第202話 形見は大切に

「隊長が裏切りました」


 第5小隊長、カロンから彼がそう報告を受けてから一夜明け、ドレイクは重い腰を上げた。

 やれやれ、こんなことになるとは、そう呟く老人の言葉にはどうにも信用が置けない。

 どうせこうなることも分かっていたのだろうと、もしこの場にアラタがいたらそう言うだろう。

 彼は事前にアラタがエリザベスを優先することを聞いていて、それを許可している。

 まあ、八咫烏の面々にそれを言ってみても反感と反発を受けるだけなので、この話は無かったことにするつもりだ。

 やれ腰が痛い、膝が痛い、と言いながら彼があれこれと厄介ごとに首を突っ込むようになったのは、実はここ最近のことである。

 それまでは貴族は気に食わない、金持ちも気に食わないと仕官するどころか関わることすら避けてきたというのに、どういう風の吹き回しか、弟子を取った辺りから彼の行動様式は変化を見せ始めた。

 弟子に魔術を教え、戦闘術を叩き込み、時に地獄のような戦場に放り込み、そして死なせてしまう。

 弟子を死なせるなど教育者失格であるが、その前に人間として落第レベルのろくでなしである彼に何を言っても仕方のないことなのかもしれない。

 とにかく、彼の中でアラタという青年と出会ったことは大きなターニングポイントであったことは間違いないのだろう。

 今もこうして彼のことで新大公、シャノン・クレストに呼び出されたばかりだ。

 齢いくつになるのか不明だが、老人の肉体強度は少なくとも、電車の優先席に座るのを憚るくらいには強い状態を維持している。

 お前、そんなにムキムキで優先席に座るのか、と周りから注目を浴びるくらいの壮健さ。

 そんな彼は徒歩でクレスト家邸宅に赴き、守衛に用向きを伝える。

 守衛も彼を通していいことは知っていたが、一応上に確認を取る。

 それほど今は緊張状態にあるということだ。

 エリザベス自身が勢力を御して拘束されたことで、首都アトラを舞台とした内乱は起こらなかった。

 しかし、今だ危険や懸念は多く、その懸念の一つとして挙げられるのが、彼女の逃走だった。


「アラン・ドレイク、参上いたしました」


「顔を上げてくれ。貴方に礼を尽くさせるのは心苦しい」


 そうシャノンが合図すると、どこからともなく彼のもとに椅子が運ばれてきた。

 どうやら座ってくれということらしい。

 2人が面会しているのは屋敷の大広間で、両者の距離は相応に開いている。

 形式的には、もし彼がドレイクに襲われたとしても横槍を入れるだけの余裕を持つという意味合いがあるのだが、賢者相手にそれは無理だろう。

 こうして向かい合っている段階で、すでにシャノンの命はドレイクに握られているも同然なのだ。

 もっとも、彼がシャノンを害する理由などどこにもないからこその椅子なのだが。

 ドレイクが席に着くと、シャノンは人払いを命じた。

 使用人から護衛まで、全ての人間を排除する。


「結界をお願いできますか」


「お安い御用で」


 ドレイクが懐から取り出した杖を軽く振ると、少し空間の色味が変わった気がした。

 何か薄い膜で包み込んだみたいな、例えるならそう、巨大なオブラートに包まれたような、そんな変化だ。

 防音効果のある結界は難しく、魔道具と魔術師を両方用意して初めて成立する難易度だが、彼の場合は例外である。

 賢者というクラスと、彼の自力。

 それは人間界最高峰の魔術師と呼ばれただけあって、他の追随を許さない圧倒的な技術と魔力。


「これで話が出来ますな」


 杖を仕舞うと、ドレイクはどこから出したのか菓子を口へと運んだ。

 常にそれを携帯しているのか、彼は慣れた手つきで包み紙を仕舞うと、もう一つ取り出す。


「それ、私にもない?」


「どうぞ」


 せっかくの安全距離だったが、シャノンとドレイクの距離はほぼゼロ距離にまで近づいていた。


「で、ご用向きは?」


「エリザベス・フォン・レイフォードが逃げた」


 大福のようなお菓子を齧りながら、シャノンはそう溢した。

 いつの間にか用意されているティーセットを囲んで、二人は優雅にお茶の時間だ。


「それはまた大変ですな」


「すでに知っているのでしょう?」


「えぇ、まぁ」


 ブレンド茶葉は彼の気分次第なところがあるので、客人に合うかは飲んでみないと分からない。

 とりあえず今回はシャノンの好みに合致したみたいだ。


「彼女の捕縛、頼めますか?」


「人使いの荒い話じゃ」


「アラタ君の恩赦は私の一存で決まることをお忘れなく」


「奴なら今のままでもいいと言うじゃろうて」


 いちいち取り出すのが面倒になったのか、ドレイクはまとめて菓子をテーブルに並べた。

 シャノンはそれをもう一つ取ると、包みを開けて口に運ぶ。


「彼は良くてもノエルが困る」


「貴方の御息女でしょうに」


「生憎、私はノエルの意思を尊重するつもりはない」


 非情にも聞こえる彼の言葉の端からは、彼女一人に構っていられないというニュアンスが感じられる。

 他にも意図があるのかもしれないが、こればかりは仕方のないことなのかもしれない。


「ノエル様が真っ直ぐに育って良かった」


「教育はクラーク家に一任しているからね。私の元ではそうもいかない」


 いつの間にか、すさまじいペースで茶菓子は減り、それに従ってカップも空になる。

 茶会は終了、ドレイクは道具を片し始めた。


「依頼の厳密な定義をお願い申し上げる」


 まるで手品のようにひょいひょいと物が消えていく様を、シャノンは面白そうに眺めている。

 種があるのは分かっているのだが、いつ見ても彼がどうやって物を仕舞っているのか皆目見当がつかないのだ。

 彼曰く、スキルやクラスの類ではないらしい。

 もしその系統の力を使っているのなら多少納得できる部分もあったのに、とシャノンは謎ときに夢中だ。


「公爵殿」


「あ、あー。そうだな。依頼は捕縛任務だ。エリザベス・フォン・レイフォードを生きて捕らえ、逃走を幇助した下手人共々連れ帰ること。協力者も生きて連れ帰ること。以上だ」


「報酬の話を」


「そうだな。アラタ君並びにその周囲の恩赦、加えて金貨1000枚。これでどうだろうか」


 金貨1000枚と言えば、日本円で1億円に相当する金額。

 大口取引を立会人も取らずに交わすところを見るに、両者の信頼関係は昨日今日のものではないらしい。


「承った。最善を尽くしましょう」


 ドレイクは杖を取り出し、もう一度振る。

 霞がかった色褪せた世界から、元の鮮やかさを取り戻した。

 クレスト邸を後にしようとするドレイクに、シャノンは意味ありげに問いかける。


「貴方がそこまで気に掛ける、アラタ君とはいったい何者ですか?」


「ただの田舎者じゃよ。少しばかり才能に恵まれた、の」


 賢者がその場を後にして、使用人や執事が戻ってくる。

 彼らもこういったことには慣れっこで、何があったかなどを聞くような野暮なことはしない。


「一度会って話をすべきだろうか」


「旦那様?」


「いや、何でもない」


元の席に着いた彼に、執事はひそひそと耳打ちする。

 それを聞いた彼は、なんてタイムリーなんだとドレイクの差し金を疑ったが、彼を問いただしたところで、悪びれることなく肯定しそうだと、ドレイクを呼び戻すことはしなかった。

 何だかんだ言って、両者の互いに対する理解度はまあまあ高いのだ。

 そしてシャノンの元に、次の来客が現れる。


「やあ、久しぶりだね」


「お久しぶりです、父上」


※※※※※※※※※※※※※※※


「馬は必要だったかなぁ」


「今更でしょう」


「それもそうだな」


 一行は、西へ西へと移動を続ける。

 最終的には人間の住んでいない地域、未開拓領域へと入ることがゴールだ。

 人間社会を形成することが困難な場所ではあるが、この編成なら彼らだけ食っていくことには困らない。

 むしろ、手つかずの資源が溢れているのだから、魔物や動物に負けない人間なら住みやすいかもしれない。

 5人中4人が未開拓領域に住むことが可能なレベルの戦闘力を有しており、4人で1人を守る。

 これくらいなら生活は十分可能だ。

 しかも、大規模な追手を差し向ければ確実に魔物とぶつかるというおまけつき、彼らの判断は最良のものだったと言えよう。

 ただ一つ、懸念があるとするなら、移動手段が徒歩であることだ。

 門が閉ざされていた以上、馬による突破は不可能だったわけで、大公選に取り組む中外に馬を待機させることも難しかった。

 こういう時、普段ならハルツ経由で根回しをしてもらうのだが、エリザベスを逃がすことに協力してもらえないのは先日の通りである。

 こうして、1日に数十キロの移動が限界なのだ。


 大公選翌日、一日歩き通しだった一行は早めに休息を取ることにした。

 これから何日もかけて徒歩で未開拓領域を目指すのだから、ペース配分は重要。

 ともなれば、エリザベスや彼女に次いで体力のないリャンに合わせた移動は必須である。


「ちょっとタバコ」


 ニコチン切れを起こしている男は山に喫煙に。


「魚がいるかもしれない。取ってくる」


 食べることが大好きな女は川に魚釣りに。


「じゃ、じゃあ僕は少し見回りしてくるね」


 気を遣った少年は周囲の警戒に。

 残された2人は火を囲んで休憩中だ。

 アラタも移動中は仮面を取り、ケープはエリザベスに貸している。


「アラタ、寒くない?」


 少し薄着に見えるアラタを心配して、エリザベスは借りていた服を返そうとする。

 しかし、アラタは『いいから』とそのまま座らせ、靴を脱ぐように言う。


「レイフォード家の屋敷にいたときから、エリーは運動不足だったよね」


「仕方ないでしょ」


 靴を脱いだ彼女の足はボロボロだった。

 慣れない長距離移動を徒歩で行ったのだ、こうなることは予測できた。

 アラタは生成した水で汚れを洗い流し、消毒まで行うと傷薬を塗り込む。


「ちょっ、くすぐったい」


 足裏に薬を塗られて、こそばゆくて悶えるエリザベスを見ていると、アラタはなんだか変な気分になってくる。

 これは治療行為、これは治療行為と自分に言い聞かせ、無事処置は完了した。


「ゆっくり乾かして、それから着替えてね」


「私替えの服なんて持ってないよ」


「大丈夫、クリスが持ってきてくれた」


 アラタの持つ袋には、クリスセレクトの着替えが何着か用意されている。

 彼女の私物もあれば、エリザベスの為に新しく用意したものもある。

 それを受け取ったエリザベスは中身を見て、思い出に浸るような笑みを浮かべた。


「それどういう気持ち?」


「嬉しいの。見たら分かるでしょ」


「いや、ちょっとこう…………まあいいや」


 リャンとキィがいつ戻ってくるかは分からないが、しばらくしたら魚を釣って戻ってくるはずのクリスのために、アラタは湯を沸かして待機する。

 熱せられ始めたばかりで、容器の外側についた水滴すら蒸発していないそれを見つめながら、アラタは好機だと思った。

 次いつこうして腰を落ち着けて話す機会を設けられるのか分からないと、彼はチャンスに飛びついた。


「エリー。俺は君に聞きたいことがあるんだ」


 真面目な雰囲気を発する彼に対して、エリザベスも靴下と靴を履いて姿勢を正した。


「私に答えられることなら」


 転生の真実が、明らかになる。

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