第274話 他人の人生の脇役

 アラタ、俺は悲しいぜ。

 お前はそこまで強くなるために、一体何を捨てたんだ?

 生半可な代償では辿り着けない境地に、お前は何を求めて向かったんだ?

 分からねえ、何も、ほんの少しも感じ取れない。

 ……くそっ。


 エイダンは、初めの数撃以外全て防戦一方だった。

 使う武器は互いに木剣、アラタが稽古を受けていた時と同じものだ。

 ただ、道具は同じでも使い手の腕前が違う。

 初撃を打ち込んだ時、毛布に打ち込んだみたいに衝撃をいなされて、エイダンは悟った。

 自分の攻撃は入らないと。

 この男は、自分の振った木剣に対して見てから反応して、それでいてここまで丁寧に剣筋を合わせて、完全に衝撃を吸収している。

 それを実現するために必要な技術を、エイダンは持ち合わせていない。

 次いで彼から一撃、コンパクトで鋭く、速い攻撃が繰り出された。

 それらを両立するだけの腕前は一朝一夕で身に付くものでは無い。

 毎日剣を振って、毎日戦って、毎日成長しなければこうはならない。

 何よりアラタは剣を握ってからまだ1年も経っていないのだ。

 その事実を知っているエイダンは辛うじてアラタの攻撃を防ぐと、グラリと体勢を崩してしまう。

 思いのほか力が強く、インパクトの後に押し込まれたせいだ。

 体勢が崩れていなければ、代わりに腕が折れていた。

 それほどの膂力が籠められた一太刀を見舞っておきながら、アラタは既に次の攻撃モーションに入っている。

 袈裟斬りから斬り返して、次は左袈裟斬り。

 先ほどの斬り込みで痺れた両手では対応できず、躱す以外に選択肢が無い。


「ぁぁあ!」


 渾身の力で体を捻ってアラタの剣を躱す。

 しかしそれでアラタの攻撃は終わらない。

 左袈裟は少し変則的に変化していて、斬り込みながらエイダンから見て右側に踏み込みつつある。

 そして次は左逆袈裟、つまり斬り上げようとしている。

 今度は躱せないが、剣が間に合う。

 斬り上げるアラタに対して、振り下ろすエイダン。

 通常は降り下ろす方が有利だが、【身体強化】を含めて力の差が開き過ぎている。

 木がぶつかり合って、片方が宙に舞った。

 アラタが戦闘中に剣を手放すはずがなく、落ちたのはエイダンのそれだ。

 首元に木剣を据えて、勝負は終わり。

 【痛覚軽減】の育成のためにタコ殴りにする必要はない。


「負けだ。俺の負けだ」


 両手を挙げて降参するエイダンに、アラタは木剣を下ろした。


「初めて勝ったな」


「もう勝てねえよ。強くなったな」


 エイダンは心なしか悲しそうに見える。

 アラタは彼の年齢を知らないが、見たところ同年代に思える。

 ノエルもそうだが、明確に抜かされたと実感させられると人は結構へこむ。


「終わりにしようぜ」


 陽は落ちていて、家の前の明かりだけで勝負していたエイダンは中に入ろうという。

 しかし、エイダンが自分から何かを感じ取ったことをフィードバック的に察したのか、アラタは逆に進む。


「エイダンには話しておきたい」


 そう言って彼はエイダンを闇の中に誘った。


※※※※※※※※※※※※※※※


「……そっか。今の話を聞いて正直、かける言葉が見つからねえ」


「いいんだ。ただお前には知ってほしかった」


 アラタはすべてを打ち明けた。

 思えば彼がアクティブに何かを打ち明けるのは、いつだってエイダンだけだった。

 ノエルもリーゼも、ドレイクも、その他秘密を知る人間も、必要に応じて開示してきた。

 しかし、エイダンには隠し通すことも出来た。

 異世界人であることを知っている彼だが、レイテ村まで黒装束や八咫烏のことは届いていない。

 当然アラタとクリスの偽物が処刑されたことも知らない。

 知っているのはせいぜい大公がノエルの父親、シャノン・クレストになったことと、エリザベス・フォン・レイフォードが死亡したことくらい。

 その彼女も異世界人で、しかもアラタの恋人と同一人物なんてことを知る機会は無いはずだった。

 それだけの秘密を知って、彼がかける言葉を失うのも無理はない。

 春の星空が彼らを見下ろしている。


「で、なんて言ってほしいんだ?」


「別に。そういうつもりで話したわけじゃない」


「嘘つけ。お前は俺に何か言ってほしかったからこの話をした。違うか?」


「だから違うって」


「じゃあ俺が勝手に言ってやる」


 エイダンは隣に座っていたアラタの方を向く。

 暗闇の中だが、アラタは【暗視】を起動している。

 薄い黄色、金に近い色をしている彼の目は、全てを見透かしそうな不思議な色をしている。

 これは家族の中でも彼だけの特徴だ。


「理由なんてなくていい。だから今はとにかく生きろ」


 ありきたりな言葉。

 しかし言葉とは、誰に言われたかで大きく意味が変わる。


「休んでもいい、逃げてもいい、それでも生きろ。いいことが起こるまで、ひたすら生き抜け。そうしたらいつの日か、生きててよかったと思えることがやってくる」


「くじも引き続ければいつかは当たるみたいな?」


「そうだ。引かなきゃ当たらない。生きなきゃその先にある結果は知ることが出来ない。その過程の中で、大切なものが増えて、消えて、また増える。話を聞いた限りじゃ、お前は失ったものが多すぎる。同情するなっていう方が無理だ、俺はお前を哀れに思う、可哀想に思う。でも、それで死んでしまえばそれまでだ。いくら周りが悪い、環境が悪い、あいつが悪いと悪態を突いてみても、悲しいのは、苦しいのはお前の方だ」


 信号無視をしてきた自動車にはねられたと言っても、死ぬのは歩行者の方だ。

 悪いのは相手でも、苦しいのは自分の方だ。

 エイダンは、アラタにそんな思いをしてほしくなかった。

 そんな思いをしてしまったのなら、それを上塗りできるくらい幸せになってほしかった。


「自分の為に生きることが出来ないのなら、誰かのために生きろ。誰かの人生の脇役になれ。それだけでも、人は幸せになれるはずだ」


「あいつらみたいなことを言うんだな」


「あいつら?」


「ノエルとか、リーゼとか、クリス……は知らないか。俺の今の仲間だ」


「な? みんなお前のことを心配しているんだ。笑ってほしいんだよ。アラタが元居た世界は良く分からないけど、その世界と比べるなら俺の生まれた世界はきっと厳しいんだろう。だから何もせず人生良くなるなんて甘いことは言えない。頑張れ、歯を食いしばって頑張れ。そうすりゃきっといいことがある。死ぬときに、いい人生だったと言い切ることが出来るはずだ」


「そうだといいな」


「だから頑張るんだよ!」


 そう言うとエイダンは思い切りアラタの背中を叩く。

 大きくて、硬くて、強い背中を叩いた。


「俺、明日帰るわ」


「それがいい。ノエル様たちが待ってるだろうからな」


「そういやさ、前は呼び捨てだったよな? あいつらが貴族なの黙ってたよな?」


「あ、いや~それは、ハハハ……」


 彼はリーゼの頼みでそのようにふるまっていたことがある。

 それもこれも、アラタの警戒心を解いて自分たちに好印象を抱かせようとしたリーゼの策略なのだが。

 彼はこれに見事にハマり、その後の行動を共にするに至っている。

 要するに、エイダンは共犯者というわけだ。


「指導ッ!」


 アラタは初めてエイダンの頭に一撃入れた。

 今までポカポカ殴られてきた分には到底届かなくても、多少すっきりした。

 【痛覚軽減】をオフにしていたエイダンはスキルの効力が有効になるまで頭を抑える。


「いってえなあ!」


「やっと気持ちが分かったか」


「この!」


 手元の木剣を握って斬りつけたエイダンだが、いつの間にかアラタは距離を確保していた。

 戦いの先を予測する力が違う。


「はぁ。ハイハイ俺の負けだ」


 イヤイヤ降参したエイダンの肩を叩き、戻ろうと言う。


「戻ろう。レイナちゃんとも話しておきたいからな」


「妹に手を出したら殺すからな」


「だからロリシスコンやめろよ。普通にキモいぞ」


「うっせえ」


 言い合いながら家に戻った2人は、中にいた3人も交えて談笑した。

 その間アラタはエイダンにした話を他の3人には一言も喋らなかった。

 話したのは首都の華やかな話、こんなことがあって、でもこんなところはレイテ村の方が良くて、興味はそそられるが聞いてしまえばそれまでの話。

 他愛のない時間は、田舎特有のゆったりとした時間の流れを感じさせてくれる。

 畑の様子がどうだとか、最近は盗賊も消えたとか、魔物は相変わらず多いが村人も鍛えているから問題ないとか、レイテ村の逞しさが良く伝わってくる内容だ。


「お母さん、眠い」


「はいはい。みんなにおやすみなさいして」


「おやすみ。アラタもおやすみ」


 そう言いながらレイナはアラタにポンポンと触れた。

 隣のエイダンが怖い顔をしていても、眠気で瞼が閉じそうなレイナは気づかない。


「おやすみレイナちゃん」


 ハンナとレイナを見送ると、残るはむさい男だけになる。


「突然押しかけて申し訳ないんですけど、明日には帰ります」


「急だな。もっとゆっくりすればいいのに」


「やるべきことが決まったので。もう戻らなきゃ」


 意志は固いことを確認すると、カーターはニコリと笑った。

 どこか父親と似た雰囲気を持つこの男に、アラタは頼りたくってこの村にやって来たのかもしれない。

 父も母も弟も、恋人も、先生も、友達も、全てから切り離された男は父親を欲していたのかもしれない。

 だが、もう大丈夫ということらしい。

 自分勝手な男だが、それくらいの方が上手くいくこともある。


「気をつけてな。とりあえず今日はもう寝ろ」


「はい、おやすみです」


 アラタは用意してもらった客室のベッドに寝転がる。

 暗い場所では、失ったものばかりが彼の脳裏をよぎる。

 家族、恋人、友人、それらすべてから、安全な生活圏まで。

 失くすには惜しい物ばかり。


 他人の人生の脇役。


 それはだれしもそうだろう。

 自分の人生の主役は自分以外に居ないように、誰だって他人の人生の脇役としてキャスティングされている。

 問題は、誰の人生の脇役になるのかということ。

 それをアラタは考え続ける。

 負けん気が強く、多くの選手の中でも埋没しない能力と人間性を持つ人物。

 それが千葉新という人間で、アラタ・チバとなってからもそれは変わらない。

 ならば脇役と言えど、エキストラでも務まるような役で満足はしたくない。


「エリーはもういないから……あいつのために生きるのは疲れそうだな」


 誰の人生の脇役になると疲れそうだと思ったのか、それは明白。

 ノエルの傍に居ると真夏の太陽に照らされたようにフラッとする。

 日射病に掛かったような倦怠感が表れるのだ。

 しかし、


 ノエルに恩を返したい。

 自暴自棄になった時、いつだって近くにいてくれた。

 見捨てないでくれて、嬉しかった。

 まともに生きてみたい。

 迷惑をかけないような、胸を張れるような、そんな生き方を。

 ノエルだけじゃない、リーゼも、クリスも、シルも、他の皆も。

 自分のことは嫌いだけど、仲間のことは好きだ。

 だから、人のために生きてみるっていうのは、俺に向いているのかもしれない。

 だから、前に進もう。

 たまには振り返ることもあるけれど、前を見て歩いていこう。


 そして、アラタは目を閉じた。


 翌日、アラタは朝一で村を出る。

 持ってきたお土産はすべて渡し、やるべきことはすべてやった。

 ドバイも一日休めばまた走れる。


「急に押しかけてすいませんでした。また来ます」


「気を付けてな。体に気を付けろ、病気には特に。それから——」


「親父、心配性かよ」


「エイダンも元気でな」


「あぁ。またな」


 いつかと同じように、エイダンが拳を前に突き出し、それにアラタも応じる。

 またしばらく会えなくなる。

 それを理解したのか、レイナはアラタの足にしがみついた。


「アラタ、またすぐ来る?」


「ま、まあね。多分、いや、きっと、うん、すぐに帰って来るよ」


「もう帰ってくんなカス」


 エイダンはアラタに斬りかかりそうな目で睨みつけている。

 もう限界点が近い。


「こら」


「痛っ、母さん!」


「アラタ君、元気でね。いつでもいらっしゃい」


「はい、お世話になりました。レイナちゃんも、またね」


「……うん。またね」


 レイナが足から離れたところで、アラタは馬にまたがる。


「行ってきます!」


 『さようなら』ではなく『行ってきます』。

 それがレイテ村に対するアラタの考え方。

 来るところではなく、戻ってくるところ。

 たった1日の滞在でも、得る物は多かった。

 懸念点だったメンタルケアを終えて、アラタはカナン公国の首都アトラに戻る。

 今度こそドラゴンを倒し、ダンジョンを制覇するために。

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