第137話 調整会議
「舐めるなよ若造が!」
そんな声を聞いて、丁度休憩から帰って来たばかりのハルツは会議室の中に入ったことを後悔した。
彼の持ち場は部屋の中だが、部屋に入ったことがまずいことは誰だってわかるし、何より入りたくなかった。
機密性保持の為、外からでは何を話しているのか知ることはできない。
だから事前に面倒ごとを避けるために外で待機する選択肢は初めからないわけで、彼の受難は今日も続く。
公爵に対して、一人娘であるノエルをくれと言ったのはアルベルト・モーガン子爵。
年齢は35、ノエルの倍の年齢だが、この場では若い部類に入る。
公爵家を継いだシャノン・クレストが現在それに次ぐ38歳であることが異例なだけで、他の面々は軒並み50代を超えている。
モーガンの頼みというか、提案に怒声を発して異を唱えたのは、真っ白な白髪のマリルボーン伯爵家当主、オイラー・マリルボーンだ。
若くして子爵となり、クレスト家派閥の中でも日々その存在感を増しているモーガン。
それに対して古くより、先々代のクレスト家当主の時より派閥に所属していたマリルボーン伯爵家。
反りが合わないのは何となく想像がつくが、ここまであからさまに反発するといっそのこと清々しいまである。
派閥の長であるシャノンはしかめっ面をするだけで言葉を発さないが、ならば代わりにとばかりにオイラーの叱責は続く。
「ノエル様の状態を考えよ! それに、一介の子爵ごときが何を思い上がるか! 身の程を弁えよ!」
「オイラー殿ではノエル様には流石に嫌がられてしまいますからね。御子息は今日も元気に引きこもりですか?」
マリルボーンにも痛いところはあるらしく、息子の話が出ると途端に歯切れが悪くなる。
「それとこれと今は関係……とにかく! 分を弁えよと言っている!」
「はぁ、これだから伯爵殿は…………」
一触即発、そんな状況下において会議室に響く声。
「お2人とも、その辺りで」
有無を言わせぬ強い声。
決して大きな声量ではないが、身体にジンと響くような、太鼓を鳴らしたような声に2人は静かになる。
イーサン・クラーク伯爵。
シャノン・クレストの懐刀であり、その派閥の中でも長であるシャノンを除いたメンバーの中で一線を画す存在。
彼にやめろと言われてやめない人間はこの場にいない。
彼は周囲を黙らせると、手元の書類に目をやりながら、
「今日は大公選後の調整を話し合う、そのはずです」
そう言った。
調整。
彼らが彼ららしく、貴族らしくある為の話し合い。
大公選によって一変する既得権益の勢力図。
それをどのように書き換えるのか、そう言う話し合いだ。
各々の家が自家の利益を最大限追求したいのは当然のことで、それをうまく折り合いをつけ、納得させ、味方に付ける。
それが大公たる資質の内の一つであり、シャノン・クレストが大公の地位に就くのに必要とされる素養だ。
一同の手元には現在派閥が所有している土地、施設、権利、権益、それらが詳細に記されている。
もし万が一、この書類が奪われるようなことがあれば、彼らは敵に大きく後れを取ることになるだろう。
だからこそこの場をハルツ率いるBランク冒険者に警備するように依頼し、クラーク家の伝手で軍にも警備を要請した。
イーサンの声で静まった室内には、それぞれが書類に目を通す音が鳴る。
紙の擦れる音、何かを書き込む音、ため息、驚き、それらはかき混ぜられて、一塊になっていく。
やがて頃合いだと思ったのか、シャノンはイーサンに目配せをする。
始めてくれ、そう言う合図だ。
イーサンは頷くと、立ち上がり音頭を執る。
「では、まずはタリキャス王国に続く街道整備と管理運用に関して、クレスト家から引継ぎをしていただける方はいますか?」
身内の結束を固める為、大公選の後のパワーバランス調整の為、家の繁栄の為の権謀術数渦巻く会議が開始された。
※※※※※※※※※※※※※※※
会場の警備は滞りなく、取り立てて報告することもなかった。
本命は裏で行われている会議なのだ、こちらで何かが起こることは考えづらい。
キィはレイン、リャンはタリアとペアを組んで会場外の巡回。
会場内の警備は今のところアラタとクリスの2人だ。
カーテンの裾に隠れながら、【気配遮断】と黒装束の効果で潜伏中のアラタの眼は安堵感に満ちていた。
良かった、大丈夫そうで、元気そうで良かった、そう思っているのだろう。
彼の視線の先にはノエルとリーゼ、元仲間がいた。
一応パーティーなのでドレスを着て着飾っているが、冒険者然とした体つきと立ち居振る舞いは隠せない。
それでも参加者たちと談笑する2人を陰ながら見て、彼の心には一種の充足感というか満足感があった。
迷惑をかけたが、それでも今は笑ってくれていて、それを見ることが出来て良かった。
そんなことを考えている隣で、クリスは仮面を着けた同僚の顔を見ていた。
仮面を着けていても案外感情は外に出るものなのだな、と。
「ノエル様、どうでしょう。今度我が家で開かれる会食によろしければ」
2人とも貴族の社交場ではそれなりに人気があるようで、剣聖の呪いのことなど全く気にしない様に周囲も振舞っている。
髪を降ろしたノエルの雰囲気はアラタの知るそれとは違って見えるが、快活で活発な性格は変わらない。
彼女を誘ったのは親が会議に参加している子爵家の次男坊、彼自身は軍に籍を置く一人の軍人だ。
ノエルはリーゼの方を見て、彼女が優しく首を縦に振ることを確認する。
今の彼女は自分で自分のことを決めることが許されている程安定した状態ではないからだ。
リーゼの了承が下りたことで、ノエルは会へ参加する旨を伝えた。
相手は大層喜び、上機嫌でその後も彼女との会話を楽しんでいる。
——アラタ。
その様子をアラタの隣で眺めていたクリスは何を思ったのかスキルを使って通信をしてきた。
——何?
——お前の仲間、狙われているぞ。
——どこから?
——コルト・ベルビューにだ。
——誰それ?
——たった今ノエル・クレストを誘った男だ。
いまいち会話がかみ合わないなとアラタが首をかしげる。
彼の中で、狙われていると言えば命以外ないのだが、クリスの意図するところは違うみたいだ。
彼がそれに気づき、その上で自分の考えを展開するのには少し時間を要した。
——狙われてるってそういうね。それなら別にいいだろ。あと元仲間な。
何故かクリスは彼がノエルを食事に誘うことが気に入らないようで、何かと突っかかる。
しかも話しかけるわけにはいかないので、当たる相手がアラタなのだ。
——あんなどこの馬の骨とも知れん奴に……
——ベルビューさん家の馬の骨だろ。
——だが…………
クリスがあの人を狙っていたのかな。
そんな適当な想像を、『それはないか』と否定してみて、機嫌の悪いクリスをなだめようとする。
——大体17歳なら彼氏の1人や10人や100人いて普通だっつうの。
——ではお前は100人の彼女がいるのか?
——いや、俺はエリーだけだから。
——本当に殿下と交際しているのか?
——は? 付き合っているんですけど。
——証拠は?
——首飾り、お揃い。
——信じられんな。
——はぁ!? クリス、言っとくけど俺結構モテるからな?
——ハイハイ。
アラタの話になると彼女の興味は失せてしまったみたいで、適当な返事の後交信は途絶えた。
すぐ隣にいるのでアラタはクリスの脇腹をつついたりしてちょっかいをかけ、それに応戦してクリスもごそごそ動き出す。
すると当然カーテンも揺れるわけで、誰かが近づいてきたのを察知した2人は気配を消した。
——お前のせいだぞ!
——黙れ。
ハイヒールが床を叩く音がだんだんと大きくなり、やがて止まる。
「窓が開いている。換気かな」
ハイヒールの主は少しの間、外を眺めていた。
その紅玉のような瞳は楽しい会食の席だというのに少し暗い。
「…………そんなんじゃないもん」
彼女は何やら独り言を口にすると、大きな窓を少し乱暴に閉めて、皆の待つ方へと戻っていった。
そんなんじゃない、その言葉の意味するところを2人は理解できなかったが、ノエルが気丈に振舞っていて、実際にはそこまで元気ではないのではないか、アラタはそう思った。
やがて会議が終わったのか、大広間のパーティーの方もお開きとなり、アラタ達は主な客たちが護衛や迎えの者と帰るのを見送った。
会場にはクレスト家やクラーク家の人間たちが残り、後片付けをしている。
そこでアラタはノエルとリーゼが会場である屋敷に今は住んでいることを確認した。
これならハルツの家に行ってもばったり出くわす危険性はほとんどないと安堵し、これからはもう少し警戒心を薄めても問題ないと判断する。
警備はこれで終了、現地解散の為、4人はドレイクの家へと直帰する。
アラタがクリスと共に会場を後にしてからしばらく経ったクレスト家の本家屋敷、その一室。
使用人たちによってドレスから部屋着に着替えたノエルとリーゼ。
2人は飲み直しているのか、テーブルにはワインの瓶が置かれている。
間接照明の光だけが部屋を照らしていて、少し薄暗い中ゆったりとした時間を過ごしていた。
「今日の私は問題なかったかな」
ノエルの言葉には酷く力がない。
自信がないのだ、言葉に宿る力も物足りない。
「大丈夫ですよ。皆も敬遠せずに話しかけてくれたじゃないですか。ノエルが大丈夫だと思われている証拠ですよ」
こちらはノエルを励まそうとしているのか力がこもっている。
2人のグラスは対照的で、注がれたままほとんど量の変わっていないリーゼのそれに対して、ノエルのグラスは空だ。
空になったら注ぐべきだが、注いだそばから飲み干してしまうため途中からリーゼはワインを注ぐことを止めた。
無ければ飲まないのか、ノエルが自分から飲み物を注ぐことは無い。
「アラタはまだ見つからないの?」
「……そうですね」
そう言うと、リーゼはグラスを空にした。
嘘を吐いた喉を酒が通り抜け、少し焼く。
ノエルをアラタと引き合わせてはいけないのなら、側近であるリーゼがそのように振舞わなければならない。
彼女は叔父のハルツからアラタの動向をそれとなく耳にしていて、今回会場の警備に当たっていることも知っていた。
だが、事細かに何をしているのか聞き及んでいるわけではない。
もし知っていたら、窓を閉めに動くのはノエルではなくリーゼが代わっていただろう。
「もう寝ましょう。もうすぐリハビリも始まるんですから、身体を大切にしないとダメです」
「こんなに飲んで、アラタがいたら怒ったかな」
「アラタじゃなくても怒りますよ。飲み過ぎです」
「ごめん、気をつける」
「おやすみなさい。アラタは私が探しますから、ノエルは自分の事を考えてください」
「うん、おやすみ」
布団を被ったノエルは目を瞑る。
何回でも止めてくれるって言ったのに。
側にいてくれるってことじゃないのか。
「嘘つき…………早く帰って来てよ」
その後も、頻繁にリーゼにアラタの所在を尋ねるノエルだったが、彼女の口からアラタが見つかったと聞けることはなかった。
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