第171話 異世界の老人が意味すること

「な・る・ほ・ど~」


 ぎこちない間を取りながら、アラタは天井を見た。

 綺麗な装飾は本来なら目を楽しませるはずだが、今は何を見てもなんとも思わない。

 一所懸命に思考を回す。

 その為には時間が必要だ。


「理由を聞いてもいいですか?」


「バルゴ殿下の醜聞はこれになるでの」


 コラリスは右手の親指を人差し指をくっつけて丸を作った。

 ふざけたような態度を取っているが、顔はそれなりに真剣だ。


「そうっすねぇ…………」


 そろばんの経験は無いアラタだが、彼の中ではパチパチと弾を弾く音が聞こえている。

 それと同時に電卓も、ひっ算をする鉛筆の音も。

 少しして、音が鳴り止んだ。

 答えは決まった。

 後はそれをどう正当化し、どう折り合いをつけ、どう相手を説得するかとなる。

 答えありきの理由。

 本来それは褒められることではないが、彼は合理性よりも感情を大事にすることを選んだのだ。

 暗闇に生きる八咫烏のリーダーとして、それはいかがなものかと思うが、彼が選んだ道で、責任は彼が取る。

 であれば、それ以上は何も言う必要は無いだろう。

 膝の上で拳を握りしめ、意を決した。


「お断りします」


 空気が凍り付いた。

 間違いなく、ピンと張り詰めた空気に変わった。

 暖房が入っているはずなのに、この部屋だけ外よりも寒い。

 魔術を使っているというのなら納得だ、なぜそうしたのかは納得しかねるが。

 だが、これが魔力を一切使わずに作り出された空間だというのだから、人間のコミュニケーションは難しい。

 ついさっきまで和気あいあいと食事を楽しんでいた間柄が、一瞬にして敵対する。


「言葉には責任を持てよ? 若造」


「心得ているつもりです」


 コラリスの後ろに控える男が剣に手を掛けた。

 4人であれば瞬殺されることは無いだろうが、刀も何もかも持っていないこの状況では死が近すぎる。

 褐色の肌をした男は、アラタの事を睨みつけている。

 この距離間、4人とも着席しているという状況、少し気を抜けばワンモーションで首ちょんぱだ。

 【身体強化】、【痛覚軽減】を起動した。

 相手には悟られないように慎重に。

 側にいる3人はそれに気づき、ここでやる気なのかと正気を疑う。

 最悪2人引き渡されても、それで彼らの協力が得られるのであればそれでいいではないか。

 引き渡される側のリャンですらそう思い始めてきた。

 この先どんな目に遭わされるのか想像するだけで血の気が引いていくが、それでも、それはそれで仕方のないことだと、そう割り切っていた。

 だが、彼はそれを良しとしない。


「アラタ、この場でワシを納得させてみよ。さもなくば……」


 老人は本気だ。


「では僭越ながら」


 今一度背筋を伸ばし、顎を引き、姿勢を正す。

 証明写真の撮影のように、ピシッと。


「リャン・グエルに関して、彼は【魔術効果減衰】のスキルを有しており、大公選を戦い抜くうえで貴重で替えの利かない戦力です」


「だから見逃せと?」


「はい」


「斬り捨てろ」


「御意」


 アラタが席を立つが早いか、彼に刃が触れるが早いか。

 勝負は一瞬、瞬きした後には決着は着いている。

 背もたれに両刃の剣が深々と刺さっていた。

 アラタの左肩を斬りつけた斬撃は彼を超えて背もたれの木製部分の途中で止められたのだ。


「調度品を傷つけて申し訳ありません。自分に返せる額であれば弁償いたします。


 護衛の男から見て、椅子の右側に立っている黒髪の男がそう言った。

 斬りつける直前、ゆらりと姿が消えたと思ったらいつの間にか今の場所にいた。

 椅子に刺さった剣に手を添えて、抜けないように抑えている。

 護衛の腰元にはもう一本短めの剣が提げられていた。

 しかし、この状況ではそれを抜いて斬りかかる前にアラタに制圧される。

 一応彼も相手が無手なら4人相手取ることも出来ると判断されてこの仕事に就いている。

 あまり無様なところを見せれば解雇が待っている、彼とて真剣だ。

 だが、そんな彼を嘲笑うかのようにアラタは剣から手を離した。


「キィは元々劣悪な環境で生きることを強いられてきました。自分が責任を持って正常な子供に戻します」


「全てお前さん主観の感情論にしか聞こえぬが」


「先日、カナン公国の首都アトラで、2体の変死体が発見されました」


「所持品や状況、片方は特徴的な碧色の髪に緑の瞳。死んだはずの彼らはウル帝国のキングストン商会で匿われている。と自分が喧伝したら?」


「脅しのつもりか?」


「いいえ、交渉です。商談と言ってもいい」


「ほう」


 老人の眼の色が変わった。

 引退したとはいえ、そう言われたら血が騒ぐのだろう。

 主導権はこちらにある。

 有利な状況は余裕を生み、余裕は挑戦する余地を与える。


「我が組織には情報分析と犯罪捜査を専門にする部隊があります。状況証拠は既に挙がっており、後は物的証拠を収集するのみ。もしキングストン様がご協力してくださるのであれば、彼らを1年間貸しましょう。醜聞の種になるかも分からない人間2人と、醜聞の証拠を集めて献上し、その上1年間好きに使える人材8名。商会の歴史の中で最大規模を誇った貴方なら、この天秤が傾くはずです」


 年の功の価値は、その人間の資質で決まる。

 さらに突き詰めれば、希少性が価値になるのだ。

 ただ長生きすればいいというものではない、それなら平均寿命が長くなった現代で、大したことの無い老人の言うことを金言として受け取らなければならなくなる。

『もっと頑張った方がいいと思うよ』

 この言葉一つ取っても、毎日遊んでいる小学生に言われるのと、自分の志す道の先にいる先駆者に言われるのとでは意味がまるで違う。

 年の功や名言というのは、誰が言ったかが重要なのだ。

 その点、コラリス・キングストンのそれは次元が違った。

 平均寿命が40代のウル帝国で、彼のようにこの年まで元気に活動し続ける者は珍しい。

 発育環境などのバフが付いていたのは明確だが、いずれにせよ、そこらにいる有象無象が彼にかなうはずがない。

 言い過ぎたな、とアラタは思った。


「よし。アラタからの要求を聞き入れる。条件はお主が提示した物とする。異論はないな?」


「あ、やっぱりちょっと盛りすぎたかな~なんて」


「男が言葉を簡単に曲げるでない、ではこれにて。ワシは用事が詰まっておるのでな」


「本日は誠にありがとうございました。またお伺いいたします」


 アラタの言葉に、コラリスは背を向けて手を振るだけだった。

 会談はこれにて終了。

 使用人に案内されて元の服と装備品を返却される。

 魔道具の類は無し、特にこれと言って細工されている様子もないと各自が判断すると、4人は仮面を着けて屋敷を後にした。


「負けましたね」


「完膚なきまでにな」


 歩きながら、2人はアラタに向かってそう囁いた。

 それは彼も分かっているようで、非常に不愉快そうだ。


「分かってるって」


「それより、アラタはどうやって攻撃を避けたの? 僕影になっててよく見えなかった」


 アラタと同様、キィも難しい話は苦手みたいだ。


「別に。体を椅子の下の方に抜いて剣を躱した後、刺さった刃で手を切らないように抑えただけ」


「おぉ~」


「褒めてくれるのはキィだけだよ」


 そう言いつつも、彼自身かなり悔しいのだ。

 仮面の下に隠れてはいるが、苦虫を嚙み潰したような顔とはこのことである。

 コラリスは初めから2人になんて興味は無かった。

 ただし、交渉材料としての利用価値はある。

 八咫烏からすれば彼ら2人は戦力として重要だ。

 だが、非公式の命令を受けてカナン公国に潜入した彼らの背後にいるバルゴ・ウルとの関係を示すものは一切ない。

 つまり、いくら彼らを追及したところでテロリストがウル帝国第1皇子の名前を借りて暴れただけに過ぎない。

 アラタの主張もざっくり言えばそんなもので、その点についてお互いの理解は一致していた。

 しかし、言葉の意味も、事実も、発信する者の立場で価値は変わる。

 要するに、初めから対等な取引ではなかったのだ。

 彼らはコラリスの掌の上で転がされ、彼の望むものを差し出した、だから最終的に喜んで受け入れられた。

 その後、彼らは2手に分かれ拠点としている宿へと帰っていった。

 今日の任務はこれで終了だ。


※※※※※※※※※※※※※※※


「アラタはもう少し非情になるべきかと」


「あの時お前らを差し出せば満足したか?」


「えぇ、まぁ」


 銅貨3枚でシャワーを浴びてきた2人は夕方だがもうベッドに寝転がっている。

 冬の夜は早いが、冬至はとうに過ぎていて、日没時間が一番早い日も既に越えた。


「お前は自分を特別扱いしすぎだ」


「そうでしょうか」


「切り捨てる必要があるならそうする。今回は違った。もし仮にお前らを差し出したとしても、キングストンさんは欲しいものが手に入るまで俺を強請ゆすり続けたはずだ」


「それは確かに」


 リャンはヤニが切れたのか指先をトントンと動かしている。

 それはアラタの視界にも入っていたようで、『吸えよ』と消臭剤と煙草をセットにして彼に投げた。


「すみませんね」


「不安を紛らわしたい気持ちは分かる」


「1本どうですか?」


「いらね。煙草も酒も、あんまし好きじゃないし」


 健康体でいいですね、とリャンは煙草に火を点けた。

 窓を開けてそこに肘を置くと、一吸いして旨みに酔いしれる。


「この世界の爺は油断ならねえな」


「元の世界というやつではどうだったんですか?」


「全体で見れば大したことなかったかもだけど、俺の周りにいたジジババはやばかったな」


 炎天下の中、グラウンドでプレーしている選手がきついのは当然だが、応援する方もしんどい。

 それを毎日毎日、別に息子や孫がいるわけでもないのに、ただ母校だから、近所に住んでいるからという理由で応援もとい野次を飛ばしに来ていた老人共を、彼はどこか待っていた。

 35度を超える真夏日でも、彼らはギャーギャーとやかましい。

 度を過ぎれば父母会から注意が飛んだが、そんなものどこ吹く風と言った様子で、彼らは毎日飽きもせずに応援しに来ていた。


「この世界? もそんなものじゃないんですか? 私の故郷は普通の高齢者ばかりでしたよ」


 久しぶりに元の世界の感傷に浸っていたアラタが我に帰った時、リャンの煙草は2本目に突入していた。


「体壊すぞ」


「これは食事みたいなものですから」


 重度のヤニカスはそう言うと、その後もしばらく喫煙を続けていた。

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