第196話 最愛の人は必ずそこに
63票中、38票。
つまり、過半数を超える支持を得た。
この瞬間、シャノン・クレストが大公になることに決定したのだ。
後で何かとんでもない、大公選そのものをひっくり返しかねない重大な隠し事が彼の元から出るかもしれない。
そうなれば、彼は大公にならないかもしれない。
しかし、何かを考えるときにいたずらに明示されていない条件を付与するべきではない。
普通に考えて、彼が次の大公だ。
「第1小隊、戦闘陣形」
アラタは腰を低くして、刀に手をかける。
いつでも抜き打ち出来るように、いつでも居合で対応できるように構える。
従う部下たちも完全にやる気だ。
対して敵方、つまりレイフォード派閥の方もやる気満々である。
すでに武器を構えている敵も多くおり、この場で始まれば貴族たちすべてを守りきることはかなり厳しくなる。
こんなことなら武器の類は没収しておけと言いたくなるが、そうなると魔術師がとんでもなく有利になってしまう。
杖という触媒がなくても、彼らが人一人殺めるのにかかる時間は驚くほど短い。
ならばお抱えの腕利きたちが不自由する事の無いように、そんな判断だ。
「全員動くな! 選挙妨害で連行するぞ!」
イクラシオンの声が彼らに届くことは無い。
選挙妨害がなんだ、こっちは勝つか負けるかの瀬戸際なんだ、と。
ちょうど議場を二分するように睨み合う両勢力。
八咫烏たちは最前線から少し距離を取り、仮初の護衛対象を守護する形を取る。
本当の主ではないとはいえ、彼らは彼らの身の安全よりも八咫烏を潜入させることを優先してくれたのだ。
最低限の働きをしないと罰が当たるというものだろう。
ピンと糸が張り詰めたような緊張感。
ハサミが入れば切れてしまう、糸が劣化しても切れてしまう、過負荷がかかっても切れてしまう。
些細なきっかけですべてが崩壊しかねない絶妙なバランス。
それを維持しているのはひとえに戦力比だ。
ほぼ拮抗している両勢力の戦力は非常に繊細。
一人落ちればバランスは大きく崩れ、最悪そのまま決着がつきかねない。
特にアラタたちのような精鋭が命を落とせばその影響は計り知れない。
「恩知らず共が…………!」
親の仇を見るような目でおそらく棄権票を投じたであろう元味方を見るのはプリンストン家の当主だ。
彼はレイフォード家への義理を通したのだろう、彼から見れば、エリザベスに投票しなかった奴らは国賊と同等に映るのだろう。
彼の元にも当然護衛は控えている。
典型的な重装備の兵隊といった出で立ちだが、決して量産型の雑魚ではない。
軍所属だと仮定すると、恐らくそれなりの地位にいる人間か特殊部隊上がり。
冒険者の等級ならCランクはあるだろう。
プリンストンの右手が上がった。
「相手に撃たせる。回避遅れるな」
アラタは刀に手をかけたまま、先攻を譲る。
どちらが先にやったのか、貴族の多いこの場では言い逃れができない。
せっかくクレスト家が勝利したのに、アラタが先に攻撃してはその意味がなくなってしまう。
選挙に勝ち、負けたレイフォード家派閥が実力行使という暴挙に出る。
それをクレスト家派閥が鎮圧、完璧な流れだ。
それが本当にうまくいくのかは別として。
その最中に敵首魁であるエリザベスを攫うことができるかは別として。
試合前、審判が集合を合図する直前のような緊張感が漂う。
議場で血が流れることになるのか、それとも回避されるのか。
運命の分岐点はすぐそこまで迫っていた。
「各々方、この場で決着をつけるため——」
「動くな!」
女性の高い声、しかし強く制する意思の籠った声。
そんな声が、投票場である議会場に響いた。
全員が思わずそちらを向くほど大きく、伸びのある声。
日頃彼女が発している鈴を鳴らしたような、透き通る透明感のある声ではなく、怒鳴るような声。
エリザベスの一言に、場が凍り付いた。
動きを止め、ヒートアップした熱気は凍り付くことで熱を冷まし、冷静さをそれぞれに取り戻させる。
実力行使に出るとしても、こんなところで始めては自分の命すら危うい。
それを忘れるほどレイフォード家派閥は追い詰められていて、それを蔑ろにしていたのだ。
誰も、何も言葉を発さない空間で、この場を仕切るように彼女は口を開く。
「続きをしましょう。選挙管理委員の方、お願いします」
「あ……えぇ。では投票結果の発表を再開します」
イクラシオンは彼女に言われるがまま、残りの投票結果を開示していく。
「警戒継続。待機状態に移行」
緊張状態から解放された護衛たちもほっと胸をなでおろす。
戦うのはほぼ既定路線としても、護衛を守りながら戦うのは想像もしたくないからだ。
自分の力不足で死ぬのは仕方ないが、護衛がボンクラで死ぬのは御免被る。
続々と投票結果が発表されていく中、すました顔で結果を聞き続ける彼女の横顔を、アラタはただ見つめていた。
殺してくれと、彼は彼女にそう言われた。
そんなことを言ってくるエリザベスが、今更自分の命が惜しいはずがない。
ならば先ほどの発言は、自分以外の人の身を案じてのものだったのだと、アラタはそう結論付ける。
変わらないな、変わらず綺麗だな、そうアラタはエリザベスを見つめる。
自分たちで彼女の負の側面をあれほど調べたのだ、実際には彼女は罪に汚れすぎている。
だが、自身が糾弾されている中あれだけ静かだったのに、この場所が戦場になりそうになると大声を上げて止める、そんな不均衡さが彼女らしいと、アラタは仮面の奥で思った。
「さて、全ての投票結果が開示されましたので、最大獲得票数と獲得者の名前を読み上げ、これを以て選挙管理委員会はその者を大公として認めます」
時代が変わる瞬間を、彼らは、彼は、異世界人は目にする。
新大公、誕生である。
「獲得票数38票。クレスト公爵家当主、シャノン・クレスト。貴殿を第23代大公として選出する」
この国において最も栄誉ある責務を背負う者として、ノエルの父親はその名を呼ばれた。
立ち上がり、各方向に礼をする。
胸に手を当て、軽いお辞儀。
そんな時にも血迷ったり先走ったアホが彼に危害を加えないように、アラタたちは気を配る。
しかし、この場に呼ばれるような人間が独断専行をするはずも許すはずもなく、結果はおとなしいものだった。
就任式やそれに伴う祭りなどは後日行うため、この場では内々に、事務的に決まっただけ。
所信表明などは別に行うし、大公選抜選挙はこれで終わりである。
ただ、一つ起きた事件を除いて。
「それでは大公選抜選挙をこれで終了したいと思います。そしてエリザベス・フォン・レイフォード公爵並びにビヨンド・ラトレイア伯爵。貴殿らは先ほど演説中に述べられたことに関して少しお聞きしたいことがありますので、このまま身柄を拘束させていただきます」
二大勢力の内、敗者は牢屋へ。
ありがちな結末だ。
こうして大公となった側が権力を盤石とさせ、政治体制を整える。
こうなれば内乱の心配も無し、あとはエリザベスの求心力の低下とともに派閥は自然消滅。
めでたしめでたしである。
そう、多くの人にとっては。
「さ、こちらにご同行ください」
警邏に連行されていく想い人を、仮面の男はただ眺めていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
もう少しいい場所に拘束されると思っていたわ。
石と石の隙間から、ポタ、ポタ、としずくが落ちてくるような雑な造りの牢屋。
カナン警邏機構の留置場だ。
一応無実の可能性が残っている人間を拘束する場所のため、それなりに待遇の良い部屋もあることにはある。
貴族や他国の大物を捕えておいて、あとで無実でしたごめんなさいテヘペロは後でどんな報復に遭うか分かったものではないから。
そんな状況を鑑みて、ビヨンド・ラトレイアはそこそこの値段をするホテルの一室のような部屋に拘束されている。
当然外出NGだが、頼んだものなら基本的には届けてもらえるし住み心地も悪くない。
それに対して、エリザベスへの対応は酷いものだった。
普通の牢屋、シンプルな牢屋。
ベッドなんてないし、代わりにあるのはゴザだけ。
トイレも仕切りのようなものは無く、鉄格子の外まで丸見えだ。
基本的に不衛生だし、寒いし冷たい。
日本なら人権ガーとか騒ぎ出す連中が出てくるだろうし、事実ここは刑務所ではなく留置場だ。
もう少し環境を改善してもいいのではないかと思う。
「もう一度逢いたかったな…………」
酷い別れ方をした、そう彼女はいつも後悔していた。
全てを打ち明けて、いってらっしゃいと送り出すことも出来た。
仕方のないことなのだと、説明してわかってもらうことだって可能なはずだった。
逆に突き放して、想いが尽きるように仕向けることだってできたはずだった。
でも、そうはいかなかったのだ。
結局どっちつかずな曖昧な別離。
人の想いも行動も、考えたように伝わらないから齟齬が生まれる。
ルカも、他の特配課のみんなも死んだ。
アラタとクリスは生きている可能性が高いが、エリザベスはもう会うことは無いと思っている。
このまま首を斬られ、新時代の幕開けの贄となる。
それが自分に残された、この世界に課せられた最後の仕事。
議場からそのまま移動させられたから、彼女の格好はそのまま変わっていない。
濃紺のパンツも、白いシャツも、彼女が日頃から好んで着ている着こなしだ。
アラタからは、『OLっぽい』と好評だったが、この服を着始めた当初、周囲の反応はあまり良いものではなかった。
女当主がなんとか興味を引こうと奇抜な格好をしていると、そう蔑まれた。
口では似合っていると言っておきながら、裏であれこれ言っている人間のことは結構な頻度で耳に入ってきた。
そんな彼女が認められるようになったのは、諸侯の裁定者という大公らしい役割を彼女が果たすようになってからだろうか。
土地の問題、税の問題、首都における各家の力関係の問題。
貴族たちは存在するだけで争いの種になり、争いを生み出し、争うのだと、そう理解するのにさほど時間はかからなかった。
やがてそんな現実にも慣れ、彼らを手駒のように操り、やりたいことをやっている時、彼は突然現れた。
似合わない武器を手に、冒険者なんてことをしている彼を見たのはそう、敵対する派閥の長の娘に新しい護衛がついたと報告を受けた時だ。
聞き覚えのある名前に見た目。
この世界で誰よりも知っている風貌は、ここでも誰かの世話を焼いていた。
戦ったことなんてないくせに、必死になって頑張って強くなって、一回死んじゃったりして。
『俺も好きだ、大好きだ』
その一言が聞けただけで、生まれてきた意味があったと思えた。
諦めずに生きてきた意味があったと思えた。
アラタのために、真っ当に生きたいと思うことができた。
まあ、手遅れ過ぎてこうして捕まっているわけだけど。
エリザベスの果たす役割はあまりにも大きく、彼女の行動は彼女の意思だけで決められる範囲を大きく逸脱していた。
だから、最後は制御できなくなった四肢が暴れだし、体が引き裂かれたのだ。
このまま死んでもいいけど、そうエリザベスは鉄格子の外に視線をやる。
最後に一目、処刑場でもいいから、彼に逢いたかった。
あるはずのない現実に、彼女は壁を背にしてうずくまった。
「うっ」
「くふぅ」
風船を膨らませ終えて、そこからさらに少し息を吐いたような短い音。
衣擦れの音が聞こえた後、一切の情報が消えた。
膝の中に顔をうずめていて、視界は真っ暗だ。
このまま全てを諦めて、何も聞こうと、見ようとしないことも出来る。
だが、普段から様々な情報を収集する人間という生物は、見ることも聞くことも日常的に、当たり前に行っている。
彼女にそれを再開させた理由は、トントンと肩を叩かれたことだった。
顔を上げると、ハナニラの模様を刻んだ不気味な白い仮面の人間が立っていた。
他にも何人か、それぞれが同じ格好をしている。
それは特殊配達課を思い出させたが、マントの丈をはじめとして随分と違いが目に付く。
しかし、仮面を外した男の顔には違いなんてなかった。
「エリザベス・フォン・レイフォード公爵、貴方を攫いに来ました」
エリザベスは何が起こっているのかわかっていないようなキョトンとした顔をした後、数秒して状況を理解した。
そして、そういえばこの人はそういう人だったと考えを改めた。
最愛の人は必ずその場に現れる人なのだ。
アラタという人間は、アラタ・チバという人間は、千葉新という人間は。
「俺と一緒に逃げてくれますか」
動けずにいる彼女に、アラタは手を差し出した。
傷だらけの大きな手は、いつだって彼女に安心感と幸福感を与えてくれる。
エリザベスは笑みを浮かべると、彼の手を取り立ち上がる。
「えぇ、喜んで」
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