第200話 あばよ
「ハルツ殿! 怪我はないか?」
彼と同じ冒険者の、レイヒム・トロンボーン率いる部隊が現着した時、アラタの姿は既にそこにはなかった。
そこにいたのはハルツたちパーティーと、魔術戦の痕跡だけだ。
タリアが負傷しただけで、他に大した損害が無かったのは良い結果ともいえるが、ハルツの表情は暗かった。
「怪我は……ない」
「西門の強化はもうすぐ完了する。またぶつかる機会も来るさ」
同じBランクのレイヒムは、ハルツの肩を叩くと、引き上げを宣言した。
彼の率いている冒険者の数は20、ここで遊ばせておくわけにはいかない。
「移動するぞ!」
またぶつかる機会もある、そんなレイヒムの言葉を反芻するように、ハルツは仲間に伝えた。
「あいつらとまたぶつかるかもしれない。今度こそ仕留めるぞ!」
4人の返事が、路地に響いた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「正念場だ。2人とも頼むぞ」
「任せてよ。僕一人でも大丈夫だから」
「それは私が必要ないという意味か?」
「あ、いや、そうじゃ……あはは」
歯切れの悪そうなキィは、きっとクリスの体調を気遣っているのだろう。
左目の視力が著しく低下してしまった彼女では、今までできたことが出来なくなっていてもおかしくない。
特に近距離戦では少しの違いが命取りになる。
何だかんだ言って、この2人も仲が良いのだ。
「一応下からリャンがスキルで援護、ヤバそうなら俺も介入するから、思い切っていけ」
「「了解」」
アトラの城壁に、
それは非常に細く、薄く、頼りなさそうに見える。
1個失敗すれば地面まで真っ逆さま。
そんな緊張感の中、2人はそれに命を懸ける。
城壁の隙間に杭を打ち込み、それを足掛かりにして上を目指す。
大々的に金槌を使うことも憚られる隠密行動で、2人は自分の手のみで道具を使わずに慎重に杭を固定していく。
お祭り騒ぎのおかげでギリギリのギリ警備兵には気づかれていない。
タリアの合図があってから、城門警備の兵たちは警戒状態にある。
しかし彼らは城門を閉ざすことが出来ない。
先ほどからひっきりなしに各国の人間の出入りがあり、それを無碍にすることが出来ないのだ。
本当なら緊急事態につきお引き取り願いたいのはやまやまだが、そんな扱いをしては後で何と言われるか分かったものではない。
つまり、城門を力づくで破られる可能性があるのだ。
従って馬などによる突撃に備える必要があり、当然それには頭数が必要だ。
結果、城壁の上に配置されている兵士のいくらかは下へと回される運びとなった。
そんな中を2人は慎重に登っていく。
彼らの成否が5人の命を握っているも同然なのだから。
4月になっても夜は冷える。
張り付くような冷たさの空気が、口と鼻から入っては出ていく。
仮面をつけているから視界が悪く、気を付けなければ落ちてしまいそうだ。
かといって、現状隠密効果を最大限発揮する為にはやむを得ない措置であることは彼らも重々承知している。
この仮面に幾度となく助けられているから、多少動きづらくても外しづらいのだ。
杭を打つ音は、中々他に例えようのない独特の音がする。
似ているものが少ないということは、それだけ目立つということだ。
上へ上へと昇って行く彼らにとって、これは結構な問題だった。
警備に近づけば近づくほど、音が大きく聞こえてしまうのは自明。
なのにこのお祭り騒ぎに乗じることが出来るほど、杭を打つ音は汎用的ではない。
「キィ、杭はここまでだ」
「もしかして……」
隊内でアラタの次に脳筋なクリスの含みある言い方に、キィの杭を握る手が汗ばんだ。
この高さまで登って、あと数メートルどうしようかというときに、まさかと彼は聞き返した。
「手で登るわけじゃないよね?」
「もう頂上まで近い、声も小さくしろ」
いや、出来ないことは無いけどさ、とキィは溜息をつく。
まだ子供で体も軽い彼なら、この城壁の隙間をロッククライミングよろしく登ることは出来るかもしれない。
でも、もちろん杭を使用する方が安全だし、これでは命綱を確保することが出来ない。
先ほどまでは打ち込んだ杭にロープを巻くことでそれらしくしていたが、ここからはいよいよそれも難しくなるというのだ。
キィの感じているプレッシャーは手汗となって表れる。
「まぁ、やるけどさ」
隣にいるクリスに聞こえるかどうかという小さな声で漏らすと、キィの小さな指は城壁の隙間に差し込まれた。
完成したばかりの城壁でもなし、積み上げた石材と石材の間にはそれなりに隙間がある。
人が通れるほどのそれではないのは当たり前で、キィはそんな隙間を丁寧に登っていく。
先ほどとは違い無音で、クリスは体が大きかったのか登ることを断念、全てはキィに託された。
先ほどから【暗視】を使用している視界に明るい光が見えるようになってきた。
それは城壁の上にある篝火で、警備の者たちがつけたものだろう。
いよいよゴールと次のスタートが近い。
レース前のような緊張感が彼の中に満ちて、それがより一層の疲労を蓄積させる。
棒のようになった腕と足、上を見上げ続けて疲れた首、一つ一つ考えながら登るために酷使する脳。
そこからようやく解放されるかというとき、キィは【暗視】を解除した。
「一人くれ。城門にお偉方が私兵を引き連れて到着したらしい」
「今何時だと思ってんだよ。10時回ってんだぞ?」
「そう言うな。なんでもウル帝国からのあれらしくて断れんのよ」
キィは城壁の上まであと1メートルというところまで来ていて、【気配遮断】を起動している。
ついでに魔道具にも魔力を流し、隠密効果を高めている。
騒々しい城壁の上の様子を耳にして、考えている以上にチャンスなんじゃないかとキィは考えた。
もう少し待てばさらに敵の数は減り、最低限の人間だけ相手にすればよくなる。
何となくの感覚として、彼が声を上げさせることなく、一瞬で屠ることのできる敵の数は2人まで。
相手の技量にも依るところだが、これ以上同時に出くわすと騒ぎが大きくなる恐れがある。
頂上を目前にして待つこと2分。
これ以上は無意味かとキィは残る城壁をよじ登った。
そしてその足が城壁の上に降り立った瞬間、素早く左右を見たキィの眼に一人の警備が映った。
左側に立っている、ぼーっとしている兵士だ。
風を置き去りにしながら静かに走り出したキィの手には、いつものショーテルが握られている。
城壁をクライミングしたせいで握力は貧弱もいいところだが、これだけあれば事足りる。
金属製の鎧で武装している敵の急所は太ももと脇、それから首。
声を上げさせないなら声帯まで一撃で到達する攻撃を、それがキィの考えだった。
「カヒュゥ…………」
一人、何の罪もない一般兵の命が天に召された。
声を上げる暇もなく、一撃で絶命した彼が苦しまなかったことを祈るばかりだが、キィにはそんなことをしている時間も余裕もない。
彼の遺体をばれないように隠す必要があるのだが、どうにも城壁というのは見通しが良くなってしまっている。
敵や味方の動きを把握できなければまずいのだから、城壁は至極真っ当な役割を果たしているといえる。
しかし今はその設計思想が疎ましく、忌々しい。
キィは仕方ないと諦め、まだ城壁に張り付いているクリスに合図を送る。
数メートル下からズリズリと布と石がすれる音が聞こえ始めた。
そして、キィは固く結んだロープを下へと投げた。
この国から出る、蜘蛛の糸だ。
「成功したみたいだな」
「ええ、アラタが先に行ってください」
「おう」
伝承と同じく、蜘蛛の糸は永遠に垂れ下ってはいない。
重量制限だってあるし、時間制限だってある。
そして何より、上にいる人間に糸を切られたら一貫の終わりだ。
そんな運ゲー甚だしいこの賭けを、彼らは良しとしない。
重量制限は綿密な準備で補い、時間制限はキィが踏ん張ることで出来る限り引き延ばす。
そしてこの場で糸を切るような人間を、アラタは選んだりはしない。
アラタは纏っていたケープを脱ぎ、エリザベスに渡した。
そして手の差し出す。
「行こう。背中に乗って」
「うん」
人一人を背負ったアラタは身体強化を最大限かけて城壁を登っていく。
腕と、足と、腰と、体全体を使って重力に抗う。
初めの数メートルで腕がきつくなり、次の数メートルで手の皮が剥けた。
ロープに血が染みこみ、痛覚軽減を起動する。
左太ももと左肩に受けた矢傷が痛む。
力を入れるたびに脈打ってのたうち回り、力を抜くとそれはそれで痛い。
徐々に荒くなる息遣いに、おぶさっているエリザベスの表情が曇る。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「何かできることはある?」
「そう、だな。密着してくれた方が楽になる」
「分かった」
背後から思いっきり抱きしめられて、嬉しくないはずがないアラタだが、彼には表情を和らげる余裕はない。
滝のような汗と、滲む血と、荒くなる呼吸と、尽きかける魔力。
体力はとうに空っ欠、気力でどうにかしているステージに入っている。
なんとか気を紛らわし、自分で自分の体を騙し、使命感という名の鞭で体を傷つけ、それでようやく次の一歩を踏み出すことが出来る。
気の遠くなりそうな作業を繰り返していると、篝火が目に入った。
キィと同じく、【暗視】を終了して体力を温存する。
一気に暗くなった視界で、男は闇に抗う気力を充填するように、背中に背負う彼女に語り掛けた。
「俺、エリーのことが好きだ」
「ありがとう。私もよ」
表情は見えないが、アラタを縛り付ける力が少し強くなる。
「国を出たら、一緒に暮らそう」
「喜んで。こちらこそお願いします」
「一生護る。絶対に幸せにする」
「…………もう幸せだよ」
その一言一言が、男に力を与える。
明日を生きる為の、今日を乗り越える為の、前に進む為の、この一歩を踏み出すための、無尽蔵の力を与えてくれる。
「お疲れ様」
「おう。リャンが来たら降りるぞ」
登ったら降りる。
大変な話だが、登っただけでは遭難してしまう。
下りの順番はキィ、アラタとエリザベス、リャン、クリスの順番だ。
幸い城壁の上は手薄だったのか、キィが仕留めた警備兵が見つかることも無く、巡回の兵士が巡ってくることも無かった。
音もなく浸潤する黒い影。
それが八咫烏だ。
クリスが地面に降り立つと、かけていたロープを外す。
朝になれば遺体が見つかることは確実だからそこまで意味はないが、回収しない理由もない。
キィがロープを仕舞うと、アラタはいま一度確認する。
「全員無事だな」
「勿論です」
「僕は平気」
「私も問題ない」
「大丈夫よ」
「よし」
城壁の内側からはまだ騒いでいる声が聞こえてくる。
これが新大公誕生を祝う騒ぎなのだから、エリザベスからすると少し複雑だろう。
だが、アラタたちからすればそんなことどうでもいい。
アラタとクリスはエリザベスと一緒にいたくて、リャンはアラタに付き従い、キィはリャンと行動を共にすることを望んでいる。
それぞれに理由があって、それが束になり絆となる。
「じゃあ、行くか。エリーはこれを着て。魔力は俺が流す」
黒のケープを被った彼女は、フードの下でしかと頷いた。
出国である。
「10km移動するまでは隠密、警戒を解くな。行くぞ」
こうして第1小隊は留置場破りの後、エリザベス・フォン・レイフォードを伴って出国。
「あばよ、くそったれた国」
ほとんど嫌な思いでしかないこの国に、アラタは吐き捨てるように別れを告げた。
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