第199話 狂うほど愛おしい
ノエルが暴走し、アラタが彼女の元から距離を取らざるを得なくなった時、男は言った。
出来る限りの支援はする、だから今は我慢してくれ、と。
そして、彼女が剣聖の力を制御できるようになった時、また男は言った。
ノエルの所に戻る気はないか、と。
交わした約束を履行しているだけのようにも見えるかもしれない。
しかし、アラタという人間に対して彼が真摯に、親身になって向き合ってくれていたのは事実である。
そして、そんな風に良好だったはずの人間関係も、こうなってしまっては脆くも崩れ去ってしまう。
今回の大公選の敗者、警邏機構の取り調べののち裁判を行い、罪が確定するであろう女、エリザベス・フォン・レイフォード。
彼女を国外に逃がそうとする4人の人間。
その筆頭、リーダー、エース、アラタ・チバ。
ハルツの冒険者パーティーと八咫烏第1小隊がぶつかる。
「ハルツさん、別に亡命して再起を図ろうとか、そんなことをしたいわけじゃないんですよ。だからそこを開けてください」
ハンドサインで味方に指示を送りながら、アラタは一縷の望みをかけてハルツに問いかける。
サインは彼の体で隠すように後方の味方に伝えられる。
内容は、『散開、護衛を別ルートから誘導』だ。
Bランクパーティーと直接ぶつかるのは流石に厳しい。
出来ないことは無いが、これが最終決戦でもないのにここで全て使い切るような戦い方は避けるべきだと誰だって考える。
「断る」
短い拒絶が、ハルツに交渉の余地がないことを如実に表していた。
あわよくばここで雑談を交わしている間にエリザベスを逃がしたかったアラタからすれば、話が盛り上がらないのは困る。
出来る限りどうでもいい話を広げて、時間を稼ぎたいアラタの思惑は潰えたかに見えた。
彼一人では、荷が重かったようだ。
「クラーク公爵家、ハルツ・クラーク殿」
リャンとキィの制止を振り切り、暗闇から姿を現したのは争いの原因、エリザベスだ。
ハルツたちの照明に照らされて、彼女の黒髪は艶々と輝いている。
大公選の後すぐに拘束され、シャワーも浴びていないが、なぜこんなにも清潔感にあふれているのだろうと不思議になるくらいに、彼女は美しい。
「なんですか」
武器を構えたままハルツは応える。
本来それは無礼に当たるのだが、この場でそれを追求するのもおかしな話だろう。
何より彼女の貴族としての権限は一時的に停止させられており、貴族に対する無礼な振る舞いというのも成り立たない。
少し距離が近すぎる、とアラタたちは接近する。
ハルツたちが動いたとき彼女を守るため、敵に後れを取らないため。
「私は、もうこの国に関わることはありません。誓ってもいい。だから、ここを通してください」
月並みな言葉だが、彼女自身の口から出た意味は大きい。
「もう、私という人間が貴族として、大公候補として振舞うことは無い。だから、お願いです。見逃して」
情に厚いハルツのことだ、もしかしたらワンチャン、彼女が話し出す前、アラタはそんなことを考えていた。
Bランク冒険者と戦うよりも、逃げるよりも、正面切って通してもらった方が良いに決まっている。
しかし、ハルツたちの様子を見て、それが失敗に終わったことをアラタたちは察した。
逆鱗を剥ぎ取るまではいかなくても、忌憚に触れるくらいの地雷。
アラタとエリザベスは失念していたのだ。
ハルツという人間が貴族の特権意識を非常に嫌うという、彼の根本的な性質を。
「タリア、合図を撃て」
「分かったわ」
水弾で妨害しようとしたが、時すでに遅し。
ハルツの命令で打ち上げられた炎弾は、夜のアトラに明々と光をもたらした。
お祭り騒ぎの最中、武装した人間が倒れているところを発見され、そこからほど近いエリアで戦闘が発生。
となれば警戒、捜索中の治安維持部隊が徘徊している。
つまり、彼は許してなど、見逃してなどくれなかったということだ。
「エリザベス・フォン・レイフォード公爵。貴殿は本来拘留中の身のはず。しかも、大公選中に報じられた内容が真実なら、貴方は罪を償わなければならない」
「……クリス、キィ、俺に続け」
「罪を犯した人間が罰を受けるのは至極当然! この国に関わらないのもまた然り! それを恩着せがましく条件として提示するなど言語道断! その傲慢さが貴様の敗因だ!」
ジーン、タリア、ルーク、レイン、そしてハルツ。
見知った顔が攻撃態勢に入る。
それでも、彼の最後の良心が、本当にこれで最後と前置きして、その手を前に差し出させた。
刀を構えるアラタに対して、ハルツはこちらに来いと手を伸ばす。
「今ならまだ引き返せる! これ以上は本当に帰ってこられなくなるぞ!」
「ハルツさん、あんたどっちなんだ。俺と戦いたいのか、俺と和解したいのか、どっちなんだ」
「元に戻りたいに決まっているだろう! その悪女を引き渡せ!」
その言葉はアラタのことを思ってのものだった。
それに間違いはない。
ただ、エリザベスの言葉がハルツを激高させたように、ハルツのそれはアラタから降伏の二文字を消し去った。
「悪女ですか」
「そうだ! お前は騙されている!」
「法を破ったから悪女ですか」
「そうだと言っている!」
「日本に比べりゃ不完全もいいとこの、この国の法律がエリーを悪く言うのか。まぁ……日本でもこれはアウトか」
「何を言って……いるんだ?」
「ハルツさん、俺は別に自分が正しいことをしているとは思っていない。ただエリーのことが好きだから、エリーが生贄になることが嫌だったから、だから俺はここにいる」
「それが騙されていると!」
「騙されているとかどうでもいい。俺はエリーを護りたい、一緒にいたい、隣にいたい、だって好きだから。その為なら何だってやってやる。法律がエリーに優しくないのなら、法律は俺の敵だ。ハルツさんも、姐さんも、先生も、この国も、敵だ」
「………………狂っている」
男はアラタのことが怖くなった。
出会った時とは随分違う、得体のしれないエネルギーで無尽蔵に動き続ける人形を見て、恐怖を覚えたのだ。
彼も家族がいる身、軽く聞こえるかもしれないが人を愛する気持ちは理解できる。
ただ、アラタの
「もう十分です。こっから先はこれで」
アラタは刀を構えた。
タリアがエリザベス発見の合図を打ち上げ、時間の残されていないこのタイミングで、なぜアラタが会話に応じたのか、その場に留まり続けたのか。
答えは簡単、仕込みの為である。
明るいところから暗いところは見え辛く、逆は容易い。
ハルツのパーティーで【暗視】を持っているのはルークだけ。
そして冒険者の彼よりも暗闇での立ち回りは八咫烏の方が得意だ。
「…………タリア! 感知!」
「もう気づいたのか」
そう呟いたアラタは少々面食らっている。
最低でも戦い始めるまではばれないと思っていたから。
「いない! 離脱している!」
「追うぞ! 門まで先回りするんだ!」
「させると思ってんのかよ」
閃光と、暗闇に乗じた石弾が発射された。
目くらましの意味もある雷撃と、本命の石弾は中々に強力なコンボだ。
牽制からの抜刀斬り込みは彼のテンプレ。
完全に虚を突かれたハルツたちは立ち遅れた。
「ルーク、タリア! アラタを抑えろ!」
ハルツがそう叫ぶ前から、2人はアラタの方を向いていた。
阿吽の呼吸で意思疎通を図っているというのが一つ、そしてもう一つは彼がすぐそこまで迫ってきていて無視できないという理由だ。
「雷霆は其の厳格さを以て……」
タリアが魔術詠唱に入る。
しかし、アラタの刀の方が速く届くのが現実だ。
ルークが割り込みを試みたが、彼よりもアラタは速い。
冒険者としてのキャリアは上でも、実戦の密度が違いすぎる。
タイミングは逃さない、殺せるときに殺す。
アラタの攻撃はタリアを捉え、防具の上から彼女を叩いた。
魔力で強化した刀で斬れない防御力は中々に強力である。
それでも衝撃は鎧を通して彼女の体にのしかかった。
ピキッ、と嫌な感触が彼女を襲う。
【痛覚軽減】を持たない彼女の額からは脂汗が噴出し、顔色が悪くなった。
もう一太刀、アラタが振りかぶる。
この攻撃を振り下ろせば本当に取り返しがつかなくなるというのに、アラタには一切の躊躇がない。
迷いのない剣は強い。
「アラタァ!」
右耳に届いた怒号は、アラタの意識をほんの少しそちらに向けた。
そして、魔術の遠隔発動が彼のスキルに引っかかった。
背中側から、複数個。
大上段に構えた刀を引き戻しつつ、左側へとスウェーした。
魔術を避けつつ、右から迫るルークと距離を取るためだ。
土棘か水弾、石弾、風刃。
いつくかの攻撃オプションが彼の中に浮かび、反射的に石弾を選択しようとした矢先、再び彼の【敵感知】にアラートが鳴る。
乱戦状態なのだからそれは当たり前のことだが、問題なのはその質だ。
極上。
濃密な気配が迫っているのをビンビン感じる。
それはアラタの背後から、虎か熊のような獰猛さと合わせてアラタにぶつかった。
「追わなくていいんですか」
額をたたき割られそうなほど強力な一撃をすんでのところで受けきり、激しいつばぜり合いを演じる両者。
その足元では魔術を発動しようとするアラタとそれを邪魔するために蹴りや足払いを繰り出すハルツのせめぎ合いが発生している。
軽口を叩いているアラタだが、流石にハルツの攻撃を凌ぐのは骨が折れる。
等級的にも格上の相手、本来なら仲間と一斉に襲い掛かりたいところを、エリザベスの護衛に回していた。
「お前を仕留めた後で追いつく」
エリーの足に合わせたとして………………
過ぎた時間は2分ほど、その間にどれだけの距離を移動できたのか。
向かった方向がはっきりとしていない以上、直線的にみんなのところまで辿り着くことは出来ないと断定した。
アラタが出した結論は、『逃げ切れる』だった。
そして唐突に彼は体に込める力を弱めた。
本来それは悪手である。
刀捌きに余程の自信があったとしても、練度の高い相手に反撃されない可能性は低い。
現にアラタはハルツの押しを流しきれず、後ろにのけ反るような体勢に追い込まれた。
アラタの殺意が本物であるように、ハルツも本気でそれに応える。
一つ手順を間違えば、本当に命を落とす。
その中で、アラタは左手を腰のポーチに突っ込んだ。
「美しい思い出とともに散れ! アラタ!」
このまま
そして、それを回避するために自分が考えた方法では一手足りない。
そう判断を下したアラタは少し強引な手法に出ることにした。
ポーチ内で魔力を充填しているのは当然のことなどだが、彼は個々から一つ手順を省いた。
つまり、魔道具に魔力を注ぎ込みながら取り出し、発動というプロセスから、取り出すことを消したのだ。
そんなことをすれば、衝撃でポーチが壊れるか中の物が飛び出してしまうだろう。
流石にそれらをかき集める時間は無い。
しかし、それを逡巡する時間すら今は惜しいのだ。
彼の中に、ここまで詳細な思考は無かった。
間に合わない、これで間に合う、この程度だろう。
ほぼ脊髄反射のような速度で繰り出された奥の手は、アラタの腰元から爆発的に発生した。
「吸い込むな!」
白い煙が辺りに爆発的拡散を見せたのは、ハルツの剣がアラタに届くほんの少し前のことだった。
不意を突かれたハルツの剣圧は弱まってしまう。
「風で吹き飛ばせ!」
ハルツの指示でタリアが魔術を行使する。
風陣で空気をかき回し、コントロールして煙を薄めるのだ。
そして、膨大な魔力を持つアラタが加減なしに使用した魔道具の煙が晴れた頃には、当の本人は既に姿を消していた。
散乱した彼の道具だけが道に転がっている。
「ハルツ、これ……」
ルークの差し出したそれを見て、ハルツは言葉を失った。
取引が禁止されているポーションの瓶。
効果が強い故に封入する瓶にも特殊なものが必要なそれは、使用者の体を蝕む制限薬品だ。
誰の手からそれがアラタに渡ったのか。
ハルツが正解を言い当てるのに迷いはなかった。
「何が賢者だ。反吐が出る」
ハルツたちパーティーは、八咫烏を取り逃がした。
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