着席する。

 この位置が一番バレにくいと経験則で分かっているから。

 まあ今の綺麗なアラタが会議中に居眠りをする事なんてありえない話だが。

 とりあえず会議室の前半分の好きなところにそれぞれ着席する。

 ノエルはどこに座ろうか迷った末に、アラタの隣に着席した。

 これで彼女たちのパーティーは最前列に並んだことになる。

 ハルツのパーティーが適当なところに座り、ハルツだけが前に立つ。

 ギルドの職員も一緒で、まずは職員の女性から話始めた。


「これより、ダンジョン制覇クエスト挑戦に関する変更事項をお伝えします。なお、同様の情報は今日の夕方までにギルドに掲出されますので特に守秘義務などはありません」


 そう言うと彼女は紙を1枚めくり上げる。


「第5層、最下層ですね。ダンジョンボスと位置付けられているドラゴンが移動した件について、6日前に調査隊が入りました。その結果は——」


 職員は一瞬言い淀む。


「誰一人として帰還しませんでした。全滅です」


「調査隊の内容は?」


「冒険者はいません。貴族院からの承認を得て軍を投入しました」


「愚の骨頂だな」


 ジーンが吐き捨てる。

 説明する彼女もそれは分かっていたようで、言い訳をしようとすらしない。

 ドラゴン相手に人海戦術を挑むなんて、とてもまともな人間の思考回路ではない。

 おそらくギルドの力が弱まっているこの状況に乗じて権益をかっさらおうとした連中が全滅したのだろうな、とハルツは推測した。

 ダンジョンボスの脅威は誰もが知るところだし、軍の士官がそれを見誤ることはあり得ない

 なら功を焦った一部の下士官程度が先走ったと考えるのが妥当だ。


「死者のリストもありますが、ご覧になりますか?」


「頼む」


 ハルツの元に一覧が届けられ、左上から右下へ向かって目を流す。

 その間表情は変わることなく、特に驚きが無かったことを示していた。

 推測は当たっていたようだ。


「ありがとうございます」


「叔父様、結果は……」


「知っている人間はいなかった。不幸中の幸いだな」


 リーゼはほっと胸を撫でおろした。

 ようやく頻繁に会えるようになったというのに、こんなお別れは嫌だ。


「続けます。この件を受けてギルドは貴族院と会合を重ね、一つの結論を出しました。それは、賢者アラン・ドレイク様の投入です」


 アラタの眉がピクッと反応した。

 最近全然顔を出していないことを思い出したからだろうか。

 やっべ忘れてた、そんな表情している。


「先方に依頼に向かいましたところ、まだその時ではないと断られてしまいました。通常通りダンジョン制覇クエストを出しつつ、第5層に挑戦する者がいるようなら第4層との境界線で警備に当たると」


「なるほど、安全対策は万全だが、肝心の挑戦者がいない状態か」


「はい。可能性があるとすれば、Bランクパーティーのハルツ様御一行か、レイヒム様御一行、そしてBランクのアラタ様を筆頭としたパーティーしかないとギルドでは結論付けました」


 会議の最中、ふと視線を感じたアラタは横を向く。

 ノエルが恨めしそうな表情で彼の方を見ていた。


「何?」


「アラタ筆頭だって」


 降格したノエルのことを考えなければ、彼らのパーティーで最上位は単独Bランクのアラタ。

 そう言われるのも仕方なく、ノエルがムッとするのも予測できた。

 だが、今のアラタのメンタリティは限りなく完璧に近い。

 余裕の量が違う。

 アラタは小声で耳打ちした。


「トップはノエルだよ。お前が凄いのは俺が一番よく分かっている」


「……フヒッ、な、ならいい」


 変な笑い方をしたノエルが黙ったところで、意識を再び前に向ける。

 第5層を封鎖している状況、挑戦者が出た際にフォローするのはドレイク、実質的な挑戦資格を持つのは自分とハルツのパーティーと残り一つ。

 元々そのつもりだったアラタには迷いなんて微塵もない。


「そのクエスト、ノエルパーティーに挑戦させてください。ハルツさんたちも、フォローお願いします」


「話はまとまったようだな」


 ハルツは膝を叩き、半ば強引に決定させる。


「ということで、ノエル様筆頭に挑戦するということでよろしいですかな?」


「え、えぇ。こちらとしては早い方がありがたいですので」


 金髪の大男に詰め寄られて、職員も少し引いている。

 彼も中々の熱血漢で、一度スイッチが入るとかなり暑苦しい。


「ノエル様、挑戦はいつにしますか?」


「明日! って言いたいところだけど、そうだな…………3日後、そうしよう。みんなもそれでいいか」


「大丈夫です」


「異議なし」


「私もだ」


「お前らも問題ないな?」


 ハルツは自分の仲間たちに決を採る。


「大丈夫よ」


「やります」


「行くわ」


「やろうぜ」


 決戦の日は決まった。

 1581年5月17日。

 ノエルたちにとっては再アタック。

 ノエル単体で考えれば2度目のドラゴンスレイヤーへの挑戦。

 綺麗なアラタを伴って、剣聖の少女はもう一人の自分を超越しようと頂に挑もうと走り出す。

 ノエルは席から立ち上がると、拳を突き上げた。


「今度こそ、ダンジョン制覇するぞ!」


「「「おおぉ!!!」」」


 会議室には、覚悟の残響が漂っていた。

 アラタの新しい生き方の第一歩としては、かなりハードな関門だ。

 だが、いつもと何も変わらない。

 どんなに苦しい壁だったとしても、乗り越えなければ先は無い。

 人の為に生きる、その思いを胸に、青年は歩き始めたのだった。

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