第201話 最強、壮途
本当に強いものは、何を使っても強い。
弘法筆を選ばず。
実際の弘法大師は大層筆に拘ったらしい、というのは置いておくとして、男の腰に下げられているそれは二束三文で買った安い剣だった。
手入れも怠らないし、大事に使っている。
でも、武器はあくまで消耗品、いつか壊れるし、壊れなくても実戦で使えなくなる時はいつか来る。
男の家には予備の剣が何本もストックされているが、どれも今彼が装備しているものと大差ないなまくらばかりだ。
彼の実力と、剣の性能はあまりにも乖離しすぎている。
だから、彼女たちと話をするときは大抵その話題が出てくる。
もう少しいい剣を使え、何なら買ってやろうか、と。
「必要ありません」
これが彼の決まり文句だった。
事実、剣の性能で勝敗が左右されるほどの好敵手を、男はしばらく見ていない。
いつものくだりを終えると、彼らは本題に入る。
「災いの種を取り逃すな。必ず殺せ」
それが依頼主からのオーダーだった。
燭台の炎が怪しく揺らめく悪趣味な部屋で、彼女たちは不気味に笑う。
当初の目的が達成できなかったにもかかわらず、彼女たちはそこまで気にしているようには見えない。
むしろ、今まで表立って進めてきた計画がカモフラージュだったかのような、そんな感じだ。
「失礼します」
男はその場を辞すると、明るい世界に帰ってきた。
明るいといっても、今は昼間ではない。
夜、日が落ちてから久しいこの時間帯、本来であればここアトラの街もひっそりと静まり返っている時間だ。
しかし、今日は特別だ。
何せ大公が決まったのだから。
勝ったのはクレスト公爵家当主、シャノン・クレスト公爵。
先ほど男が面会していた女性たち、相談役と呼ばれる女性たちの所属であるレイフォード家は敗北した。
当主エリザベス・フォン・レイフォードは大公選後拘束され、今は留置場に拘留されているはずだった。
レイフォード家の屋敷を出て、男は貴族院の方向へと向かっていく。
アトラの中心部にほど近い貴族院の方向へ向かうと、どこを見ても人、人、人が溢れ返っている。
それはもう鬱陶しいほどに、こんなに要らないんじゃないかと思うほどに、街には喧騒が散乱していた。
その中を人の流れに沿って歩いていくと、やがて彼は人ごみから外れた。
このまま流れて行けば貴族院に到着するというところを、彼は自らの意思で、意図的にルートから外れた。
夜風は冷える。
春になったとはいえ、カナンの夜はまだ寒い。
ガラスの窓がある家では毎日結露が発生し、夜の吐息は白くなる。
男は取り出した外套を着こむと、また歩き始めた。
彼が目指したのはそう、警邏機構の持ち物である留置場である。
依頼されたターゲットはここにいるはず、そんな確信の中男は通されるままに敷地内に侵入した。
「何?」
「は、それが、当該被疑者は何者かの手引きで脱走し……その、ここにはもうおりません」
意外というか、想定外というか、とにかく男は目を丸くした。
白い眉毛が吊り上がり、とにかく驚いている様子だ。
なぜ入り口でそう言わなかったと諭してみたものの、どうにも担当者の歯切れが悪い。
「言いたいことがあるなら言え」
「は。被疑者を殺害するのは事件の全貌を明らかにする意味でもやめていただきたく思います」
「だから私をここまで誘導したのか?」
詰問される担当者は冷や汗をかいている。
しかし、ここで引くことは出来ないと彼も必死だ。
「何卒、生きてここまで連れて帰ってきてください」
そう頭を下げる男を見て、彼はどう答えるか思案する。
「職務に忠実なことは良いことだ」
結局そんな言葉しか出なかった。
「は、はぁ」
間接的な言い回しでは、本当に伝えたいことが伝わらない危険性がある。
そして、今回かれはそれを望んだ。
聞き手次第でどうとでも取れる、聞き手の都合の良い方に解釈できる言葉を残して、男はその場を後にした。
※※※※※※※※※※※※※※※
賢者という名前、そろそろ取り下げた方が良いのではないか。
留置場で後にした男は、自宅と思しき部屋で物思いにふけっている。
整理整頓が行き届いた綺麗な部屋だ。
そしてとにかく物が多い。
棚には本や書類がこれでもかと収納されているし、武器や防具、魔道具が収納されている棚やケースも一つや二つではない。
中には希少な霊薬や魔石、素材なども含まれているが、彼にとってはそこまで価値のあるものでは無いらしく、他の物とごっちゃになっている。
まさしく玉石混交といったありさまで、この中から価値あるものを探し出すのは中々骨が折れそうに見える。
そんな中、まだファイリングされていない書類の束が机に置かれていた。
先ほどレイフォード家に行ったときに渡されたもので、今回の依頼に必要な情報が書かれている。
彼女たち相談役はエリザベスが逃走したことを知らないから、留置場まで行って暗殺してくる簡単なお仕事だと言っていた。
それでもこれだけの情報を前金と共に渡してきたということは、彼女たちもそれなりにエリザベスのことを警戒しているということかもしれない。
「…………ふぅ」
目を通し終わったそれは、棚に収納されるのではなく、そのまま暖炉の火にくべられた。
書かれている内容を考えれば当然の処置である。
むしろ、これを持たせて屋敷から出ることを認めたこと自体が彼に対する信頼ですらある。
お前はこれを外部に漏らすようなヘマはしない。
だから持ち帰ってもいいと、そう言っている。
期待通り男は証拠をしっかりと隠滅した。
これで情報は彼の頭の中だけに。
なら、私が向かう必要はない。
だが……奇しくも揃いつつある部品たちがある。
それなら、ここで点を稼いでおく意味はある。
どうすれば利益を最大化できるか、どんな方法がより良いか。
書類を手にしたまま、思考を巡らせ続ける。
何が最善か、何が最高か、自分の求めるものは一体何で、それに一番近い結果はどのようにすれば獲得することが出来るのか。
入念な脳内シミュレーションは数時間続き、その間彼は一度も休憩を挟まなかった。
そして、熟慮を終えたとき、彼の頭の中には今回のゴールまでの道のりがはっきりと浮かび上がっていた。
こうすれば、ああすれば、確実にこうなる。
そう言った明確はビジョンが彼の中にはあるのだ。
席を立ち、男は準備を始めた。
寝泊まりするためのキャンプ用品、食料、それらを必要なだけ詰める。
足りなくもなければ余分なものでもない。
彼の計算でしっかりと目的を果たすのに必要なだけの、過不足ない分量の資材をバックに詰めていく。
そして、最後に男は剣を手にした。
先ほどまで提げていたそれとは違う、別の鈍らだ。
性能的には五十歩百歩、どんぐりの背比べ、そんなところ。
比べたところで誰かが喜ぶわけでもなし、剣の性能が向上することも無い。
『急に物語の行く先を変えても、一度生まれた力はそれについていくことはできない。半分に分かれた力はやがて貴様を灼き尽くすぞ』
「私の言った通りになっただろう」
見通すことに関して、彼ほど秀でている人間はほぼいない。
過去に放った彼の言葉は、他ならぬ彼の手で現実になろうとしていた。
自作自演、マッチポンプなのではないか?
否、彼自身はそこまでする気は無かった。
今その気があるかはまた違う話だが。
※※※※※※※※※※※※※※※
「もう大丈夫だろうから、メシにしよう」
「アラタ、これありがとう」
エリザベスは黒装束のケープをアラタに返却しようと差し出した。
「寒いでしょ。着てていいよ」
「……そう。じゃあもう少し借りるわ」
「うん」
スーツ姿に黒装束は違和感があるが、彼女のスタイルの良さであれば正直なところ何でも似合ってしまう。
そのつもりでコーディネートしなければ、彼女の着こなしを無駄にすることは難しそうだ。
リャンとクリスとエリザベスが食事の準備、アラタとキィが警戒に当たる。
一足先にキィが周囲の索敵を行っている間、アラタは傷の手当をしている。
「治癒魔術師が必要だな」
太ももに貫通した風穴を見て、彼は治癒魔術使い3人を思い浮かべた。
リーゼもタリアもクレスト家派閥、リリーもざっくりそっち寄り。
そして特配課のころから今に至るまで、レイフォード家派閥に治癒魔術使いがいるという話は聞いたことがない。
以前、彼が冒険者だった頃、彼のパーティーにはリーゼという優秀な回復役がいた。
そのありがたさは皮肉なことに、彼女と別れた後に思い知ることとなったわけだが、そんな彼が治癒魔術師を編成に組み込むために探さなかったわけがない。
ポーションも使えるが、どうしても隊に治癒魔術使いが欲しかったアラタは、カナン中の情報網を使って治癒魔術を使える人間を探した。
しかし、結果はゼロ。
その事実はアラタの戦い方をより慎重なものに変化させた。
怪我を負う前提の戦い方なんて論外中の論外。
撤退まで考慮すれば戦闘中に戦える体力、魔力は全体の4割ほど。
実際にはそこまでうまくいくものでもないことは重々承知している。
彼は何度も魔力切れを起こしているし、体力のギリギリで戦い続けている。
突き刺さった矢を摘出し、傷口を固定し終わった頃、キィが戻ってきた。
「どうだった?」
「僕がやった人、もしかしたらまだ見つかってないかも。動きに変化がないんだ」
報告次第では今すぐここを捨てて移動しなければならないと考えていたところで、この報告は素直にアラタを安心させた。
移動して距離を稼ぐでもよし、留まり体力回復に努めるでもよし。
相手の行動が遅ければ遅いほど、彼らは彼らのやりたいようにできる。
「よし、全員でメシを食おう。食べたら移動する」
「じゃあみんなに言ってくるね」
「頼む」
少年がその場を後にした後、アラタは左肩の治療に移る。
こちらは矢が刺さっておらず、かすり傷程度だ。
しかし、それでも肉が抉れるくらいのダメージなのだから、彼の怪我に対する認識はだいぶ甘くなっていると思われる。
消毒し、傷口に塗り薬を塗布し、その上から綿と包帯でぐるぐる固定する。
これで翌日の間は持たせたい。
そんな彼の肩と足に走る痛みが、治癒魔術なしで完治するまでの間、彼らは逃げ続けることが出来るのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます