第211話 天を焦がす(烏鷺相克5)
あいつマジ、帰ったら覚えとけよ。
絶対無事に帰って、気が済むまで説教してやる。
クリスとユウの姿を見失ってから、まず彼は一度索敵を行った。
見失ったのではなく、クリスが仕留められていて、ユウが近くに潜伏していた場合のことを考えての行動である。
仮に彼女がすでにこの世にいなくて、自分まで落ちれば、エリザベスを守ることは実質的に不可能になる。
離脱時に気を失ったままだったキィを除外して、リャンの戦闘力はそこまで高くない。
となれば、自分の状態が戦況を背負っていると、そう理解できる。
リャンとキィが襲撃された時もそうだったし、彼の元にユウが現れたときもそうだったが、【敵感知】にかからない以上、目視で敵を探す必要がある。
足跡、匂い、気配、残された痕跡をすべて辿り、時間をかけて捜索するしかない。
結果、彼の出した結論は、クリスとユウはこの場から去ったという、なんとも面白みのないものだった。
死体が見つからなかったから良しとしたいが、そう甘いことばかり言ってもいられない。
この捜索時間が完全なまでに無駄になってしまった事実は無視できないのだ。
こうしている間に、ユウを追っていったクリスが返り討ちに遭い、無防備な状態で第4集合地点で自分を待っているエリザベスの元に奴が辿り着くかもしれない。
そこまで考えると、アラタは周囲に気を配りつつ、南に向かって走り出した。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ん…………リャン」
気が付くと、少年はベッドに横になっていた。
野外ではなく、きちんと屋根のある建物の中で、清潔な寝具の中で、優雅に寝ていたみたいだ。
ズキズキと痛む頭を抑えると、側頭部の辺りが一際痛む。
触った箇所は腫れていて、たんこぶになっていた。
つまり、皮膚のすぐ下で内出血が発生していたわけで、痛みの原因はこれらしい。
「自分の名前、言えますか?」
「キィ」
「大丈夫そうですね」
彼はキィの表情を見て安心したのか、すぐに戻ると言って部屋から出て行った。
寝ていたのではなく、気を失っていたことは、頭の痛みと過去の記憶が教えてくれる。
敵の魔術を躱した後、大声で敵襲を知らせようとして、そこから先の記憶がない。
彼はそこで戦闘不能になった。
「…………はぁ」
重い溜息は、口から出ると床の上に沈殿する。
ベッドに寝ている彼にそれは届かないが、あまり吐き出し続ければいずれ溜息を吸い込むことになるかもしれない。
敵に魔術を封じられた時、キィのイメージの中で、白髪の男とアラタがかぶって見えた。
ノエル・クレスト護衛任務の際、黒狼の魔術を封じた方法と、まるきり同じ手法だったから。
彼らに何らかの繋がりがあるとは、そうは思っていない。
ただ、2人のように、規格外の魔力量を誇る相手と戦う時、ああして魔術を封じられるのはきついなと、単純にそう思った。
戦闘員としては可もなく不可もないといった程度の魔力を保有するキィにとって、そういった人間との戦いは面白くもあり、避けたいものでもあった。
「2人とも、大丈夫かな」
横になって天井を見上げながら、そう溢した。
勝てるとすれば、アラタだけだろうと、キィはそう思った。
※※※※※※※※※※※※※※※
【暗視】というスキルは、暗視スコープのような見え方をしない。
どちらかというと、夜中に日中のように景色を見ることが出来る、そんな表現の方がマッチしていた。
明るくて、でも影が見えなくて、それが少し気持ち悪い。
それがスキルの効果だ。
だから、アラタは初めそれを見に行くべきか迷った。
一瞬気になった程度で、一刻を争うこの場面で時間を割くべきではないと、そう考えたから。
しかし、第4集合地点まであと少し、もし彼の勘が当たっていたのなら、このまま真っ直ぐセーフティハウスに到着するのは少し危ない。
こうして、アラタは走っている最中に引っかかった地点まで戻りつつ、索敵を行うと決めた。
戦いが始まる前から、つまり日が落ちる前から、この辺り一帯を温い風が通過していく。
それは文字通り温かくて、湿気を孕んでいて、不穏で不気味だった。
アラタは雨の前触れだと判断していて、この空は分厚い雲に覆われている。
星も月も見えず、降雨一歩手前で空の時間が止まったみたいだ。
そして、【暗視】を介して鮮明に映る視界に、それは転がっていた。
「………………」
手をやり、必要なことを確認する。
そこに伝わるのは一定間隔に、リズムを刻むbpm。
脈はある。
次の確認事項で、空気の流れを感じた。
呼吸もある。
腰のポーチから布巾を取り出すと、水滴を拭う。
ハンカチなんて上等なものでなく、本当にただの布巾だ。
そこに様々な種類の水分が吸い込まれ、布地を濡らす。
「なぜ殺さない」
背後に感じた気配は、アラタの感覚が鋭かったというより、わざと姿をさらしたように感じられた。
「殺す必要が無いからな」
不殺主義を掲げる人間味があるようには見えず、かと言って意味のないことをする非合理的な人間にも見えない。
自分には分からない理由があるのだろうなとしつつ、アラタは布巾をしまった。
「殺せるときに殺さなければ、あとで痛い目を見るんじゃないのか?」
やられる前にやれ、戦いの鉄則である。
「殺したければ、何度でも向かってくるといい。何度でも叩き潰してやろう」
真っ暗な森の中、両者は相対した。
剣を鞘に納めたままのユウに対して、アラタは刀を握っている。
このまま斬りかかれば、先攻はいただき。
ただし、その先は保証できない。
彼の脳内で、これまでの敵の発言を反芻してみる。
殺す、殺さない、必要がある、必要が無い。
選択が複雑に絡み合った、意味ありげな言葉が彼を惑わせる。
こうして考え込んでいること自体、ユウの術中にはまっているのではないかと、そう思えてくるほどに。
そして同時に、これはチャンスかもしれないと、思った。
くそ舐めているこのいけ好かない男に、一撃見舞うだけじゃなくそのまま勝ちを拾うのなら、敵は油断に油断を重ねていてほしい。
「舐めやがって。マジでぶっ飛ばす」
本心でどう考えているかいざ知らず、アラタの言葉には重みがある。
油断していることは歓迎しつつ、甘く見られているのは不服みたいだ。
「出来るものならな」
「そんなに殺したくないのなら、エリザベスも見逃してくれないかな」
「断る」
「融通利かねえ奴だな」
あわよくばに賭けた交渉は、初動で終了した。
ま、まあこれはダメ元だし、気にすることは無いとアラタは気持ちを切り替える。
交渉モードから、戦闘モードに。
「我は熟慮する、真実を映し出す円鏡を前に」
手持ちの中で、最強のカードを切った。
火属性と雷属性の二重属性魔術。
威力的にも魔術を修める人間の中で最上級と呼ばれる規模。
これより大きな魔術行使は、それこそ複数人か、Aランク相当の人間を連れてこないと務まらない。
「炎雷か」
気づかれたところでどうということは無い。
この辺りには可燃物が山のように存在しているから。
「
体内で練り上げられた魔力は、それぞれ違う経路を辿って術の行使を待つ。
ここまで制御は完璧。
アラタの魔術師生活史上、最もうまくいっている。
「託された篝火を我が物として振舞うこと許さざれど——」
ユウが動いた。
剣を抜きながらの接近、居合気味にアラタに攻撃を仕掛けていく。
普通に放つより威力は落ちるとはいえ、元が強すぎる。
両手で構えたアラタの刀を片手一本で弾き返すそのパワーの源は、一体どこにあるのだろうか。
剣と刀がぶつかり合ったあと、鍔迫り合いに移るかに思われた両者の距離は一気に離れた。
「一視同仁に心扶翼されたのなら願う…………」
斬りぬけたユウに対して、アラタは右側に抜けることで勢いよく走り出した。
炎雷を行使する以上、距離を取りたいのだろう。
彼自身の為でもあり、すぐ近くで意識を失っているクリスのことを考えた結果でもある。
「扉は既に開かれた。幽世から狙いを定め、我が身体を触媒に…………」
思い通りに事は運ばせないぞと、ユウはステップで体勢を切り替える。
そして180度方向転換した勢いそのままアラタへとついていく。
「寄せてしまえば怖いことも無い」
再びがっぷりと組み合った時、ユウの視界におかしなものが映った。
しかし、ゆっくりと流れる時間の中で、アラタという生き物について記憶を探ると、そこまでおかしなものでは無いことに、遅まきながら気が付く。
初めて相対した時、彼は帰ってくれないかと口にしながら、体はしっかりと戦うつもりだった。
2度目に姿を見たとき、転移魔道具を起動しておきながら、自分を生贄に捧げて時間稼ぎをしたうえ、最終的に自分の命をもって追跡を断念させた。
この男の行動原理に、我が身可愛さという項目はあまり加味されていないのだと、ユウはそう結論付けた。
それゆえの気色悪い笑み。
かかったな! と言わんばかりの勝ち誇った表情。
アラタの口から、詠唱の最終節が紡がれた。
「
戦場に、光の御柱が架かった。
幾本にも及ぶ白い稲妻は、電気的性質により高い位置にある木々に引き寄せられ、運悪く当たってしまった樹木は裂け、電撃で焼き焦がされる。
木を伝って地面に到達した電気は、これまた対角線上に走り、草木、生物問わず焼いた。
そんな光柱を迎え入れる準備をしているのは、山火事を思わせる炎の束。
術者を中心に放出された魔力は、周囲のものを無差別に焦がしていく。
広範囲に及ぶ大規模魔術は、直撃した者の命を容易く奪う。
その人間にどんなバックグラウンドがあって、どんな人生を歩んできて、どんな社会的役割があるかなど、雷は考慮してくれないから。
パチパチと有機物が燃える音が、やがて大きくなっていく。
轟々と火が焚かれている状態を見ると、この火は相当な範囲に燃え広がるまで消えてくれそうにないと、そう思えた。
「……知ってた」
クリスの方を担ぎ、天を仰ぐアラタの頭上には、炎雷をもってしても晴れない雲の塊がのしかかっている。
天体との間にあるそれを見つめているアラタの顔に、一滴の水が落ちた。
ぽつり、またぽつりと、それは地上に降り注ぐ。
雨が、降り始めた。
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