第256話 ミラ丘陵地会戦、開戦(東部動乱4)

 討伐軍の進軍中、特に目立った戦闘は発生しなかった。

 魔物の襲撃を受けたとか、虫に噛まれたやつが離脱したとか、せいぜいその程度。

 4月30日、一行は主戦場になることが予想されるカタロニア地方、ミラ丘陵地帯に踏み込んだ。

 アップダウンが激しく、森林もあればまっさらな大地もある、バラエティに富んだ地域だ。

 斥候の情報では、敵は高台に陣取りこちらの出方を窺っているらしいとの報告である。

 ハルツは一目見て、面倒なことになると確信した。

 死角が多すぎるのだ。

 斜面に沿って移動すれば、規模次第では完全に隠密行動が可能になる。

 感知に長けた部隊もいることにはいるが、この大隊全ての警戒網に配置できるわけではない。

 それに平野が少なく、純粋な力のぶつかり合いに持ち込むのは実質不可能だった。

 行動自体は愚か極まりない東部連合体だが、戦いの基本は抑えているらしいと彼は溜息をつく。

 普段と同じくらい頭が悪ければ話が早かったのに、そう思っている。

 恐らく敵に入れ知恵をしている連中がいるのだな、そんな話を2日前にルークとしていた。

 討伐軍は複数の高台に監視部隊を配置しながら、本隊は街道沿いのある程度開けた土地に陣を敷いた。

 その中央部分では開戦前にブリーフィングが行われている。


「敵の陣を包囲する手は?」


「一点突破に対応できないかと。それに敵増援がいないと決まったわけではありません」


「敵の輸送路は? 今でも不安定なんだろうな」


「周辺都市に貴族院の名前で圧力をかけています。糧食は苦労するかと」


「足りない。兵站を遮断する部隊を組織しろ」


「数はいかほどでしょうか」


 800対600の戦力比で、無駄なカードは切れない。

 リーバイは何か地図に書き込んでいる。

 彼の計算が終了するまで、少しの沈黙。


「2個小隊、50出す。後方を脅かせ」


「はっ!」


「馬鹿正直に戦う必要は無い。だんまりを決め込んでいる都市や村の冒険者にも協力を要請しろ」


パール大尉は命令を伝える為にすぐに退出していった。

 指揮を執るのは別の人間だろうが、彼も複数の任務を掛け持ちしていて大変な身の上に感じる。


「他には」


「一ついいでしょうか」


 クラーク家嫡男、ブレーバー・クラークが手を上げた。


「中尉か。なんだ」


「この主力陣地周辺の高台にもう少し戦力を割く必要があると提言いたします。山を取られればそこからの側面攻撃や射撃に対応できません」


「見通しの悪い丘陵地帯で戦力を広く展開するのは自殺行為だ。士官学校で習わなかったか?」


「しかし……」


「だが貴官の懸念が的外れでないことはわかる。各高台にこの命令書を」


 そこには全部で15通の命令書が蝋で封じられて握られていた。

 この中に対応策が書かれているらしい。


「機密事項でありますか」


 リーバイは頷いた。


「貴官らには話しても問題ないかもしれんが、慎重を期してのことだ。気を悪くしないでほしい」


「いえ、そのようなことは」


「他になければこれにて終了する。何もないな? では解散」


 天幕を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 星空が綺麗だが、冬の星空の方がハルツは好きだった。

 上を見上げている彼に、甥っ子たちが近づいてくる。


「叔父上はどうお考えですか」


 彼にそう聞いてきたのは次男のケンジーだ。

 どうやら高台の件について意見を聞きたいらしい。


「何も。あいつが手を打ったのなら問題はない」


「ですが実際にあそこを取られたら身動きが取れません」


「そんなことはリーバイも分かっている」


「ではあの命令書の中に秘策が?」


 若い将校たちは命令に従いつつも、得心のいかぬ面持ちで彼を見つめる。

 彼らの気持ちも分からないことは無いが、ハルツはどちらかというと旧友の方に共感した。

 若い血潮というのは、少し滾り過ぎてしまうこともあるのだと。


「俺なら、というか多分あいつも同じことを考えているだろうが、もし敵が高台を取ろうとしたとしよう。複数地点が陥落したとしても、問題ないように手を打っているのだと思う。正確には、敵を高台に釘付けにしたいのだと思う」


「すみません、おっしゃる意味が……」


「推測に推測を重ねるようだが、高台には工兵を多く送り込んでいるように思える。それに魔術戦力もな」


「確かに、本陣は歩兵や騎兵がほとんどです」


 俺に言い当てられるようでは敵も看破してくるのではないかとハルツは不安になる。

 しかし同時に、甥たちが分からないのだから、これで大丈夫かという気もする。

 彼がリーバイの意図に気づいたのは、大昔、士官学校時代の演習で同じことをやったことがあるからに他ならない。

 そんな昔の戦術を引っ張り出してくるのか疑問ではあるが、それならいくらか安堵できる。

 何せあの時は見事に作戦がハマり、ほぼ完封勝利したのだから。


「まあ、なんだ。リーバイは優秀な奴だよ。信じてついてけ」


 そう2人の肩を叩くと、ハルツは自分の仲間が待つ方へと去っていった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「そうかそうか。あいつらもまだ若いな」


 カラカラと笑うルーク、そしてジーン。

 タリアは何も言わず食事を取っていて、レインは少し不思議そうな顔をしている。


「兄弟たちの言い分はもっともな気がしますけど。高台取られたらまずいでしょうに」


「チッチッチ、高台を取られたらじゃねえ。高台から撃ち下ろされたり挟撃されたらまずいのさ」


「違いが分かりません」


「だからお前は甘ちゃんなんだよ」


 少し酔っているのか、ルークは口が悪い。

 いつもと同じ、平常運転な気もするが。


「じゃあルークさんは予測できるっていうんですか?」


「あたぼうよ。賭けてもいいぜ」


「あなた賭け弱いでしょ。不吉だからやめてくれる?」


 タリアが止めに入り、ルークの未来予知が披露されることは無かった。

 その代わりと言っては何だが、彼による大隊長トークが展開された。


「ルークお前、トランプ大隊長のことどのくらい知っている?」


「えぇっと、少佐、ハルツさんと士官学校の同期、帝国戦役の従軍経験者」


「それに付け加えるなら、あいつは戦時昇進をしている。しかも2階級」


 戦時昇進とは、戦争による人的資源の困窮により、下位の士官に指揮権が移譲されたものの、階級と責任が伴っていない場合の臨時措置である。

通常戦地で任命され、正式な任官は戦後になる。

 ルーク曰く、彼は帝国戦役で2つも階級を上げているらしかった。


「本当ですか?」


 レインはハルツに聞いた。

 ルークでは話に尾ひれと背びれと胸びれがついてしまうから。


「当時俺たちが少尉で開戦、上位士官の戦死に伴って大尉まで昇進した」


「ハルツさんは?」


「俺もだ。もっとも俺は【聖騎士】のクラスを買われて配置換えを転機に昇進したに過ぎない」


 軍時代のハルツのエピソードはあまり耳にすることは無い。

 彼自身その話題を避けているというのと、冒険者としてのハルツのキャリアが長く有名だから、みんなそっちの話を聞きたがるのだ。


「大変な時代だったんですね」


「まあ、時代を見ればそれは確かだな。だが——」


 随分と久しぶりに戦場に戻って来たからか、周りを固めるのが彼らだからか、それとも指揮官が若き日を共に過ごした友だったからか。

 火を見つめる彼は、心なしか老けて見えた。


「俺は戦場から逃げて、冒険者になった」


 後悔が無いと言えばうそになる。

 より正確には後ろめたい気持ち、だが。


 自分が戦いから目を背けたところで、誰かが同じことに従事しなければならないことを、彼は知っている。

 それを別っていても尚、ハルツは戦場から退いた。

 無理に引き留めることは良くないが、去ることも良くはない。

 彼は今、過去の自分と対峙している。

 そしてこれから、戦いが始まることでそれはより一層顕著になる。

 運命からは逃れられないのだと、観念した。


「まあ、逃げたって言っても、冒険者になってからも戦ってたしな」


 ルークが空を見上げた。


「ルークさんも軍にいたんですよね。どうだったんですか?」


「俺か? 俺は伍長でやめた。士官学校卒じゃないからな」


「へえ~。冒険者になってよかったですね」


「そうなんだよ。って余計なお世話だ」


 食後の談話の時間は、いつもなら楽しくていつまでもそうしていたいものだが、ここではそうもいかない。

 夜番は他の部隊が引き受けてくれるとは言え、ここではある程度決まった時間に就寝しなくてはならない。

 そろそろ時間だ。


「お前たち、明日から頼むぞ」


 ハルツが締めくくり、一同は就寝した。


※※※※※※※※※※※※※※※


「起床! 起床! 全員装備を固めて指揮官の指示に従え!」


 大きな声と、大きなラッパの音で全員が飛び起こされた。

 メロディ性なんてまるでなく、ただやみくもに音を鳴らした感じ。

 それでも音が鳴ってしまうのだから、ラッパという楽器は優れモノだ。

 ハルツ率いるパーティー改め分隊も早急に準備を整えて、配置につく。

 彼らの配置は司令部直下の特務戦力だ。

 指示に従い、転移術式小隊と行動を共にする。

 ハルツたちの就寝位置から司令部までは、馬で10分ほど。

 馬番に引いてきてもらうのを待つ間、彼らは装具点検を行っていた。


「ハルツ、昨日の話覚えているか」


 ルークも緊張しているのか、気を張っているのか、真剣な面持ちである。


「作戦の話か?」


「違ぇよ。戦場から逃げたって話だ」


「あぁ」


 ルークは手元に仕込みの矢を装着した。

 彼の装備には、そう言った暗器の類が山のように仕込まれている。


「一緒に逃げた俺が言うのもなんだけどよ。冒険者になってからも戦いから逃げられなかっただろ」


「…………そうだな」


 ハルツは一度ベルトを解き、もう一度締め直す。

 ピンを通す穴の位置は変わらない。


「戦争も、冒険者も、家庭も、貴族も、どこもかしこも戦場だ。妻子持ちじゃねえ俺は一緒じゃねえけどよ、お前はいつだって戦ってた。いつでも戦場、常在戦場だっただろ?」


「家庭まで戦場か。休まる気がしないな」


「走り続けてきたんだからよ、気負いも後悔もいらねえ。俺たちらしく行こうぜ」


 そう言ってルークは右手をグーにして突き出した。

 ハルツは微笑する。


暗器それをこっちに向けるな」


「細かいやつめ」


 肘を折り曲げ、銃口を逸らした。

 ハルツもそれに合わせて右腕を出す。


「勝つぞ。勝って生きて帰るぞ」


「勿論だ」


 彼らの元に馬がやってくる。

 鞍も装着していて、準備万端だ。


「ハルツ分隊、司令部に向かうぞ!」


「「「了解」」」


 彼らが配置に向かっている間にも、着々と開戦の準備は進められていた。

 そしてそのかじ取りを担うのは、大隊司令部である。


「報告します! 正面街道を直進してくる敵影を捕捉、その数およそ100!」


「後続と伏兵を見逃すな! 斥候を放て!」


「報告! 敵は横陣を組みつつ進軍、やるつもりです!」


「こちらも部隊を繰り出せ! 数は……200だ! 第2、第3中隊に出撃命令!」


「報告、冒険者第2分隊、転移術式小隊共に準備完了しました!」


「よし! 両部隊とも即応状態で待機!」


 ひとまず指示を出し終えた彼らは、次の行動を決めるべく地図とにらめっこを継続する。

 敵が100しかいないのなら、いつくかのパターンが考えられる。

 1つ目に、単純な小手調べ。

 2つ目に、伏兵や本隊を含めた大規模攻勢の先鋒。

 3つ目に、特記戦力で不意を衝くための布石。

 どれであろうと、敗北は許されない。


「第4中隊は出撃準備をして待機、第1中隊は周囲の情報収集を怠るな。会敵即戦闘になると留意しろ」


「報告! 敵進行速度加速! 開戦します!」


「皆の者、やるぞ!」


 司令部で雄たけびが響いた時、前方でも鬨の声が上がった。

 ウル帝国歴1581年5月1日。

 カナン公国中央軍とカタロニア地方を根城とする東部連合体、ミラ丘陵地会戦の火蓋が切って落とされた。

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