第257話 小手調べ(東部動乱5)

 男は、優秀な兵士であると評価されていた。

 訓練学校での成績優秀、配属後の訓練や魔物相手の戦闘でも頭一つ抜けた功績を上げている。

 間違いなく、同期の中では抜きんでた才能の持ち主であると、彼を知る誰もが言う。

 それでも、彼の心臓はやかましく叫んでいて、口から飛び出てきそうになっていた。


「ふぅ、ふぅ……はぁぁ、はぁーー」


 第2小隊所属の一兵卒である彼は、敵との距離を詰めながら息を整えようとしていた。

 しかし、何度深呼吸をしてみても手の震えは止まらず、かえって激しくなるばかりだ。

 敵は眼前に迫っていて、両軍は鬨の声を上げながら衝突しようとしている。

 そこまで来ても尚、彼の緊張はほぐれなかった。


「うっ」


 ふと吐き気が襲ってきた。

 武器を手にして、これから殺し合いをしようという時に。

 食道の上の方まで胃の内容物がせりあがってくるのを感じる。

 吐いてしまった方が楽になるのではないか、しかしこれから戦う時にそんな余裕は無い、迫りくる吐き気と戦いながら男が歩みを続けていたその時だった。


「落ち着け。お前は1列下がるんだ」


 そう言いながら背中をさすって来たのは彼の上司だ。

 階級は伍長。


「吐くなら吐け。その方が楽になる。分隊は一人欠けても戦えるから、お前はまずこの空気感に慣れろ」


「しかし、敵はもう目の前に——」


「足手まといがいてもかえって危険になるだけだ。吐いたら戻ってこい。いいな」


「……了解」


 苦渋に顔を歪ませながら、彼の初陣は開始された。

 1列後方と言ってもすぐ後ろではない。

 それなりに距離があって、一度別々になった部隊が戦闘中に再集合できる可能性はかなり低い。

 ほぼ別行動が確定した分隊の仲間を見送ると、行軍スピードが上がった。

 いよいよ敵と衝突するのだ、力負けしないように勢いを付けたい。


「新兵がビビるのは仕方ねえ、いつものことだ。だが、お前らまでブルってねえだろうなぁ!」


「やる気は十分であります、分隊長!」


「民兵共に後れを取るなよ! 衝撃に備えろ!」


 大型の盾と槍を構えながら、中央軍は密集する。

 やがてそれは敵の剣や槍、斧と衝突して敵味方を粉砕する。

 ミラ丘陵地会戦が始まった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「大隊長殿、敵が退いていきます」


「拍子抜けだったな。索敵は済んでいるな?」


「はい。周囲に敵影はありません」


「500m先まで追撃し、そこで打ち止めだ。被害報告を急げよ」


「は。失礼します」


 リーバイの抱いた感想は、『こんなものか』だった。

 前哨戦と言ってしまえばそれまでだが、少し物足りない。

 この様子ではこちらの損害は一桁だろうし、敵も10~20程度の損失しか出ていないはず。

 そんな小競り合いなど無意味であると、彼は分かっていた。

 敵に特記戦力がいる以上、奴が出てきたらかなりの損害を覚悟しなければならない。

 それを防ぐためのハルツ分隊と転移術式小隊であり、もっと言えば彼らが敵を引きつけている間に敵主力を完璧に叩きのめさなければならないのだ。

 それを考えると、リーバイは今すぐにでも敵本陣をめがけて突撃したい衝動に駆られる。

 しかしそれが無理筋であることも重々承知しており、部下からの報告を待つことにした。


「こちらの損害は死亡が3、負傷が7です」


「負傷者の状態は?」


「戦線離脱が2、残りは回復後戦線復帰可能です」


「ハルツ分隊から治癒魔術師を回せ。役に立つだろう」


「次いで敵損害ですが——」


 大隊長リーバイ・トランプが予想したように、どちらの軍の損害も極めて軽微なものにとどまった。

 味方の損害が小さいに越したことは無いのだが、敵の損害も相応に小さいものだった。

 戦場に転がっていた死体の数が12、負傷者がその2倍から3倍程度であることを想像すると、そこまで大きな被害ではない。

 死者数では実に4倍の開きが生まれた初戦は、少々肩透かしを食らったような感覚を将校たちに与えていた。

 東部連合体と名乗って息巻いてきたのだから、もう少し骨があると思ったのだ。

 ところがふたを開けてみれば敵戦力は貧弱も貧弱、もう少し長い時間戦っていたら一気に崩れていただろう。

 結局正規兵と民兵の混成組織がうまく機能することなど土台無理な話だったのだと、彼らは結論付けた。

 朝一番に始まった戦闘が終わり、報告が完了したのが午前10時、各部隊は当初の配置のまま待機状態に移行する。

 そうして指揮官たちを集合させて何度目かのブリーフィングが開かれたが、それは昼食を兼ねたものと決まった。


「このレベルの食事が末端まで行き届いているなら、兵の士気は問題なさそうだな」


 そう言いながらリーバイはソーセージをバリッと齧った。

 程よく加熱されたそれは、破裂することなく彼の元に届けられて肉汁をため込んでいた。

 一同も彼の言葉に同意し、食事に手を付ける。


「しかし弱かったですな」


 一人の中尉が口を開いた。

 彼は先ほどの戦いを現場で指揮した人間だ。


「貴官は敵戦力をどう評価する?」


 現場で感じたことを司令部にフィードバックするのもこの会議の意味の一つ。


「今回戦った敵は、統率こそ取れていたものの装備も練度も未熟。まともにぶつかり合えばまず問題ないかと」


 勝利する、とは言わなかった。

 そう言っているも同然なのだが、彼らは直接それを口にすることを憚る。

 そうやって油断して負けた例を過去いくつも知っているから。

 軍人は、意外とジンクスを気にする性質を持っている。


「今まではどうだったかは知らんが、敵もこの戦いの結果を受けて同じ感想を抱くことだろう。正攻法では敵わぬとな」


「敵は機動戦を展開してくると予想します」


 手を挙げて自説を打ち出したのはブレーバー・クラーク中尉だ。

 リーバイがフォークを口元に運びながら頷いた。

 続きを話せという事らしく、ブレーバーが立ち上がった。


「敵は正面からの戦闘を避けて姿をくらませる可能性が高いです。捜索するために広く展開したわが軍を各個撃破する為です。この丘陵地、地形調査が進んでいるとは言っても依然地の利は敵方にあります」


「それに対する貴官の考える対策は?」


「包囲攻撃に注意しつつ、本隊は現状を維持が得策かと」


「本隊以外は?」


「特記戦力の捜索が急務です。敵の頭を抑えるより重要かと」


「ありきたりだな。だが……」


 リーバイの言葉には棘がある。

 しかし、ハルツのような気心の知れた人間からすれば、それは必ずしも悪い意味しか込められているわけではないことが分かる。

 要するに、彼は回りくどい男だった。


「数、練度、それらがこちらに有利に働いている以上、奇策は不要だ。肝心なのは惑わされぬこと。各員それを忘れるな」


 彼の言葉を聞いた将校たちは、今後の方針が決定したことを悟った。

 ブレーバー中尉の進言通り、本隊は現状維持、先に敵特記戦力を捕捉することが決定した。


「第2、第3中隊は下から吸い上げた情報を他の部隊にも流してやれ。解散」


 ハルツが天幕から出てくると、分隊の仲間たちが彼のことを待っていた。

 タリアも負傷兵の治療を終えて合流を果たしている。


「今後の方針は?」


 自分の分と、ハルツの分の馬を引きながらルークは聞いた。


「特になし、だ」


「だろうな」


 俺でもそうすると、ルークは言う。

 リーバイも同様の趣旨の発言をしていたが、奇策に走るのはそうせざるを得ない状況に追い込まれているからであり、戦争を始める時点で負けているのだ。

 十分な戦力を保持して戦いに臨む以上、大崩れしなければ負けることは無い。

 そう言ったアドバンテージが彼らにはあるのだ。


「敵のAランカーを探すのが先だ。斥候からの報告はどうなっている」


 司令部にこれといった情報が無い以上、めぼしい成果は上げられていないのだろうなと、ハルツはダメ元で聞いてみた。

 結果、予想の通りとなる。


「全然。そもそも本当にいるのかすら怪しい」


「それは本当だろう」


「なんで?」


「本当にいないのなら、はっきりとした報告が上がるはずだ。敵の諜報対策はたかが知れているからな。そうでないということは、敵が意図的に隠している。恐らく深く入り込み過ぎた斥候は殺されているのだろう」


「なるほど。この状況そのものが証拠ってことか」


「そういうことだ」


 ちょうどそこで彼らは馬の腹をけって走り出した。

 自分たちの持ち場は司令部付きだが、まだ荷物の搬入が完了していない。

 本陣を動かさないのであれば、初期配置から移動させる必要がある。

 そうして午後いっぱい彼らは荷物移動に時間を費やした。

 本陣となれば、最前線よりもいくらか物資の融通は利くし、何よりハルツがブリーフィングに行く手間が省ける。

 いいことずくめの引っ越しは夕方の5時には終わった。

 会戦初日、中央軍は小さな勝利を胸に、気持ちよく眠りについた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「仕掛けは半日おきにチェックするって言っても、こんな時間にやる意味あるか?」


 愚痴を溢しながら仕掛けた罠が生きているか確認する兵士は、バディに疑問を投げかけた。

 それに対する相棒の答えは淡泊そのものだった。


「敵でなくとも野生動物がかかる場合もある。確認は怠るな」


「怠ってはいないだろ。ただ面倒なだけで」


「どちらにせよやらなければならないのだから、黙って手を動かせ」


「はいはい」


 階級的には同じ兵卒の彼らだが、精神的にしっかりしている方に諭されるのはどの現場でも同じことらしい。

 山の中腹付近に簡易的な砦を築き、その防衛を担当していた彼らの夜は長い。

 ほとんどの兵は寝ているが、それでも平地の本隊に比べれば幾分か仕事は多い。

 夜にしかできないものも含まれていて、彼らの生活リズムは少々乱れていた。

 木の板を束ね吊るした糸をそこら中に結び、敵の存在を確認する。

 先を尖らせた木を立てて落とし穴に、足を傷つける為のハサミ罠。

 様々な仕掛けが山の中に所狭しと置かれていて、しかもそれは彼らの陣取るここだけではない。

 地形戦を展開するうえで重要と判断された場所には同様の陣地が形成されていて、それなりの人数が配備されている。

 それだけ、中央軍がこの山々を重要視している証だった。

 闇夜は、染みこむ闇を覆い隠してしまう。


「おい、こっちは終わったぞ」


 愚痴っていた方の男が罠の確認を終え、相方を呼ぶ。

 2人1組で行動していても、任務中視認できる範囲にいるわけではない。

 そんなことをしていては時間がいくらあっても終わらないから。

 だから返事が無いことは自然なことだった。

 幸い彼が確認を請け負っていた方向は分かっているのだから、男はそちらの方に行ってみる。

 罠や仕掛けを踏まないように、事前に設定された安全圏を通り抜けていく。

 やがて暗闇の中に人影を認め、しゃがんでいる彼の元まで辿り着いた。


「ヘイ、いつまでかかってんだよ。さっさと終わらせて寝ようぜ」


 そう言って彼が相棒の肩を叩くと、生暖かいヌメッとした感触と共に、相棒は崩れ落ちた。

 手に広がる鉄の香り、兵士として十分な訓練を受けた彼が状況を把握するのにかかったのはほんのわずかな時間。

 そしてその時間ののち、彼は大声を上げて異常事態を知らせようとした。


「カヒュッ…………」


 だが、音は鳴らなかった。

 首から下とお別れしたと気づいた時、彼にはまだ意識があった。

 まだ脳に血液が送られていて、血圧が辛うじて保たれていたのだろう。

 しかしそれもほんの刹那の時間だけ。

 徐々に薄れゆく意識の中、彼は月の微かな明かりの中で、獰猛な獣を見た。

 毛むくじゃらで、色黒く、隆々とした木を思わせる太い手足と首。


 俺は死ぬのだと、自然にそう思った。


 2人の兵士が声を上げる間もなく死亡したことを確認すると、男は手を挙げて味方に合図する。


「さあ、仕事の時間だ」

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