第170話 うま味万歳日本人
宿の一室に第1小隊の4名が顔を合わせる。
それだけ聞けばいつものことかもしれないが、今ここはウル帝国の首都グランヴァインだ。
敵国の内部で、全滅を避けることや目立たないようにするために2手に分かれて潜伏中の彼らにとって、こうして一堂に会する機会は貴重である。
アラタがディランから受け取った手紙の内容を2人も共有し、今後の行動を決定しようと彼らは集まっている。
「チャンスとピンチがセットになってる感じだな」
一通りディランの文を読み終えたクリスは、手紙をアラタに戻しながら難しそうな顔をする。
彼女の言う通り、ここから先は千載一遇の機会である。
千載一遇ということは裏を返せば、それを逃したとき、999遇待たなければならないということでもある。
そんなことをしていれば大公選には間に合わず、恐らくレイフォード派閥の圧勝となるだろう。
そうなればウル帝国による侵略が始まり……という未来がいよいよ現実的になってくるのだ。
今日の昼過ぎから、アラタ達はある男との面会を予定している。
男の名はコラリス・キングストン、齢は63。
帝国で15代続くキングストン商会の14代目会長で、現在は名誉会長。
息子に商会を継がせた後、自身は政界に進出して帝国議会で辣腕を振るっている。
それが第4小隊を通じて得られた男の人物像だ。
「僕この人知ってる」
「そりゃそうだろ、有名人過ぎる」
「孤児院ですか?」
「うん」
帝国の人間なら知っていて当然というアラタの反応に対して、リャンはキィが元居た施設の名前を口にした。
それに対するキィの反応はイエスだ。
「アラタ、キィを連れて行かない方がいいかもしれません」
元々この面会には4人で行くつもりだったのだが、リャンは予定変更を進言する。
彼の腹の中では、顔見知りかもしれない2人を会わせるのはリスクが高いということらしい。
「いや、むしろキィが必要になった。リャンもな」
リャンの意見を却下したアラタの考えはそれと正反対で、同時に考えもまとまった。
「ディランは俺の素性を知っていた。ならキングストンさんにも知られている可能性は高い。であるなら」
「隠し事はためにならない、か」
クリスの言葉にアラタも頷く。
「いいか、俺たちはお願いしに行く立場だ。相手の機嫌を損ねず、隠し事は最小に、向こうが気持ちよくなるよう振舞うんだ。それを忘れるな」
キィはどこか嫌そうだったが、隊長の決定で参加者が決まった。
予定通り、面会は4人全員で行く。
最悪これが罠だったとしても第4小隊への連絡は既に済んでいる。
後は鬼が出るか蛇が出るか、行ってみてのお楽しみだ。
※※※※※※※※※※※※※※※
およそ7km四方の超巨大な外壁に守られている帝都グランヴァインの中で、アラタ達が宿を取っているのは外縁部の安宿だ。
そこから歩いて30分以上、街のほぼど真ん中に帝国議会はある。
皇帝の住まう宮殿が真のど真ん中であり、それにほぼ隣接する形で議会はある。
コラリス・キングストンの屋敷はそのさらに隣。
つまり、皇族以外が住むことのできるエリアの最高級区画だった。
日中日陰になる場所は先日の雪がまだ残っており、踏み固められた雪はツルツルすべって非常に危険だ。
黒装束の一行は転んで注目を集めることの無いように注意しながら、それでいて足早に通り過ぎていく。
田舎のカナン公国の人間からすればどれもこれも非常に目を引くものばかりの帝都だが、純粋なカナン人はこの中に一人もいない。
アラタは日本出身、クリスは出生地不明、出身はタリキャス、リャンとクリスはウル帝国。
彼らの頭の中には珍しいモノを気にする余裕なんてない。
粗相をしてはいけない、これだけだ。
「……すっげぇ」
アラタの第一声はそれだった。
まあ、そう言いたくなる気持ちも分かる。
凄いから、豪華だから。
アラタの住んでいた屋敷を1としよう。
ハルツの家は1.5か2,ノエルの実家が4とする。
そうするとキングストン邸は、体感で150くらいだった。
入場料が必要だと言われても多分アラタは支払ってしまうだろう。
仮面を取り、アラタが門番に手紙を渡す。
彼らも非常に物腰が柔らかく、それでいて多分強い。
カナンも面白いところだが、ウル帝国は少し次元が違う。
アラタにそう思わせるには十分だ。
「確認が取れました。それではお入りください」
門番に一人がそう言うと、ひとりでに開く鉄の扉。
「ふぉお」
アラタの興奮はうなぎのぼり、留まるところを知らない。
久しぶりに自動扉に再開したと思ったら、想像の数倍凄いものだった。
敷地に入ってから門の裏側を見てみたが、誰かが主導で開閉しているのではない。
3人は緊張しっぱなしでガチガチだったが、一番初めに楽しみ始めた隊長に感化されて徐々に余裕が生まれてくる。
彼のそういう所は素直に認めるべきだな、とクリスは彼に対する評価を少しだけ上方修正した。
アルベルト・モーガンの屋敷も一般市民からすればどっから金が出ているのか皆目見当がつかないレベルに豪華なものだったが、上には上がいる。
取りあえず金、そうならない辺りに格式を感じるが、材木から石から、何から何まで一目で高いと分かる。
豪華にしようという意思を感じつつ、恐らく純粋にこういった建築物が好きなのだなとアラタは感じた。
そう言った一種の趣味の心というか、こだわりというか、義務感から来るものではないこだわりをこの屋敷は垣間見ることが出来る。
ゴレアチークで作られた木製の窓枠も、それに填まっている透明度の高い窓も、帝国北部オウンバランス山脈から運搬されてきた大理石の建材も、どれもこれも家主の趣味なのだろう。
そんな中を4人は通っていく。
初めに通された部屋では装備を脱ぎ、スーツに着替えた。
ここで刀を始めとした武器の類は失われ、抵抗はほぼ不可能となる。
魔術は使えるが武器が無いのは致命的だ。
この時の為にリャンには【魔術効果減衰】をいつでも使えるように言い含めてある。
そしてその次に案内された部屋、扉の前に立っただけで4人は理解した。
ここにいると。
「旦那様、お客様をお連れしました」
扉の奥から、『通せ』と短い返事。
その声は低く、力のこもった声だった。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
まるで地獄へ案内するように、使用人はドアを開いた。
なんか怖くなってきた、そうアラタが思った時には既に入り口は彼を待ち構えている。
もうどうにでもなれ、そう諦めつつ、彼はこの任務の2つ目の山場を迎えた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「美味いか?」
「っす! 超美味いです。このエビ凄くないですか? ウニもこんなに……生きててよかったぁ」
クリスは呆れるやら、ほっとするやら、もう何が何だか分からなかった。
扉をくぐって家主であるコラリス・キングストンに挨拶をした後、食事がまだだからと昼食を馳走になった。
ここまではいい、会談の際食事を取ることは別に珍しくない。
ただ、
出てきた料理はどれも磯臭くてあまり好きになれなかったが、こいつは嬉々としてそれをほおばっているのだ。
ウニなのかエビなのか知らないが、よくこんな気持ち悪いものを食べられると関心すらする。
「ほれ、イクラが来たぞ。食べるか?」
「ふぉぉおおお! 是非!」
——クリス、少しいいですか。
——皆まで言うな。多分私もそう思っている。
リャンも彼女と同じように、2人の意気投合具合に面食らっていた。
その隣にいるキィはアラタまでとはいかないが、楽しそうに料理を食べている。
リャンは山岳地帯の出身で、海産物を食べる習慣はない。
カナンも内陸部で、そこまで海鮮を口にする機会は無い。
キィは子供らしく何でも食べるが、それの上を行くアラタはもはや理解不能だ。
まともな醤油、味噌、米、その他うまみ成分、アミノ酸を大量保有している日本で消費されている食材から隔離されて半年以上。
彼は慢性的なうまみ成分欠乏による禁断症状を起こしており、その解消にはこうして母国を感じる料理をしこたま食べるに限るのだ。
最高級食材をふんだんに使った海鮮メインのもてなしに、彼は感極まって今にも泣きだしそうだ。
そこまでの食いっぷりを見せられたら、もてなす側も嬉しく感じるだろう。
頭髪に別れを告げた髪型をしているこの老人は、まるで長い間会っていなかった孫にでも接しているかのような雰囲気だ。
「好きなだけ食べなさい。おかわりはいくらでもある」
「え、え、じゃあイクラとシャケの親子丼とかいいすか?」
「王道じゃのう。よし、持って来なさい」
彼の一言で使用人はバタバタと慌ただしく動き回る。
平静を装っているが用意しているわけではないのだろう。
客のリクエストに応えるが彼らの仕事だが、アラタという客は彼らからすれば中々に面倒くさい相手なのかもしれない。
「これは養殖ですか?」
「いや。じゃが腹は下さぬよう薄造りにしておる」
「なるほど」
シャケの類を生食する際に付きまとう問題は寄生虫だ。
アニサキス寄生虫がこの世界にも存在することは確認済みであり、以前エリザベスが生魚をくれた時にもアラタは細心の注意を払っている。
冷凍してはいないようだが、目視で取り除いているのだろう。
【身体強化】を使って出されたものを見ても寄生虫の姿は確認できない。
これなら問題ないと、醤油、ワサビを添えて出された丼をかきこむ。
こうしてアラタの身も心も満腹にした遅めの昼食は終了した。
食後に出されたのは緑茶だ。
これも中々に良いモノ、と茶に関してはそこまで詳しくないアラタは判断した。
「楽しい食事じゃった。ようこそウル帝国へ」
「こちらこそ、薄暗い日陰者の我々に対してこの歓待、感謝の限りを尽くしても足りません」
薬の時間なのか、緑茶とは別にコラリスは水と紙に包まれた黒い粒を一緒に飲んだ。
「さて、そろそろ真面目な話をしようか」
「よろしくお願いします」
いつの間にか使用人たちは姿を消しており、第1小隊とコラリス、そしてその後ろに控えている護衛と思われる男だけとなる。
「まず、帝国の、バルゴ殿下の周囲の記録に関する閲覧。これは許可しよう」
「感謝します」
「次に、グランヴァインに勝手に入ったこと、これも不問とする」
「重ねて感謝を」
「ディランの頼みじゃからの」
コラリスは茶をすすった。
来る、アラタはそう感じた。
「こちらの頼みを聞いてもらうかの」
「なんなりと」
「そこに控えるリャン・グエル、キィ両名の身柄をこちらに引き渡して欲しい」
リャンは思わず、目を見開き、隣にいるアラタの顔を見つめた。
彼の顔には迷いの感情は微塵もない。
正念場が幕を開けた。
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