第197話 今は敵

 留置場を襲撃したのが夜だったのは、彼ら八咫烏第1小隊にとってこれ以上ないアドバンテージだった。

 4人中3人がスキル【暗視】を使えるチームは八咫烏の中でも第1小隊だけだ。

 リャンは暗視を使えないが、完璧な暗闇でもない限り、一応明かりがなくても動くことはできる。

 それに彼は戦闘担当ではない。

 【魔術効果減衰】を持っている、戦闘力が低い、この2点から彼は後衛につている。

 キィがリャンとエリザベスを先導し、アラタとクリスがその前を走る。

 留置場の警備はある程度無力化している。

 潜入、隠密行動、暗殺、誘拐は特配課にいた頃からの得意分野だ。


「この後は?」


 クリスは明るい視界に敵がいないことを確認しながら小さい声でアラタに確認を取る。

 予定では未開拓領域、タリキャス、ウルの3択だった。


「未開拓領域に行くぞ」


「了解」


 と、言うことで、彼ら一行の目的地は未開拓領域内にあるセーフティハウスに決まった。

 魔物の襲撃が止まない危険な地域ではあるが、それはあくまでも集落や街を形成するうえで問題が発生するくらいの物であり、世捨て人など一定数未開拓領域で暮らしている人間は存在する。

 彼らはこれから八咫烏という責務を捨て、エリザベスと共に平穏な暮らしを求めて国を出るのだ。

 黒装束と気配遮断を併用して留置場を出ると、まずは西門を目指さなければならない。

 無事に大公選が終了し、町が戦火にまみれることも無く、カナンは平和なまま次の大公誕生を喜んでいる。

 お祭り騒ぎがいたるところで発生していて、人の数がとにかく多い。

 そんな中を5人は縫うようにして通り抜けていく。

 それは一瞬の幻のように、何かがそこにいたと思い、もう一度見返すと何もない。

 なんだ、見間違いか、そんな風に錯覚させるほど気配を消し、迅速に、早急に彼らは街を進む。

 最後に門番をどうにかする必要があるのだが、増援もなしに足止めが可能なほどアラタとその部下たちは温くない。

 現にばれることなく留置場からエリザベスを救出しているのだから、その技量は推して知るべしといったところ。


 もう春だ。

 ウル帝国、コラリス・キングストンの邸宅などにある桜の木は満開の花で着飾る季節。

 気温も徐々に暖かくなり、山間部に雪が積もっている以外は寒さを感じることも無くなってきた。

 風の強い日は少し肌寒く感じることもある。

 しかしほんわかとした陽気に人通りも増えていく。

 そんな季節に開催された大公選、アトラ中の人間が出歩いているのではないかというほど町は人にあふれている。

 実際には町の人間だけでなく、お祭りの波動を察知したお祭り男たちや、大公選の結果を気にする人間たちが出入りしているからなのだろうが、とにかく、どこを歩いても人、人、人である。

 だから、アラタたちはそれに気づくことが遅れた。


「……チッ、密集陣形、要人警護だ。囲まれているぞ」


「キィ、数は?」


「分かんない。でも12は絶対いる」


 この人ごみの中でキィに存在を悟られるレベルの三下が12人ね。

 まあ俺の敵感知だと10人までしか分かんねーし、かなりまずいなこれ。


 通り沿いにはシャノンの勝利を祝う横断幕や垂れ幕が洗濯物のように飾られていて、とにかく視界が悪い。

 電柱や電線といったものとは無縁のこの世界、街中ではケーブル地中化を行っていなくてもクリアな景色が提供されている。

 他の面子は元からだが、アラタもそれに慣れてしまった。

 もっとも、元の世界にいるとき常に戦うことを想定して景色を眺めていたことなどあるはずもないのだが。


「レイフォード卿、私の後ろに」


「ええ」


 リャンとエリザベスが近づき、その前をキィが固める。

 先ほどまでフロントを張っていたクリスが背後につき、アラタが前衛を務める。

 左右に死角が生まれているが、分隊規模の戦力でカバーするならこれが限界だ。

 あとは個々の能力次第、結局いつもの戦い方になる。


 無理やりしては騒ぎになるから極力穏当に、アラタは人ごみをかき分けて進路を確保しつつ前進する。

 大通りが人にあふれているのだから、包囲されている彼らの取る方法は一つだけ。

 民間人を盾にして、その中を出来るだけ進む。

 卑怯だと罵られようが、これからこの国を治めるクレスト家派閥は民間人の反感を買うことはしない。

 だったら最大限それを利用しない手はないのだ。

 ただ、アラタたちにはある懸念があった。

 この先も城門まで続く人の波の中を、本当に何事もなく進み続けることができるのか、そんな懸念だ。

 いつもいつものことだが、彼らの嫌な予感は本当によく当たる。

 後方から感じる濃密な殺意を感じて、アラタは方針転換を覚悟した。


「キィ、後ろだ」


「アラタも前!」


「分かってる」


 煌々と照らされた街の明かりに反射して、銀色の光がアラタへと向いた。

 対するアラタは刀を使わず、無手でこれに応じた。

 最速最短の刺突が首元に迫る。

 彼の眼は一度とらえた短剣から離れ、左右に素早く動いた。

 その結果アラタの体は右側に流れ、左足を前に踏み込む形で半身になりながら接近した。

 攻撃は外れ、間合いに踏み込みすぎた敵は後ろへ下がろうとする。


「しまっ」


 右フックが来ると思った襲撃者は左手を頭の高さまで上げた。

 しかし、視界の半分を犠牲にした防御は暖簾に腕押し、何の衝撃もそこには到達しなかった。

 代わりにあったのは膝の抜けるような感覚。

 右足を前にしていた彼は、相手の左足による払い技で体重の乗っている足をすくわれたのだ。

 外向きに膝が開いてしまうことを膝が割れるというが、彼の膝はしっかりと割れていた。

 膝が割れるとどうなるか、それは当然バランスが崩れる。

 内転筋をしっかりと鍛える意味はここにあるのだが、それを今説いても仕方がない。

 崩された男は前に繰り出したままになっている短剣を引き戻す軌道の中、敵の首を後ろから刈り取ってやろうと試みた。

 視界の外側、この間合い、崩されはしたものの勝てる。

 そう見積もりを立てるには相手が悪かった。

 この距離まで近づけば、アラタの【敵感知】はそれなりに高精度で敵意を感じ取る。

 方向、強弱、場合によっては誰の攻撃かまで言い当てられるかもしれない。

 目の前から突然、アラタの頭が消えた。

 結果、短剣に触れたのは黒装束のフード部分のみ。

 それも魔道具として強化されていて、攻撃はいなされ傷一つつけられなかった。


「ぐうっ!」


 ガードの上がった左わき腹に拳が入った。

 肺から息が飛び出し、横隔膜が痙攣する。

 息ができない、苦しい。

 そんなことを考えられていたのも束の間、今度は短剣を持つ右手を掴まれ、強引に引き込まれた。

 逆手になるまで下がった右手は、異常な握力で捕まれる痛みによりとっくに短剣を手放している。

 予備のナイフを、そう思って男は腰元の予備に手を伸ばす。

 この攻撃が当たるかどうかは別として、左手にナイフが入り、それによる攻撃が放たれるまで彼が無事でいるかどうか、それが一つの分岐点になる。


「おふっ!」


 男の大公選は、そこで終わった。

 彼が予備の武器を取り出すより早く、スキル【身体強化】と魔術的身体強化を重ね掛けした膝蹴りが彼の鳩尾を打ち抜いた。

 今度こそもう無理、行動不能である。

 彼の落とした短剣はアラタの手に握られ、腰のナイフに手を伸ばす余裕はない。

 何より、アラタほどの男がそれを見逃すはずがないのだ。


「残念だよ。本当に、今までありがとう」


「裏切り者は……隊長の方じゃ、ないですか」


「カロン、生きていたらまた会おう」


 仮面をずらし、八咫烏第5小隊長カロンに垣間見えたアラタは、笑っていた。

 仲間に対する、思いやるような顔だ。

 殴って蹴って、そのあとによくそんな顔できるな、もう忘れたのかと聞きたくなったが、カロンの体は限界だ。

 第1小隊の姿が見えないから探していたのに、いつから戦うことになったのか。

 クレスト家派閥の勢力と行動を共にしていたのだ、自由は無かった。

 今考えると踏み絵の意味もあったのだろうな、とカロンは地面の冷たさをほほに感じながらそう考えた。

 しっかりと無力化されたから、向こうも信じないわけにはいかないけど、こんなやり方は気に食わない、そんな悔しさに加えて、同じ八咫烏でこうも違うのかと唇をかみしめる。


「こっちも片付いた」


 平隊員のキィが後方の敵を無力化し、騒ぎを起こすことなく新たに報告しにやってきた。

 その平静さが、何事もなかったような抑揚の無さが、カロンは悔しかった。

 八咫烏最強部隊、第1小隊とは大きな壁があるんだな、と彼は再起を誓う。


『生きていたらまた会おう』


 隊長のその言葉は、カロンの心に火をつけ、彼はそれが春風で消えないように、うずくまりながら倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る