第212話 菜種梅雨(烏鷺相克6)

 その雨は、春雨のように生易しい降り方をしなかった。

 春驟雨のように雷を伴いながら、激しく打ち付けるように雨は降り、炎雷で発生した火を消火していく。

 春驟雨とは文字通り春の夕立のことだが、この雨はそれとも違うようで、にわか雨では収まらなかった。

 とっくに鎮火したというのに、長雨は降りやむことを知らない。

 今までどこにいたのか、ユウが開けた場所に姿を現した。

 服が所々破けたり、焦げたりしているところを見るに、彼も無傷とはいかなかったみたいだ。

 アラタの知りうる中で、彼がここまで明確に傷を負ったのは初めてのことだった。

 まあ、この場にアラタはいないので彼の預かり知らぬ話であるのだが。

 では、雷を落とし、森に火を放った張本人である彼はどこに行ったのか。

 舞台となった場所から少し離れた崖沿いの獣道に、彼はいた。

 自分をまきこんで魔術を行使しないだろうという考えの元、ユウは距離を詰め、その結果生まれた隙に付け込まれた。

 つまり、アラタの自爆覚悟の攻撃により怪我を負った。

 では、その真正面にいたアラタが無事なはずもなく。


「すぅう、はぁぁぁあああ」


 呼吸をするたびに、服が肌と擦れる度に火傷が痛む。

 ヒリヒリとするくらいならまだいいが、本当にひどい箇所は肉が爛れてしまっている。

 あれだけのことをしてこの程度で済んだのは、日ごろからの彼の自爆癖の賜物なのだろうが、これは流石にきつい。

 炎雷をその身に浴びながら、ユウが姿をくらませた隙にクリスを救出し、消火前の森の中をさまよってここまで辿り着いたから。

 彼らのいるこの場所は、獣道の上の部分が大きくせり出して屋根の役割を果たしている。

 風を伴った雨だと野晒しになってしまうが、今日のような単純に水が降ってくるだけの雨なら凌ぐことが出来る。


 仮面を外し、ケープを脱ぎ、靴も、ポーチも脱いだ。

 やはり黒装束の防御は称賛の一言で、重ね着している個所はほとんど傷になっていない。

 素肌を晒していた箇所や、手甲など薄い防御面はそれなりに負傷している場合が多い。

 アラタはズボンだけの上半身裸になり、傷の手当てを行う。

 ユウとの戦闘で、刀傷は受けていない。

 これは明確な成長だととらえることが出来るだろう。

 初めは一撃で、次は数合打ち合った先で、彼はユウに斬られている。

 そう考えると、殺すつもりは無いという彼の言葉が気になるものの、自分の成長が素直に嬉しかった。

 消毒液が刺すように沁み、その上から軟膏を塗り込む。

 軟膏が効いている間は、傷痕が可能することも無いし服に張り付くことも無い。

 上からガーゼを当て、包帯で固定すると、アラタは隣を見た。

 相変わらず気を失っている彼女を、どうしたものかと思案する。

 こんな状況なのだ、起きてもらわねば困る。

 しかし、気を失った人間を適当に扱ってもいいものか。

 雨宿りの中、彼は困り顔でクリスの顔を見つめていた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「チッ。これでは追えないか」


 どこから出したのか、替えの服を持っていたユウはボロボロになった衣類を脱ぎ捨てた。

 長袖のシャツ、その下には肌着用のシャツ。

 ズボンは雨に濡れたのが気に食わなかったのか新しいものに取り換え、ベルトはそのまま。

 アラタ同様、雨の当たらない場所が見つかればよかったのだが、土地勘もないこんな辺鄙へんぴな場所でそれを探し当てるのは容易ではない。

 第4集合地点が近いこの場所だから、アラタも雨宿りできそうな場所に心当たりがあっただけで、もしここが見知らぬ土地ならユウと同じように魔術で雨宿りできる空間を作り出していたころだろう。

 森の中で、不自然に盛り上がった土。

 大きな蟻塚に見えないことも無いその中には、ファイヤーアントよりも凶暴な人間が籠っている。

 ユウは干し肉を口にしながら、追跡の断念を口にしていた。

 クリスの推測では、彼はエリザベスの場所を完全に把握していて、だからこそ真っ直ぐ集合地点の方に向かうことが出来たと考えていた。

 しかし、実際にはそうではない。

 発信機の類が仕込まれているのではなく、ユウは単に匂いを追っていただけなのだ。

 おおよそ人間業ではないこの技術、実は似たようなことはアラタも出来る。

 ただ、身体強化の延長線上で鼻を強化したところで、人間の嗅覚細胞は犬に遠く及ばないし、それを処理しきるための解析ノウハウも存在しない。

 つまり、なんだかよくわからない情報が大量に入ってくるだけで、アラタでは匂い情報を有効活用できない。

 ユウが優れているのはこの部分、つまり、身体強化で得た情報をどのように使えば任意の人間の追跡に役立てることが出来るのか、彼はそこに明るいわけだ。

 そして、魔力反応を追っている訳でもないのだから、匂いが雨で掻き消されてしまえば、追跡は不可能となる。

 だからこうして彼も休憩に入る判断を下した。


「寿命だな」


 刀身を見たユウは、そう言って剣を置いた。

 今までご苦労様と労うように、優しく、静かに。

 鞘に納められた剣は、アラタとの戦いでボロボロになっていて、これ以上は持たない状態まで来てしまっていた。

 いつポッキリ折れるか分からない相棒に命を預けるわけにはいかない。

 劣化しない刀を持つアラタには、分からない話だった。


 ——まあいい。

 どうせ明日になれば全てが終わるのだ。

 最後くらい、少しくらいは付き合ってやる。


 そしてユウは横になり、寝た。


※※※※※※※※※※※※※※※


「内出血してるようには……見えないなぁ」


 引き続き雨宿りの中、アラタはクリスの容態を逐一チェックしていた。

 医師でもなんでもない彼は、不用意に彼女の体に手を加えることに対して抵抗感があった。

 セクハラだと何だと言われても、命の方が大切なのだから、服も着替えさせるし必要とあらば人工呼吸だってする。

 ただ、それが必要なことなのかどうか、彼では判断がつかないのだ。

 結局アラタが彼女にしてやれたことと言えば、濡れた服から着替えさせて服を火のそばで乾かし、起きたときの為に食べ物と飲み物を用意してやることくらいだった。

 気付けの薬はリャンを起こすためにエリザベスに渡してしまったし、これと言って有効な道具を持っていない。

 アラタは干し肉、水、栄養バーのような固形の携行食糧を摂取して、ものの10分で食事を終了した。


 炎雷まで使って、即死じゃなかった。

 俺も近くにいたし、相手も俺と同じくらいの傷かな。

 だとしても、魔力空っぽになるまでやってこの程度。


「はぁ」


 実際、あいつの目的は何なんだろう。

 殺す気が無い、エリザベスだけは是が非でも殺す。

 そこに感じる義務感というか仕事感。

 雇い主が死ねば、もしかしたら何とかなるかもしれない。

 ……いや、それは都合が良すぎるか。


 揺れる炎を見て、木が燃える独特の臭いを嗅いで、アラタは黒装束の隠密性を心配した。

 煙に燻されているような状態にある衣類というのは、持ち主が考える以上に強い臭いがついてしまう。

 一度火元から離れて、服に顔をうずめてみるとよくわかるだろう。

 あのなんとも言えない、強すぎる臭いは風に乗って敵の所にまで届きかねないくらいだ。

 そういう意味ではこうして火を焚くこと自体避けるべきなのだが、雨という天候と、ずぶ濡れの状態では体調不良を引き起こすリスクの方が優先順位が高い。

 次の奇襲は、うまくいかないかもしれない。

 そんな考え事をしつつ、追加の薪を適当に突っ込んだところで、クリスが目を覚ました。


「アラタ…………すまない」


「起きたか。命令違反ブス」


 起き抜けに罵倒されたクリスは、いつものようにムッとした表情を見せる。

 しかしすぐにそんな表情は消え、意気消沈した感情が表出する。

 そんな顔をされると怒るに怒れない、とアラタも困った。


「私は、性格がブスだな」


 こっちが責めるときに、自分で卑下すんなよ、やりづらいだろ、とアラタはなんだか冷めた。


「別に。鼻水とかついてたから不細工だっただけだ。俺が拭いといたから、今は関係ない」


 ぶっきらぼうな物言いに、クリスはどう反応したらいいのか分からなくなる。

 お前がブスって言ったから、こんな空気になったのに、今はブスじゃないとか、そういうとこだぞと言いたくもなる。


「状況は?」


「お前が倒れてた所で敵と交戦、炎雷ぶっ放した時雨降ってきて、森ごと燃やす作戦は失敗。敵の姿が見えなくなったから、こっちも隠れながらここまで来た」


「ここは?」


「第4から大体10kmくらい。もう少しでエリーのとこに着くかも」


「合流できそうにないな」


「ああ」


 起き上がったクリスは、地面に寝転がっていたせいか痛む背中をさすりながら、食事に手を付け始めた。

 合流できないと言った彼女の言葉は、当然ユウを警戒してのものである。

 自分たちが泳がされている場合、みすみす敵を案内することになってしまうから。

 だが、先ほど彼女はその可能性を織り込み済みで命令違反を犯した。

 そうかもしれないけど、もし本当に敵がエリザベスの位置を特定しているのなら、こうしている間に全てが終わってしまうかもしれないと、そう危惧している。


「雨に助けられたかもしれん」


「なぜだ?」


「リャンかキィの黒装束を、エリーに貸すようにメモを入れといた」


「いつ?」


「お前が薬を渡しただろ。あの袋の中」


 戦闘中、クリスがエリザベスに渡した巾着袋の中に、そのようなメモ書きを入れていたとアラタは主張するのだ。


「ちょ、ちょっと待て。あれは私の私物だぞ? お前、荷物を漁ったのか?」


「お前の物は俺の物。俺の物はお前の物。第1小隊は個人所有を認めません」


 なんてこったと、クリスは頭を抱えた。

 すると、今まで自分の所持品は全てアラタのチェックが入った後だったと、この非常時にカミングアウトされたのだから、彼女の動揺はもっともである。

 しかし、実際にこうして効果を発揮しているのだから、なんだか反対しにくい。


「黒装束でばれるなら、正直お手上げだ。こればかりは賭けだな。で、もし匂いとか足跡とかで追跡しているなら、雨が味方してくれる」


「なるほど」


 自分の命令違反も、案外役に立ったのかもしれないと、クリスは自己評価を修正した。

 状況的に、自分が気を失うまで、ユウがエリザベスの位置を把握していたのは間違いない。

 そして、それを邪魔するには黒装束の着用と、雨という2つの条件が必要だった。

 片方はアラタの手で、もう片方は自分が捨て駒となり、アラタが追いついて時間を稼いだことで実現した。

 運要素の多い内容だが、全く全て偶然というわけでもない。


「……何? 元気になった?」


 少し気分の晴れた彼女を前にして、アラタは怪訝そうな目で見る。


「私のおかげ、かな」


「あのなあ、お前マジ帰ったら正座で説教するからな」


「楽しみに待つとしよう」


「楽し、まあ、それが出来るくらいなら勝ったってことだよな」


 長い菜種梅雨が降りやんだ頃、時刻は午前5時を回ったところだった。

 4月6日、その日、世界は変わる。

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