第159話 re:スタートライン

 バイコーンはユニコーンよりも体が大きく、その分体重も重い。

 人間から比べればどちらも太刀打ちできない体格差だが、スキルや魔力があれば別だ。

 ただ、今の彼女が剣聖ちからを制御できればの話だが。


「くっ! あぁっ!」


 下から突き上げるような突進がノエルの腹部を掠め、バイコーンが頭をあげた勢いで宙を舞う。

 受け流しきれていない、何回転かしたノエルは受け身も不十分なまま地面に落下した。


「ノエル! 叔父様!」


「くそっ、こいつら何なんだ! たかがミノタウロスごときが邪魔をするな!」


 激昂したハルツの剣が魔物の首を刎ねた。

 しかし、2匹目のミノタウロスに致命傷を与えることは出来ず攻撃は防がれ、トレントの捕食行動が邪魔をして距離を取るしかない。

 元々、このクエストは未開拓領域近辺の増えすぎた魔物の数を減らす目的で依頼されている。

 人間界の内側にいるそれよりも、全体的に魔物は強いのだ。

 だからこそBランクのハルツが出張ってきたのだが、流石にこれは想定外すぎた。

 地面に落下したノエルは一瞬呼吸が出来なくなったが、咳き込むと再び肺に酸素を取り込むことが出来るようになる。

 彼女の頭の中には声が響いている。

 悪魔じぶんの囁きだ。

 もう一人の剣聖じぶんの、誘惑するような甘言だ。


 ——力を貸そうか? 前みたいに、好きなだけ使うと良い。楽しいぞ、気持ちいいぞ。周りには黙っておいてやる、力をものにしたと、そう言えばいい。そうすればまた3人で一緒にいることが出来る。


 ——黙れ。


 ——いいのか? 私に頼らなくては、それこそ自分の命が危ないぞ? それでも……


「ああもう! ホントにうっさぁぁぁあああい!」


「ノエル!?」


 確かにうるさかったが、周りからすれば何事かと思う。

 ハルツとリーゼは相変わらず手いっぱいだったが、周囲には既に集合の合図を受けて集結した兵士やハルツのパーティーが援護に入るタイミングを計っていた。

 そんな中、バイコーンは再び火を灯しながらノエルに突っ込む。

 先ほどはほんの少し攻撃が外れて無事だったが、まともに食らえば流石のノエルもただでは済まない。

 激しい独り言の後、棒立ちのノエルに魔物が迫った。


「守れ!」


 聖騎士の能力が発動し、後押しされた味方は彼女を守るために走り出した。

 その数10人以上、バイコーンからすれば多勢に無勢もいいところだ。


「止まれ!」


 ビリビリと、落雷のような響きが森に木霊した。

 あまりの迫力にバイコーンも足を止め、ノエルの前で制止する。

 一同は立ち止まり、静寂が訪れた。


「もう、ほんっとうにうっさい。うざい、きもい、嫌い」


「ノ、ノエル?」


おまえわたしなら、私のしたいことを邪魔するな。構ってほしいのか知らないが、わたしおまえのそういう所が本当に嫌いだ」


 気力は定性的な要素だ。

 数値化できないし、実体を持たないから目にも見えない。

 気力が満ち満ちている、生気溌溂せいきはつらつなんていうのはあくまでも何となくの評価でしかない。

 今のノエルとてそうだ、気力を代価にクラスの力を行使するなど、本当に気力を燃料に動いているのか疑わしい。

 だが、もし、もしも本当に剣聖のクラスが気力を糧にして力を引き出すのだとすれば、リーゼは知らなかった。

 今のノエル以上に、剣聖の力を引き出せる、気力に満ちたノエルを、彼女は今まで見たことが無かった。

 怒り、憎しみ、そんな負の感情だって前に向けば立派な気力だ。

 思い通りにならない現実も、勝手に自分の側から去っていった仲間も、不甲斐ない自分自身も。

 それらに向けられた溢れんばかりのエネルギーは確かにリーゼの目に映っていた。


「契約が何だか知らないが、剣聖それは私の力だ。いいから黙って全部よこせ!」


 バイコーンが動いた。

 魔物を動かしたのは種に刻まれた特定の型の人間に対する怒りか。

 それともノエル個人に対する恐怖か、嫌悪か。

 今までで最も大きい鬼火を放ち、二角の獣は頭を低く突進する。

 二角獣は不浄の象徴、清い存在の対極に位置し、それをこの世で最も忌み嫌う。


 今のノエルの姿を見たら、確かにバイコーンは怒り狂うのかもしれない。

 邪悪なものを宿していても、如何に戦う理由が自己中心的なものでも、真っすぐ目的を見据えた真紅の眼は不浄とは程遠い。

 ユニコーンの亜種と言っても、見た目は馬というよりヤギとウシの中間みたいだ。

 そんな魔物の突進、他の冒険者、例えばアラタならまず逃げるか避けるかしている。

 それを正面から迎え撃つノエル、動こうとしたがハルツに止められたリーゼ。

 固唾を飲んで見守る周囲の人間の中で、ハルツだけが笑っていた。


 ……シャノン様、貴方には申し訳ないが、ノエル様は母親似ですな。


 鬼火ごと2本の角が舞った。

 ノエルから見てバイコーンの左側を通り抜けると、左足を前に踏ん張って急制動をかける。

 そしてその勢いを転換させて飛び上がった。

 バイコーンは角を斬り飛ばされたというのに即座に振り返る。

 そこにノエルはいない。

 太陽の光が陰る。

 そして上を見上げた魔物は、片方の目に映った光景に、ただ吠えることしかできなかった。

 上から脳天を貫通。

 顎の下から飛び出た剣のきっさきは地面へと突き刺さり、剣は自立した。

 バイコーンにまたがったノエルは剣から手を放し、リーゼの方を向く。

 返り血で汚れた彼女は不浄だろうか?

 否、そんなことはない。


「ノエル…………」


「にしし、リーゼ、やったよ!」


「ノエル!」


 魔物を討伐し、仕留めた二角獣の上に立ち無邪気な笑みを浮かべる。

 少し怖いが、そこにはまごうことなき剣聖の姿があった。

 剣聖、ノエル・クレスト、復活である。


「総員、今日はここまでだ! 近くにいる魔物を相当しつつ村に帰還する!」


※※※※※※※※※※※※※※※


「えへへ、リーゼ、私どうだった?」


「はは……凄かったですよ、ハイ」


「本当?」


「ホントウデス」


 返り血だらけのノエルは今、村人の協力で風呂に入っている。

 ナモン村には風呂がないので特設した設備を使って、だ。

 それだけノエルの見た目は酷いことになっていたし、村人にとってバイコーンは嫌われるものだったのだろう。

 せっかくなら皆入ってくだされ、と村長のティムは一行に入浴を促した。

 それではありがたく、ということでまず2人が一番風呂を貰っている最中である。

 シャワーはこのクエストの道中でも何度も浴びているが、久しぶりの浴槽、それなのにリーゼの様子が少し暗い。

 それもそのはず、先ほどからノエルが少し鬱陶しいのだ。

 嬉しいのは分かる、もう痛いほどに。

 あれだけ苦労して、中々上手くいかなくて、色んな人を傷つけてしまって、自分も深く傷ついて。

 それでも諦めずに頑張って、それでようやくここまでたどり着いたのだ、喜びはひとしおだろう。

 だが、ノエルは先ほどからその話しかしない。

 頑張った、偉い? 偉いよね? とリーゼに擦り寄ってきて褒めてもらうの待ちなのだ。

 初めは可愛いと思いつつ存分に愛でていた彼女だったが、しつこければ当然飽きるし少し距離を置きたくもなる。

 すでにハルツ達はリーゼより距離を取っていた後で、ノエルの面倒を見るのはお前の仕事だろうと遠巻きに見守るのみだ。

 役に立たない叔父を成敗する予定を追加した所で、意識を現実に戻せば待っているのはキラキラ眼を輝かせているノエルだ。


「はぁ~、これで残るは契約だけだな!」


「そうですね。まあそれも時間の問題でしょう」


「そう思う? 私ならヨユー? ねえねえ、どう思う?」


「あー、ソウデスネ、ソウオモイマス」


 パシャパシャと水面を叩きながら笑うノエルはうざいくらいに元気だ。

 ニッコニコで独り言なのかリーゼに話しかけているのか分からない言葉を吐き出している。

 リーゼもそれを環境音として処理することに決め、久々の入浴を堪能しようと試みた。

 だがしかし、隣にノエルがいてそう思い通りにいくものでもない。


「ねえリ~ゼ~、聞いてる?」


「聞いてますよー」


「アラタは? これで戻ってくる?」


 やかましいノエルの声を環境音として無視することは断念したリーゼは空いている天井を見上げる。

 仮組みの露天風呂だから見えるのは空だけだ。


「そうですねぇ。ノエルのお父様が大公になって、アラタに恩赦が下れば…………って感じですね」


「……そうか。それは仕方がないな」


 少し落ち着いたのか、それとも落ち込んだのか、声のトーンを少し下げたノエルは下を向く。

 水面に顔が映り、濡れた髪からポタポタと水滴が落ちる。

 これだけ頑張っても元の環境に戻るためにはまだ道のりは険しく長い。

 喜びは束の間ということだ。

 1つ壁を越えたらそれより高い壁の前に立つ。

 その繰り返し、ただの日常だ。


「まあいっか! これで胸を張ってアラタに会える!」


 立ち上がったノエルを見て、それから自分の浮いているものを見て、リーゼは在りし日の思い出がよみがえった。


『……チッ、貧乳が胸張ってもありがたくねえんだよ』


 無礼極まりなく、最悪死刑になっても文句は言えないこの発言。

 発言者は対外的に、既に死刑に処されている。

 ふと思い出した仲間の思い出が、なぜこんなものだったのか。

 答えはきっとシンプルだ。


 私はアラタとは違いますから。

 思ったこと全てを口にはしませんから。


 沈黙は金であることを知っている彼女は目を閉じて何も言わない。

 やっとノエルが風呂から上がり一人になれるのだ。

 日頃の疲れを取るには一人で…………


「リーゼ」


「はい?」


「目を開けて」


「ハイハイ……ってキャァア!」


「失礼! リーゼ今失礼なこと考えた!」


「そそそそんなことありませんよ? 邪推はよしてくださいな」


「私に嘘は通用しなぁい! こうしてやる!」


「あっ、あー! ノエル! それはだめですー!」


 そのあと、2人の仲は少し悪くなったとかならなかったとか。

 ただ、ノエルもリーゼもあんな感じな性格なので、1日2日経てば元通りなのはいつも通り、通常運転だった。

 剣聖の少女に残るくさびは残り1つ。

 クラスの力のやり取りに関する契約。

 彼女は今、再びスタートラインに立ったのだ。

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